もうすぐお正月ですね・・・・・。

 只今のバンコクの気温は、朝は20度で過ごしやすいですが、日中は30度を超えます。
 直射日光の下では、まだ日本の真夏感覚ですね。ただ、乾季ですから日蔭は涼しい。
 しかし、全然正月気分は出てこない!

 「そう言えばタイへ来て2ヶ月が過ぎたけど、王宮あたりには一度も足を向けていない」
 例の空港占拠の前後は何かと足止めがあって無理に行く気もなし。
 これまで何回も行きましたしねー。

 そうは言っても、せっかくバンコクに長くいるので、一回も行かないのももったいないかなーと考え、デモ騒ぎも一段落したようなので、プラプラと出かけることに。

 バンコクに来られた方は、この街がチャオプラヤ川の河口に広がった街だといことはご存じだと思います。むしろチャオプラヤの上に乗っかっているという感じですね。
 バンコクで一番大きい船着場からチョプラヤの河口方面を見た写真です。
d0140806_20453699.jpg

 バンコクでは車の渋滞が有名です。このチャオプラヤとつながる無数の運河を使えば、意外と早く移動できます。まーこの船着場はもっぱら観光船が多いですが・・・。
d0140806_20493567.jpg

 高いビルがまさしくチョプラヤに乗っかってる感じですね。

 小さな汚い遊覧船に乗ってチョプラヤをさかのぼりました。
 川から見るバンコクの街は一寸変わった感じがしますね。
 下の写真はバンコクで初めて出来た橋。それまでは当然船でこの川を渡っていた。
d0140806_2054559.jpg


 しばらくすると「ワットアルン(暁の寺)」が現れます。
d0140806_2056233.jpg

 この寺に夕日が落ちる写真が、私のHP、タイ編の一番初めに載せてあります。

 写真が好きな人たちでは割合有名な撮影場所だそうですが、実際に写真を撮るには、したの写真の場所(艀)から、ジーと夕日が落ちるのを待たないといけません。
d0140806_2105890.jpg

 今回は夕日にはチャレンジしませんでした。

 そうですね。ワットアルーンが見えれば、当然近くのワットプラケオ(王宮)が見え始めます。
 チョプラヤから見た王宮というのも、趣が違って面白いですね。
d0140806_213475.jpg

 王宮が出来たころは車もないし、移動手段は船ですから、当然王宮も川岸に立っているわけですね。現在の観光では車で王宮へ行きますが、昔は川から見る王宮のイメージの方が強かったのかも知れません。

 このプラプラ観光は、川から降りても王宮にはいかずに、むしろその周辺を歩きます。
# by takeshi_kanazaw | 2008-12-21 23:11 | タイ週報(半年分) | Comments(0)
 突然ですが、皆さんはユルブリンナーが主演の「王様と私」という映画をご存知ですか?
 そうです、「シャルウイダンス? (SHall we dance?)」 という曲で有名です。

 ツルツル頭のユルブリンナ扮するタイ(そのころはシャム)の王様と、イギリス人の家庭教師の未亡人が、王宮でダンスを踊るシーンが目に浮かびます。
 
 この王様こそが「ラマ4世」で、実在の人物です。

 なんで急にこんな話になったかというと、私の参加したプラプラ観光の企画をした旅行社は「王宮物語」というテーマで、歴代のタイの王様のゆかりの地を巡っているのです。

 まずはラマ4世のゆかりのお寺ボビオニベード寺院とやらに案内されました。
 このお寺がなぜラマ4世ゆかりの寺かは後にして、まずラマ4世の写真を見ましょう。
d0140806_22165399.jpg

 「映画のイメージと全然違うじゃん!」

 現在のバンコク王朝(チャクリー王家)はほぼ200年の歴史がありますが、ラマ4世は日本で言えば江戸時代の文化文政の頃です。

 タイでもご多分にもれず、ラマ1世は王朝を開きますが、周囲の豪族の後押しがあってのことで、チャクリー家は絶対的な力はイマイチ。 日本で言えば平安時代の藤原氏みたいな豪族が、娘を妃に送り込んで力を持っていたらしい。

