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 苔むすまで

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 奥越前の平泉寺白山神社。 その一角に小さな庵みたいなものがある。 古びた門柱を入ると、狭い前庭のような感じの空間があり、ポツンと手洗いの石が。 当然ののようにその手洗いにも苔が生えている。

 その突き当りに古びた社務所みたいな建物。 人のいる気配もないが、どうも昔の玄成院の跡らしい。全く修理の手が入っている感じがなく、柱の木などは少し枯れた感じさえする。

 「ナニナニ、” お庭を拝観する方は50円を入れてください ” ? 50円というのは面白い。 これじゃ料金を取るというより、少し気分を改めて観てくださいという意味かもしれんな」 

 余談ですが、司馬遼太郎の街道をゆく の18巻 越前の諸道 の中にも、この院を見た話が載っている。その中にも拝観料が50円という話が載っている。 18巻の初版は1987年だから、少なくとも30年以上前も50円、以来ズーとそのままで現在も50円なのだ。
 「ここは全体が苔むしているけれど、料金まで苔むしている・・・」

 料金が50円なのだが、この庭はなんと450年前に有名な造園家が作った国の名勝だという。
 小さなくぐり戸を入って行くと、緑で一杯の空間が広がっていた。

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 一面が苔に覆われている。それほど広い空間ではない。昔は回遊できる広さがあったのかもしれないが、現在は僅か数十メーターで廻ることが出来る。 それにしても苔が深い。
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 よく見ると、苔の種類も一様ではない。
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 「うーん、この庭の作者は苔が広がる庭を想定して作ったのだろうか・・・」
 造園技術の事は全く知らないけれど、数十年後、いや数百年後に庭一杯に苔が生えることを意識して庭を作れるものだろうか? 何とも気の長い話ではある。 苔というのはそんなに簡単にコントロールできる植物とも思えないのだが・・・。

 この庭には池もなく、水も流れていない。 いわゆる枯山水風である。
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 「ひょっとしたら現在の優雅な姿は、造園者の意志ではなくて、この場所の自然が長い年月を掛けて作り出した自然の美じゃないのだろうか・・・・」

 苔は日本庭園の象徴的なものだと思うけれど、それが人間の技術じゃなくて ” 日本の風土が作り出す美である ” という方がなんとなくカッコイイ と思うのだが・・・。 

 君が代の最後が ~ 苔のむすまで ~ とある様に、長く続くことを願う心情を表現するには まさに苔のむすまで なのであろう。 まー ” 苔の生えた老人の戯言 ” かもしれませんが・・・。

 「苔の話はこの辺でよかろうかい」

 次回は何処のどんな話にしようかな・・・・。
by takeshi_kanazaw | 2018-05-30 08:50 | 国内旅行記 | Comments(6)

 青葉滴る菩提林

 奥越前、平泉寺白山神社の参道をプラプラ。

 この参道は結構長く続いている。 そして、周囲は大きな木に囲まれ、全く人の気配がない。

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 司馬遼太郎の街道をゆく によれば、彼はこの一帯の森を 平泉寺白山神社の歴史的象徴というべき 菩提林 と言っている。 前回のこのブログで16世紀に平泉寺白山神社は越前の一向宗徒によって焼き払われた話を載せた。恐らく菩提林も焼かれたものと思われるから、現在の木々はその後の復興によるものであろう。

 それにしても周囲には人が休憩する建物もなければ、もちろん茶屋などは全くない。
 そもそも神というのは恐ろしいものであり、簡単に人が近づけない領域。この菩提林からは聖域という感覚なのかもしれない。 白山神社もきっとそうなのだろう。

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 全てが聖域だからかもしれないが、この菩提林には簡単なロープが張られているが、特に苔や木を保存するための囲いなどは見当たらない。 周囲の苔の上に座り込むことも可能だが、なんとなく苔を踏むのを憚られるという感じである。 やはり聖域というムードが我々訪問者をそうさせるのかもしれない。

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 それにしても見事な青い木々と苔である。 恐らくこの菩提林は聖域視されて、周囲の農民も薪を切りに入ることをためらい(いや入ると罰せられたのかも) 自然のままの姿を保って現代に至ったのだろう。

