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 旅の3日目。 武威の町から張液まで、河西回廊の道を移動です。

 ボヤーと車窓を眺めている時間。 ノンビリムードで写真を撮ることも忘れていました。
 この河西回廊、結構標高が高い。 同行のメンバーの中に高度計を持った人が。
 「ふーん、平原のように感じだけど、標高は2000m~3000mと結構アップダウンもあるし、全体に標高が高い地域なんだな・・・・」 この地域は乾燥地帯ですが、標高の高い場所でもあるんですね。

 所々に万里の長城の姿が現れます。
 この辺だともうスッカリ崩れているケースが多いですね。 
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 万里の長城は彼方此方で見てきたので、私は漫然と車窓から情景を見ているだけ。

 「長城や、万里の長城や・・・。 何処かでバスを止めてちょうだい」 との声が。
 そうでしょうね、せっかく河西回廊を走っているのですから、万里の長城を見たいでしょうね。
 高速道路が万里の長城を横切る場所で一時停車。
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 同行メンバーの方々は結構記念写真を撮られています。
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 私は・・・・。 一生懸命タバコを吸っていました。
 そうなんです、この旅で一番気になったのは宿泊する個室でタバコが禁じられていること。
 飛行機の中はダメ、、バスの中もダメ、、 そして夜の個室もダメとなると・・・・。

 現地ガイドのS女史と、個室の禁煙に関して少し話さないと問題は解決しない。
 「毛沢東のたばこ好きは有名だし、小説家の魯迅もタバコを離さなかった。 たばこ好きの中国人が全面禁煙なんて現実的とは思えんわ。」  中国では ” 上に政策あれば下に対策あり ” と言われています。

 「そうですか、タバコのことは全然頭にありませんでした。 そんなに困っているとは露とも思いませんでした。 今から宿の方に電話してみます」 とS女史。 意志の疎通が出来てなかったんですね。そんなもんなんですね・・・・。

 張液への道が続きます。 少しずつ乾燥の度合いが進んでいる感じです。
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 張液の町に着いたころはもうスッカリ夜。 張液は人口100万を超える大都会。漢の時代に霍 去病が活躍した場所でもあります。 我々はさっそく夕ご飯です。
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 旅も3日あたりに来ると、食事の写真もあまりシッカリ撮りませんね・・・。
 
 ここの名物なるものが現れました。
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 「張液の名物 黒米粥 ですよ」 黒いような紫のような液体の中に、何やらブツブツが交じっています。
 味の方は?   甘くもないし、味がついている感じもない。 小さな黒い米みたいなものも、少し硬い米と言う感じで、特に味もない。 殆どの人が、チョット口にしただけで、大半は残ってしまいました。

 海外旅行の食事時間と言うのは、地元ガイドは原則同席しない。 別室でドライバーさんと一緒に食べる。日本の添乗員さんもガイドさんと一緒というケースが多い。
 「この食べ物は何なんだろう? 材料はどんなものなのかな・・・・」 この夜は食卓でそんな話が。
 こんな時は困りますよね・・・・。 レストランの従業員は日本語は判らないし、英語も・・・。

 実は我々の同行グループには中国籍の方がおられたのですが、 なんとその方は祖先が100年前に日本に来たので、今は全く中国語が判らないと言われる。 中国籍なのに中国語が全然ダメ。

 そこでこんな情景が・・・。
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 何とか筆談で解決しようと頑張っているのは添乗員のK君。 彼も殆ど中国語はダメ。
 横に立ってスマホをいじってる人に注目。 この方は音声入力で翻訳できるソフトを入れてある。
 スマホを何度も操作して、中国人の従業員の言葉は何とか日本語に翻訳されて流れたんですが・・・・。

 結局はその料理の材料も料理法も判りませんでした。 いや、それ以前に何の話かという段階で、もう相互に意志が通じていないような感じでしたね。 意志の疎通を図る以前の問題でしたね。

 その日のホテル。
 「お客さん、このホテルは禁煙ということだったのですが、ちゃんと話し合うと、タバコを吸っても大丈夫だということなので、貴方のお部屋に灰皿を持っていかせます」 とS女史。
 「バンザーイ!!」 私はこの旅行に参加して、一番うれしかった瞬間です。 意志疎通ができたんですね。

 部屋の中では、すぐに、日本から持ってきたコーヒーのドリップを開始。 勿論タバコを吸いながら。
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 あまりの喜びに手も震えて写真がブレブレ?

 個室でユックリと熱いコーヒーを飲みながら、心ゆくまでタバコを吸う瞬間。
 「僕は幸せだな~・・・・・・・」 この旅行の最高の時間でしたね・・・
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 最近嫌煙権が主張され、私のようなニコチン中毒者は、非国民、いや人間失格者のような扱いです。
 海外旅行でも、企画者、添乗員、ガイドさん、それぞれ ” タバコを吸う方が悪い ” という感性で支配され、 ガイドのS女史の言われたように、喫煙者のことなど意識もしない状況です。
 

 「タバコの匂いを消すのにコストがかかるから、喫煙室は特別料金システムを取ってもいいし、喫煙者の応募は最初から断るというハッキリした方針もいいだろうし、曖昧なのが一番ダメだな。 個室でタバコが吸えないなら、俺は最初から参加しないよ」
 
 今日のブログは 意志疎通と言いながら、ニコチン中毒患者のつぶやき という感じになりましたね。

 有名な話として、ドイツの哲学者などは、「煙の中に哲学がある・・・」  そう言っていたんですがね・・・。


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by takeshi_kanazaw | 2017-06-30 08:15 | 中国・河西回廊の旅 | Comments(4)
 旅の3日目。

