知多半島・山海海岸にある、何時も行く海鮮料理屋。
鯛の兜焼き。 この鯛の頭がデーンとお皿に乗って出てくると、何時も一瞬身構える。
この目玉がどうもイケナイ・・・・。 何かジロッと睨まれているようで・・・・。
鯛の兜焼きは、以前にもこのブログで 「 俺を食うのか?」 という題をつけて紹介したことがあります。 何度食べても、このギョロ眼には圧迫感を感じてしまいますね。 まさに 俺を食うのか? と睨まれているようで、どうも食べるのをついつい戸惑いますね。
まー、食べてみると、頭の部分というのは、いろんな魚の筋肉や筋・脂肪など、複雑な味がしてなかなか美味いのですが、最初のギョロ眼と対面すると、少々箸を入れにくいものです。
「そうだよな・・・。 魚の兜焼きや兜煮はまだしも、豚肉や牛肉などはよく食べるけど、もし、豚の頭や牛の頭が丸ごと皿に乗って出てきたら、食べられるかな・・・・」 中華料理では豚の頭は出てくるようですが・・・。
魚はまだいいですね。 全身を煮た煮魚は問題なく食べられますね。
刺身は、何時もながら新鮮で美味いですね・・・。 やっぱり海辺で食う刺身は美味い。
鯛の兜焼きのせいでしょうか、魚を食べるという何時もやっていることですが、生き物を殺して舌鼓を打ちながら 美味い・美味い と云っている自分を再発見したような気分になりました。 イヤイヤ、人間というのは罪深い生き物ですね・・・。
「動物を殺して肉を食うにとどまらず、動物の子孫を残すための 卵や乳 を 平気で横取りをする。 飼育した生き物でも生命維持本能はあるはずで、自然界の狩りと所詮は同じ。 植物だって、穀物などは子孫が育つため蓄えた種を集めて、それを食べてしまっているわけや。 酒やブドー種などのアルコールも・・・」
そんなことを言えば、我々の衣・食・住 の殆どが、自然界の他の動植物を殺して、それを利用して成り立っているわけで、「 殺生はイカン 」 なんていわれると、困っちゃいますね・・・。
「まー、食べ物にありついたら、美味い・不味い なんていわず、食べ残さず、有難くいただくことにするか」
意識しないでいますが、 よくよく考えれば、我々人間という種は、食物連鎖の頂点に立っている、「 身勝手な、凄く傲慢な生き物? 」 ですね・・・・。
いつも知多半島の海岸に行かれると美味しそうな
海鮮料理屋に行かれますね。
鯛の兜焼きや煮魚にお刺身どれも美味しそうです。
引っ越して来た時はよく明石の魚棚に行きましたが
最近は滅多に行きません。
馴染みのお店があるようで、羨ましいです。
おっしゃる通りです。
食事をする時、「頂きます」と云いますが、
魚、牛、鶏、米、野菜の生命を食として頂くので、
素直な気持ちで頂いてます。
料理を作ってくれた人に、「頂きます」と感謝の意味もありますが。。。
訪問くださり、有難うございます。
ひつじ雲さんのような、美味い写真は載せられません。
旅行記や、何気ないお話ばかりですが。またお越しください。
タイの目玉。 亡き母が、これが美味いのだと食べてました。
その時は、一瞬母親が異邦人に?見えましたが・・・。
目玉のヌルッとした感じは、いまだに苦手です。