 「うーん、これはこの地域の気候が幸いしてるんじゃないかな・・・・。聖域だけの理由かな・・・」
 この地域は意外と豪雪地帯である。 日本海からの北風が山に当たり、多量の雪を降らせる。 夏になると、また雨が多い地域でもある。 私は若い頃にこの奥越前の北、山中温泉に10日ぐらい滞在したことがある。 山中温泉では” 弁当忘れても傘を忘れるな ” と言われ、滞在中にも晴れた日にも急に雨が降った記憶がある。 自然のもたらす水の恩恵がこの菩提林を育て、苔を育んだに違いない。

 苔も見事だが、木々の青さも素晴らしい。

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 杉の木立にカエデ類の緑の葉が見事である。 その日はまさに五月晴れ。 陽光が燦々と降り注いでいたが、薄暗い木立にカエデの緑の葉が光って見える。

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 この菩提林に囲まれた参道周辺には全く花がない。 お寺には結構花が植えられているケースが多いけれど、神社というものには花は似合わないものらしい。 そういえば伊勢神宮にも花はないし、熱田神宮にも花は殆ど見当たらなかった。 神は逆らうと禍をもたらす 恐ろしいものなのである。花は要らない・・・。

 いやいや、花が見つかった と思ったのだが・・・。

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 恐らく杉の新芽が出てきたのだろう。 緑の新芽がまるで花のようであった。

 「この平泉寺白山神社は梅雨時に来る方が良かったな・・・。 この青々とした木々や、ふっくらした苔の素晴らしさは、明るい陽光の元では上手く写真にならないわ・・・・」 私は自分の写真技術の未熟さを棚に上げて、五月晴れの明るい日差しのせいにしている。

 たまたま京都から来た人に会ったが、彼らは京都・西芳寺の苔より、この平泉寺白山神社の苔の方が数倍も素晴らしいという噂を聞いてやって来たという。 少し話し込んでみると、この京都人二人も 白州正子さんの本などを読んで、来たものらしい。

 確かにこの平泉寺白山神社は京都の苔寺より数倍の広さと静寂さがあり、噂にたがわず素晴らしい。 ただし出来れば梅雨時か、曇った日に訪ねることをお勧めする。 苔の美しさと輝く陽光をカメラ上にマッチングさせるのはかなり難しい。
by takeshi_kanazaw | 2018-05-29 08:44 | 国内旅行記 | Comments(4)
 奥越前 平泉寺(白山神社)の話であるが、 これは寺なのか、神社なのか・・・。

 勝山市と2~3キロ離れた場所に、こんもりと大木に囲まれた広い場所。 面積は15万平方メータというから半端な広さではない。 名古屋の熱田神宮の数倍はある大きさ。

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 参道とおぼしき道の両脇は、大きな杉の大木に覆われている。 杉の大木の下は苔に覆われ、長い歴史を感じさせる場所であるのだが・・・
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 一般的には大きなお寺では、参道には山門がつきものであるが、全くそんな気配がない。
 参道を進むと、なんと鳥居がデンと鎮座している。

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 「これはお寺じゃないぞ、平泉寺というけれど、これは神社だよ」

 何やら由来を書いた立札が・・・。要約すると・・・
 <創業は養老元年(717年)、泰澄大師の開いた白山信仰の中心地である。 中世には社領9万石、6千坊と呼ばれ、戦国時代には朝倉氏とともに越前の一大勢力であった。 明治の神仏分離により長年の神仏習合の姿を脱し、本来の白山社に戻り、現在に至る>

 「サッパリ判らん。 何処にも平泉寺の名前が出てこん・・・・」

 その辺の事情が、私の愛読書である、司馬遼太郎の街道をゆく 18巻 「越前の諸道」 に詳しく記されている。
 さっそく読み返してみたが、話が長くなるので要点だけ述べる。

 平安時代には山岳信仰などの日本古来の神と、大陸から来た仏教の融合が起きる。 神仏習合、本地垂迹説で、平泉寺が出来て白山信仰もなんと白山大権現などと称されることに。 そうした宗教団体は律令制の外に置かれ、平泉寺は比叡山延暦寺の傘下に入り、周囲の農民から集める多くの寺領の年貢を免除。