 蘭州から張液までの長いドライブの途中、ランチタイムを兼ねて立ち寄った武威の町。
 この町の観光は特に目立ったものはない。 しかし、私にとってはむしろ一番面白かった時間でした。

 「小学生の遠足かいな、いや何処かを見学した帰りかな・・・・」
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 何気ない町の日常なんですが、子供服装や表情が面白い。 
 おそろいの赤いネクタイをつけて、男の子のヘヤースタイルも中国独特?
 私はどうもこんな日常の情景に眼が行ってしまうんですね・・・・。

 ここでまた余談ですが・・・・・。
 「昔は中国そのものが観光の対象だったな・・・。 遺跡や観光地より、中国の町や人そのものが観光の対象だったような気がする。 まさに別世界の発見という感じだった・・・」

 私が初めて中国を訪れたのは今から30年前、1986年の夏。 文化大革命も落ち着いて、中国が開放政策に舵を切って、外国人の訪問を受け入れた頃です。 それでも当時は仕事や観光で中国を訪問するには、訪問地の地方政府の旅遊局の許可が必要で、星印の赤い印の許可状を貰いました。

 初めて訪れた上海の町。 洪水のような自転車の群れ、オカッパ頭のオバサンでごった返す市場、薄暗い家の灯り。 まるで戦後の混乱時の日本のようで、なんとなく懐かしさも覚えました。 そして、朝の公園では太極拳が行われ、路地の食堂ではお粥の湯気が漂っている。 一方、橋やトンネルには兵隊が立って、何処か緊張した雰囲気もある、そんな時代でした。

 私が何度も中国に足を向けるのは、昔のそんな中国の姿を追い求めているのかもしれません。

 そうでした、その日の武威の観光は孔子廟の見学? 記憶がそろそろ薄らいできましたが。
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 メンバーの一人が、孔子廟に背を向けて、何やら三輪トラックを観察。
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 「おいおい、この三輪車のメーターの最高速度は120キロだぞ。 面白いな・・・・」
 彼は紙屋さん(製紙メーカーに勤めていた)なんですが、石に興味を持ったり、変な?人。
 この三輪車は中国の田舎ではよく見かけますが、もう日本では見ませんね・・・・。

 私や彼のように遺跡より他の物に興味を持つ人に付き合えないとばかり、観光団はドンドンと孔子廟の中に入って行きます。 仕方ないでしょうね・・・・。
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 なんか変な格好をした門です。 ガイドのSさんが説明してましたが・・・。 中身は・・・忘れました。
 中国らしい門も現れました。
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 何の門か・・・・・。 これも忘れました。 そろそろアルツハイマーが現れた?

 この孔子廟と言うのは、中国のどの部落にもありますね。 単に孔子を祀るというより、その地域の文化の中心地という意味合いがある様に思いますね。 ここで文字を習い(漢字)、教養を身に着け、生活上に必要な礼節を身に着けるという、いわば 中華文明の象徴のような位置づけなんでしょう。 こんな解釈をする人はいないかもしれませんが、この西域で孔子廟があるというのを見ると、孔子廟は中華文明のよりどころ と感じてしまいます。

 私は孔子廟の見学をサッサと切り上げて、プラリと一人で駐車場の近くの街角を散策。
 何やら人だかりがしています。 中国独特の音楽も流れて・・・
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 胡弓なのか、楽器を持ったオジサンも。
 さらに人だかりの中心に分け入ってみると。
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 どうも路上のカラオケですね。 それも生演奏?付のカラオケ。
 6人のオジサンがそれぞれ楽器をならし、中央でマイクを持った人が歌っていました。

 「そういえば、昔は中国へ来るとよく ” 北国の春 ” を歌わされたな・・・。日本人なら歌えるだろうと」
 そのうちに、みんなに促される格好で、一人のオバサンが登場。 まるで真打登場と言う感じ。
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 高くていい声をしていましたね・・・。 どうも歌ってる歌は流行歌じゃなくて昔からある歌のようです。
 この真打のオバサン。 朗々と歌い続けて、なかなか終わらない。
 私がこの場所を離れて、5分後くらいに戻ってきてもまだ歌っている。

 その間、演奏をしているオジイサン達。 休むことなく延々と弦を動かし続けていました。
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 こんな情景は久しぶりですね・・・・・・。
 もう上海や北京などの大都会では消えてしまった情景ですね。
 観光施設の見学より、路上のカラオケの方がズーと面白かったですね。


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by takeshi_kanazaw | 2017-06-29 08:11 | 中国・河西回廊の旅 | Comments(4)
 旅の3日目。  蘭州から武威経由で張液までバスで走ります。 その距離470キロ。

 ズーとバスの中からの観光ですが、これがシルクロード・河西回廊の旅でもあります。
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 「そうか、高速道路を走るのか・・・。 昔はゴビタンの道を走っていたんだけどな・・・」
 我々が走った高速道路は、黄海に面する連雲港(江蘇省)からウルムチ(ウイグル自治区)まで、中国を横断する6000キロの高速道路の一部になります。
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 車窓から見えるのは雪を頂く 祁連山脈(きれんさんみゃく) と石ころと砂の平原。
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 「昔より緑が増えたな・・・・」 27年前頃に同じ道(平道)を、バスに揺られて通った時より緑が多い。
 中国の西域では、高速道路や高速鉄道が増えました。 この道路や鉄道を砂から守るため、左右を緑で保護す必要から、土止めをし、木を植え、そしてそれを維持する努力が続けられています。 中国の緑化運動の中心は、この道路や鉄道を砂から守る活動が主体のようです。

