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 古代の渡来人の話

 突然ですが、今回は日本の古代史の話です。
 
 このブログは時々話題が飛んで、全く違う世界の話が出てきますが悪しからず。

 私は 以前から 「日本は東アジアの合衆国だ!」 と主張しています。 
 弥生時代から、南や北、そして大陸から、海を渡って日本列島に沢山の渡来人が何度も来て出来上がった国が 日本という国だ と思っているのですが、あまり賛同者は多くない。

 私の主張の根拠は、卑弥呼の時代から古墳時代になると、急に「漢字」が使われる。 表音文字は早く普及しますが、表意文字の 「漢字」 は、そんなに簡単に使えるものではない。 
 「これは漢字を使っている人間が、大勢日本に来て支配層になったということでは?」
 では漢字を使うから中国人? そうとは限らないのがまた面白いところですが・・・。

 さて、昨年から日本の古代史セミナーを受講していますが、今回は引き続き 「渡来人」 がテーマ。
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 「東漢(やまとのあや)」 なんて、聞いたことがある人は少ないでしょうね。
 有名な坂上田村麻呂は、この東漢の流れを汲む渡来人の子孫だというと、少しは興味が湧くかも。

 今回の渡来人の話は、1~2回目のセミナーの冒頭部分になります。

 余談ですが、日本古代史の先生方の多くは、日本書紀と古事記 という 奈良時代に完成した官制書?を中心に分析される。 まー、歴史学というのは文献主義は致し方ないのでしょうが、私の東アジア合衆国説とは相いれないものになります。 しかし、まー、専門家の云うことも聞いておかないと・・・・。

 講師の方の話を中心に始めると・・・・。
 「渡来人は大陸の進んだ農業技術や武器などを古代日本にもたらし、大きな影響を与えて国家形成の基礎を作った」 というのですが・・・・。 これはかなりうなずける・・・。

 それではその渡来人は何処から来たのか・・・・。
 このセミナーでは日本書紀や古事記を元に分析されているから、沖縄や北海道に来た渡来人の話は出てこない。もっぱら朝鮮半島からやってきた渡来人が中心の話題になります。

 当時の朝鮮半島情勢は・・・・。
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 絵の右、三韓の時代から、中央の三国時代、そして左の新羅の統一へと変化していきますが、その間に中国・漢帝国の占領地の楽浪郡もなくなり、その地に住んでいた中国系住民は離散、更に小国集団の伽耶国も滅亡、そして日本と関係の深いとされる百済も滅亡します。

 この半島の混乱に伴って、多くの朝鮮半島に住んでいた人が日本列島にやってきたというのです。ご存じのように朝鮮半島は早くから中国文化圏にあって、漢字は共通語のようなもの。 楽浪郡に居た中国系、中国文化を身に付けた朝鮮系の人が、日本列島に逃れてきたというわけです。 この分析には異論はないですが、このセミナーではそもそも弥生人なるものは何かという分析にまでは踏み込みません。 弥生時代の渡来人の話は文献がないから歴史学として成り立たない?

 まー、講師の云うことを聞くために参加しているので、質問もせずにジーと聞いています。

 飛鳥時代の前後に蘇我氏の勢力が伸びますが、武力や技術でその中心勢力は東漢氏だったらしい。 この東漢氏は一つの氏族ではなく、大陸から来た渡来人のグループの総称的な意味合いなんだそうです。面白いのは東漢氏の祖先は中国・漢の皇帝だというのですが・・・。 東漢氏の流れを受け継いだのが坂上氏で、後に坂上田村麻呂が出てくる。

 「な~んだ、蘇我氏は渡来人で支えられていたのか・・・・」

 しかし、少し冷静になって考えてみると、蘇我氏は言葉も習慣も違う渡来人を使うことが出来る能力は凄い。しかも武力も技術も優れていて、システムも中国式のやり方を知っている渡来集団を使いこなすのですからね。 明治時代のお抱え外国人の比ではないですね。

 「どうもオカシイんじゃない? 蘇我氏そのものも渡来人じゃないの? いやいや、多くの有力豪族も渡来系の氏族で、東漢氏なんてのは新しく日本へ来た渡来人ということだろ? それでないと、簡単に渡来人を統率できるわけがない」 私はそう思うのですが・・・・。
 このセミナーの講師は、蘇我氏が渡来人という説を否定されてますが・・・。

 これまで古代の渡来人についてはあまり注目されてきませんでした。
 最近、この東漢氏が本拠地とした奈良県明日香村の西に、真弓鑵子塚(まゆみかんすづか)古墳という大きな大陸式の古墳が発掘されています。 この地区ではこれからも多くの渡来系の氏族の古墳が出てくる可能性があるそうで、日本の古代史の概念が変化するかもしれません。
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 明日香村の西の生駒山の山裾から吉野への街道筋にあたりますかね・・・。

 日本の古代史。 私は文献だけじゃなくて、衣・食・住 と言った人間生活の基本や、それを支えた技術、それに喋った言葉や文字、運搬手段などなど、違う分野の分析手法が導入されれば、案外これまでの古代史とは違う事実が沢山出てくるように思うのですが・・・・。 日本書紀や古事記ばかりではオカシイ?

 セミナーはまだ続きます。
 異論を唱えるには、これまでの歴史学の話も聞いておく必要があります。
 質問や議論は差し控え、これからも講師の話をジーと聞いてみます。
Commented by rui-asami at 2018-05-18 09:09
歴史は興味があるのに又くわかりません。
チンプンカンプンですがtakeshi樣の解説に頷いています。
この先どうなっていくのか、
楽しみです。おしえてくださ~い!
Commented by takeshi_kanazaw at 2018-05-19 10:01
rui-asami さん
そうですね、この話は一般的ではないのかも。
まー、私の忘記録ということで。

余談ですが、織物や繊維の歴史も面白いかも。
麻から絹への変化、綿花は何時ごろ渡来したか?
古代人は何を着ていたか、本当に絹織物だったのか?
日本の古代人はどんな設備で織物を織ったのか。
そんなに簡単に精巧な絹織物は織れなかったはず。
織物の古代史なんて面白いと思いますが・・・。
Commented by rui-asami at 2018-05-20 10:24
紀元前5000年スイス、エジプトの河のほとりにあった麻の手織りものがあった、同時期にインドで綿、
紀元前4000年にはメソポタニアでウール、
絹が歴史上に残っているのは紀元前2500年中国と言うことが分かっていますが、
日本に来たのはいつごろなんでしょうねーーー。
世界史もよくわからないので難しいです。


Commented by takeshi_kanazaw at 2018-05-20 12:10
rui-asami さん
実は日本の古代の織物のことが判らないことが問題です。
いまだに皇室では皇后による古来の絹の行事が続いています。
その絹は何処から来たのか、興味は起きませんか?
by takeshi_kanazaw | 2018-05-18 08:22 | まほろば紀行 | Comments(4)

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