この石窟は1989年に「中国列車の旅3千キロ」で訪れていますが・・・。
ぼんやりとした記憶では、当時はこんなに整備されてなかったような気がします。
龍門石窟は洛陽の郊外、黄河の支流の伊河の岸辺の岩壁に多くの仏像が彫られています。なかなかいい雰囲気の遺跡です。
中国の三大石窟はご存じの通り、敦煌の莫高窟、大同の雲崗石窟とこの龍門石窟。
私は偶然にもこの3大石窟を見てしまったんですが・・・・。
「龍門石窟は三国志の旅とは関係ないじゃん」
旅行社も一つぐらい世界遺産を入れないと客が集まらない? と思ったのか・・・。
せっかくだから、今回はゆっくり見せていただくことに・・・。
「この龍門石窟は大同の雲崗石窟の流れを受けてまして・・・」 現地ガイドの牛さん。
知らなかったですね。 大同を都にしていた 北魏王朝 が5世紀末頃、都をこの洛陽に移したらしい。そこで、洛陽にも石窟をと、この龍門石窟を作ろうとしたらしい。
「でも、大同の雲崗石窟とこの龍門石窟では、仏像の感じが随分違うけど・・・・」
「そうですね、龍門石窟の仏像の多くは、唐の時代のものですから」 と牛さん。
そう言われれば、この龍門石窟には、多様な仏像がありました。
素朴な感じは北魏時代? 整った感じは唐の時代? 勝手な想像ですが・・・。
意外と? 私は仏像を見ると理屈をこねる傾向があります。
改めて、龍門石窟で一番大きい仏像をシゲシゲと見ます。
そうなんですね、この仏像は唐の時代に作られた、廬舎那仏(るしゃなぶつ) だそうで、奈良の大仏さんも確か廬舎那仏でしたね。
この廬舎那仏という仏は、実に摩訶不思議な存在でして・・・。
大乗仏教では、この廬舎那仏はブッダを越える宇宙をつかさどる仏様らしい。 まるで神様のような感じですね。 多神教だった中国や日本人が作りだした、仏教界の神様?
仏教の変遷に話が広がると収拾がつきませんが、中国の仏教とそれを手本とした日本の仏教も、原始仏教とは随分かけ離れた思想になっているのでしょうか・・・。
さて、もう少し丁寧に龍門石窟を見させていただきましょうか。
この龍門石窟の特徴の一つは、小さな仏像が多いこと。 崖の至る所がくり抜かれ、そこに小さな仏像が一杯彫られています。 これは敦煌の莫高窟、大同の雲崗石窟には見られない傾向です。
北魏は中国では一番仏教を重視した王朝のようで、民族は鮮卑という北の遊牧民。敦煌の莫高窟でも北魏の時代の仏像はシャープで一番迫力を感じます。 そうした幅広い仏教信仰の流れが、この龍門石窟の小さな仏像に感じられますね。
この小さな仏像群は凄いですね。
龍門石窟を見ていて気になるのが、首を切られた仏様が多いこと。
「アンタは仏教信者? それとも仏像研究家?」
イヤイヤ、私は自称無神論者で、仏像なんて殆ど知りませんが、東南アジアや中国で仏像を見させられたことが多いもんで・・・。少し話が長くなっていますね。
最後に廬舎那仏の近くの像が迫力がありました。
さてさて、この三国志の旅。次は何処に行ったのか記憶があやふやになっていますが・・・
洛陽の龍門石窟の一番大きい仏像をシゲシゲは
いい表情ですね。優しいお顔です。
唐の時代の仏像は、ふっくらとして女性的です。