 この道をさらに酒泉、敦煌、嘉峪関、そしてウイグル自治区のトルファンへと西へ行くと、乾燥度合いが進んで、全く緑のない情景が広がるのですが・・・・。 まー、もうそんな時間のかかる旅をする人はもういないかも。

 「さー、昼ごはんだ、昼ごはんだ」  武威の町へ降りて、昼御飯です。
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 まー、食事の話は何度も触れたのでくどくなりますね。 ただ、スイカが美味かったですね。味は日本とほぼ同じ。
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 レストランの前に、果物を売る屋台が。
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 桃、スモモ、そしてフットボールのような形をしたスイカ。 オアシスの果物は美味いですね。

 その横で、オジサンたちが中国式のカードゲーム。 中国の田舎の情景でいいですね・・・。
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 武威の町はもう人口が100万を超える大都会。 昔の静かなオアシスの感じはありません。 しかし、町の彼方此方にノンビリしたムードも残っていますね。

 さて、この武威の町ですが、そもそもは古代から漢族の西域制覇の前線基地だった町です。

 この町の観光はまずこの像のある場所から。
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 馬の蹄の下は燕。 だから「馬踏飛燕」 と言うのですが、この河西回廊の象徴的な像です。

 少し余談になりますが、この像が象徴的とされる理由をお話します。

 古代から中華の国は北の騎馬民族の侵攻に悩まされ続けます。 農耕民族と遊牧民族の戦いなのですが、遊牧民族からすれば重要な草原を掘り起こす農耕民族は、蔑視する輩ということになります。そこで戦いが起きますが、何時も勝つのは遊牧民族。 馬を駆使する騎馬隊があるからですね。 漢族が数倍の兵隊を派遣しても勝てない。

 前漢の武帝は漢族も騎兵隊を持たないと勝てないと、馬を入手することに拘り、西の大月氏まで張騫を派遣したことは有名ですね。 この武帝の時代に乾坤一擲とばかり、漢族の騎兵隊を結成します。 この騎兵隊の将軍が青年将軍の 「霍 去病(かく きょへい)」 。 彼の指揮する騎兵隊は匈奴の兵を次々と破り、この河西回廊を漢族が制する体制を作り上げます。

 この霍 去病、実は肺病を病んで24歳で亡くなります。 その後はだんだんと漢族の騎兵の力が衰え、また西域は騎馬民族の支配に服するのですが・・・。 彼はもう2000年も前の人ですが、いまだに人気があって、河西回廊に旅すれば、彼方此方に 霍 去病 の颯爽たる姿の看板があったのですが・・・。

 余談が長くなりましたが、この 「馬踏飛燕」 を大事にする西域の雰囲気が判ってもらえたでしょうか。

 現在の武威の町にも古い4世紀頃の基地の跡が残されています。 その基地の中には多くの馬の像が埋葬されているそうです。 そのレプリカが飾られています。(雷台公園)
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 その遺跡を見学したのですが、中の様子は撮影禁止。 遺跡の下の暗いところに、小さな青銅の馬の像があるだけでした。

 もう観光客もあまり来ないんでしょうか。 我々を珍しいそうに眺めている係員。
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 まー、ノンビリムードのプラプラ観光という感じですが、こんな散策もいいですね。
 遺跡の庭に咲いていた花。 見たことがないない花ですね・・・・。
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 そして、何やら道教のお寺がありました。
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 道教のお寺があるということは、前線基地だった武威の町も、その後は漢族が住む田舎町へと変貌していった証なのかもしれませんね・・・。



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by takeshi_kanazaw | 2017-06-28 08:01 | 中国・河西回廊の旅 | Comments(2)
 旅の3日目。 蘭州の見学で白塔山公園へ。
 この見学は2日目の予定だったらしいのですが、炳霊寺石窟の見学に時間が掛かり過ぎたので、3日目の早朝になったようです。 日程表なんて殆ど見ない私にはどうでもいいのですが・・・。

 白塔山公園から見た蘭州の街の表情です。
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 前に黄色い黄河が流れ、鉄橋みたいな鉄骨の橋(中山橋)。 蘭州に来た人が必ず見る情景。

 実は私はこの情景を過去何度も見ている。
 27年ぐらい前、初めてシルクロードの旅へ来たとき、河西回廊の出発点の蘭州で、同じところに立って、同じ視点でこの風景を見た記憶が残っています。 当時はビルもなく、暗い感じの町でしたね。写真の左側の先をズーと見ると、薄汚れた工場も立っていました。 流れる黄河と橋は当時と同じですが・・・。

 チベットのラサにいく時にもこの蘭州に立ち寄っています。8年ぐらい前だったか・・・・。 もう沢山のビルが建ち始めていました。 その時にも思ったのですが、” 昔の方が情緒があったな・・・ ” 

 この蘭州の町は古来、黄河水運の町であり、西域への道、南の青海・チベットへの道、そして北のステップへの道が交わる、交通の要衝だったようです。 

 「ほー、イスラムの塔もあったんだな~・・・・」
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 この地域は漢族以外にも多くの民族が住んでいます。 多いのはイスラム教の回族。
 他にも沢山の民族が暮らす地域のようです。

