カテゴリ:タイ追憶( 27 )

 タイ追憶、竹籠やタイシルクなど、田舎の工芸品づくりの話をしてきました。 今回は焼き物の話。

 タイらしい焼き物と云えば、やっぱり 水瓶 ですかね・・・。

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 東北タイで見たような素焼きじゃなくて、チャンと釉薬で描きの柄を入れてますね。 洒落た水瓶でしょうか。
 比較的大きな工場でしたが、何処にあったのか・・・・。所在地が・・・・。 バンコクの西北だったような・・・。

 昔の話ですが、私の故郷では水道がなかったので、大きな水瓶が2つも鎮座してました。毎日井戸へ通って、水瓶に水を一杯にするのが日課になってましたね・・・。 田舎にも水道が引かれて、水瓶は姿を消しましたね・・・。 タイではどの程度水道が引かれているのかな・・・。

 ところで、タイの焼き物ですが、私は知識は殆どありません。 ただ長期滞在してみると、日本の陶磁器産地でポピュラーな 茶器 がタイにはない。 お茶を飲む習慣も殆どないし、抹茶など見たことがない。 タイの焼き物は水瓶に見られるように、実用的な大きい物が中心。 小さなものは仏具があったかな・・・。

 しかし、記憶が甦ってきました。
 「確か、ベンチャロン焼き の工場へ行って、そこから我家へ製品を輸送してもらったはずだ!」
 15年も前のことですが、このタイ追憶の記事を書いていて、思い出しました。

 「確か我家にベンチャロン焼きのセットがあるはず。あれは1万円以上した高級品やぞ」
 「あるわよ、あるけど、あんな金ぴかの紅茶セットは、使う気がしないから、食器棚の奥に仕舞ったわ」

 面倒がる妻殿に逆らって、ベンチャロン焼きを取り出してきました。

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 もうワンセット紅茶カップと皿がありますが、シュガーポット、ミルクポットまであるフルセットです。
 このベンチャロン焼きは、そもそもタイ王室への献上品で、タイでも最高級なのです。

 「こんな金ぴか、使う気がないから、また仕舞っておくわよ」
 使わないから残っていた?  捨ててしまっていないだけまだ良しかも。
 
 この貴重な?お土産品もお気に召さないようです。
by takeshi_kanazaw | 2018-12-13 08:01 | タイ追憶 | Comments(2)
 タイ滞在の追憶。
 何時もはバンコクやその近郊の騒がしい街中で、落ち着かない時間を送っていました。 日本の大都会で仕事をしているのとあまり変わりませんでしたね。 
 休日はバンコクの王宮などの観光地などは行きませんね。 タイの田舎へ行こう! と彼方此方へ。

 10年以上前の記憶なので不確かですが、バンコクの北の田舎をよく廻りました。
 キレギレの印象が関連なく詰まっている感じですが、不思議と記憶に残っているシーン。 

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 糸繰りをしているオジサン。 手回しの道具で、ズーと糸をまとめている姿。
 この場所は、多分ロブリーかはたまた西のスパンブリか、とにかく古都アユタヤの北の田舎です。
 我々のような日本人が大勢で押し掛けて、随分驚いたようです。 スミマセンでした。

 典型的な家内工業の家。 庭には山繭を取る道具。黄色い大きな繭から太めの糸を取るのですが、大きな窯に湯を沸かしてその中に、黄色い山繭が浮かんでいました。 記憶が不確かなのですが、あまり大きな手織り設備はなかったと思います。

 恐らくこの家で山繭から糸を紡ぎ、染色をして、周囲の農家へ糸を渡し、それぞれの農家のオバサンたちが手織りで織物を織っているのだろうと思います。 出来上がる織物は タイシルク になる。

 きっとアユタヤ朝の時代から、この地でもズーとタイシルクの織物が作られてきたのでしょうね・・・。
 このお家だけでなく、タイの田舎では似たような家内工業的なお家が一杯あるのでしょう。
 日本の伝統産業なんて洒落た感覚は有りませんね。