 ラマ4世(モンクット王子)が王様になれるかどうかは、周囲の力のバランスで決まるような状況があり、王様に即位するまでは、お寺で兵士に守られて暮らしていた。

 そのお寺に我々が連れて行かれたというわけ。
 お寺はそんなに大きくない。
d0140806_22303073.jpg

d0140806_22305817.jpg

 このお寺の一角に、モンクット王子(ラマ4世)が身をひそめていた。
 その部屋はホントに小さい家の二階部分です。
d0140806_2233864.jpg


 どうも映画の「王様と私」のイメージとはマッチしにくい話ですが・・・・。

 このお寺は小さいけれど有名らしくて、現在の王様(ラマ9世)がスイスからタイに帰って仏門に入りますが、その時のお寺がこの寺だった。
 ですから、その時の写真がお寺の壁に飾ってあります。
d0140806_223745.jpg

 ラマ9世は目が悪いので、(どうも片目は義眼?)若いころから黒い眼鏡をかけています。
d0140806_22384728.jpg


 話がラマ4世に戻りますが、王様に即位後は周囲との軋轢でかなり苦労の連続だったらしい。弟が競争相手でもあるし、その弟を「副王」としてなだめ、豪族で最右翼のブンナーグ家の力をそぐために苦労も多く、悩み多き王様だった。
 どうも元気にダンスをしていたかどうか疑問ですね・・・・。

 このラマ4世の子供が(映画にも出てきます) ラマ5世(チュラルコン大王)です。
 タイの家庭や会社に飾ってある写真は、現在の王様のラマ9世とひげを生やしたラマ5世が圧倒的に多く、タイ人が誇りとする王様です。

 このラマ5世が父のラマ4世の苦労を跳ね返すために、苦労を重ねて奴隷の解放や王様の軍隊を作り、タイを現在の形の基礎を作ることになります。

 この王様の軍隊が現在のタイの国軍の基礎となっていますから、王家と軍隊は昔で言うと王様と親衛隊みたいな感じが残っているんでしょうね。

 この間の空港占拠の時に軍隊の動向が強く意識されましたが、その裏にはバンコク王朝と軍の歴史が隠されているかも。やはり表面だけは判りませんね。

 こんな調子でプラプラ観光は続きます。
# by takeshi_kanazaw | 2008-12-21 23:04 | タイ週報(半年分) | Comments(0)
 バンコクの王宮物語のプラプラ観光が続いています。

 皆さんはタイの「タマサート大学」はご存じないですね。
 チュラルコン大学と並ぶタイの名門大学で、設立は130年ほど前。
 
 チュラルコン大学がやや体制寄りであるのに比較して、タマサート大学は法学の権威を誇る大学で、自由な学風が特徴です。

 タマサート大学は王宮の前の広場に面した、すぐ横の敷地にあります。
 
d0140806_19495266.jpg

 入口から見ると、落ちつた雰囲気の大学ですね。

 実は1974年にこの大学で悲劇が起きます。

 当時東南アジアはベトナム戦争があり、社会主義化の波が押し寄せていました。
 タイでも学生の間では革命的な雰囲気があり、このタマサート大学で集会がありました。

 そこに旧体制派、王権擁護派と思われる人が殴り込みをかけ、学生たちを縛り首にして、王宮広場の木にぶら下げました。
 
 現在では多くの観光客がこの木の下を歩いて王宮見物をしますが、わずか30年前にこの木に学生が殺されてつるされていたことを知る人は殆どいません。
d0140806_1956431.jpg