 「さー、皆さん。白塔山の上まで歩いて登りましょう。 シンドイ方は途中で降りてもいいですよ」
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 「うーん、昔は上まで登ったかな・・・・。 記憶にないな・・・・」
 歳のせいでしょうか、少々登るのに息が切れる。

 山の中腹に、お寺のようなものが見えてきました。
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 旗が一杯飾ってあって、何やらチベットのお寺のような感じがしますが、よく判りません。

 お堂の中では何やらお経を詠む声が聞こえ、熱心なお坊さんたちが一杯。
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 尼さん? どうも女性たちのように見えますが・・・・。 仏像は凄く金ぴか。
 あまりお祈りの姿を写真に撮るのは失礼ですよね・・・・。

 「ここまで来れば、上まで登るぞ!」
 白塔山の山頂にはこのパゴダ?があります。 上まで来たという証明です?
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 この白塔は 元 の時代に創設されたのもらしい。 元の時代のお寺と言うのは、中国仏教とは少々趣が違うような感じですね。 近くではバターろうそく?が売られていました。
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 せっかく頂上まで来たので、ぐるりとまわりを散策。
 黄河沿いのビル街とは反対方向の、黄土が広がる山際の情景です。
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 黄土を掘って作った住居、ヤオトン が見えますね。 黄土高原では一般的な住居ですね。
 古いものと新しいものが混在しているのですね・・・・。

 この白塔山の下は庶民の公園になっています。
 以前にも庶民がこの場所でくつろいでいたのを思い出しました。
 朝の太極拳ですかね・・・。
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 「しかし、下手な太極拳やな・・・。 様にナットらんわ」
 最近中国ではオバサンが腹をピョコピョコ前に出す変なダンスが大流行で、太極拳をやる人が激減。 西域では、まだ太極拳をやってる人が多いのはいいのですが・・・・。
 
 私は太極拳などやったことがないですが、それでも昔の人は腰が据わっていて様になっていた。現代の中国人は太極拳が下手になってますね? 
 「この人は様になってるわ」
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 一人静かにやっていた中年女性の太極拳は本物でした。

 「そろそろバスに乗る時間かな・・・・」 と下に降りてきて、何気なく見かけた老人。
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 穏やかな表情をした中国の老人二人。 恐らく文化革命の荒波に翻弄されてきた世代。
 現在の姿を見ると、なんとなくホットする気分が。
 これが本来の中国人の表情なのかもしれませんね・・・。

 さて、その日はその後、蘭州から武威を経て、張液まで、500キロ弱のナガ~イ バスの旅になります。


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by takeshi_kanazaw | 2017-06-27 08:04 | 中国・河西回廊の旅 | Comments(4)
 旅の2日目。 黄河のダムの畔にある炳霊寺石窟から、蘭州に帰って来ました。

 「夕食は中国でも有名な 蘭州牛肉らーめん ですよ。 一流のお店を予約しましたよ」
 添乗員のK君。 同僚の仲間から、この蘭州牛肉らーめんを食べられることを羨ましがられたとのこと。
 
 お店はなかなか立派な構えでしたね。
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 何か大きな看板も出ています。
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 中国ではらーめんは 「拉麺(ラーミエン)」 と書くようです。 
 なんといっても、らーめんの本場は中国 と思いがちですが、それが・・・・。

 さて、我々の食卓に出てきた 「蘭州牛肉拉麺」
 こんな姿をしています。
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 「なんだか細いうどんのようで、腰はないし、歯ごたえも変だし・・・」
 「スープも全然コクがない。 コショウや山椒のようなものが入って、変な味やな~・・・」
 我々グループの全員が怪訝な表情。 お世辞にも美味いとは言えない代物。

 ついていた調味料。醤油と辛子と何やらペクチーのような葉っぱ。
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 この調味料を入れても、全然美味くならない・・・・。

 私は全然驚きませんでした。
 これまで20回以上中国旅行をしていますが、中国の麺で美味いと思ったは、西域のウイグルのうどんだけ。 特にらーめんはイケマセン。 日本のラーメンとは別物で、ハッキリ言って不味い!

 この拉麺を全て食べた人は一人だけでした。 それも唐辛子を一杯入れて、汁が真っ赤になったのを食べてましたが、これが中国流?なのかよく判りませんが・・・。

 この店は蘭州でも一流の店だというのですが、いくら一流でも不味いものは不味い。
 しかし、拉麺以外の料理はさすがに美味かったですね。
 新鮮な野菜の炒めものはなかなかでした。
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 基本的には黄河のダムで食べた庶民料理と同じですが、味とお皿が上品。
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 ちょっと変わった品が出てました。
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 これは北の内モンゴル自治区で食べた、羊の肉と軟骨、そして羊の血のミンチのような気がします。
 この店では羊じゃなくて、牛肉かもしれません。
 地理的にもモンゴルと近いし、他の地域ではあまりお目にかかれない品ですね。

 ラーメンは日本に限る。 そう思いますね。
 中国人の人達にも、日本のラーメンを食べてほしいですね・・・。
 まー、味覚と言うのは理屈じゃなくて、習慣もあるからね、どうでしょうかね・・・。

 (追加)
 今日(6月26日) 名古屋の何時も行く自宅近くの中華料理屋。 中国人の若者がラーメンを食べていた。
 「蘭州の牛肉らーめんは不味かった。日本のラーメンと中国のラーメンとどっちが美味い?」 と聞いたら、
 「中国で食べると中国のラーメンは美味いし、日本で食べると日本のラーメンが美味い」
 これじゃ答えにならないじゃん。 
 そもそも日本のラーメンと中国のラーメンは別物だという意見は、この中国青年と私で一致しました。
 