 司馬遼太郎によれば、平泉寺に行けば食える と名ばかりの僧侶が集まり、武装化したという。宗教活動というより、食うため、勢力拡大のための武力行使が目立っていたらしい。 ご存じのように織田信長は僧侶の武装化に腹を立て、比叡山の焼き討ちをした話は有名だが、ほぼ同時期にこの平泉寺は農民の一向宗徒に焼き討ちにされたという。

 その戦いに勝った農民が、自らの陣地を勝山と呼び、その名が現在の勝山市の由来だとか。平泉寺その後再建されたが、規模も小さく、大名の庇護のもとに余命を保ったらしい。 どうも平泉寺という寺は周囲の農民からは愛されず、収奪をする武装集団という感じだったらしい。 これは司馬遼太郎の受け売りである。

 現在は白山神社と称しており、平安時代から明治まで続いた平泉寺の面影は全くない。 平泉寺というのは昔の大寺の名前なので、一応 「平泉寺白山神社」 と呼ばれているというのが実態らしい。

 参道の傍に、開祖の泰澄大師が見つけた林泉なる小さな池がある。 当時のままかどうか判らないが、この白山神社の変遷を知ってか知らずか、静かなたたずまいを見せている。 説明看板にある様に、本来の白山神社の姿に戻ったということかもしれない。

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 この白山神社の歴史に興味がある方は 司馬遼太郎の街道をゆく 18巻 を読んでいただくといい。 越前の平泉寺や永平寺などを題材に、日本の宗教観の変遷や宗教団体の実態が如実に書かれているので、なかなか面白い。 何時の世も宗教というのは一筋縄ではいかないもので、教団の性格は世の動きによって変化していくようである。



 
by takeshi_kanazaw | 2018-05-28 08:59 | 国内旅行記 | Comments(4)
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 妻殿が突然 苔の綺麗な寺があるから行こう とのたまった。
 どうもテレビの白州正子さんの関連番組で、綺麗な苔に覆われた寺の情景に惹かれたらしい。

 そのお寺は平泉寺(へいせんじ)というそうなのだが、そんなお寺は聞いたことがない。
 調べてみると、なんと福井県の九頭竜川沿いの勝山市にある。 名古屋からは随分遠い。

 暇な夫婦である。 
 名古屋から越前福井へ走り、そして九頭竜川沿いに入って行く。 この福井から九頭竜川沿いの大野盆地辺りを 奥越前 と呼ぶのだそうである。 越前の国は古くから開けた地域で、古代では継体天皇の出身地とされ、奥越前も水田が広がる豊かな場所。 

 北の山越しに雪を頂いた 白山 が見える。 この奥越前は白山信仰の場所でもあるというのだが、平泉寺は別名白山神社と呼ばれる。 その話は次回以降にするとして・・・。

 平泉寺の苔の話。

 「うーん、確かに綺麗な苔だわ・・・・」
 お寺の小さな院のような場所。 小さな枯山水の庭に、マッコト柔らかくて綺麗な苔があった。
 五月のキツイ日差しのなか、まるでスポットライトを浴びたように光っていた苔。

 「ファファとしているわね・・・。 こんな苔は初めて見たわ・・・」
 我々以外に見物する人もいない。 静寂のなか、苔が見事に息づいている。

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 妻殿によると、白州正子さんは、この平泉寺の苔は京都の苔寺より素晴らしい と言ったとか。

 この平泉寺、予想以上に大きなお寺なのだが、伽藍がない。 いや、あるのは神社風の鳥居なのである。
 「これはお寺なの? それとも神社なの?」

 その話も面白いので、次回以降に・・・。
by takeshi_kanazaw | 2018-05-27 07:08 | 国内旅行記 | Comments(6)
 今朝(8月29日) 北朝鮮からミサイルが飛んできて、大騒ぎですが・・・・。
 何が起こったのかとビックリするした人が多かったのでは。 私などは寝てましたね・・・。
 この話は、後日にすることにして・・・・。

 先週に行った おんな城主 直虎 の古里、井伊谷巡りの話。

 「ほー、名古屋から来たんかい。 ここは何にもないとこやけどな・・・」
 井伊谷のとあるコンビニに寄った時、地元のオヤジさんがそういってました。
 「NHKの直虎の里を廻ってますよ。 まー、暇ですから・・・」
 そうですね、平和な話ですね・・・・。