 庭先には綺麗な花が咲いていました。 ハイビスカスですね・・・。

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 こんな環境の中で、ユックリとモノづくりがされている。 イイですね・・・・。


 もちろんタイでは近代的な織物工場が一杯あります。 
 余談ですが、私の同級生でタイから留学していたT君。 日本の織機をドンドンと輸入して、タイでは珍しい複雑な織物を生産していましたから、世界的な市場競争の中で活動しています。

 この訪れたお家。 近代化の流れと関係なく、手工芸品でもなく、伝統産業品でもなく、昔ながらのタイシルクの織物を作る。
 何か ホッ とするような、ゆったりした時間を感じました。
by takeshi_kanazaw | 2018-12-12 08:01 | タイ追憶 | Comments(4)
 タイも近代化が進んで、輸出品はもはやタイ米ではなく、電気製品や自動車などが主力になっていました。そうですね、日本の高度成長期と似ていますが、日本と同じように都市と農村の所得格差が出てきた。

 そこで、当時の首相のタクシンさんが2000年頃に提唱したのが 「タイ式の一村一品運動」。 日本の大分県の一村一品運動を参考にしたという。 その代表格と言われる、アントーン県の竹籠村へ行った話。
 もう15年近く前の話ですし、提唱者のタクシンさんも追放されたので、現在も一村一品運動が続いているのか判りませんが・・。

 竹籠なんて東アジアには一杯ありますね。 当然この村でも昔から日常的に竹籠を作っていたのですが、この一村一品運動で、少し洒落た製品を生み出した というわけです。 まずはその製品を。

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 竹ひごを染色したのと、多分タイシルクと思われる布を使って、スッカリとイメージチェンジされています。
 「秋篠宮の紀子さんもお気に入りだったらしいわよ。バンコクより安い現地価格だから買いなさいよ」

 というわけで、3つも買って日本へ持ち帰り(上の写真がその現物)、3人の女性にプレゼント。
 「製品はいい感じだけど、着物や洋服では・・・。タイシルクの服がないと似合わないわね・・・」  とその女性たち。
 そうかな・・・・。 だから女性への土産は止めた方が良かったのだ・・・・。 

 追憶ですから、余談ばかりが出てきますね。
 私がこの村で思い出深いのは、ノンビリした村の雰囲気でした。

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 オバサンたちが川べりでお喋りしながら竹籠を編んでいました。 イイでしょうこの雰囲気。
 この村はバンコクから100キロ近く離れてますから、空気も綺麗だし静かです。

 少し離れた場所の民家はこんな感じでした。

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 家は木の板づくりが多くて、広い庭にはバナナの樹が一杯ですね。
 私のタイ人の仕事仲間が、 ” バナナなんて買うもんじゃない、庭から採ってくるもんだ ” と行っていましたが、本当にそんな感じですね。

 バンコクから離れた農村では、確かに現金収入はなかなか得られない感じですね。 オバサンの編んだ竹籠がドンドンと売れれば、重要な現金収入になりそうです。 一村一品運動の狙いはそこにあるのでしょうが。
 この一村一品も、いかにして売るか という問題がありそうですね・・・。

 村からの帰り道。 川の土手でオジイサンが何やら道の上に干しています。

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 なんとなく日本の農村の情景を思い出してしまいましたね・・・。

 一村一品運動を通じて、意外と日本とタイが同じような問題を抱えていることが判りましたね・・。


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by takeshi_kanazaw | 2018-12-11 08:03 | タイ追憶 | Comments(6)
 10年以上前に長期滞在したタイの思い出話。
 今回は、バンコクの北100キロぐらいにある、ロブリーという所の遺跡の話。

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 このロブリーにある遺跡は、アユタヤ朝(1351年 - 1767年)の時代の物です。 首都アユタヤがビルマ族の侵攻を受けた時、このロブリーに遷都もあり得たという大きな町だったようです。 そう言えば、雰囲気がアユタヤの遺跡と似ていますね。

 このロブリーという場所は、タイ中央のチョプラヤ平原から、東のラオスやカンボジア方面への拠点という場所になり、沢山の象(戦闘用)の訓練所や兵士の住まいがあったところ。 昔は東北タイはラオ族の世界でしたから、アユタヤ王朝にとっては重要地点だったのかもしれません。

