日本へ帰って来ました。
13日早朝に成田着。
出発した12日のバンコクの気温は38度。着いた早朝の成田の気温は5度。
変な話ですが、寒いという感覚が凄く新鮮というか、忘れていたというか・・・・。
バンコクでの冷房の寒さではなく、芯から冷えるというか・・・。 表現が難しい。
「常春の国ってないかなー・・・・」
あのバンコクの堪らない暑さから解放されたのはいいんですが、寒いのもね・・・・・・。
逆にバンコクの暑さの感覚が薄らいできますね。人間の感覚って面白いですね。
「何だ、4時から報告会? 俺は昨日から全然寝てないんだぜ。30時間近く寝てない」
すぐには自宅には帰れません。 トホホ・・・・。
眠いのを我慢して東京の街をプラプラするしかない。
なんとなく浅草に足を運びました。
どこかで日本らしい風景を求めていたのでしょうね。
「日本だね。日本」


「しかし腹が減ったなー。暖かい蕎麦かうどんが食いたいな・・・」
しかし、残念ながら早朝なので店が開いていない。 またもやトホホ・・・。
こうなりゃ次は上野へ行こう。 日本だ! 日本。

「いいねー、西郷さん。日本だね、日本」
「あー桜が咲いてんだ。上野の山の桜だね。 日本だね・・・・」

しかし、よく考えれば3月中旬にほぼ満開の桜? ちょっと早すぎない?
その日は成田からいろんな電車に乗りましたが、チョット気になることが。
バンコクの様子を見慣れた私には、日本は異様に見えましたね。
「なんて年寄りの多い国なんだ!(私も年寄りですが・・・)」
電車の中には若者より年寄りの方が多い。それも相当年配の人が。
「みんな表情が暗いなー・・・。牢獄に居る囚人みたいだ・・・・・」
バンコクのバス通り裏の、歌って踊って溌剌とした住民とはえらい違い。
「日本ってホントに豊かな国なのかな・・・・・」
少なくとも、あんまり未来に向かって輝いている国じゃないですね。
「ウーン・・・・・・・・・・」
「go home? go to Japan?」
「チャイチャイ(そうそう)」
毎週行きつけの「イーサン(東北という意味)レストラン」で、タイの味を楽しみました。
イーサン料理は前にも紹介しましたが、タイの東北部や北部、ラオスに広がる一般的な食べ物。中国料理の流れが一切入っていない、タイの味という感じですね。
「カオニャ(もち米を蒸かしたもの)、ソムタム(青パパイヤなどの辛いサラダ)、ガイ(焼き鳥)」
これが私の定番です。値段は70バーツぐらいです。
このレストランは屋台とは少し違って、ママさんが英語が出来る人。

彼女はこの店のオーナーらしくて、料理はせずに注文を聞くだけ。
もっぱら料理は夫婦と思われる人がやってるが、この人たちは一切英語はダメ。
しかし、何度も行くうちに以心伝心で、仲良しになった。
オヤジの受け持ちは、ガイなどを焼くかかり。

いつも大きいのにするか、小さいのでいいか聞いてくる(指差し会話)
ソムタムを作るのは嫁さんの方。

干しエビを入れたり、トマトを入れたり、かなりの調味料も入れる。
左に見える黒いのは「川ガニ」 これは少々危険なので、私の場合は入れないことになってる。
最後の方で青いパパイヤを千切りにしたものを入れて、トントンと棒でたたいて出来上がり。