 とにかくドラマに関係ありそうな場所を探して・・・・・。
 「龍潭寺の次はやっぱり 城跡やな。 井伊谷城址へ行こうか・・・」

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 「ナニナニ・・・。 標高120mぐらいか・・・、歩行距離300m まー、行けるやろ・・・」

 猛暑日の炎天下、ヤッコラと登り始めたのですが・・・・・

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 結構急な上り坂が延々と続く・・・。 イヤイヤ本当にしんどい山道です。
 年寄りなのに馬鹿なことを・・・ と思ったですが、それは後の祭り。 人間が馬鹿だから、登り始めるとどうしても頂上まで行きたくなる。 途中で何度も休憩して、やっとたどり着いた場所はこんな感じ。

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 周囲は全くの自然林の林。 城郭の跡も門の跡もありません。 そして石垣は全く見当たらず、典型的な戦国時代の山城の跡という感じですね。 恐らく城主は日常的には麓の館で生活していたのでは・・・。

 三河地方からこの遠州の山の中には、戦国時代には何百という山城があったようです。それぞれの谷間に豪族が割拠し、山の上に山城を築いていたということですね。 この井伊谷城は構えがかなり大きい方ですね・・。

 頂上からの眺めは既にこのブログに載せました。
 「意外と浜松が近いんやな・・・・」

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 写真の遠くに見える中央のビルは、浜松駅のビルです。  なお浜松とこの井伊谷の間は台地状になっていますが、この場所が徳川軍が武田軍にこっぴどく叩かれた 三方ヶ原の戦いの場所になります。

 テレビで直虎が良く瞑想する場所を探して・・・
 実はそれは井伊家の発祥の地とされる井戸だったのですが、間違えて別の場所へ。
 後で調べると、テレビで直虎が覗き込む井戸は、現在では田圃の中にあるそうです。

 そんなことを知らずに、なんとなくムードで動いています。
 「ふーん、えらく厳かな古い神社が残っているな・・・」

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 そして、その裏山には巨石群が・・・・。

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 これは古墳時代からある遺跡というか、祈りの場所でした。(天白磐座遺跡)
 「この場所の方が、テレビドラマの雰囲気とマッチしているわ・・・」

 もうダンダンと疲れてきたのですが・・・・
 「ここまで来れば、帰りにドラマで度々出てくる 気賀 に寄って行くぞ!」
 井伊谷から気賀までは5キロ、車で10数分しかかからない。

 「なんじゃこれ!」 遠州鉄道の気賀駅の状態です。

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 ド派手で、やり過ぎですね・・。 駅名まで隠れてしまって見えない・・・・。

 気賀に来た途端、ムードは一変します。 彼方此方に旗が一杯あって、大河ドラマ館まである。
 「主役の井伊谷は落ち着いた雰囲気を維持していたのに、脇役の気賀はどんちゃん騒ぎや」

 急造の気賀関所跡なるもの。 入場料まで取って土産物売り場が並びます。

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 気賀はそもそも浜名湖の湖畔の泥と水の入り混じる場所。 気賀城なんてあったのかどうか・・・。 多分堀川城だったのではということらしい。 ただ浜名湖の北の道は昔から姫街道と言われて、結構人や物資の往来があったらしく、関所は存在したようです。 現在の気賀は、田圃が広がるただの稲田です。

 NHKドラマ おんな城主 直虎 を訪ねて、彼方此方行きましたが、どうも現場感と見ているドラマでは大きなギャップがあります。 ドラマではあまり農民や国衆の生活実感が出てきませんし、国衆の生き様が描かれていないなと感じました。 ドラマは女と男の感情の動きを重視した、女性向け漫画の感覚が強いですね。それが脚本家の本音かもしれません。 まー、それもまた良し ですね。
by takeshi_kanazaw | 2017-08-29 11:05 | 国内旅行記 | Comments(2)

 禅寺の花

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 芙蓉でしょうか・・・。 お寺の境内の片隅に静かに咲いていました。

