カテゴリ:タイ追憶( 44 )

 タイ追憶の記事も気が付けば44回目。
 
 タイというマイナーな国の、更に私の個人的感想主体のマイナーな話題の連続かもしれません。
 読者の方には根気よく?お付き合いいただいて感謝ですね。

 今回はタイの神様の話です。

 日本では仏教と日本古来の神様信仰が複雑に入り組んでいます。 紀州の熊野本宮大社には「神を父、仏を母にいただいて・・・・」 という幟が掲げられていました。 日本人ならなんとなく腹に収まる感じですが、外国人にはサッパリ判らないでしょうね・・・。 宗教観というのは国や民族で全く違うのですね。

 仏教国タイでも少し日本と似たような事情があるようです。

 タイ族は10世紀前後に中国・雲南省から南下して、現在の地でタイ王国を作ったことが知られています。
 その経緯からも、タイ族は昔から 霊(ピー) を信仰する風習が残っています。

 代表的な物が、それぞれの土地を治める神様です。
 タイの観光をされた方はきっと見たことがあると思いますが、ホテルなどに必ずこんなものが立っています。

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 その場所の土地を治める サーン・プラプーム という神様を祭るものだそうです。 私が働いた場所にもあり、朝の出勤時には、社員などは必ず一礼してから事務所に入って行きます。 私? 日本人だからやらなかった。 日本では地鎮祭は神式でしたね・・・・。 仏式の地鎮祭はないですよね・・・・。

 よく見ると、タイでは、工場の中にも、大きな家の中にも、アパートの庭にも、大きさは違いますがこのサーン・プラープがありますね。 ところで、日本の村々の鎮守様は神様でしたかね・・・・。土地はやっぱり神様?

 よく見るのが龍神(ナーク)で、水の神様ですね。

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 水の神様がドラゴンというのは中国を始め、日本でも使われていますね。 タイ族が中国・雲南からやってきたこととに関係しているのかもしれません。

 タイのピー信仰は土地や水に関するものだけでなく、幅広い分野であるようですが、よく判りません。 仏に祈るばかりでなく、同時にそれぞれの霊にも恐れというか敬意を払っているようです。


 もう一つの特徴はインドのヒンズーの影響も多いという点です。

 タイ国王の紋章になっているガルーダ。

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 ヒンズーの神 ヴィシュヌ神の乗り物だそうです。 国王の紋章だけでなく、タイ国の正式文章にも、このガルーダの記章が書いてありますよ。 日本の神話にある八咫烏(やたがらす)は、まさかこのガルーダと同じヒンズーの神様からヒントを得た? 偶然の一致でしょうね。

 面白いのはこの像。

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 ヤック・モック というのだそうですが、王様を守る神様とされますが、これもヒンズー教から来たものらしい。
 これらのヒンズー教から来たものも、仏教の一部として捉えられているようです。

 まー、タイはインドに近いし、仏教はヒンズー教の国インドで生まれたから、仏教とヒンズーが混ざっている感じがあるのは当然かもしれない。 と納得?したのですが、意外とヒンズーの神々は名前を変えて日本でも沢山あるようです。 例えば寅さんで有名になった帝釈天。ヒンズーのインドラ神から来たものらしい。

 
 話がドンドンとややこしくなって来ましたのでこのくらいで。
 タイに長期滞在して、色んな像などを見ると変だな~と思うことがありましたが、探っていくと意外と日本にも通じるところがありました。 日本に居ては気づかない、仏教の原点みたいな所がハッキリしてくるような気分でしたね。
by takeshi_kanazaw | 2019-03-17 08:53 | タイ追憶 | Comments(4)
 タイ仏像の最後の話は、バンコクにあるワットプラケオのエメラルド仏の話です。

 このエメラルド仏は、日本でいえば三種の神器に近い、王朝の象徴的仏像らしい。 国のお寺というべきワットプラケオのエメラルド寺院のご本尊で、毎年王様自ら仏像の袈裟を替えるという。 
 そんな仏像の話を、外国人の私が題材にするのは如何なものか、という感じがありますが・・・。

 このエメラルド仏は1m以下の小さな像で、緑色のヒスイの綺麗な仏像です。

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 小さいし近くからは見えませんから、仏像の詳しい造形はよく判りません。 しかし、こんなヒスイの仏像は東南アジアでも珍しいし、タイでも見たことがありません。

 日本の三種の神器は神話時代のお話ですが、このエメラルド仏は近世の色んな経緯が判っているらしくて、現在のバンコクに鎮座するまでの波乱に満ちた道のりがあるようです。

 一年前(2018年)にタイの隣国ラオスに観光旅行をしましたが、首都ビエンチャンでガイドからこんな話が。
「バンコクのエメラルド仏はもともとビエンチャンにあったんだ。 それをタイが持って行ってしまった」

 この話は史実らしくて、バンコク王朝初代のラーマ一世(当時はトンブリ王朝の部隊長)がビエンチャンを攻め、その時にエメラルド仏を略奪して持って帰り、バンコク王朝を開いた時にワットプラケオに祀ったらしい。このことはタイ人もよく知っているようです。

 それではこのエメラルド仏はラオスで作られたか? というとそうでもない。
 ラオスではヒスイは採れない。 東南アジアでのヒスイの産地はビルマ(ミャンマー)辺りらしく、どうもエメラルド仏が作られたのは、ビルマか東北インド付近ではないかと言われています。

 それではビルマで作られたエメラルド仏が、どうしてラオスのビエンチャンに有ったのか?

