いよいよ夏ですね・・・・。

 私の生家は瀬戸内海の小さな漁村でしたから、夏といえば毎日近くの海で泳いでばかりいた思い出があります。都会住まいになってからは夏はただ暑いばかりですね。特にスーツ姿でネクタイを締めるのはもう勘弁してほしいっていう気分ですね。

 さてさて、カメラをいじくるようになってからは、何となく季節の花を撮る癖が・・・。
 
 夏といえば「蓮の花」ですかね。

 珍しく早起きをして 近くの大府市の星名池の蓮の花を撮ってきました。
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 7時頃でしたが、朝日が当たる蓮の花は、やわらかな感じで綺麗でしたね。
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 蓮の花といえば、ついつい幾度となく滞在したタイを思い出しますね。
 タイでは蓮の花は、何時も、何処でも咲いていたような気がします。
 (多分私の記憶がいいかげんで、タイでも咲く時期があるかも・・・)

 ただ日本のように特定の場所に蓮が一杯咲いているという感じより、各家庭の庭先の大きな水カメの中に咲いていたり、道路脇の汚い泥沼に咲いていたり・・・。
 在タイの頃の写真を探すと、数枚見つかりました。蓮の花は日本もタイもほぼ同じですね。
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 タイでは特に泥沼に咲く蓮の花は綺麗に感じましたね。

      ”蓮の花、タイでの日々を 思い出し”
# by takeshi_kanazaw | 2009-07-16 09:46 | 花撮り等 | Comments(0)
 陸奥一人旅で幾分浮世離れした気分にしたっていたのですが、中国の新疆ウイグル自治区で暴動騒ぎ?が起こっているニュースが。凄く気になりますね。
   (インターネットからの写真)
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 新疆ウイグル自治区は私の好きなシルクロードの地。暴動発生が伝えられている省都のウルムチは、シルクロードの旅では起点となる町で、もう3回も訪ねたことがあります。
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 暴動発生のニュースを聞いて、”さもありなん” という感じですね。

 シルクロードを旅して実感したのは、”こりゃ中国の植民地だな”という思い。
 そもそも今の中国の領土は、歴史的に見ても幾分大きすぎる感じがします。
 西の新疆ウイグル自治区、南のチベット自治区、北のモンゴル自治区は歴史的にも人種的にも漢民族の領土とは言い切れない。

 新疆ウイグル自治区の地域は、タリム盆地の周辺のオアシス都市が点在して、歴史的には多くの民族が入り込んできたり、去って行ったりしているようです。中国からは”西域”と呼ばれた地域。
 
 現在この地域に1千万人弱住んでいるウイグル族は、もともと北にいたトルコ系の民族らしくて、AC10世紀頃この地に。 他民族との混血も進み、漢民族とは少し異なるエキゾチックな風貌をしていますが、基本的にはトルキッシュで、この地域が東トルキスタンと呼ばれている所以です。

 2年前ウルムチの北のイリで出くわした結婚式のウイグル人の花嫁さん。
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 その花嫁さんの友達。ロシア人や漢民族、ウイグル人・・・。仲良くやっていたはず・・・。
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 暴動の直接的な原因はよく判りませんが、結局は民族と民族の感情的衝突ですね。
 ー追加ー
 (直接的原因は広東省に出稼ぎに行っていたウイグル人が、漢族への暴行というデマで2名が殺されて、その情報がウイグル人に伝えられ、ウルムチでの抗議デモとなったらしい。 そう言えば私が新疆ウイグル自治区へ旅行に行っていたというと、上海出身の飲み屋のママさんが”そんなとこに行った人は臭い臭い”と言ってましたからね・・。漢族のウイグル人への蔑視傾向は、昔から庶民の間に広がっているのでしょうね。)

 中国側の主張は、中国領だから経済的にも豊かな暮らしが維持できているじゃないかということなんですが、一方ではロシア国境の守りの重要地域だから手放せない。 現中国政府になってから多くの漢民族をこの地に送り込んでいます。

 古くはイリの北のジュンガル盆地には漢民族の屯田兵が、最近ではタリム盆地の油田開発で多くの漢族の商売人が入ってきています。 特にウルムチは漢民族の割合が増えて、おそらく50%を超えたのではないでしょうか。 

 しかし、いくら漢民族が増えてもイスラム教のウイグル人との結婚は殆どない。民族融和はなかなか進みにくいですね。

 一方、国境を接する旧ソ連の中央アジアでは、カザフスタン、キルギスタン、ウズベキスタンなど、西トルキスタンの各種族が独立国となっています。中国側のウイグルは?