屋台とは違って、後ろにテーブルが10ヶぐらいあって、静かに食べられる。
庭には木もあり、花がぶら下げてある。

「あー、この味ともおさらばだな~・・・・」
イーサン料理を食べたら、不思議とタイを後にするという感慨が出てきましたね。
アパートに帰る毎日見た道路も・・・・・

そろそろ、このコンピュータも荷造りしなくちゃ・・・・・。
「そうですね・・・。長いような、短いような・・・」
「何日でしたかね、日本へ帰る日は?」
「3月、12日の夜のフライトです。お世話になりましたね」
「それじゃ送別会をやらなくちゃ。何時が都合がいいですか?」
今週に入って毎日が送別会みたいなものでしたね。
気をつけないと、日にちが重なって、ダブルブッキングしそうでしたね。
あまり肩ぐるしい会はなくて、集まって食事をするささやかなものばかりですが・・・。
月曜は受け入れ先の学校の校長との送別会。
「先生、今回はベトナム料理にしましょう。歓迎会は中華だったからね」
まー、この校長は京都大学で修士を取った人で、日本語で話せるから気楽ですが。
火曜日は、6年前から何かと一緒に仕事をした奴と二人だけの晩飯会。
彼は日本語は全く駄目。ただし付き合いが長いので下手な英語で何とか通じ合える。
「日本料理より、タイの海鮮料理にしようよ」
彼の仕事への考え方や将来構想なんかを聞いたり・・・・・。
水曜日は同じ職場の人が全員集まって昼飯会。
「先生予算は?」 「9千バーツ(約3万円弱)残ってるよ」
この会は私のおごりで、お礼の会みたいな感じ。
「オイシイという日本料理の店にしましたよ」 ということで、その日は日本食。
タイの人は結構日本食に抵抗がない。 特別感謝のあいさつもなく、ただただ食べるだけ。
木曜日(12日)はタイで働いている日本人スタッフとの昼飯会の予定ですが・・・。
多分学校の近くの中華料理屋になりそう・・・・。
送別会で必ず訊かれる言葉は
「先生(私のこと)、次は何時タイに来ますか?」
そうですね・・・。何だかんだと、もう4回もタイにきてしまったからね・・・・。
「多分、もう来ないよ。歳をとったし、タイの生活は暑くて、少しシンドイよ」 と返事しています。
まー、正直な気持ちですね。 チョット疲れますね、海外の生活は・・・・
タイはもう真夏に突入です。
2月下旬からバンコクの気温は連日37~38度で、太陽の下では40度を超えているでしょう。
タイの気候は大陸性ですから朝晩は少し涼しいのですが、最近は厭に蒸し暑い。
タイでも海沿いは風が吹いてしのぎやすく、マレー半島の部分は今の気温が31~32度で、おまけに海風があって過ごしやすいといわれています。東京より湘南や伊豆半島が涼しいのと理屈は同じですね。しかし、マレーシアとの国境付近は宗教対立等で紛争が頻発しているので、なかなか旅行に行けません。
ペップリーはマレー半島の根っこのような場所で、バンコクから120キロと近いので気軽に行くことができます。場所は下の地図の肌色の地域(西部)25番です。

ペップリーから南へ行くと、王様のいるファヒンや海岸の綺麗なキリカーン(番号26)など綺麗な海岸が続き、800キロぐらいまで南に下ると、有名なプーケット(番号67)へ続きます。
今回は南タイには行けませんでしたね~。
ペップリーにこの時期に出かけたのは、涼しい海風のほかに「プルメリア」の花が満開だから。
プルメリアはタイでは仏様に捧げる花ですが、南アジアでは各地でよく見る花ですね。

殆どの方が見たことがある花ですね。このブログでも以前に紹介しました。
ペップリーではこのプルメリアが小高い山の上に一杯咲いていました。

この山はラマ4世(王様と私の主人公になった人)が離宮のように小さな建物を作りました。
その山のほぼ全域にこのプルメリアが咲いていました。

山の向こうはよく見えませんが、ミャンマーになります。国境まで100キロはないね~。
ここのプリメリアはバンコクでよく見る花と少し異なり、古い品種だそうです。
あんまり葉がついてなくて、花も少し小さい。

「風が涼しいね~。確かにラマ4世が此処に来たのは判るような気がするな~」
山の彼方此方に小さな建物が散在します。

「ラマ4世は立場の強い王様じゃなかったらしくて、この離宮でも住んでるところは一番高いところの小さな部屋で、とにかく襲撃を怖がったらしいわよ」
「どの国の王様も、怖いのは毒殺と暗殺だったんだよ。きっと。」
現在は海風の涼しい、のんびりとした山の観光地です。
綺麗な睡蓮も咲いていました。

タイではこうした山には必ず「猿」がいますね。
観光地化したために、猿も生活が変化してしまうのでしょう。
なんと人間の飲んだカップから残りの冷たいジュースを飲んでいましたね。ウーン・・・。

ペップリーの町は割合古くから開けた町らしく、お寺も多くありました。
町の様子はこの次に。

少し街筋から奥に入るには大型観光バスは入れません。そこで「サムロー」だったと思いますが、小さな乗合トラックに乗り換えます。バンコクでは時々しか見かけませんが、バンコク以外ではこのサムローが主役ですね。