 なんだか歴史ミステリーの話になってきましたが、島国日本でも三種の神器のいきさつミステリーがあるかもしれません。しかし、大陸国家のタイですから、話が東南アジア全体の及ぶ大ロマン?になっていきます。

 私がタイに長期滞在していた時、巷の噂では色んな声が聞こえました。
 「あの仏像はチェンマイにもあったんだよ」 とチェンマイのガイドさん。
 「あの仏像はビルマから運ぶ時に海賊に奪われたことがあるんだ」 
 「そもそもエメラルド仏は4つあったんだ」
 虚実入り混じった話が聞こえてきましたね。

 今回改めてネット検索してみると、タイにとっては重要な仏像なので、その伝来記なるものがあるようですが、日本語ではないので読めません。 ネットの日本語の要約によれば、巷の噂を裏書きするような事柄が書かれています。

 その話は長くなりますが、どうもタイの仏教伝来ルートを意識したようなフシがあります。 簡単にエメラルド仏のルートを列挙すると。

 北インドで制作~マガダ王国安置~スリランカへ移動~海を渡って東南アジア移動中に船が難破~クメールに漂着~タイのアユタヤへ移動~タイのチェンマイへ~ラオスのルアンパパーンへ~ラオスのビエンチャンへ~1779年バンコクへ

 それぞれ年代や関係者の話も書いてありましたが、全部が史実かどうか判りません。
 巷の噂もこうした文献などからの情報なのか、はたまた昔からの言い伝えなのか・・・。

 全体の感じとしては、バンコクにあるエメラルド仏はタイの象徴と同時に、東南アジア仏教全体の宝物なんだという主張があるように思いますね。 どうでしょうかね・・・・。

 今回は一寸込み入った話でした。 多分タイ人の人からは 違う! という声が出そうですが・・・。
by takeshi_kanazaw | 2019-03-16 08:43 | タイ追憶 | Comments(2)
 タイの仏像の話を続けます。

 日本でも仏像の姿は時代によって変化していますね。 飛鳥時代、奈良時代、平安、鎌倉・・・・。
 私は飛鳥時代の仏像が好きですね。 特に 中宮寺の百済観音像はいいですね。 まー、信心深くない私は単に仏像を見るだけですが、どうも時代を経るごとに美術的なイメージは落ちる?感じです。

 さて、タイの仏像ですが、タイの彼方此方でランダムに仏像と対面しました。 といっても、旅仲間と観光して見ただけなので、仏像の由来とか歴史など殆ど忘れました。 ところで、タイに限らず、東南アジア全般に見た仏像の印象はイマイチですね・・。日本人の私の感覚では、仏像は日本の方がいいですね。 どうも東南アジアでは、仏像をやけに飾ろう、立派なものにしよう、輝くような姿にしよう という感性があるようです。

 タイの仏像では、私はタイ王国発祥の地のスコタイの仏像が好みですね。
 昨日のブログで、スコタイ郊外のワット・シーチュムの仏像を載せましたが、あれが一番。
 どの国でも初期の仏像の方が素直?でいいのかもしれません。

 スコタイの遺跡の立像。

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 土で固めた上に漆喰が塗ってあるスタイルですね。 かなり傷んでますが、像の表情が良いですね。
 それまでのタイの像は、アンコールワットで見られるようなクメール調が基本で、このスコタイの像からタイの仏像が始まったような気がします。

 クメール調のイメージとしては、参考までに東北タイで見た像を載せておきます。
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 こんな感じの像というかレリーフは、今でもタイ各地に多く残っています。

 さて、現在のタイで多く見られるのは、金ぴかの仏像です。

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 これはバンコクのワットアルンで見たような・・・・。 沢山の金ぴかの仏像を見たので・・・・。
 この仏像は多分真鍮か銅の上に金メッキだと思います。 とにかく金ぴかなのです。
 
 タイでお寺にお参りすると、20バーツ~25バーツ(約80円)で、お花と金箔をくれます。お花をお供えして、金箔を仏像に張り付けるのが一般的です。 あまりに多くの金箔を貼りつけられて、金満?の仏像になってしまった姿を見かけます。 この習慣はお隣のミャンマーも同じですが、ミャンマーでは女性は金箔を貼れません、男性だけの特権?になっていますが、タイでは男女同権?で女性もOKです。

