「ごくごく普通の中国の田舎やな・・・・」
この「漢中」なんですが、今でこそ中国の片田舎ですが、この 漢 という字が、漢字、漢帝国の 漢 の字の基になった地名なんですって。 ほんまかいな?
この漢中盆地は、南は巴山脈(越えてきた山脈)で巴蜀に連なり、北は秦嶺山脈(次の日に越える)で西安など渭水盆地(関中)につながる。また、盆地の中央を流れる漢水(長江の支流)で、南東の長江流域に行ける、交通の要衝なんですね。
なんと言っても、中国の都長安(現西安)と山一つ隔てた場所というのが、非常に重要。
漢中盆地を制することは、都長安への圧力になるわけですね。
「この漢中の勉県には、三国志時代の遺跡が一杯ありますよ」
「うんうん、 また遺跡巡りか・・・・」
遺跡巡り・お墓巡りは少々食傷気味? 紹介は簡単に・・・。
中国で一番古い 武侯祠 だそうです。
次は馬超のお墓のあるところ。
そして、劉備が漢中王を宣言した、設壇所 なるところへ行ったんですが。
この場所を探している時の情況の方が面白かった。
道中は中国の田舎の風景が続きます。
「なんでこんな所に止まるんや?」
「目指す遺跡がこの辺なんですが・・・」 現地ガイドも設壇所など行ったことがない。
近くの人に聞いてみても、どうもハッキリしない。
「どうも、あの田圃の中の部落にそれらしきものがあるらしい」
「まー、とにかく行ってみようか」
現地ガイドさんが何度も地元の人に聞いて・・・。
やっと見つけました。 劉備さんの漢中王を宣言した設壇所なるもの。
我々と同じようにこの遺跡をを覗きこんでいる青年がいました。
「この土地の青年ですが、彼はそんな遺跡があるとは知らなかったので、初めて覗いているんですよ」
もう1800年も昔の話ですからね・・・・。
しかし、劉備が漢中王になった意味合いは大きく、北の魏を攻める基地を得たこと、劉備が漢帝国の末裔であることを再認識させたことなど、その影響は計り知れない。
後の孔明の五丈原などの北伐は、この漢中が基地となります。
今はノンビリした農村風景でしたね・・・。
中国の田舎の風景はいいですね。
3・10枚目が好きです。
今神戸は夕立が来ています。
中国の何気ない風景をもう少し載せていきましょう。
日本にも数十年前、あった風景でしょうね。
中国旅行は昔の日本の姿を求める、追憶の旅みたいなところがありますね。