路地を入っていくと、まさにタイらしい家が並んでいました。木の扉が田舎の家のスタンダード型で、太陽の光をさえぎれば、後は台風もないから大丈夫なんでしょうね。

このペップリーの町はチョプラヤ水系から少し離れていますし、後ろはミャンマー国境に連なる石灰岩の山がありますから、昔も湿地帯ではなかったようです。小さな川が流れて少し水田もあるし、シャム湾にも近いので、タイの中央部より住みやすい環境のような気がします。
さらに椰子から取れる砂糖(日本の黒砂糖みたいで茶色い)の産地で、ペップリーのお菓子は有名なんだそうです。
タイの歴史はよくわからない点が多いのですが、おそらくこの町はタイ族が来る前から栄えていたのではないかと予想されます。
おそらく11世紀以降のものだろうと思われますが、ペップリーの街に「クメール調」の遺跡が残っています。


地中の軽石みたいな穴ぼこのある岩を取り出してレンガ状に切り、それを積み上げて塔を作るのですが、この手法はタイでは一般的です。おそらく建設当時は上に漆喰が張ってあったと思われます。
「何でこんな塔の形になるんだろう?」
「須弥山さ。須弥山をイメージして作ったんだよ、きっと」
「じゃー、クメールは仏教か?」
「いやいや、クメールは仏教になったり、ヒンズーになったり、少々複雑なのよ」
同行の旅仲間(バンコク滞在の日本人達)は、こういう話題になると皆知識が豊富で、なかなか議論が終わりませんね。自然に目が肥えてきますね。
ペップリーの町はアユタヤ時代にも栄えていたようで、その時代の寺にも寄ってきました。

お寺の屋根が白いのは虫よけだというのですが・・・・。
このお寺ではなんとお坊さんまで呼んできて、本堂を開けてもらいました。
「チョット、誰か100バーツ札持ってない? お坊さんにお布施を差し上げたいけど」
「俺持ってるけど、いくらいるんだい?」
「そうね・・・200バーツにしようか。うん、そうね・・・300バーツね、300バーツにしよう」
本堂の中で、正座をしてそのお坊さんの説教を聞くはめに。
「えー、もう終わり? えらく短いね」 1分もしないうちに説教は終了。300バーツが正解?
なかなかいい仏様でしたね。

タイの人は仏像にやたらと金箔を張り付けるんですよね。

お寺の境内は信者が寄進したという立派な家が立っていましたが、タイではどんな田舎に行ってもお寺は立派ですね。信者の多くは粗末な家に住んでるのに・・・。
境内にマンゴがなっていました。まだ青いですね。

その横には「パンの木」も。

「日蔭は風が吹いていいけど、太陽の下は暑いよ。もう早く帰ろうよ」
「これから洞窟見物ですよ。洞窟の中は涼しいから、もうチョット我慢しましょう・・・」
ペップリーの付近は石灰岩の山ですから、鍾乳洞があるんですね。
ペップリーの小高い丘の鍾乳洞の入り口に着いた途端、そう思いましたね。
タイはインド大陸と異なって海底が隆起したところが多く、至る所に石灰岩の山があります。
ペップリーの鍾乳洞もその石灰岩の岩山が作りだした造形です。

鍾乳洞は何処でも似たようなものですが、タイは仏教国ですから仏像が至る所にあります。

ちょうど仏像の上の天井から太陽の光が差し込みますから、少し荘厳な感じがしませんか?

「思い出した! 俺はこの風景をはっきり覚えているよ」
アパートに帰ってPCで過去のタイの写真を探すと、やっぱりありましたね。
光線の加減が異なるので、少し印象が違いますが・・・。

「多分南タイへ行った時に此処に寄ったんだ。思い出したよ」
この洞窟のもう一つの記憶は「猿」
洞窟の入口付近に沢山の猿がいたのを記憶しています。
今回もいましたねー、猿が。

