「もう、なるようにしかならんのだ!」 長~い、ながーい、ナガ~イ 飛行機の時間。
私は何をしていたか・・・。 狭い飛行機の中をウロウロ。 寝られないんです、私は。
帰路の飛行ルートはペルシャ湾を北東へ、山越えののルート。
飛行機の最後尾、スチワーデスさんのたまり場近くの窓から見ると。

飛行機から写真を撮った方は判ると思いますが、飛行機のガラス窓は厚いし、汚れている。 そして、下に広がる景色は見事でも、なかなかカメラでは撮ることが難しい。 何よりも雲が多くて、しっかり景色が写りませんね・・・。
「どの辺を飛んでいるのか・・・。 これだけの山脈は、世界の屋根と言われる パミール高原 しかないはずだけど・・・」 モニターの飛行ルートを確認すると、やっぱりパミール高原でしたね。 世界の屋根の上を飛んでいるんですね。
ズーと窓からの景色に見とれていました。

世界の屋根の パミール高原 を上から眺められるのは、飛行機に乗った人間の特権?ですよね。簡単にみられる風景じゃない。
「これは 運 やな~・・。 早朝の天気のいい時間に、たまたまパミール高原の上を飛ぶ飛行機に乗り合わせた賜物や。 それに寝るのが苦手な俺だから撮ることが出来た・・・」
雪山の頂も手の届くぐらいな近くを飛びますね。

パミール高原は確か6~7千mぐらいの山脈ですよね。 飛行機は1万mぐらいの高さを飛んでいるんでしょうか。 雪山の山肌まで綺麗に見えましたね。
あんまり私が窓にへばりついていたので、横にたむろしていたスチワーデスの人も、外の景色を覗き込むことになって・・。

「ワー、綺麗! 」 フランス語か英語か判りませんが、イメージとしてはそんな感じ。
彼女はすぐに自分のコンパクトカメラを持ってきて、盛んにパチリ、パチリ。
「綺麗だろう? 凄く綺麗だ」
「うんうん、ホントに綺麗だわ」 多分英語でそんな会話をしましたが、この景色は何時も飛んでいるスチワーデスさんでも、カメラに収めたくなるほど綺麗だったんですね。 運、運ですね。
外の景色にはまりましたね・・・。
スチワーデスさんにお茶を入れてもらって、ズーと窓から眺めていました。
パミールを超えると、 タクラマカン砂漠 ですね。

数時間は粘っていたでしょうか。 お茶を2杯も頼んで飲んでいましたから・・・。
中国の青海省か甘粛省あたりでしょうか。 ひょっとしたら黄河の上流部?

飛行機からの写真というのは、撮る機会も少ないし、多くは雲に覆われています。
今回撮ることが出来た パミールの雪山の写真は、まさに偶然のなせる業 でしたね。
このブログの最初の頃の記事は確か 「哀愁のカサブランカ」 だったと思います。
そうですね、「映画のカサブランカ」のイメージが重なって・・・・。

「この映画の世界は、アメリカ人が見たカサブランカやな~・・・。実際に廻ったモロッコの各地の表情とはチョット感じが違うわ。やっぱりアメリカ映画の世界や」
皆さんはどう感じられますか?
まー、映画の頃とは70年以上の月日が流れているのですが・・・・。
大西洋の沿岸地方を北上して、カサブランカに近づきました。
カサブランカの郊外に入ってきたようです。

