日本へ帰るのは、来た時と逆に、コロンボーシンガポールー香港ー名古屋。
この間の記憶がほとんど残っていない・・・・・。 そろそろアルツハイマー?
いやいや、飛行機では眠られず、ニコチン切れで苦しかったのですが・・・。
その時は 「もう海外旅行なんてやめよう」 と思ったのですが、その苦しい記憶が薄らいでいく。 そしてまたノコノコと出掛ける・・・・。
確かコロンボからシンガポールへの飛行時は、朝日が見えたような・・・。

おぼろげに覚えているのは、シンガポール空港に着くやいなや、展望喫煙所へまっしぐら。 時間の許す限り煙草を吸っていました。 写真さえまったく撮っていませんでしたね・・・。
5日前に見た香港空港に帰ってきました。

日本に近づくころは、もうすっかり夕闇が。

スリランカと日本の時間差は3時間半。
しかし、コロンボを深夜に出て、名古屋についたのは夜の10時。
「疲れたな~・・・・。 早く熱い風呂に入りたいな・・・・」
やっぱり日本への帰路はシンドクて遠かったですね。
長かった 「スリランカ紀行」 もこれにて完。 ご愛読感謝します。
5日、7泊の旅行記にほぼ一か月要してしまいました。
まー、自分のための記録でもありますので、できるだけ丁寧にと思って。
カテゴリーに 「スリランカ紀行」 として残しておきます。 今後気が向いたら、またはスリランカへ行くような計画ができたら読み直してみてください。
「スーパーマーケットで、残った現地のお金を使い切ってください。 お値打ちのお土産を買ってくださいね」 確かにスリランカのお金を少額持っていても、おそらく使い道はない。
何時ものことだけれど、私はお土産を買わない。
しかし、スーパーマーケット立寄りは面白い。 現地の物価が分るから。
訪れたスーパーは、周囲より一段と小奇麗なお店だった。


レジのシステムもほぼ同じ。

さてさて、これからが私の現状調査ですが・・・・。
価格はスリランカ・ルピー (Rs ほぼ1Rs=0.8円 円安で動いている)
まずは野菜売り場。

次は果物。 ところがあまり果物は置いていない。 あったのはオーストラリアのオレンジ。

肉類ですが。 鶏肉は相当安い?

牛肉ですが。

魚が綺麗に並べてありました。

「加工食品がないな・・・・」
日本では漬物や干物、その他もろもろの加工食品が多いのですが・・・・・。
カレーのルーは・・・。 ないですね・・・・。
日本と同じような品物を探しました。値段はどうでしょうか・・・
まずはコカコーラ。

クッキングオイル。

お菓子。

面白かったのは紅茶。 我が家で飲んでいるリプトンの同じ商品が。

「押しなべて生鮮食品は日本よりかなり安い(と言ってもスリランカではチョット高いかも)けれど、加工食品は日本と似た値段だな・・・・」 この傾向はいわゆる発展途上国共通の傾向。
「そういえば田舎ではスーパーは見なかったし、東南アジアの大都市でみたコンビニがコロンボでは見当たらない・・・・・」
観光旅行なのにスーパーマーケットの商品調べなんて変ですかね。
パック旅行は忙しいですから、現地の値段はスーパーでも見ないとわからないから・・・・。
これからはスリランカの小売り業態もどんどん変化していくのでしょうね・・・・。

コロンボはスリランカ最大の町。 人口80万人ですが、周辺の衛星都市を入れると、300万人ぐらいの大都会ですね。 首都はコロンボ近郊のスリジャヤワルダナプラコッテに移っていますが、実質はこのコロンボが首都のようです。
「スリランカ唯一の高速道路です。コロンボ周辺と空港をつないでいます。 この道路は日本のODAで建設されました」

高速道路から見えた風景。

市内の繁華街に入って来たようです。 大きなバスターミナル。

車窓から見える街中の様子です。

そんなに貧しくはないけれど、まだまだ近代化はしていないという感じですね。
「独立後に外交的にはインドと同じく中立主義で、社会主義的な政策をとってきたからかな・・・。どうも町全体が古い感じだな・・・」
外国資本を積極的に導入したマレーシアやタイとは随分雰囲気が違います。
「そういえば、スリランカで大きな工場を見なかったな・・・。 1000キロもメイン道路を走って来たのだから、たまたま工場に出会わなかったというわけでもないだろう。 恐らくこの国に製造業は育っていないんだ」