 確か中国の現政権が成立する前には短命ながら「東トルキスタン共和国」があったのですから、その後も独立運動が脈々と続いていたのですね。

 さてさて今回の暴動騒ぎですが、人種的に近いトルコは応援メッセージを送っていますが、中国はチベット騒乱の時と同じく強硬姿勢ですね。インターネットの写真を少し。
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 軍隊を動員して町を周回しているとか。
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 そう言えば現在の中国共産党主席の”胡錦濤”さんは、若い時チベットの省長さんでしたね。
 彼はチベットを上手く抑えた手腕を買われて出世した人ですからね・・・。

 今回騒乱が発生しているウルムチは、新疆ウイグル自治区では特殊な場所で、漢民族が比較的多い地域ですが、南のカシュガルやホータン、東のトルファンなどは殆どがウイグル人です。騒乱がこれらの地域へ広がる可能性は高く、抑え込むのは容易じゃないと思いますが・・・。

 しかし、かたくなで強固な中国の姿勢を打ち破るのは少々困難かも知れませんね。
 外国の強力な支援も期待薄ですから、何か上手い着地点はないですかね・・・。

 でもね、私は天山山脈のが見えるオアシスの風景が忘れられないし、エキゾチックなウイグルの女性は好きなんですがねー・・・。
 しばらくはシルクロードへ行けないかも知れませんねー・・・・。
# by takeshi_kanazaw | 2009-07-10 15:01 | 時事放談 | Comments(0)
 「みちのく一人旅」 
 まるで演歌の題名みたいですが、東北を独りで3千キロのドライブ旅をしてきました。

 このブログも約10日間のお休みでしたが、この間にエンコラ東北の彼方此方を車で走っていたわけです。
 ”どうして東北?” 別に深い理由などありません。
 
  ちょっとキザっぽく言うと、下手な俳句で
 ”みちのくに いにしえひとの あとをおい”

 名古屋から長野ー新潟ー会津と走り、以降は東北を左回りにぐるりと。
 松島ー平泉ー三陸海岸ー竜飛岬ー奥入瀬ー花巻ー蔵王ー裏磐梯。

 まさに適当に宿を取って、細かい行き場所は現地で考えるという、実にいい加減なプラン。
 おかげで予定にない場所に行ってしまったり、つまらない場所を見に行くのに時間がかかったり・・。
 そんな「みちのく一人旅」でした。

 このたびの一番の感想は   ~東北は広いね~
 とにかく、東海地方や関西と距離の感覚が全然違う。 実際に走ってみると東北の広さを実感。
 おかげで毎日、毎日車で走り続けるハメに。

 ところで、東北の旅というと、芭蕉の「奥の細道」
 出かける前は全く奥の細道は意識はなかったのですが、行く先々で芭蕉の俳句が浮かびます。読み直さなければいけないと思ってますが・・・。

 今日は自宅へ帰って来たばかりで、まだ落ち着きませんが・・・・・。

 まず第一回目は「松島」の写真を。

 
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 10年以上前に松島湾を遊覧したこともあって、芭蕉さんのように感動しないなー。
 むしろ人の多さと、駐車場を探すのに疲れてしまって・・・・。

 それでも”瑞巌寺”は訪ねましたよ。
 確か民謡で”瑞巌寺程の寺はないとえ・・・”とありましたよね・・・。
 
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 瑞巌寺の参道から見た松島。もう少し落ち着くといいアングルがとは思うのですが・・・。
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 松島はとにかく観光地化していて、どうも落ち着かなかったですね・・・・。
 有名な観光地は写真に撮りにくい・・・・・。

 松島をサッサと引き上げて、平泉へ。 
 しかし、問題はどの道を走れば平泉に行けるのか・・・・・。
 この旅では、毎日、毎日、目的地までの道路を探すのが大変・・・。

 次回は平泉。

 

 
# by takeshi_kanazaw | 2009-07-06 23:45 | 東北旅行記 | Comments(2)
 松島から平泉へ。

 「それにしても喫茶店がないな~」
 名古屋近辺をドライブする時は、道路沿いの喫茶店で休憩しながら行き先の地図を確認するのですが、東北では全く喫茶店が見つからない! なかなか道が確認できない。
(九州や四国など一周した時も同じ現象が。喫茶店が多いのは名古屋地方だけ?)

 「高速道路に乗ってしまえ!」
 とにかく東北高速道に戻ってひたすら平泉へ。 以後もこんなパターンが続きます・・・。

 平泉はご承知のように、藤原氏3代に栄えた平安後期の遺跡があるところ。

 「とにかく中尊寺だな。中尊寺へ行こう」

 中尊寺は北上川に面した高台にありますが、幹線道路の傍で行きやすいところですね。
 駐車場から月見坂?を登って行きますが、これが結構な坂。

 「あのオジサン、何画いてるんだ?」
 坂の途中で絵筆を持ったオジサンが・・・・。
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 それじゃ、同じアングルで写真を撮ってみよう・・・・
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 「あれ? カメラじゃ全部が入らないですよ」
 「俺も写真を撮ったが、上手く入らないよ。絵と写真は違うのさ」
 このオジサンは人がよさそうなご仁・・・・。

 「そうか、お寺だから本堂があるんだ・・・」
 中尊寺といえば「金色堂」だけが有名ですが、丘全体がお寺の境内で、本堂や小さなお堂が一杯あります。
 とにかく松島から長い距離を走ってきたので、坂を上がるのがしんどい・・・。
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 「金色堂は何処にあるの?」
 10年以上前に妻殿と中尊寺に来たのですが、記憶がおぼろげで・・・・。
 しばらく歩くと何か見慣れた風景が・・・・。「金色堂」ですね。
 写真に写っているのは金色堂を覆っているお堂で、金色堂はこの中にあります。
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 「中は撮影禁止だって!。入場料まで払ったのに・・・・」

