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夏の忘れ物

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        (知多半島 内海海岸)


 白い砂浜に椅子がポツリと一つ。
 砂にまみれているけれど、まだ新しい。
 恐らく先日の日曜日に、この海岸で遊んだ人の 忘れ物 かもしれない。

 遠くに志摩半島が見える。
 殆ど人がいない砂浜。
 そろそろ今年の夏も終わりの感じですね。



by takeshi_kanazaw | 2017-08-31 10:32 | Comments(10)
 昨日早朝(8月29日)北朝鮮のミサイルが日本上空を越えて飛びました。
 私などは朝起きてテレビでこのことを知りました。
 Jアラートでこのことを知った方は、突然のことでビックリされたかと。
 日常生活に突然飛び込んできた 非日常 な出来事という感じ。



 安倍首相はミサイルの発射からキャッチしていたと強調。しかし、僅かの時間で飛んできますから、気が付いたらミサイルが落ちてきたという感じになるのかもしれません。「破壊措置は実施しなかった」と言ってますが、ひょっとしたら破壊出来ない?のではとの疑念が浮かんできますが、どうなんでしょうか・・・。

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 北朝鮮の動向についてのテレビ報道以外には殆ど判りませんね・・・。


 突然の非日常的な事件ですが、非日常な出来事は歴史を左右する事柄になるケースが多い。
 歴史的な事件は、何時も突然やってくる・・・。

 私は、現在の北朝鮮の姿と、戦前の日本の軍国主義の日本の姿と重ねあわせています。
 ゼロ戦や戦艦大和や武蔵を誇った日本と、ミサイル開発の北朝鮮。
 神国日本、一億火の玉、そして町内会で出征する若者を日の丸で祝った日本。
 テレビで見る北朝鮮の人たちの顔と、戦前の日本人の顔がダブってきます。
 天皇陛下万歳と叫ぶ日本、金主席を神格化している北朝鮮。

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 「しかし、どうすればいいのかな~・・・・・。やっぱり経済封鎖かな」
 経済封鎖というけれど。 戦前の日本も経済封鎖に対抗して東南アジアに出兵しました。
 「経済的に援助して豊かさを味わえば北朝鮮も変わるかも」
 戦前の日本なら、豊かになればさらに軍事拡張して、大東和共栄圏実現に走ったかも。

 「もっと圧力を強くかけないと・・・」
 占領地放棄を求められた日本は国際連合を脱退し、突然真珠湾攻撃をしました。
 北朝鮮は昔の日本のように、グワムかハワイにミサイルを発射するかも。

 昨日から今日のマスコミ報道を見ても、目の前の戦術論に終始してる感じ。
 欧米諸国は世界的には東アジアの隅っこで起こっている小事件と思っている節がある。

 私は悲観論者かもしれませんが、北朝鮮問題はそう簡単な事柄とは思えない。
 悪くすると、北朝鮮や韓国が壊滅し、朝鮮族が消滅することも視野に入れないと。
 そして、日本の景気がどうのこうのなんて吹っ飛んで、東京・大阪などは焼け野原に。

 平和な時間が続くことを願っていますが、事態はそう簡単ではないですね。








by takeshi_kanazaw | 2017-08-30 09:41 | 時事放談 | Comments(4)
 今朝(8月29日) 北朝鮮からミサイルが飛んできて、大騒ぎですが・・・・。
 何が起こったのかとビックリするした人が多かったのでは。 私などは寝てましたね・・・。
 この話は、後日にすることにして・・・・。

 先週に行った おんな城主 直虎 の古里、井伊谷巡りの話。

 「ほー、名古屋から来たんかい。 ここは何にもないとこやけどな・・・」
 井伊谷のとあるコンビニに寄った時、地元のオヤジさんがそういってました。
 「NHKの直虎の里を廻ってますよ。 まー、暇ですから・・・」
 そうですね、平和な話ですね・・・・。

 とにかくドラマに関係ありそうな場所を探して・・・・・。
 「龍潭寺の次はやっぱり 城跡やな。 井伊谷城址へ行こうか・・・」

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 「ナニナニ・・・。 標高120mぐらいか・・・、歩行距離300m まー、行けるやろ・・・」