 実は私もこの王宮広場は何度となく歩いたのですが、そんなことは知りませんでした。

 「これはバンコク王朝の歴代の副王の怨念が招いた悲劇よ」とガイドの女社長。
 「何の事? 副王の怨念なんて」

 「このタマサート大学の敷地は、元は歴代の副王の大きな宮殿があった場所なの。ここに住んだ副王は、一人として王様になれなかったし、殺された人が多いのよ」
 
 前回のラマ4世の話に弟を副王にしたというのがありましたね。
 
 バンコク王朝はそもそもラマ1世とその弟が中心になって王朝が作られています。 
 王朝設立までは兄弟が協力して頑張るのですが、設立後はご多分にもれず反目が始ります。

 そのバランスを取る意味で、弟を副王とするのですが、この副王が宮殿を作ったのが現在のタマサート大学の場所で、兄のラマ1世の王宮より大きかったそうです。
 当時バンコクに訪れた外国人は、シャムには王様が二人いると思ったそうです。

 ラマ1世の弟の副王は兄より先に亡くなったのですが、その後もラマ3世、ラマ4世、ラマ5世とすべて副王が存在します。当然副王には家来がおり、有力豪族も肩入れするでしょうから、歴代の王様はおちおちとしていられなかったでしょうね。

 逆に副王は王様になるチャンスをうかがいながら、結局はその望みを達成できずにこの世を去って行ったわけで、タマサート大学構内には歴代の副王の怨念がしみ込んでいて、この大学の反体制気運を作り上げるというわけ。

 「この話はホントなの?」
 「副王の王宮が此処にあったことは事実だし、ここに住んだ人が誰一人として王位に付けなかったことも事実よ」

 「学生が此処で首をつるされて殺されたことも事実だよね」
 「だから副王の怨念が、学生を駆り立てたのよ」
 「うーん、・・・どうかなー」

 ただタマサート大学が反体制派という伝統をもっていることは、誰もが認めています。

 そろそろこのプラプラ観光も王宮に近づいてきました。

 
# by takeshi_kanazaw | 2008-12-21 20:21 | タイ週報(半年分) | Comments(0)
 「あれ? 王宮の中には入らないの?」

 バンコク王宮物語のプラプラ観光の一行は、タマサート大学から歩いて王宮に向かったのですが、なんと王宮は素通り。
d0140806_2256978.jpg

 やっぱり空港閉鎖の影響は大きく、何時もは観光客でごった返す入口のは、ほとんど人影がありません。

 「王宮は皆さん何度も見たでしょう?」
 「うん、まー、何回も見たけど・・・・」 同行者は大半がバンコクの長期滞在者。

 「王宮をわざわざ見物する時間はありません!」
 どうもこの旅行社の女社長は、いわゆる観光ガイドブックに載っているようなところにはいかない方針のようです。

 「さー、タイの防衛省の庭の大砲を見に行きましょう」
d0140806_22535098.jpg
 
 「この防衛省の初代の大臣はラマ5世に側近で・・・・・」
 その話も面白いけど絵にならないよ・・・・・。

 そこで私は後ろの王宮の写真を撮っていました。
 王宮は中の風景より外からの方が雰囲気が出ます。
d0140806_2303634.jpg

 バンコクの王宮は金色に輝いて、見た目の美しさはやはり一見の価値があります。
d0140806_233251.jpg

 金色の飾りと、緑の屋根のコントラストが基調になって、外壁の白もいいですね。
d0140806_2352783.jpg


 バンコク名物の小さなタクシー「ツクツク」も客がなくて手持ち無沙汰です。
d0140806_2381963.jpg


 「さー今度は外務省の奥庭へ行きましょう!」
 「・・・・・・・・・・・」

 とにかく、ラマ5世が近代国家を目指して築き上げた体制の後を回りたいようです。
# by takeshi_kanazaw | 2008-12-21 12:11 | タイ週報(半年分) | Comments(0)
 「やっぱり空港閉鎖騒ぎの影響は大きいなー」