 NHKの大河ドラマ ” おんな城主 直虎 ” が住んでいた、禅寺の龍潭寺(りょうたんじ)
 禅寺らしく落ち着いた雰囲気のお寺さんでした。

 その日の気温は後で判ったのですが、35度を超える猛暑日。
 「とにかく暑いわ!」  と、老夫婦は龍潭寺見学中も、休憩ばかり。

 休憩中に目についたのが、花。 
 流石、禅寺ですから華やかな花壇はなく、 目立たない所にポツリポツリと咲いていましたね。
 これは鉄砲百合ですね。

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 お寺のお坊さんが植えたのか、いや、風で種が飛んできて安住の地を定めたのか・・・。

 元気そうな子供達もやってきていました。 夏休み中だし、直虎ブーム中? だからでしょうか。

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 暑いなかでも子供は元気ですね・・・。 植物も人間も若い頃が元気?

 探すと、白い芙蓉? も見つかりました。

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 芙蓉という花は一つの花は結構派手な感じですが、全体としては目立たなくて禅寺にマッチしますね。

 何気なくお寺の水槽で見つけた花。 妻殿は金魚草だというのですが・・・。

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 まー、猛暑の炎天下、花を撮っているぐらいだから、まだ熱中症じゃない?
 もう少し頑張って、井伊谷巡りを続けました。
by takeshi_kanazaw | 2017-08-28 08:25 | 国内旅行記 | Comments(4)
 NHKの大河ドラマ おんな城主直虎 でよく出てくるお寺が、龍潭寺。
 主人公の直虎が長らく住んでいたお寺です。

 「龍潭寺というのは、大河ドラマの前から有名なお寺だったわよ」 と同行の妻殿。
 龍潭寺は井伊谷の部落の中心から川を渡った、こんもりと茂った森の中にありました。

 「うーん、これは結構大きなお寺やな~・・・・」

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 入口からかなりの階段があって、本堂までは門があります。
 このお寺は西遠州の名刹と言われるだけの大きさと風格がありますね。

 お寺は緑に囲まれて、なかなかいいお寺ですね。

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 ドラマではお寺のシーンで殆ど森などは出てきませんが、直虎の時代でも結構大きな構えの寺だったような気がしますね。 お寺の縁起によれば、創設は奈良時代とされ、長らくこの地方で大きな力を持ったお寺のようで、井伊家の菩提寺でもありました。

 外から見た本堂です。

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 実はこのお寺は三方ケ原の戦いのとき、武田軍の攻撃で炎上。 江戸時代の元禄のころに再建されたものらしい。

 現代のお寺の中、なかなか落ち着いた、禅宗らしいお寺さんですね。

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 多分、ご本尊が祭られている部屋らしいのですが、直虎ブームで近くには行けないようになってます。

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 テレビドラマでは、井伊家の危機的状態に直虎誕生のシナリオを作ったのが、この龍潭寺の和尚ということになっています。 この龍潭寺に来てみると、寺の歴史や立地状態とかその大きさから、龍潭寺は井伊谷の一つの大きな柱だったような感じですね。 直虎が出家して住んでいたこともあり、この龍潭寺の和尚が井伊家のブレーンとして重要な働きしたのは事実だったのでは、と感じましたね。

 本堂の前庭は綺麗に砂が敷き詰められています。

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 テレビドラマでよくこの場所が出てきますが(もちろんテレビ用のオーップンセット)、現代はまさに禅宗寺のお庭風です。 恐らく直虎の頃は、ドラマのセットに近かったのかもしれません。

 裏庭は元禄時代に作られた 小堀遠州の枯山水のお庭です。

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 もちろん直虎の頃にはなかった風景です。 井伊家が彦根の大名になった財力で作り上げたものですね。

 現代の龍潭寺は立派な禅寺になってしまっていますが、井伊家の菩提寺としての遺産が彼方此方に残されています。 井伊家千年の霊所の前に、こんな説明書きがありました。 井伊家の歴史を理解するのに、簡潔で判りやすい。

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 この説明書から推測すると、NHK大河ドラマの9月以降の筋書きは、三方ヶ原の戦いが出てきて、遺児直正を三河の鳳来寺へ隠し、そして浜松での家康への出仕というストーリーになるでしょうか。