街中に突入です。 まさに突入っていう感じ。

ドンドンと映画のカサブランカのイメージが崩れていってしまうんですが・・・。
「この場所が映画カサブランカを撮影した建物があった場所です。」

映画では確かハンフリーボガードが経営する酒場だったですが・・・・・。
その日の宿泊は新市内にあるホテル。
近くには高層マンションもありました。

「近くのスーパーマッケットへ行ってみましょうか」

ここでちょっとモロッコの物価について。
「モロッコの1人当りのGDPは3千ドル超ぐらい。日本の十分の一だのに、物価が高いな・・・。観光地値段なのかな・・・」 旅をしていてズーとそう思っていました。
モロッコの貨幣はDH(デラハム)。 1DHは13円前後。
道路沿いの休憩所で買ったお菓子が20HD。「チョット高すぎるんじゃない?日本と同じじゃん」
いい機会なので、スーパーマケットで物価をチェック。
パンや牛乳などの生活基礎製品は安い。日本の半分ぐらいの値段。逆にお菓子などの工業製品は日本と殆ど変らない。
「そうか、日本でも昔はお米や魚は安かったけど、お菓子は高かったな・・・・」
ちなみに、現地ガイドさんの説明だと、モロッコ人の一か月の平均収入は4~5万円ぐらいだそうです。東南アジアより高い。東欧と比べてどうでしょうか。
「この国は労働コストでは、そんなに競争力はないかもしれんな~・・・」
旅の初めに見たカサブランカと、旅の終わりに見たカサブランカ。 随分と印象が違いましたね。
さてさて、長かったモロッコの旅も終わりです。
「ご苦労様でした。」 となるところですが、私にはこれからの方が大変。 日本まで20時間の長旅が待っているのですから・・・・・・・・。

「あーあ、嫌になっちゃうな・・・・。 ボタンを押すと瞬時に目的地に着ける機械はないのかな~・・・。 これから、また地獄のフライトが始まるのか・・・・」
次回は意外と? 綺麗なパミールの雪山が見えましたので、その写真を・・・・。
モロッコの旅は、これまで有名な古都や砂漠を走ってきました。 観光旅行ですから当然なんですが、どちらかというとモロッコでも特殊な場所を巡ってきたわけです。
そうですね、日本でいえば東京と京都や奈良を廻っているようなもので、日本の何処にでもある田舎の感じはまた別ですよね。 その国に長期滞在すればよくわかりますが、その国を訪れる観光客は、有名な場所を駆け足で観て回っているような感じですね。 まー、致し方ないのですが・・・。
「世界遺産より、田舎の風景がいいよ。 何にもない田舎の風景が・・・」
移動するバスの車窓から見える情景が好きですね。
大西洋岸付近のルートでは、ホントに何もない田舎の畑が続きます。

この畑が農業国モロッコの基本ですね。 日本で水田が広がっているのと同じで、カサブランカまで100キロ超離れた場所です。
田舎町の市場が現れました。

ムスリム風の服装の人も居ますが、大半は我々と同じカジュアルな服装ですね。これがモロッコの人達の日常の姿なんでしょう。 それにしても女性が少ない。外で仕事をしている人は、殆どが男性ばかりです。
主食のパンが一杯売られています。

海の近くの田舎町に入ってきました。
アルジャディーダという元ポルトガル占領地の砦跡。

ここでも海には小さな漁船がありますね。

モロッコの海岸近くの田舎町の特徴の一つは、歴史的に外国(特にイベリア半島)の影響を受けている点でしょうか。 建物がマラケシュなどの乾燥地帯と異なり、壁が白い。

これはホテルかもしれませんが、白い壁と青い窓、まるでスペインの家みたいです。

我々は現在のモロッコという国を念頭に置いて考えてしまいますが、歴史をたどればイベリア半島の南側は、15世紀末までムスリム王朝が8百年も治めていたんですね。 1492年コロンブスがアメリカ大陸にたどり着いた頃に、グラナダが陥落してレコンキスタ(キリスト教側のいう失地回復運動)が完結。
「そうか、グラナダ陥落からまだ5百年だから、スペインがイベリア半島を領有してる期間より、ムスリム王朝の国だった8百年という時間の方が長いのか・・・」
イベリア半島とモロッコ。 長い歴史をたどれば、フェニキア人やカルタゴ以来、人々が行ったり来たりしていたわけですね。
余談ですが、現在のアメリカのテロとの戦い。 これは十字軍やレコンキスタから続く宗教戦争の流れと似ていますね。ムスリム側のジハード(聖戦)は、イスラム側の広い意味でのレコンキスタなのかも知れません。 時代錯誤と言われそうですが・・・・。
モロッコの田舎町をプラプラしながら、そんなことを考えていました。