スリランカも経済の自由化に踏み切り、コロンボの中心街は車で一杯です。
コロンボの町の骨格が出来たのは、イギリス植民地時代の19世紀。 港近くにその当時の建物が残っており、現在もコロンボの中心街のようです。

高いビルが現れました。

中心街のすぐ傍はインド洋が広がっています。

家族連れでしょうか、海岸沿いを散歩していました。

植民地時代の建物が残り、近代的な高層ビルもチラホラ。
しかし、周囲の庶民の住む街角には、古い家並みも混在する・・・・。
「どうもミャンマーのラングーン(ヤンゴン)と似ているわ。 マレーシアのクアラルンプールやタイのバンコクとは全然違う感じだな・・・・」
恐らく、この町はこれから急激に変化していくのでしょうね。
「だけど、スリランカの基本産業が、宝石やお茶では限界があるわな・・・。 やっぱり製造業が必要だわ。 当面外資導入しか方法がないのとちゃうかいな・・・・」 そんな思いがチラッと。
象の孤児院なる施設に立ち寄りました。
「象さんが気持ちよさそうに水浴びしてるわ・・・」

「孤児院というから、象の病院みたいなもんかと思っていたよ」
「実は孤児になった象を治療するのですが、治療を終わって森へ帰しても、どうも野生の仲間と上手くいかないらしくて、また戻ってきてしまうんですよ」 とガイドのGさん。
という事情があって、大きな象も一杯います。

100頭ぐらいはますね。 かなりの大所帯です。
川で水浴びをさせたり、近くの森に遊ばせたり。

近くで見ると象はやっぱり 大きい!

余談ですが、ちょっと象さんの話を。
タイに滞在していた時、彼方此方で象さんに付き合い?まして、チェンマイでは何度も象に乗って、川や森林を遊びましたが・・・・。 我々が見るのは大部分観光用に飼いならされています。 チェンマイでは野生の象を捕まえて、家畜化するのですが、これが難事業。 象はそう簡単に人の言うとおりにはなりません。
野生の象というのは、殆ど見かけません。 森の奥深くに生息して人前には出てきませんが、野生の象に出くわすと非常に危険です。 タイのカオヤイの森で遭遇。ジープなんて簡単にひっくり返してしまいますから、息をひそめて象さんが行き過ぎるのを待つしかありません。
スリランカでも、象は戦闘用や作業用に飼いならされてきた歴史があるようですが、現在は5千頭にまで減少したそうです。 そうそう、シギリアロックに籠った王様。 弟との戦いに敗れたのは、乗っていた象が足をぬかるみに取られた為に負けたそうです。
この象の孤児院。 スッカリ観光施設化していましたね。
川べりに観光客向けの立派な食堂がありました。

「今日は少し変わったランチを用意しました。 スリランカのお弁当です」 と添乗員さん。

「どういう風に食べればいいの?」
「手で混ぜてそのまま食べればいいじゃん」
味は良かったのですが、手がベタベタになって・・・。 結局フォークで食べましたが。
そうそう、スリランカではもっぱらご飯は右手で食べますよ。
現地ガイドのGさんの食事するところをパチリ。

「さー、コロンボへ向かって出発しましょうか」
「これまで全然お茶畑が見えないな~・・・・」
スリランカの北部の乾燥地帯から中央のキャンデイまで、まったくお茶畑を見ない。
どうもお茶畑は、キャンディより南の標高の高い場所で栽培されているらしい。
「うーん・・・。お茶畑には行かないのか・・・・」
効率よく観光地を廻ろうとするパックツアーでは、お茶畑でなくお茶屋さんへ。
やはりみんな同じなんでしょうか。 スリランカ土産は セイロン紅茶 ですかね。

