中国人は昔から、万里の長城の外を 「化外の地(けがいのち)」 として、蛮族が住む所としていたところがありますから、さしずめ内モンゴルは 化外の地 ということになりますか・・・。
内モンゴル自冶区といっても、特に有名な観光地もなく、ただただ大地が広がっているだけです。 そんな所へ行くなんて、酔狂な奴だな~ と思われますよね。 この地はシルクロードの出発点である中華の中心地に隣接するような場所なんですね。
日本人は「シルクロード」が好きな人が多いですね。 長安(現在の西安)からローマへの道を、ドイツ人が シルクロード なんて見事な名前を付けましが、このシルクロード、実はかなり厳しい自然環境の道なんです。 この厳しい自然の中で東西交易で富が生まれ、周囲の諸民族の争いが何千年と続いているのです。 この内モンゴルの黄河に挟まれたオルドス地域も、広く言えばシルクロードの一部と言えますね。
そのイメージが浮かばないと、お話が面白くない。
下の絵は 井上靖 の「敦煌」 という本に載っていた、11世紀頃のこの地域の地図。
黄河を渡り、ゴビ砂漠を北に、南に祁連山脈(きれんさんみゃく)を見て河西回廊を進み、そしてタクラマカン砂漠を避けながら、天山山脈を越えていくわけです。 その道には沢山のオアシス都市があります。
そんなシルクロードの道は、これまでバスで彼方此方通ったことがあります。現場感覚では、この地域に生きる人達は、常に砂との戦いに明け暮れています。 砂嵐が来たり、ほっておくと砂漠化が進むようです。
砂漠というと、砂ばかりに覆われた場所と思いますが、実は場所によって小さな草が生えていたり、石ころばかりの場所があったり、意外と草原が広がる場所が散在します。
内モンゴルも乾燥地域ですが、多いのは下の絵のような状態。
少し高原のような場所では、草原が広がります。遊牧民の世界ですね。
乾燥地域の天候と地形というのは面白くて、山がないと雨が降りません。 ですから、山際や高原に雨が降って草原が広がり、遊牧の民の世界となります。 低地では年間降雨量が数十ミリで、まったくの砂の世界が出現して、人を寄せ付けません。
そんな砂ばかりの世界は、農耕民族も遊牧民族も生きていけません。
少し話が長くなりますが、この旅の目的は 11世紀頃栄えた「西夏」 の地を踏みたいという、ちょっとキザなものでした。 内モンゴル自冶区なんて言い方は現在にだけ通用するもので、歴史的にはこの地域は 漢族 と 遊牧民 の闘争の場 だったんですね。
最初の地図を少し拡大しましょう。
実は井上靖の「敦煌」という小説で登場する西夏という国に興味がありました。 チベット系のタングート族の国で、西夏文字を持ち、中国の栄を圧迫し続けます。結局チンギスカンのモンゴルに攻めほろばされることになるのですが・・・。 ひょっとしたら、モンゴルに代わって中国を占拠したかもしれない国。
「君は西夏という国を知ってるか?」 とモンゴル人のガイドさんに聞きました。
「知ってるよ、モンゴルが滅ぼした国だよ。 その後イスラム教に改宗して、今は回族になって、もっと西の方に住んでるよ。 今でも回族の所へは行きたくないな・・・」
そうなのか・・・。 もう西夏の人はいないのか・・・・。
「西夏の都だったイルガイは今どうなってる?」
「うーん、多分砂の中に遺跡ぐらいは残っているだろうけど・・・・」
もう千年も昔の話ですからね・・・・・。
今回は少し こだわって地域の情況や歴史の話を載せました。
しかし、この話は現代にも繋がる話題でして、11世紀当時の吐蕃(とばん)はチベット族の王国で、現在のチベット高原から青海省、四川省の西に広がるチベットの世界の象徴ですし、回鶴(ウイグル)は現在のウイグル自冶区として残っています。
モンゴル自冶区を含め、歴史的には漢族の世界ではなかった地域が現在は中国領となっています。そして、それらの地域では今でも紛争が続いているのです。 その根っこは歴史があるからなんですね。
年間降雨量とか、少ないのでしょうね。
モンゴル高原は100~200ミリ、西のタリム盆地では数ミリです。
中国では降雨量と同時に、蒸発率みたいな数字が出ています。
一度シルクロードへ出掛けませんか?
そういう意味では日本は幸せです。
水の確保、草原では小川の畔にパオを設置します。人間も羊も水がないと生きていけません。
砂漠に近いオアシス都市では、雪山の雪解け水を地下に通します。カレーズ と呼ばれ、これは大工事ですが、これがないと水は蒸発してしまいますので、オアシスには必ずカレーズがあります。