 この店の中国人のアルバイトの女性。
 「蘭州には行ったことないですが、名古屋のきしめんは美味しいですよ」
 「西域のウイグルのうどんはきしめんよりズーと美味いぞ。一度食べてみろよ」
 実に変な日中の庶民の会話でしたかね・・・。




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by takeshi_kanazaw | 2017-06-26 08:48 | 中国・河西回廊の旅 | Comments(2)
 この中国五千年倶楽部の河西回廊の旅に参加したのは19名。

 その中に、立派なカメラを持ち、3脚まで持参していた方が2名。
 「よほど写真が好きな方なんだな~・・・・」 と思っていました。
 この二人の方。 我々とは撮る場所も、撮り方も全然違う・・・・。

 そのうちのお一人は、私が3年前にこの五千年倶楽部で雲南省を旅したコースと同じ場所に、昨年行かれたらしい。 その時に写真撮影時間が充実して、自由度もあってこの五千年倶楽部の旅が気に入ったという。

 「菜の花が一杯で綺麗だったよね・・・。 棚田を撮るのに大勢の人でビックリした」
 そんな話に花が咲いたのですが、その時の彼の撮った写真の一部を見せてもらった。

 「???。 これは・・・・・。 普通の人が撮った写真と全然違う・・・・・。まるでプロ技や・・・・」
 全く同じ場所に立っていたのですから、撮られた写真の差は歴然と判る。

 その時はハッキリ言われなかったのですが、彼はどうも本物のプロのカメラマンだったのです。
 「写真は漫然ととってもしょうがないよ。 テーマをハッキリさせないと・・・・」
 「そうか、何か焦点をハッキリさせてね・・・・・」

 その時、なんとなく撮ったのが、下の写真。

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 狛犬に焦点を当て、後ろに仏像を配する。
 写真の題名は  「仏を守る!」 という感じ。
 少しは漫然さが解消されてますかね・・・・・。

 グループ旅行の中には、プロの写真家が同行して、撮影の指導がついた旅行があるようです。
 今回の我々の旅は、二人は全く我々と同じ普通のお客ですし、他の人は特に写真撮影に拘るメンバーもいません。 この二人はグループの中では、単に写真好きのメンバーという感じ。

 この二人は行く先々で精力的に写真を撮られました。 
 二人の撮影の邪魔になってはいけないので、あまり指導を仰ぐ?ような無粋なことはしませんでしたが、二人とも気さくなお人柄で、時々はポイントを教えてくれました。

 それで今回の旅では私の写真の質が向上したか?
 そんなに簡単にはいきませんでしたね・・・・。


 こんな話を載せていると、この旅行記、何時終わるか判りませんね・・・。
 まー、これが私流ですから、ご勘弁を。


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by takeshi_kanazaw | 2017-06-25 08:01 | 中国・河西回廊の旅 | Comments(6)
 旅の2日目のメインイベント、炳霊寺石窟の見学ですが・・・・。

 シルクロードの千仏洞は、敦煌の莫高窟やキジル千仏洞が有名です。
 私はたまたま半年前のシルクロードの旅で、両方の千仏洞を見ていますが、この炳霊寺石窟は有名な二つの千仏洞とは趣が異なって、チョット面白い。 

 私の勝手な印象ですが、キジル千仏洞は飛天など西域の感じがよく出て、自由で伸びやかな感じです。莫高窟になると、唐代のボッテリした像が増えて、綺麗で整った感じの像や壁画が主力になります。 それに比べると、この炳寺石窟霊は華やかさはないですが、素朴な感じがしましたね。

 「ここは写真撮影OKなんだね。 有難いことやね」 そうなんです、キジルも莫高窟も撮影禁止でした。
 パチパチと撮った写真の一つから、紹介していきます。
 仏像や歴史に興味のない方には退屈な話かもしれませんが・・・・。

 まずは北周の仏像です。 北周と言うのは、五胡十六国時代(304年~439年)という北方の多様な民族が中国を支配した時代で、最後の頃の国名です。
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 素朴ですが、西域とも違う、唐時代とも違う、落ち着いたいい仏像ですね。

 「うーん、どうもこの炳霊寺石窟は、五胡十六国時代のものが多いのかな・・・・」

 次はどの時代かよく判らないですが、、お寺の説明書では五胡十六国時代とありました。
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 仏像の来ている服装にチョット特徴がありますね・・・。

 ドンドンと載せていきます。
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 この端正な顔立ち。 何か昔の朝鮮の仏像の感じと似てますね。 強引に言えば、日本の飛鳥時代の百済観音のイメージと似通った感じがしたのですが・・・。 ボッテリ感がないですからね・・・。

 勝手な印象が続きますが、次の像も面白い。
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 これは千手観音の原型のような気がしましたね・・・。 どうなんでしょうか。

 この千仏洞では素朴で小さな仏像も彼方此方にあります。
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 付近の住民に支持されていた証拠でしょうかね・・・。 莫高窟にはあまりこうした仏像はないですね。

 この仏像には頭部がありません。
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 この地域は後でイスラム化した時代を迎えますから、偶像破壊の影響を受けたのかもしれません。

 少し雰囲気が違う仏像。
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 根拠はないですが、イメージがチベット仏教に連なる感じがしたのですが・・・。