私はあまり紅茶を飲まないし、もっぱらコーヒーばかり。
「僕もコーヒー党ですよ。 自分の庭にコーヒーの木があって、我が家のコーヒーは旨いよ」 と現地ガイドのGさん。 紅茶のお土産を買わない私は、しばしGさんとセイロン紅茶談義。
「Gさん。そもそもスリランカはお茶の産地だったの?」
「違いますよ。 植民地時代に外国の事業家がプンテーションでやったんですよ。 彼らは最初はコーヒーを始めたんだけど、木の病気でコーヒーは失敗。 コーヒーの代わりに中国やインドからお茶を持ってきて、やったのが当たった。 もっぱら彼らの商売の結果です」
「うーん・・・。そうだったのか・・・。 じゃースリランカの人は以前は何を飲んでいたの?」
「そうですね、もっぱら薬草みたいなものを煎じて飲んでいたのじゃないでしょうかね・・・」
お茶屋さん、土産を買わない人にもお茶は飲ませてくれる。

「日本の方はお土産には、もっとやわらかい味の品種がいいですよ。 値段が高いほうが飲みやすいとは限りませんよ」 とGさんのアドバイス。 私は紅茶やお茶の味には無頓着。それにお土産を買う気がないので、セイロン茶の味談義はできない・・・。

現在セイロン紅茶はこの国の重要な輸出産業。 しかし、現地の人が日常的にお茶を飲んでいるかどうかはよくわからない。 日本や中国のように、庶民がお茶を楽しむ風景は見えなかったし、日本の茶道のような文化的な広がりはない。
「そうか、セイロン紅茶というのは、西洋の事業家が作ったイメージ戦略上の言葉か。 タイシルクも同じようないきさつがあるから、情報戦略というのは重要やな~・・・」
しかし、スリランカの山間部がお茶の栽培に適しているのは事実で、製品化して世界に売るというルートを持つかどうかが重要だったわけでしょうね。
我が家でいつも飲んでいる リプトン紅茶(原料産地はケニアとスリランカ)と、ガイドのGさんからもらったお土産の紅茶。

ちなみに紅茶は、英語では RED TEA じゃなくて BLACK TEA が一般的。
仏歯寺は 仏陀の歯 が祭られているという。
「えー? お寺に入るのに手荷物の安全チェック? 煙草の持ち込みも駄目?」
仏歯寺はまるで聖地みたいな感じですね。 ボディチェックまであって・・・・。
「うーん・・・。 お寺というより、何か宮殿のような・・・」

道の傍には沙羅双樹(さらそうじゅ)の樹。 花と実が同時にあるのは珍しい。

仏歯寺は本当に大きな宮殿に入っていく感じです。

「仏陀の歯は2階に安置されていますよ」

実際の現場の状況は下の写真を見てもらった方がいい。

木の床にビッシリと人が座り込んでいるので、祭壇を通り過ぎるにはその方たちをかき分けるように、歩いて行かないと通れない。

日本人の感覚では、座り込んで祈っている人の前を横切るというのは無礼千万。 しかし、スリランカの人は全く気にしていない様子。
「しかし、凄い熱気というか、熱心に祈るもんだな・・・・・」
祭られてる仏陀の歯には、ナガ~イ スリランカの歴史が刻まれている。
ガイドのGさんの長い説明によると、そもそもスリランカに仏陀の歯がもたらされたのは、4世紀頃に・・・・・。彼の話は延々と続くのですが、歴代のシンハラ王朝は都を移動する場合、必ずこの仏陀の歯を持って移動したらしい。
「日本でいえば三種の神器みたいなもんやな・・・・」
要するに、仏歯が王権の正統性の証しとされ、当初はアヌラーダプラ、次はポロンナルワと、王都が移動するとともに仏歯も移動し、現在はキャンディに祭られているということらしい。
「この仏陀の歯は何時もここに安置され、年に一度だけ、ペラヘラ祭の時に象の背中に載せられ、行列が町を練り歩くのです」 スリランカ観光ではこのベラヘラ祭りの期間に出掛けるのがいいのかもしれません。
「この場所が仏陀の歯の神輿を出す儀式の場所ですよ」

仏陀の歯。 これはもう仏教の祈りというより、神様を祈る感じになっているようですね。
余談ですが、ペラヘラ祭はシンハラ暦のエサラ月(新暦7-8月)に行われ、雨乞いの祭りという意味もあって、この祭りが終わるとこの地方は雨季に入るらしい。 今回は既に祭りは終わっていましたが、今年は雨が少ない状態らしい。
キャンディは標高500mの緑に囲まれた町。スリランカの最後の都があった場所である。
現在の人口は15万人程度らしいが、イメージではもう少し大きな町に見える。
「この橋を渡ると キャンディ に入りますよ」

