中国で有名な 万里の長城 は、中華の国 を辺境の異民族からの侵入を防ぐ目的で作られたことは、よく知られています。 秦に始まり、明の時代まで営々と作られたのですが、現在の東北地方は何時の時代にもその万里の長城の外側にあります。
「何が言いたいの?」
そうなんです、今回旅した東北地方は、歴史的には元の時代と清の時代以外は、辺境の異民族の地であったのですね。 元はモンゴル族、清は満州族の王朝ですから、いわゆる漢民族がこの地を占有したのは、現在の中華人民共和国政権だけということになりませんか?
よく知られているように中国最後の王朝である、清 はこの満州の地から起こっています。17世紀に女真族のヌルハチが明から独立し、やがて明王朝の混乱を収める形で中国全土を占拠します。皆さんよくご存じの歴史です。
その清がまだ瀋陽を都としていた時代の建物ですね。
「現在満州族は何人ぐらいいるの?」と私。
「サッパリ判りませんね。満州族より朝鮮族の方が多いですよ」とガイド。
どうも女真族がこの瀋陽で清王朝を起こす時、モンゴル人、朝鮮族、漢族 を融合する必要があって、自分達の種族名を女真族から満州族に替えたという歴史があるようです。
瀋陽の故宮は北京の故宮の30分の1ぐらいの規模ですが、大明国の都を真似ようとする辺境の満州人国家の いじらしさ を感じさせる建物ですね。
左側のクニャクニャした字はどうも満州語見たいですね。 それでも形は北京の故宮をなぞっていますね。 とても中華の国を占領してやろうという感じではないですね。
下の建物も規模は小さいですが、北京を真似ています。
「どうして明王朝はあっけなく清に滅ぼされたんだろう。人口僅か数百万人の満州族に負けたんだろう・・・。中核の女真族なんて百万もいなかったはずだのに・・・」
中華の国 明王朝の自滅ですね。 内紛や農民反乱(李自成の乱)で、清はこれを治める形で北京に入っていますから、まさに自滅です。 中国では何時も異民族の侵入を許していますが、殆どの場合は、内紛と農民の反乱がその原因です。
この歴史的な トラウマ が現在の中国政府にもあるようです。
政治の民主化は民衆の暴走を招きそうで怖いのでしょうね。チベットや内モンゴル、ウイグルなどの騒動は、歴史的にみると民族自決の理にかなっていますから、これも怖いのでしょう。
清の時代は漢民族の満州への移住は制限していたようですが、現在はドンドンと漢民族が移住して、90%以上が漢民族です。同じ傾向がウイグル自治区や内モンゴル、チベットでも見られ、民族融和というか、漢民族の数的優位が進行しています。
清王朝の故郷 瀋陽の故宮 を見ながら、一人変なことを考え続けていましたね・・・。