 仏像の形は場所によって少しずつ感じが違うのですが、表情とか、後輪の有り無しとか・・・。
 これはチェンマイで見た仏像です。

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 宗派が違うのか、時代が違うのか、はたまた地方色なのか・・・。 違っているのは判るのですが・・・。
 なお、前に立てかけてある写真は国王の写真です。

 タイでは仏像をどうしてこんなに金ぴかにするようになったのか・・・。 判りませんね・・・

 こんな金ぴかの仏像と全く異なるのが、ミャンマー国境に近いメイホンソンで見た仏像。

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 金ぴかじゃないし、表情が全く違います。 これはビルマ(ミャンマー)様式ですね。 メイホンソンは永らくビルマ族の支配下にあったために、仏像もその影響を受けていますね。

 私は仏教研究家でもないし、仏教美術家でもないので、全くの素人の印象を述べました。

 日本の仏像はガンダーラ、シルクロード、中国、朝鮮などの北の仏教伝来コースの影響下にあって、敦煌の莫高窟の仏像は実に面白い。特に北魏時代の仏像には日本の仏像のルーツが感じられます。 北ルートの仏像はタイや東南アジアの雰囲気とは全然違います。
 各地それぞれの仏像を見ると、お国柄や民族性、時代の変化が感じられて、意外と素人でも感覚的に見分けが付く様になりますね・・・。

 私の話は間違いも多いだろうと思いますが、興味がある方はそれぞれ実物を見て、また研究をしてください。







 
by takeshi_kanazaw | 2019-03-15 08:30 | タイ追憶 | Comments(0)
 ご存じのようにタイは仏教国で、至る所にお寺があり仏像があります。
 少しタイの仏像のお話を載せていきますが、私は信心深くないので、自分の勝手な印象です。

 トップバッターは、タイの発祥の地とされるスコタイの郊外にある ワット・シーチュムの仏像です。

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 「これはいい、タイの仏像では一番いい仏像だぞ。」 私は見た瞬間にそう思いました。
 東南アジアの仏像も結構見ましたが、このスコタイのワット・シーチュムの仏像は屈指の仏像と思います。

 その理由を説明するのは難しいのですが、一般にタイの仏像は金ぴかで趣に欠けるし、このワット・シーチュムの仏像は清楚でかつ力感があります。日本の仏像とは少々感じが違いますが、何処かおおらかで柔らかい感じは素晴らしい。

 この仏像はスコタイの遺跡群とは少し離れた場所にあり、周囲に存在したはずのお寺はなくて、原っぱの中にレンガに囲まれてポツンとあります。あまり観光客も来ない所です。 まー、バンコク駐在の旅行仲間と仏教遺跡が好きな旅行社の社長に連れられて行ったのですが・・・。

 この仏像の見学が印象に残っているのは、仏像の素晴らしさともう一つ他の要因が・・・。
 「今、秋篠宮一家が見学中ですので、皆さんはしばらくお待ちください」 と1時間ぐらいストップでした。

 実はその日の朝に、我々がスコタイで宿泊したホテルで、秋篠宮一家と会っていました。
 そのホテルはスコタイでは老舗らしいのですが、豪華なデラックスホテルでもなく、我々庶民が宿泊できる小ぶりのホテル。 朝にホテルのロビーにいたら、警護の警官が30人ぐらいと看護婦が4~5人、そして背広姿の人が数人どやどやと。

 「日本の方々ですね。 今から秋篠宮ご一家がホテルを出発されますので、お見送りをしてください。 写真はご遠慮くださいね」 多分タイの日本大使館の職員の人だったと思います。
 「秋篠宮? そうか確か嫁さんは紀子さんだったよな・・・・」 と突然の宮の出現に興味津々の我々。

 秋篠宮一家がロビーへ来られましたが、子供達3人は全て学校の体操服。 トレパンに運動靴で、長女の眞子さんは中学生ぐらいで、実に可愛かったですね・・・。 まー、皇室のしきたりなのか、ロビーで我々と歓談するということはなく、ニコニコしながらスーと通って行かれました。

 余談ですが、タイの知り合い(日本人とタイのハーフ)が秋篠宮と大学の同窓生で、彼の情報によると、秋篠宮はよくタイに来るらしく、一緒にタイの川の魚を取って研究していたという。知りませんでしたが、秋篠宮は川の生物研究に造詣が深いようです。

 「そうか、タイ通の秋篠宮がわざわざ一家揃って見ようとした ワット・シーチュムの仏像は、やっぱりタイでは必見の仏像なのか・・・。 俺の直感もあながち的外れではないかも・・・」
 後で調べると、このワット・シーチュムの仏像はスコタイ仏の代表的な仏像で、その後のタイの仏像様式に大きな影響を与えた特筆の仏像だそうです。 念のため。