 猛暑日の炎天下、ヤッコラと登り始めたのですが・・・・・

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 結構急な上り坂が延々と続く・・・。 イヤイヤ本当にしんどい山道です。
 年寄りなのに馬鹿なことを・・・ と思ったですが、それは後の祭り。 人間が馬鹿だから、登り始めるとどうしても頂上まで行きたくなる。 途中で何度も休憩して、やっとたどり着いた場所はこんな感じ。

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 周囲は全くの自然林の林。 城郭の跡も門の跡もありません。 そして石垣は全く見当たらず、典型的な戦国時代の山城の跡という感じですね。 恐らく城主は日常的には麓の館で生活していたのでは・・・。

 三河地方からこの遠州の山の中には、戦国時代には何百という山城があったようです。それぞれの谷間に豪族が割拠し、山の上に山城を築いていたということですね。 この井伊谷城は構えがかなり大きい方ですね・・。

 頂上からの眺めは既にこのブログに載せました。
 「意外と浜松が近いんやな・・・・」

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 写真の遠くに見える中央のビルは、浜松駅のビルです。  なお浜松とこの井伊谷の間は台地状になっていますが、この場所が徳川軍が武田軍にこっぴどく叩かれた 三方ヶ原の戦いの場所になります。

 テレビで直虎が良く瞑想する場所を探して・・・
 実はそれは井伊家の発祥の地とされる井戸だったのですが、間違えて別の場所へ。
 後で調べると、テレビで直虎が覗き込む井戸は、現在では田圃の中にあるそうです。

 そんなことを知らずに、なんとなくムードで動いています。
 「ふーん、えらく厳かな古い神社が残っているな・・・」

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 そして、その裏山には巨石群が・・・・。

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 これは古墳時代からある遺跡というか、祈りの場所でした。(天白磐座遺跡)
 「この場所の方が、テレビドラマの雰囲気とマッチしているわ・・・」

 もうダンダンと疲れてきたのですが・・・・
 「ここまで来れば、帰りにドラマで度々出てくる 気賀 に寄って行くぞ!」
 井伊谷から気賀までは5キロ、車で10数分しかかからない。

 「なんじゃこれ!」 遠州鉄道の気賀駅の状態です。

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 ド派手で、やり過ぎですね・・。 駅名まで隠れてしまって見えない・・・・。

 気賀に来た途端、ムードは一変します。 彼方此方に旗が一杯あって、大河ドラマ館まである。
 「主役の井伊谷は落ち着いた雰囲気を維持していたのに、脇役の気賀はどんちゃん騒ぎや」

 急造の気賀関所跡なるもの。 入場料まで取って土産物売り場が並びます。

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 気賀はそもそも浜名湖の湖畔の泥と水の入り混じる場所。 気賀城なんてあったのかどうか・・・。 多分堀川城だったのではということらしい。 ただ浜名湖の北の道は昔から姫街道と言われて、結構人や物資の往来があったらしく、関所は存在したようです。 現在の気賀は、田圃が広がるただの稲田です。

 NHKドラマ おんな城主 直虎 を訪ねて、彼方此方行きましたが、どうも現場感と見ているドラマでは大きなギャップがあります。 ドラマではあまり農民や国衆の生活実感が出てきませんし、国衆の生き様が描かれていないなと感じました。 ドラマは女と男の感情の動きを重視した、女性向け漫画の感覚が強いですね。それが脚本家の本音かもしれません。 まー、それもまた良し ですね。
by takeshi_kanazaw | 2017-08-29 11:05 | 国内旅行記 | Comments(2)

 禅寺の花

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 芙蓉でしょうか・・・。 お寺の境内の片隅に静かに咲いていました。

 NHKの大河ドラマ ” おんな城主 直虎 ” が住んでいた、禅寺の龍潭寺(りょうたんじ)
 禅寺らしく落ち着いた雰囲気のお寺さんでした。

 その日の気温は後で判ったのですが、35度を超える猛暑日。
 「とにかく暑いわ!」  と、老夫婦は龍潭寺見学中も、休憩ばかり。

 休憩中に目についたのが、花。 
 流石、禅寺ですから華やかな花壇はなく、 目立たない所にポツリポツリと咲いていましたね。
 これは鉄砲百合ですね。

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 お寺のお坊さんが植えたのか、いや、風で種が飛んできて安住の地を定めたのか・・・。

 元気そうな子供達もやってきていました。 夏休み中だし、直虎ブーム中? だからでしょうか。

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 暑いなかでも子供は元気ですね・・・。 植物も人間も若い頃が元気?