キャンディに都が置かれたのは、シンハラ・キャンディ王国(1469年~1815年)の時代。 この時代にはスリランカはすでに西洋列強の侵攻を受けている時代でもある。 海岸では南のゴール、西のコロンボなど、西洋列強によって作られた町が大きくなっていた。
スリランカの歴代の王朝はすべて都を内陸部に置いている。 どうしてなのかよくわからないが、少なくとも海洋国家ではなかったようで、インド洋の要衝の位置にあることを意識しなかった? 少なくともこのキャンディは、国が隆盛時の都というわけではなかったようだ。
現在のキャンディは、静かな山間の古都のたたずまいである。

キャンディでは、緑と大きな湖が町に潤いと落ち着きを与えている。
キャンディ湖は仏歯寺の近くににあって、なかなか雰囲気のある湖である。

町の様子は、車窓や訪問した店付近で撮った写真しかないので、全体を表しているかどうか自信はないが、この町のイメージとして見てもらえれば・・・。
下町というか、ごく普通の町の中の通り。

町のビジネス街?

これは多分我々が訪問した、宝石店だったか、洋品店だったか・・・

このキャンディには大きな公園や大学があって、とにかく緑が多い。

「キャンディはいいとこやね・・・・」
標高500mだから、熱帯にあっても年間を通して気温は25度前後。 雨季が2度あり降雨量は日本とほぼ同じぐらいらしい。 結構町にはおしゃれな店もあり、民族紛争も落ち着いたので、山間の町が好きな人には長期滞在に打ってつけの場所なのかもしれない。
さー、キャンディに来ると、仏歯寺 とやらにお参りしなきゃいけない。
マータレーという地域に入って来た。
スリランカの何処にでもある田舎町という感じである。

スリランカのほぼ中央、この地域から少しづつ山が現れ、ウエットゾーンとなる。
地図で見てもらうとよくわかるが、古都キャンディまで20~30キロの位置だ。

町の南側には煌びやかなヒンズーのお寺があった。

小さな峠を超えた部落ではイスラム寺院、いやキリスト教?。

町には大きな建物はなく、人口数千人かせいぜい1~2万人の田舎町。

「この町に日本の ノリタケ の工場がありますよ」 と現地ガイドのGさん。
「えー? こんな田舎町にノリタケの工場? ホンマかいな・・・・」
どう見ても田舎町のそのまた町外れ。

私の親しい知人のKさんが、数十年前にノリタケのスリランカ工場に、責任者として長期赴任していたのを思い出した。 彼からは詳しい場所は聞いてなかったので、この旅で現場を走るなんてまるで青天の霹靂。
「フーン・・・。 こんな田舎町で暮らしていたのか・・・・」
ご存知のようにノリタケは高級洋食器のトップメーカ。 本社は名古屋で、そのグループは衛生陶器や碍子など、日本の陶磁器生産額の半分以上を占めるビッグカンパニー。
「ガイドさん、悪いけどそのノリタケの工場を見たいんだけど・・・」
「道からだいぶ奥ですから、入口近くの道路になると教えますよ」
見えてきましたね、ノリタケの看板。

バスの運転手さんが、工場の導入道の前で停車してくれました。

パック旅行ですからバスで工場まで行けませんし、下車して歩いていくのも無理だし・・・。
「うーん、しかしエライところで暮らしていたんだな、Kさんは・・・・」
写真で判るように周囲は田舎町。 日本人はおろか、日本食材はゼロ。 おまけにコロンボから150キロ離れていから、大使館との連絡も簡単ではない。
彼が赴任していたのは30年近く前で、民族対立・宗教対立で内戦もあり、この地域の状況からして混乱はまぬかれなかったはず。 工場の稼働維持、身の安全が何より大変だったと想像する。
「俺だったらすぐダウンしてしまうな・・・。 とてもじゃないが務まらない・・・・」
全然予想もしなっかのですが、パック旅行中に偶然身近な知人が苦労した場所に来てしまって、私はしばし知人の苦労を再認識することに。
この旅行の帰国後にすぐマータレーの写真をKさんに送りました。
凄く懐かしがられいましたが、赴任者の住いは工場横の宿舎だったそうです。
「工場はあの木々の茂る山裾ですよ」 とガイドのGさん。