 ドラマは脚本家次第ですが、あまり史実を曲げないようなので、細かい演出にはこだわるでしょうが、大筋はこんなもんだろうと思ってますがどうでしょうか・・・。
by takeshi_kanazaw | 2017-08-27 09:36 | 国内旅行記 | Comments(4)
 NHKの大河ドラマ ” おんな城主 直虎 ” の舞台の井伊谷をプラプラ。

 出家した直虎が住んだ 井伊氏の菩提寺とされる龍潭寺の中に、直虎の墓があります。
 現在の龍潭寺は、江戸時代に井伊家が彦根藩主となった以降に再建された、大きな禅宗のお寺さんですが、直虎の墓はお寺の奥まった薄暗い森の中にひっそりと立っています。

 恐らく彦根藩主となった井伊家にとっては、井伊谷は藩主の故郷のような存在で、墓がある場所はおそらく昔の姿のままに置かれたのかも。 予想以上に貧弱です。

 墓のある場所で一番目立つのは、井伊谷の国衆の墓です。

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 井伊家は南北朝時代に南朝に組して、後に戦いに敗れて北朝方の今川氏の配下に置かれています。その後も今川に従って戦った桶狭間の戦いで多くの戦死者を出していますし、今川家からも裏切り者とされて当主が殺され、井伊家はズーと負け続けているのですね。

 これらの戦いで死んだ国衆(井伊家の家臣というか仲間というか・・)の墓が、一番立派で印象的でした。 写真の中央部には、恐らく何かあったのでしょうが、今は石組だけが残っています。

 武士をテーマにした話が多くありますが、多くは江戸時代のイメージが強過ぎるように思います。 応仁の乱以降の戦国の世では、武士と百姓(足軽)の区分は明確でなく、各部落の名主や郎党、それをまとめる国衆の集まりが、いわゆる戦国の豪族みたいな感じだったらしい。
 井伊家は井伊谷をまとめる豪族の家だったようですが、この盆地の国衆に支えられていた感じでしょうか。

 この井伊谷の勢力は如何ほどだったのかという興味が湧きますね。
 江戸時代になって、井伊谷3人衆の一人 近藤氏がこの井伊谷に井伊藩を貰いますが、その時の石高は1万5千石だったそうですから、女城主の直虎は小さな藩の城主ぐらいの地位にあったと推測されます。

 ちなみに徳川家の発祥の地の松平郷は、この井伊谷の十分の一以下の石高ぐらい(私が現地を比較した感じで)で、後に江戸時代には岡崎藩でも5万5千石ですから、松平と比較すれば井伊谷の直虎は結構大きな豪族だったと言えます。

 そうでした、女城主直虎の墓でしたね・・・。 実に小さくて素朴です。

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 写真の奥から二番目の墓が 直虎の墓 とされています。
 恐らくNHKのドラマに取り上げられなければ、殆ど忘れられた墓だったでしょうね・・・。

 「テレビで見る感じと全然違うじゃん!」
 そうですね、テレビの脚本家は史実を外れない程度で、漫画の世界を作り出しているかも。

 井伊家は彦根藩主になり、幕末に井伊大老で有名になったから、この直虎も世に知られることになったのですが、井伊谷に居た頃は、全国に一杯あった戦国豪族の一つに過ぎなかったということでしょう。

 しかし、井伊谷に立ってみると、結構豊かな土地柄で、井伊家が気賀を含めた浜名湖北岸一帯を治め、遠州地区に進出していれば、徳川に代わって有力大名の地位を築けたかもしれません。 今川がどうの、武田がどうの、徳川が・・・、なんてことに悩んでいるのは、敗者の発想と言えますね。 しかし、最後は勝者になるのは一人ですから、その他の豪族たちは、結局井伊家と同じだったとも言えます。

 歴史の タラレバ は何かロマンを感じますね。
by takeshi_kanazaw | 2017-08-26 10:33 | 国内旅行記 | Comments(4)
 暑い日が続きますね・・・。 昨日は今年一番の猛暑だったらしい・・・。