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 現在のロブリーの遺跡は、何百頭というお猿さんの占拠するところとなっています。

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 なぜそうなっているのか、私はよく判りませんでした。

 我々が遺跡を見物する時は、金網に囲まれた場所を歩くことになります。

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 お猿さんが金網の中に居るのではなく、我々人間が金網の中に居るのです。 動物園で人間が金網に囲まれた小屋にいて、外から猿に見られている情景を想像してください。 そんな感じなのです。

 ロブリーの町は現在でも東北地方への列車の拠点ですが、お猿さんが線路の上を闊歩していましたし、路上に駐車している車にも猿が入ってきます。 そんな時は、まずはお猿さんが退去するのを待つらしい。

 この遺跡近くの人家は、窓は全て金網が被せられています。 猿の侵入を防ぐための金網ですが、本当に全部の窓がそうなっています。 この町はまさに猿に占拠された状態です。

 日本だったら猿が一匹でも街の中に出現すると大騒ぎですが、このロブリーでは猿を駆除するなんてことは思いもよらぬことで、どちらかというと、猿と同居して暮らしている感じでしたね。 タイ人の優しさというか、動物と一緒の生活が極々普通なのでしょうね・・・。



 
by takeshi_kanazaw | 2018-12-10 08:00 | タイ追憶 | Comments(0)
 先日知人からメールが来て、寒い日本を脱出して、東南アジアに旅している便りが。
 「そうか、彼はこの時期になると、決まって暖かいところへ行くんだな・・・」
 もう70歳を超えても元気な人なんです。

 私? いやいや、もうそんな元気はないですね・・・。 
 まー、部屋を温めて、10数年前に暮らした タイのことでも思い出すぐらいですかね。

 タイ追憶、今回はコラート高原の話。 このシリーズも23回目になりましたか・・・・。

 「コラート高原へ 生姜の花を見に行こう」 バンコクに駐在していた旅仲間と出掛けたのですが。

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 コラート高原で見た ピンクの花。 これが 生姜の花 というのですが、私の記憶もあいまい。 本当に生姜の花と云ったかどうか、自信が無くなっていますが、とにかく初めて見た変な花。

 そうそう、コラート高原と云ってもポピュラーじゃないから、何時ものようにタイの地図を。
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 〇がコラート地方、□は首都のバンコクです。

 以前に、このタイ追憶のシリーズ記事で、タイの東北地方(地図の黄色い区域)は高原地帯だと話しましたが、コラート高原はその高原の入り口のような場所です。 エンコラと汽車に乗って・・・。

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 写真では温度は判りませんが、日本の夏のような感じでしょう? タイは30度を下回る気温は僅かの期間ですから、何時でも日本の夏のようなものです。 多分この列車に冷房はなかったような記憶が・・・。

 コラート高原は降雨量も少なくて、水田はなく、多くが草原か、トウモロコシ畑が続きます。

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 まるで日本の夏の高原を走っているのとそっくりですね・・・。 一般にタイの風景と云えば水田が広がり、運河が一杯の情景か、はたまた大木がそびえる熱帯林をイメージすると思いますが、こんな草原のような場所も結構あるんです。 タイの年間降雨量は日本の約半分しかないというと、信じてもらえないかも。

 高原の家の前には、大きな水瓶がありました。 水の確保が大変なんです。

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 この水瓶のある風景は、タイの彼方此方でも見られます。

 しかし、たかが生姜の花を見るだけにコラートまで?
 だんだんと思い出してきましたが、バンコク駐在の旅仲間に石油会社の人がいて、その方が講師となってコラートの石の探索も兼ねて行ったような・・・。 石油会社の開発者は予想以上に?地質学の専門家なんですね。

 「バンコク周辺の地形は、パリと同じで フェスタ地形である。 だからバンコクからコラート高原へ行くには、波上にうねった丘を何度も越えて行かないとたどり着けない。」
 「フムふむ、そう言われれば、コラートへ行くトラックが、荷物を積み過ぎると越えられないと聞いたことが」