 探すと、白い芙蓉? も見つかりました。

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 芙蓉という花は一つの花は結構派手な感じですが、全体としては目立たなくて禅寺にマッチしますね。

 何気なくお寺の水槽で見つけた花。 妻殿は金魚草だというのですが・・・。

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 まー、猛暑の炎天下、花を撮っているぐらいだから、まだ熱中症じゃない?
 もう少し頑張って、井伊谷巡りを続けました。
by takeshi_kanazaw | 2017-08-28 08:25 | 国内旅行記 | Comments(4)
 NHKの大河ドラマ おんな城主直虎 でよく出てくるお寺が、龍潭寺。
 主人公の直虎が長らく住んでいたお寺です。

 「龍潭寺というのは、大河ドラマの前から有名なお寺だったわよ」 と同行の妻殿。
 龍潭寺は井伊谷の部落の中心から川を渡った、こんもりと茂った森の中にありました。

 「うーん、これは結構大きなお寺やな~・・・・」

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 入口からかなりの階段があって、本堂までは門があります。
 このお寺は西遠州の名刹と言われるだけの大きさと風格がありますね。

 お寺は緑に囲まれて、なかなかいいお寺ですね。

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 ドラマではお寺のシーンで殆ど森などは出てきませんが、直虎の時代でも結構大きな構えの寺だったような気がしますね。 お寺の縁起によれば、創設は奈良時代とされ、長らくこの地方で大きな力を持ったお寺のようで、井伊家の菩提寺でもありました。

 外から見た本堂です。

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 実はこのお寺は三方ケ原の戦いのとき、武田軍の攻撃で炎上。 江戸時代の元禄のころに再建されたものらしい。

 現代のお寺の中、なかなか落ち着いた、禅宗らしいお寺さんですね。

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 多分、ご本尊が祭られている部屋らしいのですが、直虎ブームで近くには行けないようになってます。

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 テレビドラマでは、井伊家の危機的状態に直虎誕生のシナリオを作ったのが、この龍潭寺の和尚ということになっています。 この龍潭寺に来てみると、寺の歴史や立地状態とかその大きさから、龍潭寺は井伊谷の一つの大きな柱だったような感じですね。 直虎が出家して住んでいたこともあり、この龍潭寺の和尚が井伊家のブレーンとして重要な働きしたのは事実だったのでは、と感じましたね。

 本堂の前庭は綺麗に砂が敷き詰められています。

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 テレビドラマでよくこの場所が出てきますが(もちろんテレビ用のオーップンセット)、現代はまさに禅宗寺のお庭風です。 恐らく直虎の頃は、ドラマのセットに近かったのかもしれません。

 裏庭は元禄時代に作られた 小堀遠州の枯山水のお庭です。

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 もちろん直虎の頃にはなかった風景です。 井伊家が彦根の大名になった財力で作り上げたものですね。

 現代の龍潭寺は立派な禅寺になってしまっていますが、井伊家の菩提寺としての遺産が彼方此方に残されています。 井伊家千年の霊所の前に、こんな説明書きがありました。 井伊家の歴史を理解するのに、簡潔で判りやすい。

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 この説明書から推測すると、NHK大河ドラマの9月以降の筋書きは、三方ヶ原の戦いが出てきて、遺児直正を三河の鳳来寺へ隠し、そして浜松での家康への出仕というストーリーになるでしょうか。

 ドラマは脚本家次第ですが、あまり史実を曲げないようなので、細かい演出にはこだわるでしょうが、大筋はこんなもんだろうと思ってますがどうでしょうか・・・。
by takeshi_kanazaw | 2017-08-27 09:36 | 国内旅行記 | Comments(4)
 NHKの大河ドラマ ” おんな城主 直虎 ” の舞台の井伊谷をプラプラ。