「そう言えば6年前に南タイに行ったよね」
「その時あなたに会いましたよ」 と同行メンバーの1人が私に。
「ウーン・・・。思い出した! 思い出しましたよ。添乗してくれたのが××チャンで・・・」
「あれはちょうどソンクランの頃でしたね」
世間は狭いもので、6年も前に一緒に旅行した人との再会でした。
次回はその時の写真を載せます。「思い出の南タイ」ですね。
「奇遇ですね」 「いや、全く。もう6年も前のことなんですね・・・・」
今回のバンコク滞在では、南タイにはいきませんでした。
南タイはマレー半島の北半分のタイ領部分なんですが、南のマレーシアとの国境付近はイスラム教徒が多く、分離独立の動きが続いています。そのため、日本人は恐れをなして? 南タイに行きません。
「あんなの問題じゃないよ。安全だよ」とタイ人は言うのですが、特に日本人は安全情報に敏感で、南タイへの旅行は禁止みたいなムードですね。日本人向けの旅行社も、本当はどうなっているかなんて問題ではなく、客が集まらないので企画を作らないということになっています。
じゃー、6年前はどうだったの?
単に情報不足だった? 外務省の安全情報がいい加減だった?
まー、そんなとこですかね。 何かマスコミが取り上げると、ワー、と騒ぐ感じですね。
前置きはさておき、南タイは海風が吹いて涼しくて、魚が美味くて、海岸が綺麗で・・・・。
まー、思い出というのは、綺麗な部分だけが残っているものです。
南タイへの道は、今回出かけたペップリーから国道4号線をまっすぐ南へ下って行くルートがポピュラーです。 この道は「マレー鉄道(バンコクからシンガポール)」も並行して走っています。マレー鉄道は東アジアのオリエンタル急行というキャッチフレーズで人気があったのですが・・・・。
南タイの売り物は綺麗な海です。
ペップリーから100キロぐらい南のキリカーン写真を少し。

キリカーンは綺麗な砂浜が続く海岸でした。
ヤシの木もあって、まさに南国の海という雰囲気ですね。

海に登る朝日が綺麗で・・・・。確か朝日だった、いや夕日かなー・・・。

夕日は何処でも印象的です。もっと南へ500キロ行った「ラノン」の夕日。
ここは対岸がミャンマーで、もう100キロ強下ると「プーケット(行かなかった)」です。

ラノンはインド洋に面していますが、東のシャム湾側は少し様子が異なります。
「ナコンシータマラート」の近くの睡蓮の咲く大きな湖。

この湖を小さな船に乗って3時間。
少しづつ思い出しました。この時は太陽の光が暑かったなー

たしか島へ上がって鍾乳洞へ行ったような・・・・。
ペチャブリーの鍾乳洞とは異なるところだったと思いますが・・・。

南タイを含めて、タイの写真はかなり残っているのですが、どうも記憶が不鮮明で・・・・。
南タイの写真を見直していると、バンコクの喧噪を忘れますね。
「帰国への想い強くなれど、少しタイの自然に後ろ髪惹かれる」 そんな感じですかね。
これは私がタイへ来た時、学校との約束でやることになっていた・・・・。
「ウーン・・・。講演ですか・・・・・・」
「題目は先生に任せますよ」
ということで最後のお勤めで、特別講演をやるはめに・・・・・。
普通外国で講演をする場合は、英語でやるのが一般的。
私が英語で講演を? 出来るわけがない!
その辺は大学側もよく知っていて、当然通訳付きでOK。
講演は結構メンドクサイのです。
1か月前に題目をきめて、聴衆者を募集しなきゃいけない。
「先生、題目を決めてくださいよ」
「何がいいですかね・・・・・・・」
「じゃー、まー適当に、物づくりの話でもしますかね」
ということで決まった題目が、”物づくり、人づくり、仕組みづくり”
なんと、募集からの作業に担当の女性が専任することに。
募集と同時並行に、私は講演の資料作成へ。
それをタイ語に翻訳してもらって・・・・・。 半日喋るのに準備は結構時間がかかる。
「どのくらい聴衆は集まったの? あんまり無理しなくていいよ」
昨年ある日本の教授が講演した時、タイ側は聴衆者集めに苦労していたのを知っていました。
「50人を超えましたよ、先生」
「どうしてそんなに集まるの?」
「皆、外国の事例を直接外国人から聞きたいんですよ」
「そうだよなー。論理的なことはタイの先生から聞けばいいからな~・・・」
当日は意外と?MBAの大学院生(社会人)や企業人が集まって67人。
朝早くから、準備が大変(といってもタイ側がやってくれます)
札まで立ててくれました。

ちょっと見難いですが、”物づくり”はそのまま”MONOZUKURI”と書いてあります。
”改善”や”5Sの整理・整頓”などもそのまま日本語読みで表現するのが一般的です。
「コップンカップ(有難う)!」
受付に駆り出された女性たち、講演場所を案内役する学生達・・・・・・。

