丹後半島付近は、古代に丹後王国があった。
大陸からの人・物の往来が予想される。
しかし、真偽のほどは分らない。
江戸時代には北前船がこの宮津湾にも。
昔は陸送より、船が主役だったのである。
現在は過疎化が進む地域だが、昔は違ったのかも。
伊根はそんな地域の漁村である。
江戸時代に作られた 舟宿という独特の家屋。
今でも京都府一番の漁村である。
天橋立のある宮津から、国道178号線で丹後半島の東海岸を北上。
丹後宮津節というのをご存じだろうか。
「二度と行くまい 丹後の宮津 縞の財布が 空になる」
昔は色町として栄えたらしい。北前船などの船乗りが、宮津に停泊して散財したということなのだろう。 また、物流の拠点として商業者も沢山いたと思われる。江戸時代はお城もあって、この地方の中心地だったらしい。
しかし、丹後半島を北上すると、道の左側は切り立った山で、殆ど人家は見当たらなくなる。
一時間弱進むと、小さな湾が現れた。
「伊根の舟宿が有名だけど、遊覧船に乗らないと、海からの姿が見えないじゃん」
20分おきに出る 伊根湾遊覧船。 乗ったのは我々夫婦だけだった。
小さな伊根湾をぐるりと小さな家屋が取り囲んでいる。
「まるで現在の車のガレージと同じや。 船が家の一階にあるわ」
私は瀬戸内の漁村生まれ。 漁村の感じは肌に染み込んでいるが、この伊根のような船を家の中に引き込むスタイルは初めてだ。
「タイの家は川に面して玄関があるよ。それと一緒やん」
タイでは昔は川が唯一の交通の手段だったので、そうなるのが必然。
「そういえば、この伊根も陸で移動するより船のほうが便利だったのやろな~」
映画の寅さん。(『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋)で、寅さんはフェリーでこの伊根の漁村に来ていた。 船の移動がつい最近まで主流だったようだ。
現在はバスが通っている(フェリーは廃止?)
しかし、伊根の町の道は極端に狭く、バスが通る時は他の自動車はバスの通過まで待機するしかない。普通車でもすれ違えないほど狭い。
今でも舟宿での生活が続いている。
伊根町の人口は2000人、舟宿は200を超えるという。
伊根の舟宿は一度は撮りたい風景ですよね。
行けるかどうか分かりませんが夢の一つです。
そうそう「寅さんシリーズ」にも出てきましたよね。