ワット・プーの歴史探訪  ラオスの旅 その19

 ラオスの旅の話、少々長くなりすぎているキライがあります。
 私の旅行記は書くときの気分で、長くなったり、簡単になったり・・・・。 ノンビリとお付き合いのほどを。

 さて、南ラオスの遺跡 ワット・プー なんですが、どうもクメールの遺跡だと見える。
 帰国後に、少しその歴史を探訪していました。

 西洋史や中国史は詳しく情報がありますが、東南アジア史についてはサッパリ。 勘所が掴めないというか流れが全然イメージ出来ません。 どうもミャンマーやタイ、ラオス、ベトナムといった、現在の東南アジア諸国の主要民族は、全て現中国の南部から南下してきた種族という点はハッキリしている。 そして、その前に住んでいた種族の代表がクメール人という点も動かしがたい。 じゃー、その頃の歴史は?


 私の歴史探訪の手掛かりになったのは、現地にあった一枚の看板。
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 黒枠は私がつけたものですが、左(西)から、アンコールワット、 中央は探訪中のワット・プー、右はチャンパ王国の遺跡である ミーソン です。 私は既にアンコールワットもミーソンも行ったことがあるので、これで偶然3つの遺跡の現場を見たことなったのですが・・・・。

 問題はその距離感。 ミーソンからアンコールワットは約500キロ弱。 東京ー大阪間ぐらいの距離です。周囲は熱帯林といっても、熱帯雨林のようなジャングルではないし、雪を頂くほどの高い山もないので、象の軍隊が1か月もあれば行き来できる距離にあると言えます。
 「ワット・プーのある場所なんて、何度も種族間の抗争があってもおかしくない場所やな・・・」

 この場所の歴史は・・・・。 なかなかピンとくる資料がない・・・。
 クメールの歴史を見ると、クメール発祥の経緯は真臘( しんろう)が初期のクメール人の王国とされ、その版図は以下のような部分だったとか。
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 ベトナム南部の王国扶南の支配を脱して国を作ったという。 すぐ東には同じく扶南から独立したチャンパ王国。 この二つの王国はそれからもズーと抗争を繰り返していたようです。

 真臘は8世紀頃に南の水真臘と北の陸真臘に別れ、この陸真臘の中心地が現在のワット・プーの遺跡がある、ラオス国のチャンパーサック県ということらしい。 一方、真臘を作ったクメール族はチャオプラヤ流域(現タイ)からメコン流域のこの地にやってきたとの説があり、ワット・プーの遺跡のあるこの場所が真臘の中心地だったとは言い切れないようである。

 現在クメール王朝の誕生は、802年に現在のアンコールワット遺跡の近くで建国したということになっているのだが、その王朝とワット・プー遺跡の王朝の関係がイマイチよく判らない。どちらもクメール人の王朝であることには違いないようではある。

 さてさて、少々頭が痛くなってきた人もあるかも。 書いている私もよく判っていないのですから・・・。

 ところで、ワット・プーの建設はどうも11世紀に作られたものらしい。 ちなみにアンコールワットの建設は12世紀とされている。その間にクメール王国は、チャンパ王国の激しい攻撃にさらされ、遷都を余儀なくされたという記録もあり、ワット・プーの建物はチャンパ王国による攻撃を受けたことが十分推測される。

ワット・プーを作ったとされる王朝は200年ぐらいで滅んだそうですが、その後ラオ人がこの建物を上座部仏教風に改装したと言われています。その間の細かい経緯は探ることが出来ませんでした。

 「な~ンだ、結局 何にも判らないじゃないか!」

 そうなんですよね、これ以上はもう旅行記の範疇を越えて、学術探訪でもしないと無理ですね・・・。


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by takeshi_kanazaw | 2018-03-17 08:15 | ラオスの旅 | Comments(0)

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