 しかし、バンコク駐在のサラリーマン諸氏が、暑い中、わざわざ何もないコラート高原までやってきて、地形や石の探索をしたり、生姜の花を見たり。 変な話なんですが、タイ滞在の思い出にはそんな変な話ばかりが記憶に残っています。 バンコク滞在の旅仲間には、それぞれの分野の専門家が大勢いたので、結構知識が深くなりましたよ。

 コラート高原の情景。チョッピリでも夏の気分になられましたか?
by takeshi_kanazaw | 2018-12-09 08:01 | タイ追憶 | Comments(6)
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 どこかで見たような遺跡・・・・・。
 カンボジアのアンコールワットを連想させませんか?

 タイ東北地方の南側はカンボジアと国境を接しています。 ピマイはカンボジアのアンコールワット遺跡のあるシェムリアップから北へ約100キロと割合近いのです。

 「タイ族が中国・雲南地方から南下するまで、クメール族が栄えていたのね。このピマイの遺跡は、アンコールワットの出来る100年前頃に作られた遺跡なのよ。だからアンコールワットの原型みたいな物」
 何時も付き合っている旅行社の女史、なんといっても彼女は東南アジア美術史の研究者なのだ。

 その遺跡の像はこんな感じだった。

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 「うんうん、確かにこれはクメール人の作った遺跡だわ」 私は像の姿を見て女史の云うことに納得。
 この顔の表情は クメールの微笑 と呼ばれ、アンコールワットの像の特徴になっている。

 ピマイの遺跡群は今は一部が町のようになってしまって、アンコールワットのような風情はない。
 アンコールワットはジャングルの中に埋もれ、忘れられたようになっていたことが幸いしたとか。

 タイの東北部のカンボジア国境近くには、多くの遺跡が残っている。

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 バンコク辺りで見るお寺とは随分違い、恐らくクメール時代の遺跡と思われる物も多い。
 
 タイのバンコクは出来てまだ250年ぐらいの都市で、それ以前の都は北部のスコタイなど田舎にある。
 そんな遺跡の彼方此方に、クメールの影響を色濃く残している。

 タイ追憶、有名な観光地巡りより、田舎の遺跡めぐりの印象の方が強く残っています。

 (参考)
 ラオスの南部にある ワット・プー も、アンコールワットより前に作られたクメール遺跡です。興味のある方は、このブログの 「ラオスの旅」 で、ワット・プー のところをお読みください。


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by takeshi_kanazaw | 2018-11-30 08:02 | タイ追憶 | Comments(4)
 前回の記事で紹介した 蝋燭祭りのウボン より、少し西寄りに 「スリン」 というところがあります。
 タイ東北部の田舎町ですが、11月頃にタイで一番大きな「象祭り」が開催されます。
 記憶が不確かなのですが、何時も世話になっていたタイの旅行業者の女性社長のバスに乗って、旅仲間とエンコラと出掛けたと思います。列車じゃなくて、飛行機でもなくて・・・・。

 さて、スリンの象祭り。 タイ全国から集められた100匹以上の象が、一度で見られるのでなかなか壮観です。

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 タイと云えば象 と思いますが、現代ではタイの象は殆どが観光用で、昔の様に木材を運んだり、戦いに出動することはないですね。 いったいタイに象は何体いるのか・・・。 恐らく数千頭で、その大半が人工飼育らしいのですが・・・。 
 このスリンの象祭りでも、最初に小象を飼育している人の表彰式があるぐらいでしたから。

 この象祭り、メインイベントは昔の象を使った戦いのシーンの再現でした。

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 象がやってくれば、人間が向かって行ってもなかなか勝てないでしょうね。 象を沢山持っている国が戦いに勝つ というパターンだったのでしょう。 近代戦の戦車の数と似ているかも。

 「よく見てくださいよ。 象の弱点は足元なのよね、だから一頭の象に4人の兵隊がくっついて、それぞれが象の足を守っているのよ」 ガイドをしてくれた女史の説なんですが・・・・。 いやいや、象は戦闘の重要戦力ですから、彼女の云うように兵隊が象の足を守ったのかもしれませんね。

