湖北省当陽にやってきました。
三国志を廻る旅らしく、関陵を見学します。
関陵とは、三国志で活躍した 蜀の将軍 関羽(かんう)のお墓ですね。
なかなか立派な構えですね。 赤い壁の塀に囲まれ、大きな建物が一杯です。
話は少し飛びますが、横浜や神戸の中華街の 関帝廟 をご存じの方も多いかも知れません。 関帝廟とは、関羽 を祭ったもので、東南アジア各地の中華街では、関帝廟が必ずありますね。
三国志で登場する他の人物は祭られていませんが、関羽 だけが特別です。 神様になってしまっていますが、不思議な現象なんですが、どうしてなんでしょうか?
少し話が長くなりますが・・・・。
三国志演義によれば、関羽は蜀国の創設者劉備の将軍で、劉備と義兄弟の契りを結び、生涯主人を補佐しています。企業で言えば、創業以来の重鎮で、副社長みたいな感じですね。
関羽は見事なひげをたくわえ、人並み外れた武勇や義理を重んじる人物とされています。 この義を重んじるという点が神になったポイントらしい。 そのお話を少し。
劉備が一時戦いに負けて行方知れずになった時に、関羽は主人劉備の夫人を警護して、魏の曹操に投降していました。 曹操は関羽の力量を愛し、赤兎馬(せきとば)という有名な馬を送るなど礼遇します。
しかし、関羽は劉備の居所が判明すれば、すぐに主人劉備の基に行くと宣言し、その通り実行します。あくまでも 主人に忠義を尽くす、 忠義の人 ということになります。 後世の京劇では、関羽と曹操との別れの場面は有名なんだそうです。
その後、赤壁の戦い で敗れた曹操が、北へ敗走した時、劉備軍は曹操を追撃するのですが、関羽はなんと、曹操を見逃してしまったことになっています。 昔世話になった曹操への 義理 を果たすためという理由なんだそうです。 三国志演義では、関羽は 義の人 なんですね。
「ところでなんで関羽が商売の神様になったんだい? ちっとも判らん」 と私。
現地ガイドの劉さんいわく
「商売では信義が大切でしょう。関羽は義の人ですからね。 それと、関羽は山西省の人なんですが、山西省の人は商売人が多く、その人達が郷里の豪傑関羽を祭ったらしい。 それが商売人に広がって、商売の神様になったらしいんです」
関陵の奥へと行きましょう。
一番奥にあったのが、お墓。
「ここには関羽の胴体が葬られていますよ。首は洛陽(多分?)、他に服を葬った陵もあります」 関羽は呉の遜権に殺されますが、遜権は首だけを曹操に送ったらしい。曹操は首を丁寧に葬ったとされています。
このお墓の墓標らしき石碑には、長々とした諡号が歴代王朝から多数贈られている。忠義の人ということで、後世の皇帝も関羽を重視したようですね。
ところで、その日は暑かったですね・・・・。
庭の赤い花、なんでしょうか。暑い日差しの中、印象的でしたね。
暑かったので、すぐに関陵の建物の中へ逃げ込んでしまいます
建物は重厚な感じですね。中は少しは涼しい。
中国らしい雰囲気の場所ですね・・・。 その日はお隣の重慶市は41度だったそうです。
我々が建物に入って行ったので、店番のおばあちゃんが腰を上げ、商売開始。 おばあちゃんが座っていた椅子と扇子が中国らしい雰囲気です。
「これは三国志でよく出てくる 赤兎馬 の像だよね」
神になった男・関羽。 私にはまだよく判りませんが、日本で言えば、学問の神様とされる 菅原道真 さんのケースと、ちょっと似ているかも。 立派な人物だけど非業の死を遂げるところも似ている。
「どうも、歴史は後世の人が作っているよね。 神様まで作っちゃった」
まー、三国志の世界には、後世の人が作った話が一杯あるような気がしますね。