 芭蕉さんの有名な俳句は  「五月雨の 降り残してや 光堂」
 中のお堂は全て金色。平安後期に、これだけの建物は凄い! と思いましたね。

 「当時は金箔をどのようにして作ったんですかね?」と係員に聞くと
 「和紙の間に金を置き、何枚も重ねて鹿皮を置いて叩いたんですよ」
 「じゃー、現在の金沢市の金箔製造と同じ方法ですね・・・・」

 境内には芭蕉の像(えらく現代風ですが・・・・)
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 金色堂を見た後は周辺をプラプラ。
 「ここは何があるんですか?」 と観光バスのガイド風のおねーさんに聞くと
 「私、判りません・・・。日本人じゃないです・・・」
 中国観光団(台湾?)のガイドの中国人。中尊寺にまで中国の観光客が来てましたね。

 境内には能舞台や小さなお堂が一杯。
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 「夏には薪能があるんだって・・・」 多分江戸時代の建物みたいですね。

 ところどころに紫陽花の花も。
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 「あー、タバコが吸いたい!」
 全山禁煙は仕方ないか・・・。と諦めていたら喫煙所がありました。

 「ふー・・・。一服は美味いな・・・・・」
 ふと周囲を眺めると、池に映ったお堂と緑が綺麗。
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 「写真としてこれが一番いいだろうな~」
 観光地で写真を撮ると、絵葉書のまき直しみたいな絵が多くなりがちです・・・。

 そろそろ夕方が近くなります。
 急いで次の「毛越寺(もうつうじ)」へ行かなくてはいけません。
 プラリ旅といえど、結構忙しい。
# by takeshi_kanazaw | 2009-07-06 22:30 | 東北旅行記 | Comments(0)
 中尊寺から車で5分もかからないところに毛越寺があります。
 毛越寺(もうつうじ)は中尊寺と並ぶ平泉の名所です。

 平安時代の遺跡で、当時は平安様式の大きな伽藍があり、庭園内に池があったそうです。
 しかし現在では、建物の基礎の石と池が残っているだけです。
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 この庭園はホントに池以外には何もないのです。
 なぜこの場所に来たかというと、8百年前のイメージが残っているからなんですが・・・。

 池のほとりに何やら碑が・・・
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 「夏草や 強者(つわもの)どもが 夢の跡」  芭蕉の句ですね。
 この俳句は義経の住んだお堂のところで読んだとも言われてますが、私は平泉全体のイメージと捉えてもいいのじゃないか、特にこの毛越寺が俳句に一番フィットしてるような気がします。

 遺跡は何も手をつけない方がいいと思うのですが・・・・
 多分江戸時代のお堂ですね。
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 池のほとりでは「あやめ祭り」が・・・・
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 写真には撮らなかったのですが、少しづつ現代の手が入っています。
 「何もしないのがいいんじゃないの。遺跡を維持するだけが・・・。夏草を生やしておけば・・・」

 その日の泊まりは「衣川」 平泉と隣接する北上川と衣川が合流する場所。
 写真の川が北上川。衣川は山裾を流れているのですが、上手く写っていません。
 写真の小高い丘が多分中尊寺ですね。
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 「衣川の戦いって何なの?」
 ホテルの喫茶店で地元の女性店員に聞いたのですが・・・・
 「うーんと・・・えーと・・・」

 東北の人は口が重い。どうやら標準語でどう喋ればいいか迷ってふしが見える。
 我々が外人に英語で話しかけられた時の感じに似ていると思いましたね。

 「資料があるから見てください」 と資料を探してくれました。
 以下少しこの地域の歴史探訪です。

 この北上川流域は千年も前から開けていたようで、住民はどうも蝦夷と言われていますが、日本古来の縄文人の流れを汲む人という説も。
 奈良、平安を通じて、近畿から何回も攻められています。有名なのが源義家が攻めた「前九年の役」
 
 当時衣川一体を牛耳っていたのが阿部一族。結局は前九年の役とそれに続く何度かの戦いで、阿部一族は滅びますが、その孫が奥州藤原氏の開祖。 長い戦いで死んだ多くの人を見て、仏教に深く帰依して中尊寺などの仏教施設を充実させたとか。

 結局は義経をかくまったことで、奥州藤原氏は鎌倉勢に攻め滅ぼされるのですが、考えればこの戦いは縄文人と弥生人との最後の戦いだったかも知れませんね。

 日本の歴史は弥生人が作った歴史で、縄文人側からの歴史があれば面白いかも・・・。

 次の日はまた車を走らせて「三陸海岸へ」 結構忙しい。
# by takeshi_kanazaw | 2009-07-06 21:22 | 東北旅行記 | Comments(0)

海外や国内の適当に撮った写真の記録


by takeshi_kanazaw