昨日、珍しい知人(40年前にお世話になった中国女性)と久ぶりに再会しました。
もう40年近く前になるけれど、私は仕事で2か月中国へ行ったことがある。(カテゴリ:
中国追憶参照)
その時に、通訳としてお世話になったばかりか、公私にわたり面倒を見てくれた T女史 と久しぶりに名古屋で再会。
「もう40年も昔のことだけど、よく覚えているよ。しかし、お互いに歳を取ったね・・・・」
確かT女史と私は同い年なので、今年で二人とも80歳!!になる・・・・・。
40年も前は私も若かった。
40年前の写真: 生意気にも私が中国の人の前で講義をしていて、写真左の通訳が T女史。
とにかく準備が上手く出来ない時代だった。
講義の前に我々が急遽日本語でテキストを作り、T女史がそれを半徹夜で翻訳。
その後彼女は自転車で1時間以上時間を掛けて自宅へ帰る。 そして翌朝すぐに講義が始まる。
「凄くハードな毎日だったな~・・・・。貴女も我々も若かったからな・・・」
そのころはまだ不便だった中国、T女史は我々の予想以上に大変な時間を過ごしていたらしい。
「母は毎日遅くまで帰ってこなくて、私は殆どお母さんの顔を見なかったわ」と同行のT女史の娘さん。
仕事ばかりでなく、彼女の自宅に訪問したこともよく覚えている。(当時、外国人が自宅へ行くには政府の許可が必要だった)
T女史の旦那がその前日から粉を練って、寝かして置いた力作の生地が用意され・・・。
T女史曰く、「力仕事は男性がやるんです」 中国の女性はそのころから強かった?
汗を拭きふき、餃子を作ったのだが、不思議と我々が作った餃子は、ゆでる途中ですぐにパカッと口を開ける。
写真の手伝っている女の子はT女史のお嬢さん、確か小学校6年生だった・・・・。
その後紆余曲折があって、このお嬢さんは名古屋大学の大学院を出て現在日本の大阪に在住。
さてさて、現在の話に戻るが、今週になってそのお嬢さんから突然メールが
「母が中国(深圳)から大阪に来ているけど、みなさんに会いたいと言ってます。名古屋へ連れていきます」
ということで、私を含め、関係者が名古屋のテレビ塔に集合。 T女史とお嬢さんと待ち合わせ。
「久しぶり!! ハオジュウメイチェン(好久没見)」
あまりに久しぶりで、なかなか顔を見ても・・・・。
しかししかし、昔話となると、話が延々と・・・2時間以上続いても終わらない。
「フンふん、そうだったのか・・・。 貴女には苦労を掛けていたんだね・・・・」
今だから話せる中国の事情も多々あったようだし、その後の中国の変化に翻弄されたことも聞かされて・・・。
元気だったT女史は長らく日本語を使ってないのか、話がなかなかスピードが上がらない。
ときどきお嬢さんが通訳を。 やっぱり時間が経過すると状況が変化していく。
「そうか、もうお嬢さんの方が日本語が上手くなってるんだ」 当たり前ですが・・・。
気がつくと、T女史や私たちが80歳、お嬢さんが50歳を超えている・・・。
「そうか、Yちゃん(お嬢さんをそう呼ぶ癖が抜けない)は、当時の我々より歳を取ってるんだ・・・」
「そうですよ、私はもう50を超えて オバアチャン ですよ」
(年寄りになった私とT女史、そしてオバアチャンになったお嬢さん。 現在の写真は止めることにしましょう)
「Tさんも歳を取ったな~・・・・」と私がしみじみ。
「そういうアンタも歳を取ってるんだよ。本人が判らないだけだよ」と当時同行したK氏。
別れる時にはT女史が元気な声で
「お互い元気で行きましょう。 また会いましょう! 再チェン、再見! 」
40年前、昨日のように思えるけど、やっぱり長い年月が過ぎたんだ・・・・。
80歳になってまた会えるなんて、それ自体が幸せということかもしれませんね。
余談ですが、中国に関する日本のテレビなどの情報、私はなんとなくピッタリとこない。
「中国人は全てが共産党員でもないし、庶民は違う考えの人も沢山いるんじゃないの?」
むしろ、T女史のような中国の人たち、中国で暮らしている人達のことが頭に浮かびますね。