私の列車の旅は今を去ること19年前、1989年5月。ちょうどあの天安門事件(次回の2でコメントします)の年でした。私の列車の旅はとても関口さんのように3万キロは無理で、上海から南京―洛陽―西安―大同―北京という3千キロの列車の旅です。
この旅は日本旅行社の企画で、VIPの乗る列車を借り切って、15日かけてゆっくりと中国を列車で廻ろうという趣旨でした。南京や洛陽、西安などの主要都市にはその列車を駅に停車させ、旅行者はホテルに宿泊するという、まさに大名旅行みたいな旅行です。
代金は意外と安く、30万円台だったと記憶しています。トイレを気にしていた我が妻殿は同行を辞退。(そのためにこの旅行の写真が殆どありません。インターネットで拾った写真で補います)
用意された列車は12両編成で、東ドイツ製の各車両は4~5室のコンパートメント、一室4人用のベッドとシャワー付という豪華なものでした。各車両には男女一名ずつの服務員が付き、食堂車は2両。おそらく、共産党か軍部の幹部が乗る特別仕様の列車なんでしょうね。
昨年チベットの天空列車の1等室に乗りましたが、設備は古いですが断然3千キロの旅の列車のほうが立派。イメージとしてはヨーロッパのオリエンタル急行列車の雰囲気に近いですね。
ところがこのツアーは120人のお客を予定してところ、全国から集まった参加者はなんと24人ポッキリ。本来このツアーは中止されるべきものだったらしいのですが、中国側は約束どおりの陣容を整えたので中止を出来なかったという、摩訶不思議なツアーだったのです。この後、私の知る限り同じようなツアーは二度と企画されなかったようで、まさに一回だけ行われた幻のツアーでした。
この列車は客車だけで12両、それに乗務員や料理人の車両がつくので、長い中国のプラットホームの端まで続く長さを誇るのです。その長い列車に乗る乗客僅か24人ですから、全員でも駅の片隅にチョビットしかいないというまさに滑稽な状況でした。下の写真は列車の前での記念写真です。
そういった事情で、旅行者の私達は一つのコンパートメントを一人で占有するという幸運?に恵まれ、私なぞは自分の部屋ではステテコ姿で一日中、本を読んで過ごし日もありました。
多分特別列車なので特急並みに走ると予想したのですが、逆に鈍行より遅くて一般の列車の合間を縫って走りました。田舎の駅にも長く停まっている状態が多く、田舎の人がどんなVIPが乗っているのだろうと、よく車内を覗き込むのです。そこにステテコ姿の私が本を読んでいるという、なんとも言いがたい状況が生まれてしまいました。日本人の恥?だったですね・・。
列車は南京にも停まったと思いますが、既に南京は訪問していたのでその時は印象が薄かったせいか、まったく記憶にありません。多分3年前と同じような観光をしたのでしょう。ホテルは金稜(南京の古い呼び名)飯店という南京では一番凄いホテルだったと思います。土産品の値段が凄く高かった印象があります。変なことばかり覚えていますね・・・。
洛陽からは初めて訪れる町ばかりでしたから、ポツリポツリと印象が残っています。
洛陽は長安から都が移された古都ですよね。唐の時代以後の都はこの洛陽ですから、随分と立派な古跡がある綺麗な町と予想していたのですが・・・・・
下の写真は当時の洛陽駅に降り立った時と洛陽駅の周囲の状況です。
写真の雰囲気でお解りの様に、洛陽は中国の何処にでもある田舎町でした。それでも遺跡の中では中国3大石窟の一つである龍門石窟はマーマーでしたね。
川の名前は忘れましたが、龍門石窟は綺麗な川の岸辺の岸壁にありました。敦煌の莫高窟のような規模はありません。仏像も6~7世紀頃のものが中心で、莫高窟のように長い年月の仏像が並んでいるわけではありません。しかし、石窟としてはまずまずの内容でしたね。
インターネットで拾った写真を下に載せておきます。
この写真では判りませんが、周囲の仏像は顔が切られているものあって、この地方までイスラムの影響が及んだ時期があったのかなーと思いました。
次回は西安―大同―北京の思い出を書きます。