この日の夕方からは実にノンビリムード。
見学する場所もないし、買い物をするお店もない。
海外のパクツアーでは、世界遺産や有名な観光地を沢山廻るプランが多い。 そうしないと集客できないのだろうけど、私は何もない田舎が好きですね。
夕日が地平線に落ち始めました。

もう少しうまく撮れなかったの? そういう声が聞こえそうですが・・・。
ツアーの仲間もカメラを持ってやってきました。

旅行記を書いているうちに、もうモロッコを旅してひと月の時間が経過してしまいました。写真を撮っていたツアーメンバーの彼女たちは、今は毎日の仕事に追われて、モロッコの旅の記憶は薄らいでいるのかもしれません。
夕食後も実にノンビリした時間が過ぎていきます。
部屋はセミスートで豪華。窓からは夕闇の海岸がよく見えます。

お月様が綺麗でしたね。

こんな景色を見ながら、私は熱いコーヒーをすすり、タバコをふかして、ご満悦。
この大西洋海岸の田舎町をコースに入れたツアーは珍しい。 有名なフェズやマラケシュばかりを、効率よく廻るより、こんな田舎に一泊する方がいいですね・・・。
このエッサウイラの砂浜はかなり広い。1キロぐらいズーと砂浜が続いている。
ラクダがいた場所から離れて、一人でゆっくり歩く。
砂浜にはパラグライダー・サーフィンの人達以外は歩く人は少ない。

そうだった、海外旅行では、それぞれの国で若いカップルの写真を意識して撮ってきましたが、今回はそんな情景に出くわさなかった。ムスリム社会では、カップルが見当たらない?
砂が綺麗でしたね。

一人だけ、カメラを構えて、さかんにシャッターを押している女性がいました。

ドンドンと太陽が地平線へ落ちていきます。

結構海風が強かったですね。 砂浜に風が舞っていました。

「モロッコの風やな~・・・・」
旅を始める前は、” モロッコの風に吹かれてみるか ” なんてキザなことを考えましたが、その時は砂漠に吹く風をイメージしていました。
「そうか、大西洋から吹く海風が、モロッコの自然を作り上げているのか・・・」
この海風がアトラス山脈に当たって、モロッコの大地に雨をもたらしているんですね。
そして山越えの乾燥した風がサハラ砂漠を作っている・・・・。
「あと30分ぐらいでサンセットになるな~・・・。 もうちょっと砂浜に居てみるか・・・・」
モロッコの旅の7日目。 大西洋の海辺の町 エッサウイラ に一泊。
夕飯までに時間が出来て、一人だけでプラプラとホテルの前に広がる砂浜へ。
「写真でも撮ろうかな・・・」 という表現はおかしい?
そうですね、これまでも写真を撮っていますから、写真を撮ろう なんて変ですが。
まー、前に展開する景色や情景をパチリとやるんじゃなくて、少し撮りたい被写体をじっくり撮ってみようかというような気分。
といっても三脚を立てて撮るわけでもないし、一眼レフの大きなカメラがあるわけでもない。
これまでも使ってきた小さなコンパクト一つなんですが、気分の問題なんですね。
砂浜を歩いていて、一番に目についたのは、浜辺にいる ラクダ 。

少し陽が傾きかけていましたが、なんとも不思議な写真になりました。
砂浜も砂漠と同じ砂ですから、歩くのはお手のものでしょうが。
せっかくだからもっと近づいて撮りたい。 砂浜を歩いて・・・。
その時、やってきました。 お金を寄越せ!の声が。
ということで、どうも落ち着いていい写真が撮れません。
チョット逆光気味ですが、離れた場所からパチリ。

撮ることが出来たのは、この2枚の写真だけでした。
旅先で写真を撮るのは難しいですね・・・・。
「この町にも古い町並みがあって、世界遺産になっていますよ」 海辺のメディナですか。
もうこのモロッコの旅も終わりに近づいてきました。
ノンビリと、プラプラと。
町のメイン広場でしょうか。