講師紹介から始まる進行は全てタイ語で行われました。
タイ語の判らない私はどうしたか?
適当にそれらしき時に立って挨拶。だんだんタイに慣れてきたからね・・・・。
さてさて、講演ですが・・・・・。

まー、硬い話は割愛して・・・・・・。
困っていたのが通訳さん。
外国人に対して講演する時は、日本人に喋る場合の半分も喋れない。
私はそこでついつい早口で、話のスピードを上げてしまう。
それに私は悪い癖があって、話しながら聴衆の間を歩き、聴衆者にドンドン質問をしてしまう。
通訳さんは対応に大わらわでしたね・・・。
日本でも外国人に講義をする(日本語で)場合が結構ありますが、私は通訳さん泣かせなんだそうです。
(でも通訳さんとは仲良しですよ。友達付き合いをしていますよ)
日本人が英語で講演しているのを聞いたことがありますが、迫力がないですね。
英語で日常会話ができても、講義はまた別物で、難しいですね・・・・。
まー、聴衆者であくびをした人は2名(すぐ質問をして目覚めさせたけれど)だったから、日本語に耐えて聞いてくれたタイの皆さんに感謝ですかね。

何時頃出来たものかは知りませんが、おそらく10年前ぐらいとそう古いものではないようです。
日本ではモノレールというと遊園地の乗り物というイメージがありますが、バンコクのBTSは都市交通の要の位置にあります。イメージとしては東京の山手線のような感じ。大阪・名古屋だと地下鉄ですかね。
BTSはバンコクの中心地シアムから東西南北に伸びていますが、総走行距離は100キロ以下の2路線だけですから、そんなに大規模ではありません。
しかし、バンコクは凄い渋滞で有名な街ですから、渋滞が絶対なくて確実なBTSは貴重な存在です。2年前に地下鉄が出来て、このBTSと地下鉄にさえ乗れば安心?というのが偽らざる心境ですね。
特にこのBTSは日本人の多く住むスクンビット通りの上を走っていますから、日本人はこのBTS沿いに住居を構えたがります。ちなみに私のアパートはこのBTSとははるか5キロ以上離れているので、とにかく不便です。
BTSはほぼ2~3分おきで運転していますし、駅は1キロごとぐらいにありますから、ビジネスにも買い物にもすごく便利です。料金は15バーツから35バーツ。バス代が7バーツですから、タイ人にはチョット高いという意見もあります。ちなみにタクシーの初乗りが35バーツです。
シアムのBTSのホームです。モノレールですから駅全体が明るい感じがしますね。

乗客はどうも外国人の割合が多いですね。

外国人乗客が多い理由として、BTSがある界隈は外国人が多く住む場所であることや、駅名がアルファベットで書かれていること、時間が確実であることが理由でしょう。やはり外国人はバスには乗りにくいし、タクシーに乗っても運転手は英語が判らないなど、安心感がありませんからね~。
タイ人の乗客は若い人が多いような気がします。あんまりおじいさんやおばあさんの姿を見ない。

BTSではタイの若い女性はカッコいいファッションで乗り、外国人はラフなサンダル履きで乗っているというのがよくあるパターンですね。少し違うのが日本人。買い物途中の主婦や、移動中のサラリーマンという普段着姿は大体日本人。
とにかくスクンビットに住む日本人にとって、BTSは重要な移動手段となっています。
残念ながら、BTSは王宮などの観光地までは伸びていませんので、観光でバンコクを訪れた方はBTSに乗っている人は少ないかも知れません。
現在バンコク市内から新空港まで新しいBTSを建設中です。一説では新空港完成と同時に開通だったという話や、今年中に開通だとか・・・・。タイのことですからね・・何時になるか・・・
BTSのスクンビット線は駅に沢山の店があったり、歩道が伸びて陸橋になったりして、利用者には特に便利です。プロンポンの駅には5年前に日本人向けの古本屋が開店しました。

私もこの古本屋はよく利用しています。安い物が20バーツ。滞在者が帰国する時読んでしまった本を残していくのでしょう。 新刊も売っていますがこれは日本より高い。
このようにBTSの路線上は凄く便利なので、周辺に外人向けのサービスアパートがドンドン増えていきます。それもかなり高層で、家賃は一か月5万バーツ(15万円)以上だそうです。