 最近何かとマスコミが煩い秋篠宮一家ですが、またお忍びでノンビリと一家そろってタイの仏像でも見学されると好いのにな~と思ったりして・・・。
 


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                              〇は古都のスコタイ □は首都バンコク
by takeshi_kanazaw | 2019-03-14 08:22 | タイ追憶 | Comments(2)
 昨日載せた タイのワットアルーンの絵を描いていた頃、たまたま地下鉄で妻殿の知人とバッタリ。 彼女は15年前に私がタイに長期滞在していた頃に、妻殿とタイへやってきたグループの一人。 彼女たちは妻殿と一緒に私のホテルの部屋(セミスイートで広かった)で4日ぐらい滞在したのですが、思えば私のタイ滞在の後半は小さなアパート住まいでしたから、結果として良い時に来てくれた。

 「水上マーケットにも行ったし、あの時オバサンからおシャモジで品物を渡されて・・・・・・」
 私はどうも記憶にない・・・・。 多分、ダムヌンサドゥアックの水上マーケットの話だと・・・・。
 その人はチャンと憶えていて、「あの時はお世話になりましたね・・・」 と礼を言われたのだが。

 妻殿は単身赴任の私の慰問、いや監視?というが、詰まる所、友達を引き連れてタイ観光に来たわけ。 私は一応?毎日バンコクで仕事をしているので、彼女たちには日本語ガイド付の旅行社に観光を頼み、一回ぐらい付き合った程度でした。

 その妻殿の知人が云っていた ダムヌンサドゥアックの水上マーケット は何度も行っているので、写真を再度探してみた。 やっと見つかりましたが、妻殿と一緒に行った時の写真かどうか・・・・・。思い出せない・・・。

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 この水上マーケットはバンコクの西、約80キロぐらいにある、田舎の水上マーケットなのですが、全くの観光用のマーケットで、とにかく観光客が溢れている。お客の大半が外国人の観光客ですね。

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 多分日本から来た私の知人を連れて行った時の写真かもしれないですが、あまりに観光化しているので、写真も殆ど撮る気が起きなかったのかもしれません。

 このダムヌンサドゥアック水上マーケットは、バンコクを流れるチャオプラヤ水系と異なり、戦場にかける橋で有名なカンチャナブリから流れてくる水系です。 以前バンコクは川の上に浮いているような街だという話をしましたが、タイの中央部分は多かれ少なかれ、運河が一杯あって、まさに水の中で暮らしている感じです。

 余談ですが、タイのシャム湾に面する場所はマングローブに覆われていることを載せました。 タイ在住のブロ友さんによれば、マングローブは川の上流まで広がっているそうです。 

 さらにタイの知人によれば、このマングローブの鬱蒼と茂った場所を開墾するには、まず運河を作ったそうです。 運河が最初で、その運河を作った時の掻き上げた泥を固めて、川沿いに家を建てたとのこと。
 「だからタイでは昔は運河があるけど道路がない、というのが普通だったのよ」 とその知人。
 「そうか、市場が水上にあるのが普通で、水上マーケット が通常の姿だったということか」


 実は観光客はあまり行きませんが、バンコク周辺にも一杯水上マーケットがあります。 日本ではお寺の前に門前町があるのと同じで、タイでは川岸のお寺の前には水上食堂やマーケットがあります。

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 これは多分チャオプラヤの中州にあるお寺(名前は忘れた)の前の状況です。 食べ物を食べさせる場所(水上レストランというか・・・)と、すぐ傍に船が品物を載せて集まってくる感じです。

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 外国人は殆どいなくて、並べられている品物も日常的なものばかりです。

 「スイカでも買って帰るかな・・・・」 と私が船に飛び乗って、船が大きく揺れて叱られたことを思い出しました。 変なことを覚えていますね。

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 ところでタイの水上マーケットの話をしていて、フト思ったのが8年前の東北大震災。 津波で多くの犠牲者がでましたが、同じような津波がタイを襲ったら・・・・。 恐らく数十キロ上流まで津波が押し寄せ、タイは壊滅的な被害を受けるかもしれません。タイのシャム湾沿いは古都アユタヤ(上流50キロ)を始め、殆ど標高が数メーターしかありませんから。

 実は私がタイに長期滞在していた時、あのスマトラ沖地震が発生。 インド洋に面したプーケットが津波の被害を受けましたが、もしシャム湾沿いに津波が押し寄せたら、バンコクとその周辺は全て津波にのまれていたかもしれません。 ところがタイの人達は地震も津波も経験がなく、何が起こっているのかサッパリ判らないような状態でした。