 出家した直虎が住んだ 井伊氏の菩提寺とされる龍潭寺の中に、直虎の墓があります。
 現在の龍潭寺は、江戸時代に井伊家が彦根藩主となった以降に再建された、大きな禅宗のお寺さんですが、直虎の墓はお寺の奥まった薄暗い森の中にひっそりと立っています。

 恐らく彦根藩主となった井伊家にとっては、井伊谷は藩主の故郷のような存在で、墓がある場所はおそらく昔の姿のままに置かれたのかも。 予想以上に貧弱です。

 墓のある場所で一番目立つのは、井伊谷の国衆の墓です。

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 井伊家は南北朝時代に南朝に組して、後に戦いに敗れて北朝方の今川氏の配下に置かれています。その後も今川に従って戦った桶狭間の戦いで多くの戦死者を出していますし、今川家からも裏切り者とされて当主が殺され、井伊家はズーと負け続けているのですね。

 これらの戦いで死んだ国衆(井伊家の家臣というか仲間というか・・)の墓が、一番立派で印象的でした。 写真の中央部には、恐らく何かあったのでしょうが、今は石組だけが残っています。

 武士をテーマにした話が多くありますが、多くは江戸時代のイメージが強過ぎるように思います。 応仁の乱以降の戦国の世では、武士と百姓(足軽)の区分は明確でなく、各部落の名主や郎党、それをまとめる国衆の集まりが、いわゆる戦国の豪族みたいな感じだったらしい。
 井伊家は井伊谷をまとめる豪族の家だったようですが、この盆地の国衆に支えられていた感じでしょうか。

 この井伊谷の勢力は如何ほどだったのかという興味が湧きますね。
 江戸時代になって、井伊谷3人衆の一人 近藤氏がこの井伊谷に井伊藩を貰いますが、その時の石高は1万5千石だったそうですから、女城主の直虎は小さな藩の城主ぐらいの地位にあったと推測されます。

 ちなみに徳川家の発祥の地の松平郷は、この井伊谷の十分の一以下の石高ぐらい(私が現地を比較した感じで)で、後に江戸時代には岡崎藩でも5万5千石ですから、松平と比較すれば井伊谷の直虎は結構大きな豪族だったと言えます。

 そうでした、女城主直虎の墓でしたね・・・。 実に小さくて素朴です。

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 写真の奥から二番目の墓が 直虎の墓 とされています。
 恐らくNHKのドラマに取り上げられなければ、殆ど忘れられた墓だったでしょうね・・・。

 「テレビで見る感じと全然違うじゃん!」
 そうですね、テレビの脚本家は史実を外れない程度で、漫画の世界を作り出しているかも。

 井伊家は彦根藩主になり、幕末に井伊大老で有名になったから、この直虎も世に知られることになったのですが、井伊谷に居た頃は、全国に一杯あった戦国豪族の一つに過ぎなかったということでしょう。

 しかし、井伊谷に立ってみると、結構豊かな土地柄で、井伊家が気賀を含めた浜名湖北岸一帯を治め、遠州地区に進出していれば、徳川に代わって有力大名の地位を築けたかもしれません。 今川がどうの、武田がどうの、徳川が・・・、なんてことに悩んでいるのは、敗者の発想と言えますね。 しかし、最後は勝者になるのは一人ですから、その他の豪族たちは、結局井伊家と同じだったとも言えます。

 歴史の タラレバ は何かロマンを感じますね。
by takeshi_kanazaw | 2017-08-26 10:33 | 国内旅行記 | Comments(4)
 暑い日が続きますね・・・。 昨日は今年一番の猛暑だったらしい・・・。

 そんな暑い日に、夫婦でノコノコと出掛けました。
 NHKの大河ドラマ 「女城主 直虎」 を毎週見ていますが、結構面白い。

 井伊谷(いいのや)の当主とされる女性の話ですが、史実ではあやふやなことが多いらしい。
 大河ドラマでは、脚本家が頑張って、まるで長編劇画映画の感覚で作られている感じがしますね。

 そのドラマの舞台となった井伊谷の現場を見たくなりました。 歴史はその地に立ってみると、なるほどそうか と思うこともあれば、それは違うんじゃない? と感じたり・・・。

