今回はカシュガルのモスク近くで見た、ウイグル人の人たちの ” 顔つき ” 探検のお話。
この地域の歴史はまっこと複雑で、本を読んでも頭に入らないほど沢山の種族が入り乱れています。
以前に楼蘭の美女(ミイラ)のお話を載せましたが、この地に4千年も昔から西洋風の顔立ちの人が住んでいたらしい。 この人たちはカスピ海の北の草原から来たとの説が有力です。
その後9世紀頃にモンゴル高原からウイグル族(トルコ系)の人が移住。 先住民との混血が進んだらしいのですが、その他にもいろんな種族がこの地域にやってきています。 ですから一口にウイグル人といっても、その風貌は多岐に渡りますね。
まずはこの二人のお爺さんの顔を比べてください。
左の人はどう見ても祖先は西から来た感じの顔つきですね。 右の人の祖先は東から来た人でしょう。
被っている帽子はイスラムの宗派を現わすものらしい。
「この二人はウイグル人と呼ばれる人たちなの?」 よくわかりません。
お爺さんの横にいたオジサンたち。
一番左の方は特徴ある顔立ちですね。 中央アジアのどこかで見たような・・・。
真ん中の人はモンゴル系? その右の人は・・・・・。 ますますわからなくなってきます。
それでは若い人の顔を探索。 ナンとシシカバブを売っているお店のお兄さんたち。
3人とも全く風貌が違いますね。 中央の人は全く西洋風というか、イラン系というか・・・。
この地域の歴史を動かしてきたのは、シルクロードで得られる 交易の富 の争奪戦という面があるようです。 この交易の富を狙って、東から漢族が、北から匈奴・突厥などの遊牧民がこの地を狙ってやってきていた。 各オアシスの都市国家は、この二つの勢力に富を分け与えながら上手くなだめていた感じの歴史かも。漢族は兵隊を置くけれど、東の敦煌を除いてこの地に住んだ勢力は殆どなかったようです。
「西からも交易のために、ペルシャ系(イラン系)の人も来ていただろうし、南からアフガン・インドなどからも人が来ていただろうから、祖先を遡れば、東西南北、いろんな人種のミキシング結果かも」
女性も見てみましょう。 イスラム教徒はスカーフをつけるから風貌が判りにくいですが・・。
買い物に来たウイグルのオバサンたち。 イマイチその風貌が判別しがたい。
ウイグルの女性は歳を取ってくると肥える傾向があり、北方の血が入っている影響?
若い女性も見なきゃ。 ウイグルの若い子は綺麗ですよ。
ウイグルのヤンママですね。 中央の女性は日本人から見るとエキゾティックな美人そのもの。
余談ですが、我々のツアーの添乗員のW・Sさん。 日本人離れの美人さんですが、ウイグル人のドライバーさんから大人気。 風貌がウイグル美人に似ているのが原因ですが、日本人の起源が北方騎馬民族という説がある通り、ウイグル人とどこかで繋がっているのかも。
我々がプラプラしたのは カシュガルの職人街と呼ばれる場所です。
昔は木工品など実際にここで作っていた場所ですが、今は商店風の店が多くなっています。
20年前にこの場所で楽器を買ったお店に立ち寄ってみました。
左側の髭のお兄ちゃん。 NHKの番組にも登場したのを見ましたが、同じ番組を見た方は懐かしいかも。店は20年前とほぼ同じ感じでした。 その時息子に買ってやったギターみたいな小さな楽器。 全然使わずに倉庫に眠っていますが・・・。
右側のオジサン。帽子を取れば日本にも居るような風貌ですね・・・。 ウイグル人と日本人の間にも祖先を同じくする人が居るかもしれませんね・・・。
「そろそろ夕ご飯へ行きましょう。今日はウイグル料理ですよ」 と添乗員のW・Sさん。
どうなものが食べられるのかな・・・。
そうそう、まっこと素朴でいい顔をしているお爺さんでした。
20年ぶりの店ですか、そのままありましたか、値段は?
全く買い物をする気がなかったので、値段は見ませんでした。
息子さんが何時ごろ行かれたのか・・・。
この数年で雰囲気が変わりましたね。
中国のウイグル族への圧迫がきつくなってます。
日本ではあまり報道されませんが、一種の植民地です。
街の中に一杯、戦車や兵士がいますよ。
一度息子さんに聞いてみてください。
ナツメですか、一番は干しブドウ、ナツメもあるかも。