 その後にタイではチャオプラヤの大洪水で大きな被害を受けるのです。数カ月も水が引かず、日本の自動車産業にも大きな影響が出ました。 水上マーケットもいいのですが、逆にタイは水害に弱い国であることも事実ですね・・・。
by takeshi_kanazaw | 2019-03-13 08:35 | タイ追憶 | Comments(4)
 バンコク近郊に住んでいるブロともさんの情報によれば、2月のタイは既に30度を大きく超える気温が続いているようです。 日本はやっと春めいたと喜んでいますが、タイでは3月から猛暑の時期に入ります。

 さて、今回のタイの観光ガイドの追憶?は、バンコクを川から見た話です。
 暑いバンコクでは川風の吹く川べりにレストランが多くありますし、川巡りの遊覧船も沢山く出ています。

 バンコクを流れる川は、もちろん大河チョオプラヤ。
 川べりの船着き場から撮った写真が見つかりました。

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 船着き場から下流を見た写真です。 まるで川の上にビルが建っている感じですね。 
 日本でも、東京や大阪は川の上にある街ですが、東京も大阪も結構台地や丘があります。 しかしバンコクは全くそんな小高い所がないので、至る所に川やそれを繋ぐ運河があるんですね。ですから、川から街を見ると、まるで川の上にビルが建っている感じに見えます。

 上流部分に視点を廻してもこんな感じ。

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 日本から来た人を運河めぐりに連れて行ったかどうか記憶にないのですが、バンコクでは観光地を移動するには、チャオプラヤを艀から艀に船で渡る必要があり、何度も船に乗ったような・・・。

 チョオプラヤから見たワットプラケオ(王宮)です。

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 王宮の中に居ると判らないですが、王宮はチョオプラヤのすぐ傍にあるんですね・・・。
 その王宮の対岸にあるのが ワットアルン(暁の寺)です。

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 このワットアルンに妻殿を連れて行った時の話は、タイ追憶①の「ワットアルンの夕日」で載せましたが、王宮側の艀に2時間以上居座って、ワットアルンの夕日を撮った思い出があります。 そうそう、その夕日を絵に描いたのですが、今でもその絵を部屋に掲げています。

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 再度もう少し大きな絵に描きなおしてみようかとも思ってますが・・・・。

 チョオプラヤの支流というか運河というか、川巡りをすると色んな情景を見ることが出来ます。
 これは多分中州の島へ行った時の写真だと思いますが。

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 こんな情景が至る所で見られます。 川とともに生活している感じがよく判ります。

 バンコクの街中にも沢山運河がありますよ。

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 交通渋滞の激しいバンコク。 運河を上手く使えば通勤も楽だそうです。

 バンコクは既に650万人の住む大都会ですが、川から眺めるとまた違った感覚の情景を見ることが出来ます。 東京などは日本橋の上に高速道路が走ったり、川べりをコンクリートに固めたりしてますが、バンコクではまだ昔の姿が随所に残ってました。 



 名古屋もドンドンと春めいてきました。
 タイ追憶も一旦中断して、日本の春を追いかけなくちゃ・・・・。
by takeshi_kanazaw | 2019-02-23 09:55 | タイ追憶 | Comments(2)
 タイを観光された方の多くは、ワット・プラケオ(エメラルド寺院・王宮)を見て、すぐ近くにある ワット・ポー(涅槃寺)に行かれます。 私がタイに来た家族・知人のガイド役をやった時も同じコース。

 「ブッダの涅槃像が大きすぎて、写真に撮れないじゃん!」 来た人のワットポーでの第一声でした。
 そうなんですね、長さが全長46メートル、高さ15メートル だそうで、寺院の部屋の中では全体が写せない。

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 全身が金箔に飾られ、迫力があります。 頭の部分を撮った写真がありました。

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 涅槃像というのは、ブッダ(ゴダマシッダルダ)が入滅(死んだ)した時の状況を表すものらしい。
 タイなどの南伝仏教では、この涅槃像や涅槃図が多く飾られ、ブッダの骨を埋めたパゴダと涅槃像が重要になっています。

 そう言えば、日本では涅槃像はあまり見ないし、パゴダも見ない。  ブッダの像や絵より、如来像や観音像などが主流です。 如来は悟ったブッダ、観音は衆生を救うブッダを表すんだそうですが、私などは全然その区別も判らない単純人間なので、ブッダの涅槃像の方がスッキリ感があります。

 この涅槃像の足の裏が変なのです。 何やら螺鈿のような細かい細工がしてあります。

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 「タイらしくないというか、中国の影響が感じられるな・・・・」
 日本の海外旅行の団体では、現地ガイドさんがチャンと説明してくれますが、私達はそんなガイドが付いているわけでもないので、 なんだか変やな~・・・・ という感じだけで終わり。

 後で判って来たのですが、長期滞在をしていると色んな情報が入ってくる。
 このワットポーは、王宮より古くて、恐らくバンコクで一番古いお寺だそうです。

 現在のバンコク王朝(チャクリー朝)が王宮を作った場所は、元の中華人街だったらしい。 恐らく初めの頃は現在のバンコクの古い街に多くの中華系の人が住みついたのかもしれません。 元の首都のアユタヤは50キロも上流ですからね。 ワットポーはそんな雰囲気の場所に作られたお寺だったのかも。 