 そんな暑い日に、夫婦でノコノコと出掛けました。
 NHKの大河ドラマ 「女城主 直虎」 を毎週見ていますが、結構面白い。

 井伊谷(いいのや)の当主とされる女性の話ですが、史実ではあやふやなことが多いらしい。
 大河ドラマでは、脚本家が頑張って、まるで長編劇画映画の感覚で作られている感じがしますね。

 そのドラマの舞台となった井伊谷の現場を見たくなりました。 歴史はその地に立ってみると、なるほどそうか と思うこともあれば、それは違うんじゃない? と感じたり・・・。

 変に理屈をこねていますが、要するにミーハー的な物見遊山というわけです。
 暑いなか、汗を拭き拭き・・・。 何やってんだか・・・。
 まー、暇人ですからね・・・。

 さてさて、NHKの大河ドラマの舞台になると、その地区では必ず大騒ぎが起きるようです。

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 直虎が次郎法師として過ごした 龍潭寺。 主役の・・・えーと、何やらカタカナの名前の女性の写真が、デーンと置かれていました。


 「井伊谷というのは結構広い田圃があるじゃん。 徳川家発祥の地とされる松平郷の10倍はあるぞ。」
 草深い田舎と想像してましたが、結構豊かな場所ですね、井伊谷は。

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 井伊谷城址跡から眺めた情景。 左側の遠くに見えるのは浜松、右側は浜名湖に通じる道。
 北と東西は山に囲まれた周囲5キロ四方ぐらいの、結構大きい盆地ですが、南は浜名湖に通じる道が開けた場所です。

 「どうもNHKの大河ドラマと雰囲気が違うような・・・・・」

 地図を載せておきます。

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 浜名湖畔の ドラマでも出てくる 気賀(きが) とは、僅か5キロ程度しか離れていない。

 「井伊氏は松平郷で生まれた徳川氏より、ズーと立地条件は恵まれているよ。 恵まれ過ぎると戦いには弱くなるという原則が働いたんだろうな・・・」

 女城主 直虎 紀行というか、極暑の下の 暇人のプラプラ旅 というか・・・。
 以下順次載せていきますか・・・。
by takeshi_kanazaw | 2017-08-25 08:31 | 国内旅行記 | Comments(4)

 伊良湖岬の夕日

 この伊良湖岬の旅も妻殿が企画したものですが、最近彼女の企画は、海辺の夕日が見られるホテルを取る特徴があります。 それも、出来るだけ部屋から夕日が見られる場所を狙っているようです。 私もモノグサで、歩き回るのは面倒と思っているので、まー、似た者夫婦ということでしょうか。

 「なかなか夕日にならないな・・・・」

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 伊良湖岬から志摩半島へのフェリーが出航していきます。 恐らく最終便かもしれません。
 志摩半島と伊良湖岬はそんなに離れていない。 伊勢湾の入り口を横切る感じで、フェリーに乗ると1時間半ぐらいで到着します。

 夏の夕日はなかなか落ちませんね・・・。
 その日の天気は曇り。殆ど夕日を見ることは出来ないだろうと思いつつ・・・・。

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 モノグサな夫婦は、部屋から一歩も出ないで、テレビを見ながら、時々海を見てパチリという感じ。
 少し色がついた雲、青い空が綺麗でした。

 「そろそろ7時ごろになったぞ・・・・」
 志摩半島からのフェリーが入ってきました。 これが志摩からの最終便でしょう。
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 志摩半島に夕日が落ちて行く、いや、落ちて行っているハズ なのですが・・・・。

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 なかなか夕日が落ちる情景を撮るのは難しいものですね・・・。 これまでの旅でも何度もトライしてきましたが、真っ赤な太陽が水平線や山へ落ちる瞬間を見られない・・・・。

 「まー、天気予報は曇りで、雨も降るかもしれない状況だったから、染まった空を見られただけでも良しとしなきゃ」 妻殿はエラク諦めが早い。 
 「うん、そうだな・・・・。意外と夕日は難しいな・・・」

 もう暗くなった伊良湖岬港。 

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 なかなか旅先で夕日を撮るのは難しいものですね・・・・。
by takeshi_kanazaw | 2017-06-10 09:02 | 国内旅行記 | Comments(6)

海外や国内の適当に撮った写真の記録


by takeshi_kanazaw