 変に理屈をこねていますが、要するにミーハー的な物見遊山というわけです。
 暑いなか、汗を拭き拭き・・・。 何やってんだか・・・。
 まー、暇人ですからね・・・。

 さてさて、NHKの大河ドラマの舞台になると、その地区では必ず大騒ぎが起きるようです。

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 直虎が次郎法師として過ごした 龍潭寺。 主役の・・・えーと、何やらカタカナの名前の女性の写真が、デーンと置かれていました。


 「井伊谷というのは結構広い田圃があるじゃん。 徳川家発祥の地とされる松平郷の10倍はあるぞ。」
 草深い田舎と想像してましたが、結構豊かな場所ですね、井伊谷は。

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 井伊谷城址跡から眺めた情景。 左側の遠くに見えるのは浜松、右側は浜名湖に通じる道。
 北と東西は山に囲まれた周囲5キロ四方ぐらいの、結構大きい盆地ですが、南は浜名湖に通じる道が開けた場所です。

 「どうもNHKの大河ドラマと雰囲気が違うような・・・・・」

 地図を載せておきます。

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 浜名湖畔の ドラマでも出てくる 気賀(きが) とは、僅か5キロ程度しか離れていない。

 「井伊氏は松平郷で生まれた徳川氏より、ズーと立地条件は恵まれているよ。 恵まれ過ぎると戦いには弱くなるという原則が働いたんだろうな・・・」

 女城主 直虎 紀行というか、極暑の下の 暇人のプラプラ旅 というか・・・。
 以下順次載せていきますか・・・。
by takeshi_kanazaw | 2017-08-25 08:31 | 国内旅行記 | Comments(4)
 大須の商店街には古くからの具服屋さんがあります。
 といっても、豪華な新しい着物を売っているわけではなく、並んでいるのはお値打ちの古着。

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 古着か~・・・ と思われる方も多いかと思いますが。

 ここでチョット余談。
 皆さんは 「洗い張り」 という言葉をご存知でしょうか? 

 私の小さい頃は、母親が古い着物から縫い糸を抜き、反物状に戻して洗い、それを天日に張って干していました。 乾けば再度子供の背縦に合わせて縫い直すわけですが、これは極々普通のことで、上等な古着は「洗い張り屋さん」という専門のお店もありました。

 もう少し余談。
 室町時代から江戸時代にかけて、庶民向けの呉服屋というのは古着が主力商品。 東北や蝦夷へ向かう北前船は、関西から古着を一杯載せて各地で売り、帰りに米や海産物を集めて戻ったという。 新しい着物は裕福な人が着るものだったようです。

 使い捨て時代を経て、もう古着を着る人は殆どいませんね・・・。

 この大須ではチョット面白い変化が。
 呉服屋さんの店先に並んでいるのは、古着の帯や紐類。 それがべらぼうに安い。

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 普通は数万、いや10万円を超える様な感じ(素人目ですが)の品物が、なんと千円程度。

 「これが全部千円以下よ。一杯買っちゃった」 と片言の日本語で、南米系の女性が喜んでいました。
 日本の着物は世界に冠たる優れもの。そのまま室内装飾品にもなるし、いろんなものと組みあわせば、面白いこと間違いない素材でしょうね。 この南米系の女性は目が高いですね・・・。

 こうした大須の古着の伝統は、形を変えて引き継がれていますね。
 若者向けのお店。 ジーンズなどは新品より古着の方が値打ちが出るとか。

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 大須にはこの種のお店が大小交えて数十軒あります。

 大須観音の境内では、骨董市が開かれ、古着以外でも沢山の 「掘り出し物」 が発見できる街でもあります。 庶民の街の伝統は引き継がれていますね・・・。
by takeshi_kanazaw | 2017-08-24 08:08 | 街の表情 | Comments(6)
 名古屋にある大須という商店街。
 古くから大須観音や万松寺の門前町として、名古屋で一番庶民の歓楽街とされてきた街。
 私には 昭和ロマン を感じる街でしたが・・・。
 (写真をモノクロで撮っているのは、もっぱら 昭和ムード を出そうとしていますが)

 久しぶりに大須の商店街をプラプラしましたが、スッカリ様子が変わっている。
 「この街は来るたびに表情が変わる街やな~・・・・」
 別に都市開発の手が入ったわけでもなく、もっぱら時代に合わせて街自身が自分で変わっていく。

