今回出かけたロブリーの町は、下の地図の水色の7番の県です。ちなみにアユタヤは4番。
バンコクは現在の王朝になって(約200年前)開けた場所ですが、それ以前は海とも川とも言えない湿地帯でした。ですからアユタヤは海から近い港町だったわけです。中部タイはそのバックに広がる穀倉地帯ということになります。
日本でも東京駅も名古屋駅も大阪駅も、500年前は海か干潟だったのですから、タイも同じですね。タイは大陸だから変化のスケールが少々大きいですが。
ある本によれば、1500年前はロブリーの辺が海岸線じゃなかったかという説があります。どうも昔の遺跡が点在して、タイの先住民族「モン族」のドバラビィー(発音は違うかも)文化が栄えていたとも・・・。
その後はクメールが来たり、タイ族が来たり・・・・。少なくともスコタイやアユタヤよりは古い町なんだそうです。しかし、現在残っているのはアユタヤ時代以降の遺跡です。
「やっと田んぼらしい風景が出てきたな~」
中部タイは水田が広がる穀倉地帯です。
そんな風景が続き、石灰石の小さな山を横目に見ながら進むと、ロブリーに着きます。バンコクから車で2時間ぐらいの距離でしょうか。
この町は東北タイとチャオプラヤ流域を結ぶ場所にあり、ラオスからも移動するのに通る道でもあります。
「うーん・・・・。これはなかなかの遺跡だぞ」
遺跡の構えが大きいというか、重厚なのです。
遺跡の形を見ると、タイへ来られた方は何処かで見たような気がすると思います。よく似てるんですね、アユタヤと。
ロブリーの町には遺跡が広がっていますが、下の遺跡はどうでしょうか?
ちょっとクメールっぽいですね・・・・・。
確かにロブリーは川を遡れば東北タイへ行きますから、クメールに近いといえば近い。
下の写真の像がまた変なんです。
仏像下に蛇があり、像の唇が厚いのはクメールっぽいけれど、顔つきはほっそりしているのでスコタイっぽい・・・。この古都の歴史でしょうね・・・・。
どうもロブリーはアユタヤ時代には有力な町だったようで、アユタヤがビルマに攻め落とされた頃には、意外とこの町へ都が移される可能性も感じられる町ですね。そうするとタイの首都はバンコクではなくてロブリーだったりして・・・。しかし海から遠すぎるね・・・。
アユタヤ時代以降も、遺跡というかいろんなものが積み重なっています。
下の崩れた建物はどうも中国っぽいんですね・・・・。黒いのは建物に燈明を焚くところが沢山ありますが、ローソクの煤のせいですね。何か中国の遺跡みたいですね。
古都ロブリーは1500年前からどんな歩みをしてきたんでしょうね・・・・・。
そんなことを考えると、タイという国は意外と凄い多民族国家ですねー。
ロブリーというと遺跡に群がる猿が有名ですが、その写真は次回に。