空から見るダッカの町は、薄暗い中にほのかな灯りがポツポツと広がる、何とも捉えようのない状況でした。
「うーん、まるで原野に広がる大きな田舎町に降りて行く感じやな~・・・」
後で判ったのですが、ダッカは人口1500万人の大都会。ただし、この国は慢性的な電力不足で街灯も薄暗く、輝くネオンもありません。 11月上旬には全土で停電が発生したそうです。
「そういえば、俺はバングラデシュのことは何も知らないな・・・」
頭に浮かぶのは、洪水の記事や最貧国と言われていることぐらい。 古くは1977年のダッカ空港での日本赤軍の日航機ハイジャック事件ぐらいですかね。
旅の様子を載せる前に、この国のことを少し紹介しておきましょうか。 といっても、にわか勉強で調べたことや、現地ガイドさんに聞いた事ぐらいですが。
「バングラデシュという国名は、” ベンガル人の国 ”という意味」
もともとこの国はインドのベンガル地方の東半分だった地域です。 ガンジス川流域は、カルカッタなど、ジュートの輸出で栄えた「黄金のベンガル」と言われた地域。ですからインドのベンガル州とバングラデシュの人達は同じベンガル語を使う ベンガル人 ということになります。
ガンジス川などの大河の河口にある東ベンガルは、マングローブの密林にベンガルタイガーなどが生息する厄介な土地だったと思います。13世紀からイスラム教徒がジャングルを開墾して、水田を広げていき、現在のバングラデシュの国土基礎を作り上げた。
この結果西ベンガル(現在インド)はヒンズーの国、東ベンガル(現在バングラデシュ)はイスラムの国になったようです。
「バングラデシュは二度独立した?」
インドが英国から独立したとき、ヒンズー教徒の多いインドと、イスラム教徒の多いパキスタンに分かれたことはよく知られています。英国からの独立ですね。この時、パキスタンは西パキスタン(現在パキスタン)と東パキスタン(現在バングラデシュ)の2つの地域に分かれていました。
その後、すぐに東パキスタンは西パキスタン主導のやり方に反発。 特に西パキスタンの言葉(ウルドー語)を公用語としたことに端を発した、独立運動が始まります。
長い闘争の末、1971年、東パキスタンは独立し、バングラデシュという新しい国となります。いわば第二の独立ということになりますかね。
ですからこの国のアイデンティティは イスラム教とベンガル人 ということになります。この二つの基本は、宗教の異なるが同じ歴史を持つインドとの関係、他にイスラム世界との関係など、微妙な国内情勢を持ち、政治は不安定なまま推移しているようです。
建国の父と呼ばれたシェイク・ムジブル・ラフマンさん。
「本当に最貧国なの?」
バングラデシュ政府の発表では、一人当たりのGDPは900USドルですから、数字上は貧しい国ということになります。
「ホンマかな・・。確かに工業製品は少ないけど、田舎でも食べるのに困っているように見えないし、果物も沢山あるし、皆元気で暮らしてるじゃん」 この旅行に参加したメンバーの全員が首を傾げていました。
この国の外貨獲得の主力は、中東などへの出稼ぎ(国全体のGDPの15%を占める)と、縫製工場の加工賃です。生活するには十分な豊かな国土を持っていますが、お金を稼ぐ手段が限られているというのが現状のようです。
少し堅い話が続きました。
「一国の首都の空港としては、えらくノンビリしてるな・・・」
ザワザワと煩い香港の空港から、なんだかゆっくりした気分になりましたね。
「さー、バングラデシュの旅が始まるか」
11月下旬はこの国では乾季の始まりで、熱帯特有のムッとする熱気はありません。
荷物を持って、ノンビリと外へ。
後で判ったのですが、出国ロビーはドバイへ行く出稼ぎ労働者でごった返していたようです。
「まー、ノンビリと行きましょうか・・・」
地球温暖化で海面上昇したら大変だろうな、とか、その程度の知識です。
そういえば、昔、スポーツクラブで、バングラデシュの人が居ました。
無論、イスラム教徒ですが、お酒、飲んでいましいましたね(笑)
断食はしていましたが。