この見学は2日目の予定だったらしいのですが、炳霊寺石窟の見学に時間が掛かり過ぎたので、3日目の早朝になったようです。 日程表なんて殆ど見ない私にはどうでもいいのですが・・・。
白塔山公園から見た蘭州の街の表情です。
前に黄色い黄河が流れ、鉄橋みたいな鉄骨の橋(中山橋)。 蘭州に来た人が必ず見る情景。
実は私はこの情景を過去何度も見ている。
27年ぐらい前、初めてシルクロードの旅へ来たとき、河西回廊の出発点の蘭州で、同じところに立って、同じ視点でこの風景を見た記憶が残っています。 当時はビルもなく、暗い感じの町でしたね。写真の左側の先をズーと見ると、薄汚れた工場も立っていました。 流れる黄河と橋は当時と同じですが・・・。
チベットのラサにいく時にもこの蘭州に立ち寄っています。8年ぐらい前だったか・・・・。 もう沢山のビルが建ち始めていました。 その時にも思ったのですが、” 昔の方が情緒があったな・・・ ”
この蘭州の町は古来、黄河水運の町であり、西域への道、南の青海・チベットへの道、そして北のステップへの道が交わる、交通の要衝だったようです。
「ほー、イスラムの塔もあったんだな~・・・・」
この地域は漢族以外にも多くの民族が住んでいます。 多いのはイスラム教の回族。
他にも沢山の民族が暮らす地域のようです。
「さー、皆さん。白塔山の上まで歩いて登りましょう。 シンドイ方は途中で降りてもいいですよ」
「うーん、昔は上まで登ったかな・・・・。 記憶にないな・・・・」
歳のせいでしょうか、少々登るのに息が切れる。
山の中腹に、お寺のようなものが見えてきました。
旗が一杯飾ってあって、何やらチベットのお寺のような感じがしますが、よく判りません。
お堂の中では何やらお経を詠む声が聞こえ、熱心なお坊さんたちが一杯。
尼さん? どうも女性たちのように見えますが・・・・。 仏像は凄く金ぴか。
あまりお祈りの姿を写真に撮るのは失礼ですよね・・・・。
「ここまで来れば、上まで登るぞ!」
白塔山の山頂にはこのパゴダ?があります。 上まで来たという証明です?
この白塔は 元 の時代に創設されたのもらしい。 元の時代のお寺と言うのは、中国仏教とは少々趣が違うような感じですね。 近くではバターろうそく?が売られていました。
せっかく頂上まで来たので、ぐるりとまわりを散策。
黄河沿いのビル街とは反対方向の、黄土が広がる山際の情景です。
黄土を掘って作った住居、ヤオトン が見えますね。 黄土高原では一般的な住居ですね。
古いものと新しいものが混在しているのですね・・・・。
この白塔山の下は庶民の公園になっています。
以前にも庶民がこの場所でくつろいでいたのを思い出しました。
朝の太極拳ですかね・・・。
「しかし、下手な太極拳やな・・・。 様にナットらんわ」
最近中国ではオバサンが腹をピョコピョコ前に出す変なダンスが大流行で、太極拳をやる人が激減。 西域では、まだ太極拳をやってる人が多いのはいいのですが・・・・。
私は太極拳などやったことがないですが、それでも昔の人は腰が据わっていて様になっていた。現代の中国人は太極拳が下手になってますね?
「この人は様になってるわ」
一人静かにやっていた中年女性の太極拳は本物でした。
「そろそろバスに乗る時間かな・・・・」 と下に降りてきて、何気なく見かけた老人。
穏やかな表情をした中国の老人二人。 恐らく文化革命の荒波に翻弄されてきた世代。
現在の姿を見ると、なんとなくホットする気分が。
これが本来の中国人の表情なのかもしれませんね・・・。
さて、その日はその後、蘭州から武威を経て、張液まで、500キロ弱のナガ~イ バスの旅になります。
蘭州の街は随分都会ですね。
黄河にかかる橋が絵になりますね。
イスラムの塔のバックもマンションでしょうか?
色々と建っていますね。
中国の町はどこも大都会ですね。
蘭州は400万人ですが、各省の省都は500万人を超える大都会。
建っている建物がマンションなのかよく判らない。
半分ぐらいは空室と言うのケースが多いですね。
不動産投資の対象になっているのかも。
広くても陸続きですからね。
前回のラーメンの話、面白かったです。
日本のラーメンは、独自の進化をしていますからね。
この地域の漢族は、西域への道の線状に住んで、周囲はいろんな民族が暮らしている状況のようです。
イスラムあり、チベットあり、モンゴルあり。小さな民族自治区が点在しています。
そうそう、ラーメンは中国と日本は別物ですね、どう見ても別物。