 この大きな涅槃像が作られたのはラーマ三世の時代ですが、その辺から王室主導の大寺院になって行ったらしい。 そんな経緯があるためでしょうか、煌びやかなワットプラケオと感じが異なるお寺です。

 こんなお墓らしきものが散在します。

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 どうでしょうか、この細かい花柄はどうもタイ人の感性だけではないような・・・・・。
 私の勝手な想像ですが、バンコクの街の成立過程では、結構中華系やインド系の人が混在していたのではないでしょうかね・・・。

 余談ですが、タイ式マッサージ をご存じでしょうか? このワットポーがその本家・本元だそうで、今でもこのワットポーで特別の資格が与えられるとか。 ワットポーの古式マッサージこそ本流という感じ。 この寺はタイの医療施設や図書館もあって、いわば当時の大学のような存在という話も。

 そうでした、私の「チャオプラヤの祈り」の絵の題材としたレリーフも、このワットポーにありました。 その時レリーフの感じが西洋風と書きましたが、同じ庭にはこんなヘンテコな像が一杯ありました。

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 中央はタイ人でしょうね・・・。 右の女性は中華系? 左はインド系?
 どうして庭にこんな像を置いてあるのか・・・・。

 ワットポーは大きな涅槃像だけの場所ではなくて、意外とバンコクの成立当時の雰囲気を感じさせる、貴重なお寺なのかもしれません。




 
by takeshi_kanazaw | 2019-02-22 12:40 | タイ追憶 | Comments(0)
 タイの思い出話ですが。

 日本とタイは仏教国で長い歴史を持つ君主国。 現在も立憲君主国として同じ形を持つ国です。 世界でもこんな国は、日本とタイの二国だけです。
 「日本は立憲君主国?」 象徴天皇と曖昧さを残していますが、世界的に見ると日本は君主国だそうです。

 ところで、タイと日本は同じ仏教国ですが、お寺や王宮の姿は随分と違います。

 ワット・プラケオ(エメラルド寺院) の外観ですが、何とも煌びやかです。

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 屋根の瓦は少し赤い茶色、周囲は金ぴかで輝き、真っ青な塔のようなもので囲まれている。
 この色彩感覚はタイ独特のものですね。 日本のお寺とは全く違いますね。

 ワット・プラケオは、王宮内にあるお寺で、エメラルド寺院 とも呼ばれています。 そうですね、日本でいえば皇居の中に東大寺があるようなもので、皇室と仏教が混然一体になっているのはタイの姿を象徴してます。

 ワット・プラケオのメインであるエメラルド仏を祀るお堂。

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 キンキらキン という感じで、大きくて豪華です。 

 側面は真っ青なタイルがはめ込んであります。

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 「キンキらと青いタイル、この色彩感覚は同じ仏教国なのに、日本とは全然違う・・・・」

 15年前に見た時は日本からの家族や知人をガイドしていたので、あまり深くは考えなかったのですが、思い出してみると、日本との違いが気になってきましたね。
 「うーん、同じ仏教国なのに、どうしてこうも違うんだ・・・・」

 東南アジアの仏教国ではミャンマーもスリランカも煌びやかですが、どうもインドのヒンズー教の影響を少なからず受けている感じがします。それでも各国のお寺の雰囲気は異なり、タイが一番キラキラです。 振り返って日本のお寺は・・・・。

 「日本の仏教は、日本独特の神道の影響を受けているのではないかな・・・・」 フトそう思いました。
 ご存じのように日本の神道の社は色彩がありません。 むしろ色彩を汚れとして嫌うところがあり、モノトーンの姿こそ神々しいと感じます。 奈良の三輪大社の小さな社は、全くその原型かも。それは後世のワビ・サビの世界と共通する点でしょうか。

 ワット・プラケオで見られる不思議な人形?

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 この色彩感覚もキンキラで艶やかですね。 多分 邪鬼 と同じようなものかも知れません。 奈良のお寺の邪鬼さんがこんな色彩だったら面白い?と話題になるかも。

 どこかで読んだのですが、奈良の大仏さんは、建立当時は全体に金箔が張られてキラキラだったとか。 当時は外国からやってきた仏教はキラキラで艶やかな神様?との印象だったのかも。 それが日本の風土になじんで、モノトーンの世界になって行ったのかもしれません。

 ついでと云ったら叱られますが、ワット・プラケオの奥に、王様の宮殿があります。

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 王宮は王様のいる場所ですが、この建物は公式の場で、実際に生活する場所はまた別です。 この王宮は西洋式の建物の上にタイ式の屋根を乗せたスタイルですね。 日本の明治時代にも西洋式の建物に瓦の屋根を付けた物がありましたよね・・・。