 お祭りには沢山の民族衣装を着た女性陣が現れたり、象が観客の近くまで来てサービスしてくれたり。

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 この象祭り、そもそもの発足は?  
 「ベトナム戦争当時には、タイは米軍のベトナム戦争の補給基地化していたから、沢山の米兵やその家族がタイの東北部に居たのね。 その米軍関係者を慰問する目的で、このスリンの象祭りが始まったの」 と同行のガイド女史がのたまった。
 「な~んだ、宗教行事でもなければ、歴史あるお祭りじゃないのか・・・・」

 この話はホントかしら?  インターネットで調べても、象祭りの発足の話は全然載っていない。
 まー、日本でも各地に戦後生まれの 時代祭 なるものが一杯ありますからね・・・・。

 それにしても暑かったですね・・・。 思い出すのはその暑さ!
 11月はタイでは一番涼しい頃なんですが、炎天下の スリンの象祭りは 暑かった・・・・。

 さて、全国から集められた象さん達。 祭りが終わると引き上げますが・・・。

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 この象さん達、この後はどうすると思いますか?
 なんと、待ち構えていたトラックの荷台に乗せられ、タイの各地へ帰るのです。

 冷静に考えれば、象さんがズーと歩いて帰ったら一ヵ月以上掛かる?
 当然と言えば当然ですが、なんとなく象の行進がタイ国土で見られる様をイメージしてしまって・・。

 スリンの象祭り。 現在ではなんと日本からのツアーもあるのだそうです・・・。


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by takeshi_kanazaw | 2018-11-29 08:00 | タイ追憶 | Comments(0)
 先日小原和紙でタイのお寺ワットアルーンの絵を描きましたが、なんとなくまたタイのことを想い出して・・・。
 最近タイ在住のブロともさんから、ロイクラトンという精霊流しに似た有名なタイのお祭りの記事が寄せられました。 また熱帯のタイ追憶の再開をする気分になってきました。 

 昔撮った写真を探しながら書いているのですが、下手な写真でも撮っておくとイイですね。
 一枚の写真から、ドンドンと記憶の糸が手繰れて・・・。 逆に撮った写真が見つからないことも。

 「年寄りは過去を想い、若者は未来を語る」  追憶記事を連載している私は、更に老化が進む?
 さて、今回のシリーズは、タイの東北地方を旅したお話をしてみます。

 最初は 「ウボンの蝋燭祭り」 のお話、まずは東北地方とウボンの位置を。

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 地図の黄色い部分は、タイの東北地方になります。〇印が ウボン(ウボンラチャータニ) □はバンコクです。
 この地域は高原地帯で雨も少なく、灌木が生える広い野原が広がっている感じです。

 私はバンコクでよく イーサン料理 を食べていましたが、このイーサンという言葉は、タイの東北地方をさすようで、とにかくタイで一番田舎っぽい地方のイメージがあります。

 全域がメコン川の水系になりますが、そもそもはラオス人の住む場所でした。 タイの勢力拡大とともに、タイの領土に編入されたのですが、今でも住民はラオ系の人が殆どです。 タイ人とラオス人はともに10世紀前後に中国・雲南から南下した民族で、言葉も近くて数字の詠み方は全く同じという、いわば兄弟種族みたいな感じです。

 東北地方の一番東のウボンラチャータニでは、雨季(6月~10月)に入ると 蝋燭祭り が行われます。

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 祭りの期間には、大きな蝋燭が赤々と掲げられます。 この祭りの起源は、雨季で仏教僧が寺院からの外出を禁止されるカオ・パンサー(入安居)の時期に、地元の郷土職人によって寺院に寄贈される蜜蝋の工芸品が元になっているそうです。

 「御坊様が出てくる虫を踏んじゃうとイケナイでしょう? だから蝋燭の灯りを奉納するんだって」
 「ふーん、御坊様は虫を踏み殺しちゃいけないほど気をつけるのか・・・」

