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 あ~野麦峠    10.18

 野麦峠にはこんな碑が建っていました。
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 背負われているのは、諏訪の生糸工場で病になった飛騨の女工さん。背負っているのはその兄。この娘は野麦峠にたどり着き、「あ~飛騨が見える」と言って喜び、飛騨を見た後死んだそうです。

 野麦峠は昔から、富山の塩サバを高山から信州へ運ぶ、一種のサバ街道だったらしい。明治から大正にかけては、岡谷など諏訪湖周辺の生糸工場へ、飛騨の貧しい農家の娘(13歳から行ったらしい)が、この野麦峠を超えて年季奉公のスタイルで働きに行ったとか。

 この女工哀史というべき話は、昭和43年に 山本茂実氏のルポルタ-ジュ 「あ~野麦峠」として書かれ、映画化もされました。 峠にある お助け小屋 の壁に飾ってあった写真です。
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 上の古い写真の一番左の女の子が、背負われていた女工さんで、実存した人です。

 たぶん、映画を観たり、本を読まれた方も多いかもしれませんね。

「本当に飛騨が見えるのかな・・・・」 碑のあった場所から西を見ると。
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 雲に隠れているのは御嶽山でしょうか。 飛騨の里が全部は見えませんね・・・。

 車で走って来た道は、昔の野麦街道とは所々で異なるようです。現在はハイキングコースとして、旧道を歩くことができますが、私たちはお腹が空いていたので歩かず。

 お助け小屋と称する古い建物で、野麦峠そばを食べる。
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 食堂からみた野麦峠の紅葉です。
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「帰ったら本を読むわ。あ~野麦峠を読むわ」と妻殿。(現在彼女は図書館で本を借りてきて、熟読中です)

 この野麦峠を越えるルートは、昭和に高山本線が開通したことによって、利用されなくなったようです。 確かに雪の中を歩くのは至難の業でしたでしょうからね・・。

 「それにしても、標高が1500m付近はもうすっかり紅葉や」
 野麦峠(標高1,672m)のすぐそばの山です。
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 「せっかく来たから、帰りは御嶽山の麓を走ってみよう」
Commented by small-talk at 2015-10-18 11:21
野麦峠は、佐々成政のさらさら越えのルートという説がありますよね。
さらさら越えは、諸説あるのですが、ザラ峠ー針ノ木峠説が有名です。
でも、このルートは、北アルプスの稜線をふたつ越えます。
現実的に考えると、野麦峠経由だとも云われています。
Commented by mikaty at 2015-10-18 12:27 x
哀しい音楽に哀しいビデオで、本当に切なくしんみりしますよね。
富岡製糸場が世界文化遺産に登録されましたが、人間扱いされずに働かされた少女たちが他にいたことも、忘れてはならない大事な記憶だと思います。
Commented by takeshi_kanazaw at 2015-10-18 19:57
small-talk さん。
佐々成政は秀吉の後塵を拝するのが堪らなかった人ですね。
雪の中をこんな山道を抜けようという発想は異常ですね。
秀吉と一線交えたほうが潔しだったかも。
Commented by takeshi_kanazaw at 2015-10-18 20:02
mikaty さん。
実は私は映画も見ていないし、本も読んでいない。
ただ現場を走ると、これは大変な道だと実感します。
女工哀史だけじゃなくて、歴史は時には残酷で悲しいですね。
今でも似たことが起きているのが、人間社会ですかね。
by takeshi_kanazaw | 2015-10-18 10:50 | 紅葉シリーズ | Comments(4)

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