 余談ですが、タイでは日本の明治維新とほぼ同時期に洋式化の動きがあって、こうした建物が作られたのでしょう。 別の王宮と離れた場所に白亜の洋式建築の迎賓館のような立派な建物もあります。

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 この中は撮影禁止です。 海外の賓客をもてなす迎賓館ですが、今は古いタイの物品などが並べられています。

 タイと日本、似ているようで違う。 違うようで似ている部分がある・・・・・。
by takeshi_kanazaw | 2019-02-21 10:03 | タイ追憶 | Comments(4)
 前日に載せた絵 「チョプラヤの祈り」 を、通っているお絵かき教室で描いていた時のこと。

 「なんじゃ、この絵は? うーん、顔が可愛いし、おっぱいがいい。 どの国の絵?」
 「歳を取ってもおっぱいだけはすぐ目に入るんやな・・・。 それにしても変な服装の女の子やな・・・」
 絵教室の仲間が寄ってきて、それぞれ自由な意見を喋ってくれたのですが・・・・。

 「これは、タイのワット・ポーのレリーフで、題名がチョプラヤの祈りなんだけど・・・・」 と私。
 「ふーん、何やら東南アジアの雰囲気だけど、タイか・・・。 ワットなにやら、チャオ何やら、知らんな・・・」

 お絵かき教室の仲間は年寄りが多いのですが、それにしてもタイのことは詳しくない。
 まー、日本のテレビなどの報道では、多くがアメリカやヨーロッパのニュースで、最近になって中国や韓国のニュースが増えた程度。タイはおろか、東南アジアのニュースは殆どない。

 「そうか、タイに長期滞在していたので、知らず知らずのうちに、タイが私の頭にしみ込んで、ワットが寺を表す、チョプラヤはタイの大河であることなど、当然のように思ってしまっていたわけか・・・」

 そう言えば、この タイ追憶 のシリーズで書いてきた内容を読み直すと、お絵かき教室の仲間が感じるように、読者は何が書いてあるのかイマイチ判らないケースもあったのではないか。 恐らくタイへ観光された経験のある方でも、読みにくかったかもしれませんね・・・。

 タイと云えば、この写真から始めないと、いけなかったのかもしれない。

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 エメラルド寺院と呼ばれている、タイを象徴する ワット・プラケオ。 日本でいえば皇居みたいなもの。
 「これは見たことがあるわ・・・・」 と安心感?を持つ方もあるかもしれない。

 ここは何度も行ったのです。 日本から家族や知人が来た時は、必ず案内したのですが・・・。
 滞在が長くなると、全然行く気が起きなくなるというか、行こうとしなくなるのです。 
 「奈良に住んでいる人が、東大寺の話題や、法隆寺の話を取り上げないのと同じやな・・・」

 タイ追憶シリーズも36回目になったのですが、私の絵を見たお絵かき教室の仲間達の反応を見て、少し視点を変えて、判りやすく書いていく必要があるのでは、と反省。 まー、長期滞在者の書く話ですから、観光案内風に書くのは無理ですから、限界はあるでしょうが・・・。

 「バンコクに長期滞在している企業人も、日本から上司や知人が来れば、きっと私と一緒で、有名な観光地に連れて行ってガイド役をしているだろうな・・・・。ガイド役をしたのもタイの思い出の一つかな・・・」

 タイ追憶シリーズ、もう少し判りやすく? 視点を広げて続けることに。
 まだまだ寒い日本。 温かい、いや暑いタイの話も、時には感覚が変って面白いかもしれません。
by takeshi_kanazaw | 2019-02-20 10:56 | タイ追憶 | Comments(4)
 今日はタイに長期滞在する日本人についての話です。

 日本企業からタイへ派遣される人が増えて、現在では7万人ぐらいの方が首都バンコクを中心に長期滞在されているようです。 私が滞在していた15年ほど前は確か3万人ぐらいだった。 自動車産業など、タイに生産拠点が作られ、若い人の滞在者も増えていた時代です。

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 これはタイ国鉄がアユタヤまで蒸気機関車を走らせた観光イベントの時の写真。 若い日本人家族ですが、子供ずれで遊ぶ日本人家族の光景もよく見られましたね。子供達は大喜びでしたね。

 15年前には、タイに仕事で行くと、メイド付きの高級住宅に住み、運転手付の生活を送っていると思う方がおられて、羨ましがられたことがあります。 まー、一部の方はそうでしょうが、多くはサービスアパートに住み、自分で運転して通勤されているようでした。

 海外での仕事や生活はそれなりに大変なんですが、今回の主題はお金の話。

 当時の日本でのサラリーマンの平均収入は500万円だったでしょうか。 タイに派遣されると海外赴任手当が出たり、住まいは企業が用意するので、実質収入は多くなりますね。 派遣される方は課長さんクラス以上が多いから、1000万円の収入がある感じでしたかね・・・。 