 祭りの期間には、夜にも昼にも、蝋で作られた大きな人形みたいなものが街を引き回されます。

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 この大きな人形が、全て蜜蝋で作られているらしいのですが、なかなか信じがたい。
 気温はもう40度近いので、蝋の人形が溶けちゃうじゃないと心配? でもそうでもないようです。

 タイでの仕事仲間に、このウボンラチャータニ出身の男性がいました。 なかなか頭のいい人で、英語が上手いので、私の下手な英語でも何とか通じる。 私がこの蝋燭祭りに行ったと話すと。
 「昔と違って、今は女性が厚化粧をしてパレードするようになった。あんなのは本来の姿じゃないよ!」

 どの国も同じですかね、観光向けに派手になってしまうのでしょうかね。 そう言えば、当時のタクシン首相の夫人が、厚化粧をした女官のようなお供を伴って祭りのお立ち台に立ってました。
 「タクシンの嫁さん、まるで王族のような気分でいるのかな・・・。 なんだか変だな・・・」
 その後すぐにタクシン首相は失脚させられましたが・・・・。 変なことばかり覚えています・・・。

 このウボンはメコン川に接しています。メコンの中流ですが、川幅はそんなに広くない。

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 対岸はラオスですね・・・。 昔はこのメコンの川を挟んで、人の往来も多かったのではと思われます。ここでは、ラオス、カンボジアやベトナムの食べ物や風俗も混ざって、タイの中では一味違った雰囲気の地域でしたね。
 
 実は今年の2月に、ラオスを旅することになって、十数年後にメコン川の対岸に渡った?ことになったのですが、ラオス側から見る タイの東北部 はエラク開けた場所に見えて・・・。 バンコクから見ると凄く田舎っぽい場所でも、ラオスから見るとまた違うんですね・・・。 この感覚の差は面白かったですね・・・。
by takeshi_kanazaw | 2018-11-28 08:07 | タイ追憶 | Comments(2)
 タイ、メーホンソンの山の中に、こんなものがありました。

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 第二次大戦、旧日本軍がビルマで行った 「インパール作戦」 をご存じでしょうか。
 インドへの侵攻を企てた作戦ですが、10万人を超える大部隊にもかかわらず、食料や武器の補給も考えず、多くの兵が病気と空腹で死んでいった、史上最悪の作戦と言われています。

 英国・インドの反撃で、熱帯の森林の中を撤退。 その撤退した道には日本兵の死骸が累々と残り 「白骨街道」 と呼ばれたそうです。 なんとも悲惨な歴史の跡です。

 ビルマ(ミャンマー)のマンダレーから、山を越えてタイのチェンマイへ撤退した部隊が、このメーホンソンの山の中にしばらく暮らしていたらしく、その兵舎跡が残されています。

 「うーん、60年ぐらい前に、徴兵された日本の若者がこの場所で死んでいったのか・・・・・」

 私のような軟弱な人間は、恐らく熱帯の暑さと食糧不足ですぐ病気になり、熱帯林の中で死んでしまったでしょうね。考えるだけでもゾッとしますね・・・・。

 兵舎跡の記念館の中には、当時の鉄兜や銃剣が残っているし、外には放置されたジープもあります。

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 このメーホンソンに一緒に旅した面々は、全てが仕事でタイに長期駐在している 「企業戦士?」
 戦争当時はこのメーホンソンに日本の兵隊が、そして60年後にはバンコクから日本の 企業戦士? が観光でプラプラとやってきたということになります。

 この兵舎跡では旅仲間の全員がシンミリした気分に陥っていました。
 赤紙一枚で日本からこの熱帯の場所に送られた兵士、企業の辞令一枚でタイに派遣された企業戦士。

 全員がお金を集めて、僅かですがその記念館に寸志を置いてきました。

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by takeshi_kanazaw | 2018-11-13 08:00 | タイ追憶 | Comments(2)
 首長族に会いに行ったメーホンソン、なかなか良い所でお気に入りの場所です。
 当時の写真を探していると、少しずつ記憶が甦ってきましたね・・・。

 チェンマイからプロペラ機に乗って、山を越えると現れたメーホンソン。

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 山間の小さな町でした。 そうですね、日本でいえば信州か東北のような感じですかね・・・。