BTSから離れると、私のアパートのように月5千バーツ以下になるのですが、スクンビットでアパートを探すと一桁値段が違うことになります。これは日本のサラリーマンは会社が住居費を負担するので、少々高くともスクンビットのBTS路線近くを選ぶのも、家賃が高くなった原因の一つですね。
観光客にはあまり関心のない話題でしたが、バンコクに住む日本人にとってBTSは切っても切れない関係があるのですね・・・・。
先週はわざわざタクシーに乗ってBTSのプロンポンにある「散髪屋」へ行ってきました。
私のようにBTSの路線から離れた日本人のバンコク住民も、買い物や何かとBTS路線界隈に集まってしまいます。
散髪の帰りに、プロンポン駅の近くの花やさんで、綺麗なハイビスカスが咲いていました。
帰国まじかなので、その花の鉢は買いませんでしたが・・・・。

そう言えばそんな時期でしたね・・・。
海外生活では「郷に入れば郷に従え」とそれなりに対応するのですが、食べ物はなかなかね・・・・。
タイの食事はそれなりに美味いのですが、”朝はみそ汁と納豆” とか、時には”ラーメンと餃子セット” 暑くなると”ざるそば”をツルツルと・・・・など、急に食べたくなるんですねこれが・・・・。
どうもタイ料理には、日本風の塩味や醤油味がないような気がします。
長期駐在者に日本食の食材を提供するスパーがあります。名前も「富士スーパー」。
大した店ではありませんが、味噌、醤油はもちろん、豆腐からアゲや納豆、魚、肉・・・・。当然日本米(と言ってもタイ産が多いけれど)もあります。安心できる味(日本と同じという意味)が魅力。

値段? 日本と同じものであれば、日本の1.3倍~1.5倍ですね。輸送料から考えればそんなものなんでしょうね。タイに慣れてくるとタイで作られた日本食材を探すとか、日本と同じ味の安い食材を見つけるという知恵が出てきますね。
スクンビットに住む人たちはこのスパー通いが日課のような感じがあって、日本人主婦のお客がこのスパーで、ながながと立ち話をしている姿をよく見かけます。
このスーパーはプロンポンの駅に近い、ソイ(小道という意味)33 1/3にありますが、コバンザメ商法というか、このソイには多くの日本人向けの店が集まります。

パン屋、日本風一杯飲み屋、ラーメン屋、本屋、ビデオ屋、喫茶店・・・・・。
いたるところに日本文字の看板が見えます。この道は土日になると車で一杯になります。
お知り合いでバンコクに長期滞在した方があれば、プロンポンの「富士スーパー」と言えばきっと懐かしがりますよ。特に小中の子供がある、若い世代の人たちですね。
中国人は世界中に中華街を作りますが、日本人はあまり日本人街は作りませんねー。日本人はまだ海外に移り住むというより一時的に住む感じですから、バンコクのスクンビットのように、せいぜい日本人が集まる場所が出来る程度なんでしょうね
ところで日本食の話ですが、バンコクでは結構日本料理のレストランがあります。タイの人も日本料理は好きなようで、寿司やかつ丼、うどんなど普通のものは豊富ですが・・・。
チョット味の方が違うケース(多分タイ人に合わせてある)もあります。
スクンビット界隈の日本料理屋は他の地域と違って、日本人のための日本食です。日本人が日常に食べている、ごくごく普通の日本食。

これは「らあめん亭」の名前の通り”ラーメン屋”。
前にこのブログで値段が高いことに文句を書いたのですが、味は確かに日本と同じ。
味噌ラーメンは全く日本のラーメン屋の味ですね。
値段? 味噌ラーメンと餃子で300バーツ(ほぼ900円。サービス料込)
私がよく行く”蕎麦屋”はスクンビット通りの向こう側にあります。

ここの蕎麦の味はあまりよくない。しかし、蕎麦屋はバンコクでは殆どないからねー。
ざるそば2枚で300バーツ弱。まー日本とほぼ同じ。
スクンビットへ行くとほぼ「富士スパー」で日本食を調達し、ラーメンか蕎麦を食うパターンです。
まさに”日本食断ちがたく・・・」ですね~。
おそらく日本へ帰ると逆にタイ料理が懐かしくなるのかもしれませんねー。
これがまた、日本のタイ料理は、タイの本場の味と違うんですよねー・・・・・。