そうそう、カサブランカはポルトガル語で 白い家 という意味で名づけられたんでしたね。恐らく昔のカサブランカもこんな感じだったのかもしれませんね。
白い家にイスラムのミナレットが。

町の中へ。

フェズやマラケシュのメディナとは随分雰囲気が違いますね。
海岸通り?から少し内側に入って。

ちょっと路地を覗いてみましょうか。

この町は画家が多いらしい。 通りに何か変てこな?絵が一杯。

道端の土産物屋さんの店先に、ほっておかれたような絵が。

「うーん、まるで墨絵みたいな感じだな。 芸術性はどうか知らないけれど、上手く描いてあるな」 私はこちらの絵の方が好きですね。
ホントにプラプラと歩いてましたね。 世界遺産ということで、観光客向けの土産物屋さんが目立つのが難点ですが、プラプラ歩きにはいいですね。
道端に座っていた若者3人。 この町の人じゃないようだし、観光客でもない。

モロッコのガイドさんいわく。
「南から来た人たちですよ。 豊かなヨーロッパへ稼ぎに行きたくて、このモロッコを中継地にして、ヨーロッパへ渡れるチャンスを待っているんです」
そういえばテレビで見たことがありますね。 小さな船で地中海を渡ろうとするアフリカ人が多く、時には船が難破したり、上陸しても問題があったり・・・。
これもモロッコの姿の一つでしょうか。
大西洋に面した港町エッサウイラにたどり着いた途端、「海だ! 大西洋だ!」 と、叫びたくなりましたね。サハラ砂漠も良かったですが、広々とした大西洋も格別ですね。
エッサウイラに到着した我々の目に飛び込んできたのは、こんな風景です。

このブロウを読んでいただいている方も、砂漠の風景やメディナの雰囲気を楽しんでいたかと思えば、急に海の話が飛び出してきて、少々ビックリかもしれませんね。 モロッコもいろんな表情を見せてくれます。
エッサウイラは人口数万の小さな町ですが、多様な顔を持っています。
1.波乗りを楽しむ人がいるような、リゾート地としての顔
2.一方では地元の人は漁業を生業としている漁村です。
3.そして、海岸に城郭のある歴史のある遺産の町でもあります。
私はモロッコの大西洋海岸のイメージが全くなかったんですが、この町はそれを払拭してくれました。 ウムウム、そうか、こんな感じだったのか・・・。
エッサウイラはカサブランカから200キロぐらい南に位置してますが、暖かいし、海岸に砂浜が広がって、まさに海辺のリゾートです。 海に面して沢山のホテルが並んでいます。

ホテルが建つ地域から少し歩くと、途端に雰囲気が一変します。

漁師の人が集まっていました。

一人で港にたたずんでいる人が。

さらに歩いていくと、何やら白い建物が見えてきました。

やっぱり海の砦の跡ですね。

砦の高台には大砲が残っていましたね。

「そうか、アフリカの西海岸はこんな感じなのか・・・・」
モロッコは海洋国家ではありません。 アトラス山脈近辺が中心の農耕国家です。 それに、ベルベル人はどちらかというと砂漠の民ですし、アラブ人も海には弱い。 そんなところへ、ドンドンとスペインやポルトガルの船がやって来たんでしょうね。
日本人は結構海に強い民族ですよね。
鎖国とはいえ、海からの侵略を許さなかったのは幸いでしたね。
それにしてもこの旅日記、25回目の記事になりました。
私の愛読書、司馬遼太郎さんの街道を行く のように、もっと丁寧に書くといいんだが、と思っているのですが、文才がない悲しさ。 それにブログにマッチしないし・・・。
マラケシュの町を抜けていきます。 慌ただしい感じではあるんですが。

