石舞台 は語らず?  5.27 

 飛鳥を車で走っていましたが、見覚えのあるものが見えてきました。
 「そうか、石舞台 の近くへ来てしまったのか・・・・・・」
d0140806_11165979.jpg
 この石舞台、蘇我馬子の墓とされているらしいのですが・・・。

 墓の中に入ってみましょうか。
d0140806_11185372.jpg
 大きな石が積み重ねられ、床や壁だけが少し整えられています。 どうも中にあった石棺はどこかにいってしまっています。

 「ホントに蘇我馬子の墓なんだろうか?・・・・」 
 日本書紀の記述で、625年に蘇我馬子が死んでこの場所に埋めたとあるらしい。
d0140806_11255376.jpg
 
 「この大きな石をどう運んだのかな? 石工はいたのかな・・・・」
 
 学問の世界のことはよく知りませんが、現場を見ると肌で感じる素朴な疑問が湧いてきます。本じゃなくて現場感が面白いんですね。

 日本の古代史は、日本書紀と古事記 が中心的な資料らしい。 でも、これが書かれたのは奈良時代(710~794)なんですね。 よく言うじゃないですか、「歴史は勝者によって書かれた」 敗者は語らず なんですね。 どこかに行ってしまった石棺。 何が入れられていたんでしょうね・・。

 古代史の研究は残された資料や遺跡の分析が中心ですが、私はどうもピンとこないんですね。 やたら天皇や貴族の話が羅列されていて・・・。 我々のような庶民は、古代ではどうしてたんだろう? この石舞台を作った人々の姿はどんな風だったんでしょうか。 庶民もまた語らず ですかね。

 横道にそれますが、庶民の実態、例えば、古代の人口やGDPはどうなっていたんだろう?  
 こうした数字が出てくれば、面白いな・・・・。 このまほろば紀行では何時もこんな気分。

 チョット素人なりに調べてみました、古代の日本の人口推定値。
 おおよそですが、各種の資料から推測すると。(結構私も凝り性?)
 弥生時代後期、古墳時代頃は おおよそ100万人。
 奈良時代は500万人ぐらい。 この時代だとかなり信憑性がある。

 古墳時代から400年前後で人口が5倍? 
 「そうか、古墳時代後期の河内王朝の時代に、湿地の大開墾があって人口が増えたかも」
 「いやいや、朝鮮の百済王朝滅亡で、大勢の渡来人がやって来たかも」
 日本書紀や古事記に書かれていない事実が一杯ありそうですね・・・・。

 
 このまほろば紀行では、脱線が多くていけません。
 書いてる本人はかなり熱心ですが、読者は退屈してしまう?

 そうでした、コーヒーが飲みたくて飛鳥の里へやって来たんでした。
 「確か聖徳太子が生まれたとされる 橘寺 の前に喫茶店があったはず・・・」

 ありません・・・。2年前にあった喫茶店がない・・・。
 「しょうがないから 橘寺 にでも行くか・・・・」  変な旅人ですね・・・。

 橘寺から北の方角を見ると、古代の飛鳥の宮跡が広がっています。
d0140806_1295650.jpg
 現在は殆どが畑になっていますね。 春にくると菜の花が綺麗ですが・・・。 写真の右側の奥に飛鳥川が流れ、まっすぐ北へ行くと飛鳥寺になります。

 飛鳥は何度も訪れた場所ですから、今回は廻るのは止めました。

 「さー、そろそろ 南へ走って 十津川村を目指さないと・・・・」












 
 
Commented by odamaki719 at 2013-05-27 21:22
こんばんは!
 石舞台は蘇我馬子の墓とされているそうですが
随分広いのですね。
目指した珈琲のお店がなくて残念でしたね。
Commented by takeshi_kanazaw at 2013-05-28 11:40
現在の石舞台の姿は周囲が公園化されているので、実態がイマイチ。
原型は石の上に土が覆っていたんでしょうね。
Commented by withyoursong at 2013-05-28 12:12
石舞台は学生の頃に行きました。何もないところにポツンとあったような。。
現地を実際に歩くのがやはり良いですよね☆実感湧きますものね♪
ホント・・こんな大きな石、どうやって運んだのでしょうね~。。
Commented by takeshi_kanazaw at 2013-05-28 16:13
飛鳥は好きな場所の一つですね。
お寺の多い奈良市内より、古墳などが散在する飛鳥がいい。
飛鳥には亀石など変な?石も、彼方此方に沢山ありますよ。
by takeshi_kanazaw | 2013-05-27 12:22 | まほろば紀行 | Comments(4)

海外や国内の適当に撮った写真の記録


by takeshi_kanazaw