我々の周囲には一杯企業戦士がおられます。
その方々のおかげで今の日本があるのですね・・・・・。
ノンビリと観光をしている私は、まさに極楽とんぼなのかも・・・・。
「それじゃ、これからスリランカでも有名な ダンブッラの黄金寺院へ行きましょう」
その日は工芸品などの店に寄ることが多くて、合間を縫っての遺跡巡り?
黄金寺院は小高い丘の上にありました。

お寺に入るには、まずは履物を脱いで。

「うーん、なかなか立派な寺院やな・・・・」

そうですね、これはこれまで見てきた仏教遺跡と少し様子が違いますね。
この寺院は紀元前3世紀から続く最大規模の僧院らしくて、歴代のシンハラ王朝の王様たちが寄進し、僧院から寺院に規模が拡大。 現在まで補修されながら保存され、綺麗な黄金の像と色鮮やかな壁画が残っているという。
「規模は違うけど、中国・敦煌の莫高窟に似ている。 街から離れた岩肌に、千年を超える時間作りつづけられた仏像や壁画・・・・。 これはチョット面白いぞ」
洞窟の中に入ってみました。

黄金の仏像、天井は色鮮やかな壁画が一面に。
「これは・・・。 上座部仏教(南伝仏教)のイメージと合わない。どうもオカシイ・・・・・」
私の勝手な感想なのですが、これまで見てきた上座部仏教遺跡と違う・・・・。 スリランカの遺跡とも、タイやミャンマーの仏教遺跡とも感じが少し違う・・・・。



この洞窟では天上から壁まで、鮮やかな朱色使いの壁画一杯。

「判らん、どうもよくわからん・・・・・」 私は少々頭が混乱していました。
しかし、この寺院は紀元前3世紀からキャンディ王国(18世紀)までの、スリランカの仏教が歩んできた雰囲気を持っているのかもしれません。 ヒンズーの影響もあったろうし、ひょっとしてスリランカにも北の大乗仏教の流れが一部入ったのかもしれません。
仏教遺跡に興味がない方は全然面白くない話かもしれませんが、上座部仏教(南伝仏教)の本家と言われるスリランカに、大乗仏教の色合いがあるのは実に興味深い。
「こりゃ視点を広げて、遺跡をあるがままに見た方がいいのかな・・・・」
涅槃像がありましたね。

これは仏像なのか、聖人みたいなものか・・・。

これは明らかに王様か俗人の像ですね。

写真に撮りませんでしたが、洞窟内には古い仏塔(パゴダ)や、ヒンズーの神の像もあるそうですし、像が多くてよくわかりません。
「この黄金寺院は、仏教の詳しい人に教えてもらわないと判らん!」
スリランカの歴史に加えて、南伝仏教や北伝仏教、各国の仏教に精通した人に解説してもらわないと、全く理解できない・・・・・。
(インターネット検索や少し本を調べたのですが、この黄金寺院の観光視点の内容ばかりで、どうもピンとくるデーターに出会えませんでした。)
今回の記事は、こだわり屋の私の、勝手なつぶやき でしたね・・・・・。
「それにしても、えらく土産物の店に寄るんだな・・・・」
道はスリランカ中央を南北に走る幹線道路。 人家が増えてきた。
海外旅行では買物も重要な要素ですが、私は全く興味がないし、お金もない。
私は何時も店にも入らず、もっぱらタバコタイム。 手持無沙汰に周囲の花でもパチリ。
これは南国によくある、ブーゲンビリアでしょうかね。


スリランカは北部はやや乾燥地帯、南部は山がちなのですが、そんなに南国の花が一杯という感じではない。 まー、我々は急いで観光地を回っている感じですから、本当のところはよくわからないですが、少なくとも熱帯林が生い茂る感じではないですね。
お店に入らず周囲をプラプラして撮った花は結構多いのですが、名前が・・・
これは極楽草でしたっけ。

熱帯では白い花のほうが目立ちますね。

スリランカでよく見るのは、仏さんにお供えする花ですね。
代表格がスイレン。

それから プリメリア。

スイレンとプリメリア、仏様に供える前にパチリ。

この旅ではいろんな花を撮ったのですが、花の名前が判らないので割愛。
花好きの方には申し訳ありませんが・・・・。