 同行してくれたチェンマイ在住の現地ガイドさん。日本語が堪能で、JICA事業の通訳もやる優れもの。
 「バンコクなんて人の住むところじゃないよ」 と言い切っていましたね・・・・。
 用事でバンコクに行っても、すぐに帰ってくるそうです。 ビルの立ち並ぶバンコクは、息が詰まるそうです。
 タイ人でもそう感じるんですね・・・・。 人間の暮らす場所は、自然が残るところがいいですよね・・・。
 
 メーホンソンは人口数万の小さな町で、観光化が進んできたチェンマイより田舎ムード。 といっても、チャンとホテルはあるし、街にはバーもある、外国人でも暮らせそうな場所です。
 「住むならチェンマイよりメーホンソンがいいんじゃないか?」 そう思いましたね。

 気に入ったメーホンソン、少し思い出した情景を載せていきます。

 「おいおいあの子たち、まだ中学生ぐらいだろう。オートバイの3人乗りなんかやっちゃって・・」
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 「あれはオートバイじゃなくて、自転車バイクじゃないのかな・・・。 まーいいんじゃない。」
 メーホンソンの町中は、バンコクのように硬いことは言わない? ノンビリいきましょう?
 
 「うーん、お寺はバンコクとも違うし、チェンマイとも違う。 ビルマ風やな・・・・」

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 タイのお寺は大きな屋根の建物が殆どですが、此処では丸いパゴダです。このスタイルはビルマ(ミャンマー)のお寺とほぼ同じ形をしています。

 北部タイは幾度となくビルマの侵入を受けています、というより、ビルマとタイの勢力が交錯する場所なんですね。今の国境が出来たのはそう古いことはないですし、ランナー王国のチェンマイがタイ王国に編入されたのは、日本の明治時代ぐらいですから・・・。

 余談ですが、タイの寸劇で登場する悪者はビルマ人というのが多いそうです。なんといってもタイの発祥の地スコタイもビルマの侵攻を受けましたし、アユタヤもビルマに攻撃されたそうです。現在のバンコク王朝は、そんなビルマの圧力を跳ね返して生まれた王朝なんだそうですから。

 余談はさておき、現在のメーホンソンの観光の売り物は 山一杯に咲く ヒマワリ です。

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 時期は11月の下旬。 タイではヒマワリはこの時期に咲くんですね・・・。

 「どうしてこんな山にヒマワリなの?」
 「これはね、少し訳ありなんだよ。 昔はこの辺一帯はケシの栽培地だった。そう麻薬になるケシ。少数民族はそのケシの栽培で生計を立てていた。 そこでタイ政府はケシ畑をヒマワリ畑に変えてしまったわけ」
 
 南米などでは麻薬を握る集団と政府の抗争が続いていますが、タイでも少し前まではそんな時代があったのでしょうか。タイ警察はかなりの麻薬団を引っ捕まえた歴史があるそうです。

 メーホンソンも観光に力を入れ始めたのか、何か観光客向けのイベントをやってました。 そこにいた可愛い娘さんが凄く印象的でした。 男の子もいたのですが・・・・。

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 小学生ぐらいですかね・・・。 イベントでかり出され、民族衣装を着せられ・・・・。
 しかし、可愛いですね・・・。 少しタイ人とは顔が違いますね・・・・・。

 数年後にミャンマー(ビルマ)を観光したのですが、メーホンソンの山を越えたミャンマー領に、そっくりの顔立ちの娘さん達を見たのです。ミャンマーでは シャン族 と言っていましたが、このメーホンソンの娘の顔がすぐ浮かびました。 恐らく昔は国境など関係なく、似たような少数民族が暮らす場所だったということでしょうか。

 追憶というのは、どうも順序立てて浮かぶことがなく、話がバラバラになってしまいますね。
 今回は、余談話が多すぎましたかね・・・。


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by takeshi_kanazaw | 2018-11-12 08:00 | タイ追憶 | Comments(2)

海外や国内の適当に撮った写真の記録


by takeshi_kanazaw