 「な~るほど。 この石窟は西域から仏教が伝わった初期の頃のものが多いようだな・・。 意外と中国仏教の原点、いや東アジアの仏教の原点かもしれん・・・」  逆に単なる田舎の古い千仏洞なのか、もう少しこの石窟の様子が明らかになるといいのですが。

 ところで日本仏教は何処から伝わったか。 この話は素人の私が話題にするのはオコガマシイのですが、飛鳥時代の仏像は、どうも、五胡十六国時代ー北魏ー百済ー飛鳥(日本)と流れている気がします。 奈良時代以降は中国の唐の影響を色濃く受け、その後も仏教と言えば中国(唐、宋)が日本仏教の源泉になっています。

 「どうも日本仏教は中国の影響を強く受け過ぎ、理屈っぽくて仏教の本筋からは離れた異端児かもしれん」
 この炳霊寺石窟を見ると、そんな感じがするのですがね・・・・。

 実は私たちが見たのは炳霊寺石窟のホンの一部に過ぎません。
 大きな仏像の周囲には、沢山の洞窟があって、そこにはもっと歴史的価値の高い仏像があるらしい。
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 「この崖の上へあがるには別途料金が必要です。写真撮影はべらぼうなお金が要りますよ」 とS女史。
 学術調査団ぐらいしか、これ以上の探訪は無理なようです。

 どうでしたでしょうか? 炳霊寺石窟に興味が出てきましたでしょうか。

 予備知識も準備もしなかったので、なかなか的確な説明が載せられませんでした。
 インターネット検索をしても、炳霊寺石窟の詳しい話は殆ど出てこないんですね・・・。

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by takeshi_kanazaw | 2017-06-24 08:24 | 中国・河西回廊の旅 | Comments(2)
 旅の2日目、いよいよ 炳霊寺(へいれいじ)の見学です。

 私は何時もの通り、見学先の予備知識は全くない。 現場を見てからいろいろ考えるスタイルです。
 「ふーん、この遺跡は石窟が有名なのか・・・・」
 お寺に入る入口にこんなものが。 世界遺産のマークのような感じ。
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 どうもシルクロードは世界遺産だから、その一部だという位置づけなのかも。 不確かですが。

 お寺の入り口の門らしきところに到着。
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 この遺跡は黄河ダムが作られて、水没を免れた部分だけが残っているハズですから、この門も我々が歩いている道も、ダム建設後に作られたものと言うことが出来ますね。

 ダムから見えた寺院らしきものが現れました。
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 「これがこの寺の本殿? なんだか変だな・・・・」
 お寺と言えば、大きな門や本殿などの寺院を見慣れている日本人には、奇異に感じてしまいますね。

 前にもこのブログで載せたと思いますが、仏教世界で寺院が出来たのは中国に仏教が来てからで、インドの原始仏教の時代や、西域仏教の頃は寺院はなかったらしい。 今でも南伝仏教では主体は釈迦の骨を祭るパゴダ(仏舎利塔)ですね。

 「そうか、この仏教遺跡の主体は石窟なのか・・・・。 そういえば敦煌もキジルも大きな寺院はなかったな・・」
 ちなみに、この 炳霊寺 と言うのは、チベット語で 千仏 という意味だそうで、いわゆる千仏洞の一種かも。

 案内役の我観光団のスルーガイドのSさんがのたまった。
 「このお寺はチベット仏教のお寺です」   
 チベット仏教のお寺? 確かに岩の上のお寺にはチベット仏教らしい旗がありますが・・・。

 彼女はチベット人なので、身びいきでそういってるのか? イヤイヤお寺の名前の由来もチベット語らしいから、本当かもしれないし・・・。  私はズーと首をひねりながら見学することになりました。

 この遺跡は周りを岩の山で囲まれ、その岩肌にダムの水が打ち寄せている感じです。
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 観光用に作られた道をたどって、岩山の淵を歩く感じですね。 ダムがなければ恐らく下は断崖の谷なんでしょうか。
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 この時期はダムの水が少ないそうで、8月頃は下の道はダムの水で水没するらしい。

 断崖に掘られた石窟群が現れました。
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 千仏洞としては敦煌の莫高窟が有名ですし、キジル千仏洞もよく知られています。 この 炳霊寺 の千仏洞も基本スタイルは同じですが、殆ど手が加えられず、洞窟がむき出しのようになっています。
 「観光客もいないし、石窟の中の写真も撮れるし、僕は気に入ったよ」

 一番大きな仏像が現れました。 莫高窟でもありましたね、このスタイル。
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 どうもこの仏像は改修されたもので、新しいですね・・・・。
 この遺跡の主体はこの大きな仏像ではなく、周囲の200弱ある石窟の方が重要なのでしょう。

 「しかし、どうも気になるな・・・。 この寺がチベット仏教の寺だという話・・・・」
 ガイドのSさん曰く、昔からこの地域はチベット人が多く住んでいて、その人たちのお寺だというのです。
 一応このお寺の説明には、五胡十六国(4~5世紀)の時代の創建と言うのですが・・・。

 後でユックリ考えてみれば、どうも我々は漢民族の作った歴史に影響を受け過ぎているのかも。
 そこで、私の拘り癖が出てきます。 これ以降は、私の勝手な歴史探訪です。
 歴史的には河西回廊の支配者は誰だったのか?