さて、我々のバスはドンドンと西へ向かってひた走ります。

道が広く立派になっています。 マラケシュからカサブランカへのメイン道路なんですね。
どこかで昼にピザを食べたような・・・。
モロッコの現地ガイドさんが言いました。
「世界三大料理って知っていますか? 一番はフランス料理、2番はイタリア料理、三番はモロッコ料理ですよね」
うーん・・・。 まー、どの国も三番目に自国の料理を挙げるケースが多いけど・・・。
バスは土漠の続く立派な道をひた走ります。
「喉が渇いてきたな~、少々暑いし。 何か冷たいものでも欲しいな・・・」
道路わきのカフェ。 日差しが強くて、なんとなく南国ムードがありますね。

久しぶりのアイスクリームを舐めながら・・・。

我々が走ってきた道路は北へ向かうとカサブランカへ。 我々はそのまま西へ直進します。
何やらまた風景が変ってきました。 オリーブみたいな木が・・・。

そして、急にバスが停まりました。
「あれ? 山羊が木に登ってるんじゃない? あの木の上にいるのは山羊だわよね」

実は山羊が木に登って、アルガンの実を食べる情景は有名なんだそうです。 そういえば、アフリカの写真でそんな写真を見たような・・・・。
「面白いね。山羊が木に登るは見たことないわ。 写真を撮らなきゃ!」
メンバー全員がカメラを持ってバスからゾロゾロと。
少し近づいて・・・

その時です。 どこかで隠れていた土地の人が現れました。
そうです、写真を撮るとお金を要求されるんです。 忘れてはいけません。写真を撮るとお金でした。
このアルガンの実から採れる アルガンオイル は、化粧品や石鹸として有名らしい。
アルガンの実はアーモンドのような形をしていて、その中の種の部分からオイルを絞るんだそうです。 山羊は実を食べて、種を捨てるので、山羊を木に登らせて実を食べさせ、人間がその種を利用するというシステムになる。

「実際は山羊が木に登るのを待っていられません。モロッコでは女性達がアルガンの実から種を取りだし、オイルを絞り出していますよ。 そんな女性たちの組合があるんです」 添乗員のM嬢は物知りですね・・・。
それにしても、ちゃんと写真を撮った代金?は払ったのかな・・・。 現地ガイドさんが払ったのかもしれませんね。
さらに西へ・・・。
「なんだか空気が重くなってきたような・・・・」 空気が 重い って感じは判りますよね。
これまで乾燥地帯を走ってきましたが、周囲の風景も変化してきました。

「もうすぐ海じゃないか? どうも海が近い感じだぞ」
私は瀬戸内海の漁村育ち。 なんとなく動物的嗅覚みたいに海が匂うんですが。
私の嗅覚もまんざらじゃない。 丘を越えると海が見えてきました。

後で調べると、モロッコのパックツアーで、海の町に宿泊するコースは珍しいようです。
次回以降は少し大西洋の雰囲気を・・・・。
カサブランカでは殆ど残っていませんが、フェズやマラケシュなど、多くの都市にメディナがあります。 このメディナ見物もモロッコ観光の売り物の一つです。 このツアーでも、すでに、メクネス、フェズのメディナを見てきましたね。
旅の7日目、マラケシュのメディナ散策から始まりました。
「さすが朝は観光客も少ないな・・・・」

細い道路というか、路地には、朝のノンビリしたムードが漂っていますね。

マラケシュは結構大都会(人口が100万人ぐらい) で、商店の規模もチョット大きい。
この店の商品はすべてオリーブの実ですね。

こちらでは女性の晴れ着ですね。

マラケシュの路地はフェズよりどこか 垢抜けていますね。

ここでも運搬手段はやっぱりロバさんですね。

それにしてもマラケシュの土壁は赤いですね・・・

決して広い路地ではありませんが、フェズの迷路のように戸惑うことはないですね。マラケシュでは路地を突き切ると、広い道につながっているケースが殆どです。

路地を抜けると、あの広場に出てきました。

我々はすでにフェズの迷路を歩いたので、感動が少ない? のですが、モロッコ観光をマラケシュから始めた人には、このメディナ散策は随分と楽しいものだろうと思いますね。
旅はマラケシュからさらに西へ、大西洋の海岸まで走ります。