 目につくのが食べ物屋の変化。 まさに多国籍食堂街の様相を示しだした。
 まずは、この食べ物屋さんを撮ってみた。

 これはベトナム料理屋らしい。

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 横に見えるのは昔ながらの和服の店。ベトナム料理と浴衣の変な取り合わせ。
 お客はどうもベトナム系の人のようだ。

 次に現れたのが、インド・ネパール料理屋さんだ。

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 インド料理店は他でも見られるが、ネパールを打ち出す店は珍しい。

 こちらはトルコ料理屋らしい。

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 店の主人もトルコ系、中のお客も髭を生やしているから、どうもトルコ系の人かな・・・。

 神社の傍に会ったお店。 これはブラジル系?

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 座っているお客はこれもブラジル人? 15年前ぐらいにもっと大きなブラジル人向けの店があったが、バブル崩壊の不況で、ブラジル人労働者が大勢帰国。 その店はどこかに行ってしまった・・・。

 こうしたお店が大須に生まれた理由は、名古屋地区の特殊事情もあるかも。
 中京地区には自動車工などで働く 外国人労働者が沢山います。 さらに各国からの研修生もドンドンと来ています。 こうした人たちが故郷の味を求めて集まってくるのでは? 観光客もいるでしょうが、圧倒的に多いのは子供連れの家族。

 こちらお店はドイツビールが飲める店。

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 関東からこの大須に出したようですが、どうもお客はまばら。 大須のお客とはミスマッチ?

 街を歩いているのは、殆ど東アジアや南米の人達と日本の若者達。
 古くからの大須のお客さんたちはどうしたのか・・・。
 
 名古屋名物の どて 串カツ の飲み屋は、昼間は店を開けない。

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 日本人向けに頑張るお店。

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 熟練の職人を打ち出して、頑張っていますね・・・。

 しかし、全体としては外国人向けや若者向けのお店が溢れていて、昔ながらのお店は旗色が悪い。

 こんなお店も一杯あって、若者が列をなしていました。

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 この大須には名古屋で有名なお菓子屋さんの本店も数店あるのですが、立派な構えのお店に来る人はお年寄りがポツポツでしたね・・・。 名古屋の銘菓も有難味を発揮できない?

 この街はまるでアメーバーの自己変革のように変わっていきますね・・・。
by takeshi_kanazaw | 2017-08-23 08:36 | 街の表情 | Comments(4)

 俄雨(にわかあめ)

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 急に激しい雨が降ってきた。
 急いでアーケードのある商店街の道路に逃げ込む。

 振り返ると、オートバイが雨の中に置き去りにされていた。
 持ち主はこの雨を予想できず、愛用のオートバイを置いてどこかに行ったのだろう。

 雨はますます激しくなり、スッカリ濡れてしまったオートバイ。
 通り雨にしては激しすぎる、夕立には降り出す時間が早すぎる・・・。
 久しぶりに、雨の降る情景をジーと見ていました。

 
 雨が降る情景は、日本では、季節により、降り方によっていろんな呼び方があります。
 日本人は雨の名前をたくさん作るほど、雨が降っている情景をこよなく愛する民族かも。

 夏のこの季節の急な雨は、「夕立(ゆうだち)」と呼ばれのがふつう。
 でも最近の雨はどうも違うんですよね、夕立とは。 降った後にカラリと虹が出る感じではない。

 「短期的集中豪雨」 といういい方がされるようになった。 ゲリラ豪雨といういい方も。
 味気のない呼び名だと思うけれど、確かに最近は昔の夕立とは違う降り方をする。

 でも、なんとなく短期的集中豪雨やゲリラ豪雨では様にならない。
 「俄雨(にわかあめ)」 という素朴な名前しか浮かばなかった・・・。

 偶然、テレビで 都はるみ が 「大阪しぐれ」 を歌っている。
 短期的集中豪雨より、大阪しぐれ の方がいいな・・・・。 雨にも情緒が必要ですよね。
by takeshi_kanazaw | 2017-08-22 08:41 | 街の表情 | Comments(4)

海外や国内の適当に撮った写真の記録


by takeshi_kanazaw