 仏教がこの地方に伝来したのは5世紀以降のハズ。 西域仏教の隆盛は5~8世紀だからそんなもの。
 7世紀頃のこの地方の様子を歴史地図で探しました。
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 この河西回廊はかろうじて唐(漢民族)の支配ですが、まるで線の支配のように僅か。 南の蕃と言うのはチベット族の国です。私見ですが、漢民族が西域を支配したのは、後漢と盛唐の僅かな時期に留まっていたのではと思います。 敦煌は漢民族の離れ小島みたいな時期が長かった。

 9世紀頃、晩唐と言われて唐の力が衰えたころです。
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 河西回廊の地域はスッカリ 「吐蕃(チベット族)」 の支配下にありますね。

 12世紀頃。 ツングース系と言われる西夏がこの地方を制圧しています。
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 恐らく南の吐蕃(チベット族) 西のウイグル族 東の西夏(ツングース族)が入り乱れて戦っていた?

 「そうか、確かにガイドのS女史の言う 炳霊寺はチベット仏教のお寺 との見解も、あながち誇張ではないかもしれんな・・・・」 現在でもチベット、青海省、四川省西部はチベット族の世界ですから。

 ちなみに私の調べた範囲では、現在の中国の 炳霊寺 の説明(中国語)には、五胡十六国の国名は出てきますが、チベット仏教との関係は書いてないような感じです。 中国語が判らないので自信はないですが・・・。

 まー、何時ものような、私流の勝手な推測で遊んでいますが、意外と真実に迫っているかも?

 そうでした、石窟の様子を見れば、もう少し真実が見えてくるかも・・・。
 次回は、また退屈な? 仏像や壁画の話になります。

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by takeshi_kanazaw | 2017-06-23 08:38 | 中国・河西回廊の旅 | Comments(2)
 旅の2日目、蘭州からエンコラと黄河ダムにある 炳霊寺(へいれいじ)にやってきました。

 蘭州からも遠くて、殆ど観光客の姿はまばら。
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 この場所は船でしか来れないので、観光バスの姿も見えない。 鄙びた観光地という風情で、ホテルも大きなレストランも見当たらない・・・・。

 「もう2時か・・・。 さすがに腹が減ったな・・・・・」
 「ここでは船の上で昼ごはんになりますよ」
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 ダムの岸辺に繋がれている少し大きな遊覧船。 その船の中でランチタイムとなりました。

 旅行中は結構いろんな食事をするのですが、それを写真に撮っておくことは稀ですね。
 ところがメンバーの一人の方が、必ず出てくる一品づつ写真を撮られる。
 「うーん、じゃー私も撮っておきますか・・・」 と言うことで、今回は意外と食事の時の写真が残りました。

 中国へ行けば中華料理。 でも中国はヨーロッパほどの面積と、倍の人口があります。
 例えば、スペイン料理とドイツ料理を西欧料理と総称するは変ですよね。 
 同じように、中国でも場所が違うとそれぞれ違うんですよね・・・。

 ダムで取れた魚でしょうか
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 左はどうもニンニクの茎ですね。 この辺は日本人にもお馴染みの料理ですね。

 豆腐を甘辛く煮たもの。
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 中国の豆腐は日本の豆腐より少し硬めの豆腐が多いですね。

 一番美味かったのはナス。
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 衣をつけずにナスを揚げて、それから煮たのではと思うのですが・・・。
 船の中で料理しているので、舌が痛いほどアツアツ。 実に美味しかった。
 「家の嫁さんはこのナスの料理が作れないかな・・・・」

 キャベツもナカナカでした。
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 これも油で炒めて、味は塩味だけ。 凄くシンプルですが、キャベツの甘みが出て美味かった。
 「こんな料理なんて簡単そう。 これぐらいなら家の嫁さんでも出来るだろう・・・」

 そしてこれもシンプルな一品。 トマトと卵を絡めたもの。
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 どうでしょうか、まさにシンプルな家庭料理そのものという感じでしょ。
 船の中で、中華鍋で一気に料理しているようで、アツアツのまま出てくるのがいいですね。

 今回は参加者に女性が多い。
 「簡単そうに見えるけど、日本で作るのは難しいのよ」
 油や、調味料、鍋、火力などなど、やっぱり違うという意見が多く出ました。
 そんなもんなのですかね・・・・・。

 私は食事中にも、必ずタバコタイムを取ります。 食卓を離れて、船の舳先で一服。
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 鳥を飼っているのですね・・・・。 こんな場所でも鳥を飼うなんて、なかなか風流ですね・・・。

 食卓に帰ると、もうスープが出ていました。 これはあまり美味くなかった。
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 また機会があれば、食事の記事も載せていきましょうか。 意外と食事へのコメントが多いので。
 
 なお、この河西回廊の地域は回族というイスラム教徒が多いこともあって、殆ど豚肉料理が出てきません。全体に乾燥地域なので、肉類が少なく野菜中心です。

 さー、そろそろ 本来の観光の目的の 炳霊寺(へいれいじ) へ行きますか。
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 ところで、前回の旅行記を載せている時、話がドンドンと進むにしたがって、一体何処の場所の話なのか分からなくなって、迷子になってしまう?というコメントがありました。 と言うことで、今回も画面の右下に小さな地図を何時も載せておくことにします。
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 地図の中に数字が打ち込んでありますが、旅の日にちです。
 たとえば蘭州には ①②③ 。旅の一日目に着いて、三日目に蘭州を離れたという意味です。
 これからは何時でもこの地図をつけておきますので、時々見てください。
by takeshi_kanazaw | 2017-06-22 08:25 | 中国・河西回廊の旅 | Comments(6)
 旅の二日目。 
 その日は一日かけて、蘭州から75キロ離れた炳霊寺(へいれいじ)を観光したのですが・・。