 バンコクの観光客が激減しているのは、メインスポットである王宮を見ればハッキリします。
 特に日本人の観光客は殆ど見当たりませんでした。

 「どうも年末、年始のシーズンもダメらしい」
 あるホテル関係者の話によると、空港騒ぎでキャンセルされたままで、回復していないとか。


 「さー、ここが外務省の中庭です」
 王宮から少し歩いたところに、全く別世界のような庭がありました。
d0140806_8211864.jpg

 庭の中には外国の観光客はゼロ。タイの人がパラパラと本を読んでるぐらい。

 「そもそも外務省の初代の大臣は、ラマ5世の側近中の側近、・・・・・・」
 庭のベンチに腰をおろして、ガイドの女社長の説明というより講義が始まりました。

 まー、その話は別にして、タイのラマ5世の時代というのは、ちょうど日本の明治時代に当てはまります。測位が1968年で1910年に死にますから、まさにぴったり合いますね。

 当時は日本と同じように洋風化が進み、鉄道が引かれたり、いろんな技術が導入されることになります。いわゆる近代化という観点では、タイと日本のスタートはほぼ同じです。

 ちょっと違うのは、タイでは政治の中枢は、ラマ5世とその子供たち(ラマ5世は100人の子供がいたらしい) それに王様の側近たちでした。
 
 なぜ日本では、西郷隆盛や大久保などという下級武士たちが中枢にいたのか?
 公家や元藩主を排除出来たのか? 
 タイの歴史と日本の歴史を比べるのも面白いですね。

 ガイドの話を半分聞きながら、庭の周辺を散策。
 入口には熱帯らしい大きな木があります。よく見る木ですが・・・・
d0140806_841832.jpg

 
 私は下の写真の白い花が好きなのですが。可憐で真っ白で。
d0140806_8423086.jpg

 中には見たことがない花も
d0140806_8431710.jpg


 「腹が減ったよ。俺は毎日自炊で美味いもの食ってないんだよ」
 「今日はちゃんとしたレストランに行きますよ」
 ということで、王宮から少し離れたレストランへ・・・。

 「ピアノの生演奏と歌までついてんだ」
 出された食事はタイにきてから一番高級そうな食事でした。
d0140806_8473260.jpg


 「王宮物語にふさわしい食事でしょう?」
 「でも多すぎて食べきれないな~」

 人間は悲しいかな”食い貯め”が出来ない。
 「のんびりとしていいな~・・・・」  1時間以上ゆったりと食事。

 「さー、そろそろアナンタサマーコム宮殿へ行きましょうか」
 「そう急がずに、食後のコーヒーでも飲んで・・・・」
 「そうね。そうしましょう」
 ということで、またコーヒーを飲んでダベリング。

 「どこかで見たことがあるなー。この宮殿」
 「イタリア人の設計だそうです」
d0140806_8582169.jpg

 確かに日本の明治時代の建物も西洋式はこんな感じですね。

 中は撮影禁止ですから、画像はなし。
 天井にフレスコ画があり、陳列してあるのはタイの金ぴかの工芸品。

 「この宮殿は迎賓館です」
 「でもさー、何となくヘンテコな感じだね。西洋とタイを無理やりくっつけたみたいで」
 「日本でも同じじゃないか! 日本の迎賓館は知らないけど、明治時代は畳の上に西洋のイスを置いたぐらいだから」
 「そうだねー・・。そろそろ西洋崇拝もやめたいね・・・。やっぱりヘンテコだよ。」

 タイの歴史を見ていると、国の形づくりなど興味が尽きませんが、タイ語が判らないので全く歯が立ちませんね。

 そう言えば今日は「天皇誕生日」でしたね・・・・。
# by takeshi_kanazaw | 2008-12-21 09:12 | タイ週報(半年分) | Comments(0)

海外や国内の適当に撮った写真の記録


by takeshi_kanazaw