シルクロードの千仏洞は、敦煌の莫高窟やキジル千仏洞が有名です。
私はたまたま半年前のシルクロードの旅で、両方の千仏洞を見ていますが、この炳霊寺石窟は有名な二つの千仏洞とは趣が異なって、チョット面白い。
私の勝手な印象ですが、キジル千仏洞は飛天など西域の感じがよく出て、自由で伸びやかな感じです。莫高窟になると、唐代のボッテリした像が増えて、綺麗で整った感じの像や壁画が主力になります。 それに比べると、この炳寺石窟霊は華やかさはないですが、素朴な感じがしましたね。
「ここは写真撮影OKなんだね。 有難いことやね」 そうなんです、キジルも莫高窟も撮影禁止でした。
パチパチと撮った写真の一つから、紹介していきます。
仏像や歴史に興味のない方には退屈な話かもしれませんが・・・・。
まずは北周の仏像です。 北周と言うのは、五胡十六国時代(304年~439年)という北方の多様な民族が中国を支配した時代で、最後の頃の国名です。
素朴ですが、西域とも違う、唐時代とも違う、落ち着いたいい仏像ですね。
「うーん、どうもこの炳霊寺石窟は、五胡十六国時代のものが多いのかな・・・・」
次はどの時代かよく判らないですが、、お寺の説明書では五胡十六国時代とありました。
仏像の来ている服装にチョット特徴がありますね・・・。
ドンドンと載せていきます。
この端正な顔立ち。 何か昔の朝鮮の仏像の感じと似てますね。 強引に言えば、日本の飛鳥時代の百済観音のイメージと似通った感じがしたのですが・・・。 ボッテリ感がないですからね・・・。
勝手な印象が続きますが、次の像も面白い。
これは千手観音の原型のような気がしましたね・・・。 どうなんでしょうか。
この千仏洞では素朴で小さな仏像も彼方此方にあります。
付近の住民に支持されていた証拠でしょうかね・・・。 莫高窟にはあまりこうした仏像はないですね。
この仏像には頭部がありません。
この地域は後でイスラム化した時代を迎えますから、偶像破壊の影響を受けたのかもしれません。
少し雰囲気が違う仏像。
根拠はないですが、イメージがチベット仏教に連なる感じがしたのですが・・・。
「な~るほど。 この石窟は西域から仏教が伝わった初期の頃のものが多いようだな・・。 意外と中国仏教の原点、いや東アジアの仏教の原点かもしれん・・・」 逆に単なる田舎の古い千仏洞なのか、もう少しこの石窟の様子が明らかになるといいのですが。
ところで日本仏教は何処から伝わったか。 この話は素人の私が話題にするのはオコガマシイのですが、飛鳥時代の仏像は、どうも、五胡十六国時代ー北魏ー百済ー飛鳥(日本)と流れている気がします。 奈良時代以降は中国の唐の影響を色濃く受け、その後も仏教と言えば中国(唐、宋)が日本仏教の源泉になっています。
「どうも日本仏教は中国の影響を強く受け過ぎ、理屈っぽくて仏教の本筋からは離れた異端児かもしれん」
この炳霊寺石窟を見ると、そんな感じがするのですがね・・・・。
実は私たちが見たのは炳霊寺石窟のホンの一部に過ぎません。
大きな仏像の周囲には、沢山の洞窟があって、そこにはもっと歴史的価値の高い仏像があるらしい。
「この崖の上へあがるには別途料金が必要です。写真撮影はべらぼうなお金が要りますよ」 とS女史。
学術調査団ぐらいしか、これ以上の探訪は無理なようです。
どうでしたでしょうか? 炳霊寺石窟に興味が出てきましたでしょうか。
予備知識も準備もしなかったので、なかなか的確な説明が載せられませんでした。
インターネット検索をしても、炳霊寺石窟の詳しい話は殆ど出てこないんですね・・・。
よく残っていますね、かなり昔の仏像が。
最後の崖の上にあがる話ですが、、逆説的にはお金を出せば登れる、というのが面白いですね。
何事もお金なのかな(笑)
五胡十六国は北魏に統一される前ですから、隋より200年ぐらい前ですね。
別途料金の話。
これは敦煌でも同じで、特別料金システムが多いですね。
この石窟の撮影では、㎡当り幾らと言う料金設定だそうです。
まー、お金で熱心さの尺度とするのも悪くはないですが、どうでしょうかね・・。