 「うん、そういえば何処かで聞いたような気がする寺だな・・・。 確か船に乗ってしか行けないお寺」
 そのお寺が、どうもこれから訪れる 炳霊寺 らしい。 随分いい加減でスミマセンね・・・。

 二日目の早朝、タバコを吸いたくて部屋からホテルの外へ(部屋は禁煙なのです!)
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 いい天気でしたね・・・。 道の周囲は大きなビルが立ち並び、車も多い。
 蘭州は甘粛省の省都。人口は300万人を超える大都会です。 標高1500mで黄河に沿った町ですが、昔のシルクロードのオアシス都市という面影はもうありません。 なお蘭州の町の観光は3日目です。

 「朝飯を食わなきゃ・・・・」  ホテルの朝食は結構豪華。日本の宿の朝食より品数はズーと多い。
 しかし、私が中国へ旅した時の朝食は、何時もお粥です。必ずお粥です。
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 シャブシャブのお粥、そして大きな揚げてあるネジリ棒みたいなもの。

 30年前に中国に2か月いた時、庶民の朝飯はこのお粥とネジリ棒と決まっていました。 お粥の湯気が路地に漂い、人民服を着た庶民が小さな椅子に腰を掛けて、フーフーとこのお粥とネジリ棒を食べていました。私もこの朝飯スタイルが気に入って、その後も中国へ来ると、必ず同じ朝食です。

 さて、いよいよ観光の始まりですが・・・・。
 「これから行く炳霊寺は蘭州の町から75キロ離れたところにあって、山道を超えるガタガタ道になります。約2時間半かかります。高速を走れば少しは早くなるかもしれません・・・」
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 ところが、蘭州の町中は朝の交通ラッシュで渋滞気味。 渋滞を抜けて高速に乗ったようなのですが、一体何処を走っているのかよく判らない・・・。

 景色は少しずつ田舎風になって行きます。
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 私は中国へ来ると、有名な観光地巡りより、普通の田舎の風景を見るのが好きなのです。
 しかし突然、超近代的なビル群が出現しました。 蘭州新城 と立札が。
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 こんな新しいビル群が結構続きます。 蘭州から30キロぐらい離れた場所。 まだ建築ラッシュ中です。
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 「ビルを作るのはいいけど、誰が住むんや。 住む人間がおらんやんか・・・」
 中国の田舎では、まだ建築バブルが続行中という感じですね・・・。

 「どうもオカシイな・・・・。 高速道路をグルグル回っているけど、同じような場所を走っているような・・・」
 後で判ったのですが、高速道路の一部が工事中で、う回路を廻っていたので、予定時間の倍近く掛かってしまいました。 急がば廻れで、旧道の方が良かったようです。

 中国旅行では道路工事のために、計画通り行かないケースが多々あります。 スマホなど情報機器は日本と同じように発達してますが、工事などの情報のインプットがどうもイマイチのようです。 まー、日本でも森友学園問題など、政府の情報が出てこないので、インプットされなければ情報機器も役立たない。

 3時間ぐらいバスに揺られ、やっと黄河のダム湖らしき場所にやってきました。
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 黄河と言えば黄色い水という固定概念がありますが、ダムのように水が貯まった場所では、黄色い砂が沈んで綺麗な青色になりますね。 そうそう、前の黄土高原の旅でも、真っ青の黄河ダムを見ました。

 この甘粛省にあるダム。 劉家峡ダムと言うダムで、黄河のダムでは最大らしい。 1971年に完成したという、とにかく大きなダムです。
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 「琵琶湖より大きいかもしれんな・・・」 とにかく行けども行けども、ダム湖は続きます。

 確か蘭州のホテルを出たのが9時ごろ。 もう昼の12時を過ぎています。
 バスは田舎道を船着き場までウロウロ。 まさに中国の田舎の部落の中を分け入ります。
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 バスは上下左右に揺れます。 周囲はこんな畑が広がっています。
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 観光地でもない写真が多いですが、これが現実の状況ですので、ご勘弁を。

 やっと船着き場が見えました。 しかしまだ炳霊寺には着きません。 これから船に乗ります。
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 「そうか、やっぱり炳霊寺は船で行くしかないお寺なんだな・・・・」 変なところで感心・納得です。
 しかし、一つの寺を丸一日を掛けて観光するなんて企画は、さすがに中国五千年倶楽部です。こんな効率の悪い観光は敬遠されるのが普通でしょうね・・・。 でも田舎を走るのが好きな私にはピッタリですが。

 そして、ダム湖の上を延々と・・・・。
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 この旅の参加者の面々。結構楽しそうにカメラを彼方此方に向けていました。

 なかなか炳霊寺に着きません。周囲は荒れ果てた山が続いています。 昔はこの水面下数百メータ下に黄河が流れ、この山々が頂だったということでしょうね・・・。
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 もう30分は船に乗っていたでしょうか。 岩山に何やらお寺らしきものが見えてきました。
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 どうもこれが炳霊寺ですね・・・・。 時間はもう昼の2時ごろ。

 「炳霊寺は遠かったな~・・・・・・」

 炳霊寺に着くまで随分長く掛かりましたが、このブログも随分長くなりました。
 炳霊寺の話は次回にしましょう。 書く方も疲れましたし、このブログを読む方も疲れますね。
by takeshi_kanazaw | 2017-06-21 09:26 | 中国・河西回廊の旅 | Comments(8)

海外や国内の適当に撮った写真の記録


by takeshi_kanazaw