カテゴリ:新シルクロードの旅( 38 )

 シルクロードの旅の11日目。 旅の最終日になった。

 早朝の西安は霧に覆われていました。

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 これまで乾燥した西域を旅してきましたから、霧の町はどこか幻想的に感じますね。
 西安は古都ですが、人口は800万の中国西部の大都会でもあります。 ビルが立ち並んでいますね。

 タバコを切らしたので、ホテルからタバコを買うために近所のコンビニを探しに町へ出ました。
 一人で早朝の街角をプラプラ。 屋台が出てますね。 朝食を売っているようです。

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 近づいてみると卵のスクランブルみたいな感じの食べ物。 中華料理というと豪華な宴席の料理をイメージしますが、結構簡単なファーストフード風な食べ物も一杯ありますよ。 ナンやマントウと野菜や卵、肉を組み合わせた手軽な食べ物も多くて、マックよりは数段と美味いと思います。 日本で中華式ファーストフード店をチェン化すれば流行る様な気がしますが・・・・。

 その日は午後には日本へ帰ることになっていました。 
 「午前だけの観光ですが、城壁の上を歩くことになってますよ」

 ツアーメンバーの多くは、この西安はもう何度も来られた人ばかり。
 「そうだよな、今更混雑する西安の観光地へ行くより、ノンビリと城壁でも歩いたほうがいいや」

 昨夜見たライトアップされた城壁でしょうか・・・。 いや、周囲の感じから違う場所から登るのかも。

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 西安の町は旧市街はぐるりと城壁に囲まれています。 東西南北に門があるはずですが、この門は多分南門ではないかと・・・。 私は方向音痴でよくわかりませんが・・・。

 サー、門を入って城壁の中へ。

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 何か入場券みたいなものが要るようです。 パック旅行はガイドさんがちゃんと面倒を見てくれます。
 さっそく城壁の上に登りましょうか。

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 「この城壁はズーと続いていて、全長は11キロ超あります。 とてもじゃないがぐるりと一周すると、歩いて一日は掛かってしまいますよ」 
 「ここでマラソン大会をやるんだろう?」
 「そうです。マラソン大会では城壁の上のこの道を2周しますよ」  いや3周すると言ったかも・・・。

 城壁の一部だけを歩いたのですが、結構幅が広くて10m以上はありそうです。

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 そもそもこの城壁は明代に作られたものらしい。 唐代の城壁はどんな感じだったのか・・・。
 面白いものがありました。 レンタサイクルのお店。

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 早朝なのでお客さんはマバラですが、歩くより自転車で廻る方がいいかもしれませんね。

 私はあんまり歩くこともせず、ゆっくりタバコをプカプカ。
 壁の近くのベンチに腰を掛けて、タバコを吸いながらノンビリと町を眺めていました。
 片方の情景は旧市内?なのか、ビルが多く見られます。

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 実は現在の西安市では、この城壁が交通渋滞の大きな原因になっています。 市内観光をすると実感しますが、城壁の下を通る道路が近づくと必ず渋滞です。

 一方の側の情景は住宅地が広がっていました。

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 少し古いマンション群が見えます。庶民の家なんでしょうね・・・。

 2時間弱もプラプラしていたでしょうか・・・。
 「そろそろ行きますか・・・・・」 城壁を出ていくようです。

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 次は何処へ行くのかな・・・・・。 私はあまり観光したい気もないし・・・。
 市内の渋滞を潜り抜けてたどり着いたのは、西域へのモニュメントのある場所。

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 「あー、此処か・・。 前にも見たことがあるな・・・。 そうかシルクロードの旅だから、此処に来たのか」
 もう家に囲まれて街中にポツンとあるモニュメント。 
 「ラクダに乗ったソグド人だな・・・。 中華の国の人が西域をイメージしたモニュメントやな・・・」

 交通渋滞に悩まされながら西安空港へ。
 「上海まで2時間、そして名古屋へまた2時間。 またタバコが吸えない時間が始まる・・・」

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 長かったシルクロードの旅も終わりました。
 
 厳しくも美しかった自然。 カラクリ湖への道も印象的だったし、砂漠の広がる殺伐とした情景もよかったですね。 やっぱりシルクロードの自然は何時みても素晴らしいですね・・・。

 一方、シルクロードはそこに生きた人たちの歴史のある場所ですね。 各民族の興亡の歴史、宗教遺跡などを見ると、葛藤の歴史でもありましたね。 そしてその民族の葛藤は今も続いていますね。

 今回の旅では、現在も続く民族間の支配・反目の軋轢の中、変化していくシルクロードの様が印象的でした。 この旅行記では書ききれませんでしたが、のどかなシルクロードの姿は、今はもう失われてしまったような気がしましたね。

 長かった 「新シルクロードの旅」 もこれにて 完!

 この旅行記、自分で最初から読み直しても、一時間以上掛かって疲れてしまいました。
 「こりゃ本にでもしないと読み切れんわ・・・・」

 書き手が読んでも疲れるほど長い旅行記。 お読みいただいた方々には感謝ですね。
 お疲れ様でした・・・・・・。




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by takeshi_kanazaw | 2016-10-24 10:22 | 新シルクロードの旅 | Comments(4)
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 西安の町の城壁がライトアップされていました。
 「綺麗やな~・・・・。 さすがに古都・西安や・・・・・」

 西域を旅してきた我々。 まるで昔の西域人が唐の都、長安にやってきたような気分です。
 長い厳しい旅をして、やっとたどり着いた都、長安。  西域人には煌めくような場所だったに違いありません。

 城壁の周りはお店が並び、そこに大勢の人が行き交う。

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 きっと唐の時代にも同じような情景が広がっていたのでしょうか。