 日本人が多く住むバンコクのスクインビットには、高級マンション(サービスアパート)が林立。

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 賃貸料がドンドンと上がって、15年前でも一ヵ月15万円~20万円、東京の都心近くのマンション並み。日本人滞在者が増えたせいですね。 大きなホテルのセミスイート(150㎡ぐらいの部屋)に住む人もいます。

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 このホテルは私が一時住んだホテルで、朝食付きで月24万円です。 派遣元の負担でした、念のため。

 一方、当時のタイ人の平均収入は?
 バンコクのバスの運転手の月給は、だいたい1万5千バーツ(1バーツは約3円)。 1万バーツ~2万バーツぐらいが普通の人の月給です。 この日本人長期滞在者の収入と、現地の人の収入ギャップが大きいのが問題です。

 笑い話かもしれませんが、最初の頃はホテルの朝食は400バーツで、職場でタイの人と一緒に食べる昼ごはんは30バーツぐらいという生活を送っていました。 なんだかヘンテコな感じですね・・・。


 私は特定の企業からの派遣じゃなくて、自由業というか日雇いみたいな仕事でしたから、派遣元によって派遣条件が全く異なっていました。 大企業並みの派遣条件だったり、現地のタイ人に合わせた条件だったり。後半はタイ人の多く住むアパートで暮らしましたが、借り賃は月5千バーツ。 アパーツの周辺は全くタイ人の暮らす場所で、殆ど日本人はおろか、外国人はいませんでした。

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 こんな街の姿が、普通のバンコクの生活の場じゃないのでしょうかね・・・・。 まー、多くの日本人滞在者とは少々異なる生活も送ったので、タイの生活を多面的に見られたのではと思っています。

 日本人の長期滞在者が増えると、バンコクの街には日本人向けのお店などが出現します。 男性の多くはなぜかゴルフをやり(酷暑のなかなのに・・・) 夜は居酒屋に集まり、女性は日本の百貨店や日本人向けのスーパーへ出かけ、そして美容院や習い事・・・・・。 特殊な日本人社会が生まれることに。

 以前にも載せたかもしれませんが、スクインビットにある日本人向け フジスーパー。

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 ここでは日本人の滞在者の奥さんたちが一杯でした。 その店の近くには、パン屋さん、ビデオ屋(日本の映画やテレビのビデオ)、居酒屋などなど、日本人向けの店が。 他には日本の百貨店も行く人が多く、バンコクに住みながらも、日本と似たような生活を続けています。

 日本人社会が広がると、変な?現象が生まれます。 例えばラーメン屋さん。

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 日本でお馴染みの味噌ラーメン。味はマーマーでしたが、味噌ラーメンが一杯 300バーツ! まー、日本で食べるより少し高い感じですが、タイ人の一日の収入に匹敵する価格ですね。 当然ながらお客は全て日本人。 タイの人が300バーツのラーメンを食べるはずがない。 ラーメンなんてのは30バーツもあれば充分美味いのが食べられますからね・・・。

 似たような現象が彼方此方でありまして、日本人仲間が集まる居酒屋では、畳の部屋で日本酒を飲んで日本の食べ物をつまむと、大体1500バーツ~2000バーツ。 日本から本社の重役などが来ると、日本人向けのクラブへ。桜の屏風があって着物姿のママさんがやってきて、御代は5000バーツを超える。

 バンコクでは日本人価格というものが存在しますね。
 まー、日本の値段と比べればそう高くはないので、滞在者には大きな負担ではないから、どうしてもそんな生活に違和感を感じなくなってしまいます。 しかし、私は後半にアパート暮らしをしている時はタイ人目線のような感じが生まれまして、「日本人滞在者というのは、とんでもないお金持ちなんだ・・・・」 と感じました。そのころは一日200バーツぐらいの生活でしたからね・・・。味噌ラーメン一杯も食べられない?

 タイの人はお金持ちには一応敬意を持っている風で、本音は判りませんが日本人滞在者へは親切です。でもね・・・、同じ仲間という感覚は薄いでしょうね・・・・。 私でも後半の滞在時には、お金持ちの日本人滞在者には、それでいいの? という感じを抱きましたからね・・・。

  同じ日本人滞在者でも、日本から派遣された人と、現地採用の人では収入が大きく異なります。 知り合いの女性でタイ語の堪能な人が、タイで働いていた時の月給は3万バーツだった。 まー、タイでは高給でしたが、日本から派遣された人とは雲泥の差ですね。

 お金の話はあまり面白くなかったですか?
 でも、海外に派遣されると、似たような現象があるのではないでしょうかね・・・。
by takeshi_kanazaw | 2019-02-09 13:24 | タイ追憶 | Comments(0)

海外や国内の適当に撮った写真の記録


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