ラオスの歴史探訪を少し  ラオスの旅 その6

 私の旅行記には、必ず訪れた国の歴史についての話題が出てきます。 観光ツアーには似合わないお話なのですが、現地の雰囲気を感じながら、その地域の歴史を探るというのが好きなんですね・・・。

 今日は少しラオスの歴史のお話です。
 情報は主に現地ガイドのT君から得たものですが、帰国後にインターネット検索などで整理してみました。図書館にも行ったのですが、ラオスの本が殆どない。 あまり注目されていないのですね、この国は。

 前もってお断りしておきますが、内容は私の個人的意見や、現地で感じた印象からまとめていますので、相当偏りがあると思われます。 まー、このブログは学術論文じゃないので、イイでしょう。

<先史時代>

 まずはガイドのT君のおっしゃる話から紹介します。 これがなかなか面白い。少し長くなりますが・・。
 「歴史をたどれば、タイ族もラオの一派なんだ。 ラオはもともと中国北部から漢族に追われて、四川、雲南に移動して、8世紀頃に雲南からこの場所に南下してきた。 雲南から南下してきた人はラオで、ラオには7つの(多分そう云ったと思う)種族があって、タイ族もその一つだ」

 T君の説は ” 大ラオ ” 説とでもいう感じですが、ラオ族の心情を現わしているのかも。
 検索サイトで調べると、このT君の説はチャンと載っていて、周知のことで必ずしもT君のホラ話ではない。 8世紀頃には雲南に有った南詔王国の崩壊を契機に、多くの種族がこの東南アジアに移動を開始している。

 検索サイトでそのころの東南アジアの状況を現わす地図が見つかった。
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 小さくて見難いですが、赤い部分はクメール王朝です。 そうアンコールワットで有名なクメール。 ベトナムの黄色い部分はチャンパ王国、チャンパ遺跡が見つかっています。
 どうもラオ族やタイ族は、クメール王朝の地にジワジワと侵攻をしていったようです。ラオの言葉などにクメールの名残があったり、北部タイでもクメール調の遺跡が多く残っています。


<建国の頃>
 
 1353年に初のラオス統一王朝「ラーンサーン王国」を建国するのですが、その頃の地図を見てみましょう。
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 緑の部分が ラオ族の「ラーンサーン」王国。 水色がタイ族の「スコタイ王朝」。いや既にアユタヤ王朝になっていたかもしれない。 そして紫色がチェンマイの「ラーンナー王国」になります。 クメール王朝は随分と小さくなっています。 注意すべきはメコン川の右岸もラオ族のラーンサーン王朝の勢力下にあって、多くのラオ人が居た模様です。

 ラオ族の国が建国される時期の前後に、幾多の国の建国とされる王朝が出現しています。
 スコタイ王朝(タイ族最初の王朝)     1238年
 ラーンナー王朝(チェンマイ)         1293年
 パガン王朝(ビルマ族の最初の王朝)   1044年

 これらの王朝は全て中国南部から移動してきた種族が、初めて東南アジアに築いた王朝です。全て国の宗教として、南伝仏教(上座部仏教)を採用しているのも特徴的です。


<3王国分裂時代>

 ビルマ族の侵攻を危惧して都をルアンパパーンからビエンチャンに移動。 紆余曲折を経て、18世紀初めごろに3つの王国に分裂、国の力が衰え、ビルマやタイなどの勢力に影響を受ける時代が続きます。
 1827年、3国の一つビエンチャン王国はタイとの争い破れ、エメラルド仏像を持ちされます。この像は現在バンコクのエメラルド寺院に置かれている像です。

 この3王国時代は実質的にシャム(タイ)などの外国勢力に支配され、シャムが宗主権を持っていたようです。


<フランス植民地時代>

 1887年、フランスはラオス、カンボジア、ベトナムを合わせて、仏領インドシナ連邦を発足させる。 フランスの植民地になってしまうのですが、フランスはここを足掛かりに中国の南部への勢力拡大を目指す。特にメコン川を中心とした開発を試みるのですが、ラオスとカンボジア国境付近の滝で水運が悪く断念。

 なおこのころに親英のタイ国とフランスの関係調整で、ラオスに対するタイの宗主権を無くし、ラオスとタイの国境が現在のメコン川で区切られることになり、これが今の国境に固定されることなります。
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 ガイドのT君によれば、フランス植民地時代には、フランスはベトナム人を重用して、ラオス人とカンボジア人は重要視されなかったキライがあると云っていました。


<社会主義国家へ>

 第二次大戦終了後、ラオスは1953年ランサン王国として独立を回復。 その後、ベトナム戦争と期を同じくして、親米派と社会主義の左派(パテトラオ)、中間派など、抗争が続きます。 この間アメリカ軍の空爆を受けて、国土の疲弊が続いたようです。 1説によればラオスに落とされた米軍の爆弾は、ベトナム国土より多かったという話があります。

 1975年パテトラオが勝利してラオス革命達成。王制は廃止されラオス人民民主共和国が成立する。
 その後、アセアンに加盟するなど、柔軟な社会主義体制へと徐々に変化しているようですが、まだ外国資本の進出も少なく、経済的発展がままならないようです。 この間の最大援助国は日本で、ラオスの各地に支援橋や京都市営のバスの姿が見られます。
 

 硬い話のついでに? ラオスの現勢を少し。

 面積   23万k㎡ 日本の3分の2ぐらい。
 人口   約700万人
 首都   ビエンチャン(人口70万人)

 人種   ラオ族が主で他にモン族など。人口比率は発表されていない。
 経済   一人あたりのGDPは約1500ドル
       80%を農民が占める。 製造業などはあまり発達していない。
 交通   鉄道網はない。(唯一タイ国境との間に短い鉄道があるのみ)
       高速道路もない。 幹線道路以外は舗装されていない。
       空路はタイ線が主で、中国(雲南・昆明)と他少しと国際線は少なく、国内線も数路線のみ。
 政治   ラオス人民革命党による社会主義国型の一党独裁制が敷かれている。中国と似ている。
 宗教   上座部仏教が主流。 地元の神様も信仰され、少し混ざった感じがする。


 今日は長々と書きましたが、書く方も疲れてきたのでこの辺で。
 次回以降は観光主体の話に戻しましょう。
Commented by momonotane at 2018-03-05 13:22 x
南中事です。いつも旅の前にはその国の歴史や訪れる場所の情報をネット検索し、自分なりの旅の情報誌を作っていくのですが、
写録氏の歴史説明、現地ガイドさんの情報も取り混ぜて、簡潔明瞭とても分かりやすいです。
Commented by takeshi_kanazaw at 2018-03-05 15:47
momonotane さん
一緒に旅した人は簡単で理解しやすいですよね。
ただ、ラオスの事が初めての人はとっつきにくいようです。
もっと詳しく書き込んでもいいのですが、一般的じゃないから。
by takeshi_kanazaw | 2018-03-03 08:19 | ラオスの旅 | Comments(2)

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