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 中国各地から来た人、各地方の方言が飛び交っていたのでしょうね。 それに西域から来た胡族、北からの南から、いろんな種族の人たちも行き交って、まさに国際都市・長安の賑わいが目に浮かぶようです。

 城壁の周りには明りをつけたお店が並ぶ。

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 西域から来た葡萄酒、南からもち米で作った紹興酒、そして北の白酒(パイチュウ)などが出され、各地の料理が卓の上に並べられる。 そんな宴の席が設けられていたに違いありません。 
 まさに中華の国の中心だった長安は 「華の都」 だったのでしょう。

 当時の長安は人口が百万人だったといわれています。
 8世紀頃の世界は、ローマ帝国は衰退して、パリ、ロンドンはまだ田舎町、ニューヨークはその形さえ存在しない頃ですから、長安はまさに世界一の大都会、世界の中心だったのかもしれません。

 西域からたどり着いた我々も、華の都でささやかな夕食を。
 出された夕食は 餃子尽くし。 各種の餃子を食べ続ける・・・・。

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 中国の餃子と言えば、基本は 水餃子。 餃子を茹でて各種のタレでいただく。 水餃子は食べ放題というお店が多いですね。 北の地方では餃子はお正月には必ず食べるらしく、主食のマントウより随分とご馳走です。

 そして次々と蒸し餃子が出てきました。 10種類以上だったかな・・・・

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 ツアー仲間は、紹興酒を頼んだり、白酒に挑戦したり、とにかく飲んで、餃子を食べて・・・・。
 我々は午前中に敦煌で世界一の仏教遺跡を見学し、その日の夜は、華の都・長安で宴の席を楽しんでいるわけですから、昔の皇帝でさえ出来なかった贅沢をしていることになりますね。

 ホテルの部屋に入ると、電気スタンドに馬の置物が。

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 西域の馬、ですね。 張騫が求めた血の汗をかくという 汗血馬 を模したものですね。
 「華の都長安らしい雰囲気や・・・・」

 まるで西域から来た お上りさん のような気分で過ごした西安の一夜でした。


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by takeshi_kanazaw | 2016-10-23 08:45 | 新シルクロードの旅 | Comments(6)
 シルクロードの旅、10日目の午後は敦煌(とんこう)から西安へ飛行機で移動。

 敦煌空港にやってきた。

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 敦煌は20万弱の小さな町ですが、莫高窟(ばっこうくつ)などの国際的に有名な遺跡があり、大勢の観光客が来るので、ちゃんと空港があるんですね。

 さすがに飛行機の数は少なくて、我々が乗る飛行機以外には数機程度。 閑散としています。

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 さて、敦煌から西安までどのくらい離れているのか、なかなかイメージ出来ないかもしれませんね。
 何時も載せているシルクロードマップです。

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 敦煌ー西安間はおおよそ1500キロぐらい、飛行時間は約2時間です。 結構遠いのです。
 この地図で分かるように、殆どが祁連山脈(きれんさんみゃく)の上を飛ぶことになります。
そして、祁連山脈に沿ってシルクロードの河西街道(かせいかいろう)が通っているのですが・・・。

 敦煌の飛行場を飛び立つと、すぐに眼下に雪山が見えてきました。

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 祁連山脈は全長1000キロを超える大山脈です。 最高峰は6500mで、標高4000m以上の雪山がズーと連なっています。 シルクロードの山はいずれも大きくて高い山ばかりですね。

 もうこの山でも5000mを超えているのかもしれません。

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 写真の上の方(南になる)は青海高原だと思われます。 青海高原は黄河や長江の生まれる場所であり、標高4000mぐらい雪の高原が続いて、南のチベット高原へと連なります。

 「河西回廊は見えないかな・・・・・・」  飛行機の窓からズーと下を見ているのですが・・・。
 シルクロードは西安からローマへの道ですが、そのプロ・ローグとでもいうべき導入部に当たるのが「河西回廊」です。 北の砂漠と南の祁連山脈にはさまれた回廊のような場所が1000キロ以上続きます。

 下の地図は唐の時代に玄奘三蔵が歩いた道ですが、長安(現在は西安)から蘭州(らんしゅう)を経て、河西回廊をひたすら西へと向かって歩いたのですね。
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 河西回廊という名前は、河(すなわち黄河)から西への回廊状の道という意味で、この道には祁連山脈からの雪解け水の恩恵を受けて、点々とオアシスがあります。 現在でもこの玄奘三蔵が歩いた道に鉄道が引かれて、ウイグル自治区へのメイン通路となっています。

 しかし、この河西回廊は中国王朝の支配下になっている時期は多くないのです。 中国王朝がこの河西回廊に勢力を及ぼしたのは、前漢(紀元前1~2世紀)の時代に、青年将校 霍去病(かっきょへい)の活躍で匈奴に打ち勝ったことから始まります。 同時代に西域の月氏へ行こうとした 張騫(ちょうけん) は、河西回廊辺りで匈奴の捕虜となっています。

 その後も河西回廊は、たびたび北の遊牧民と南の大国吐蕃(とばん、チベット族)の支配を受け、長安も一時吐蕃に占領されたこともあるぐらいで、西域への道は何時も通商が安全とは言えない時代の方が長かったらしい。ちなみに、現在でもチベット自治区にとどまらず、青海省や四川省の西部はチベット族の世界です。

 飛行機はどうも祁連山脈の南側を飛んでいるようです。 

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 川が見えますが、これは多分青海高原から流れて、黄河に流れ込む支流かもしれない・・・。 川沿いの場所は、きっとシルクロードの枝路である、青海の道 かもしれません。

 飛行機はドンドンと祁連山脈の上を飛び続けます。

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 キラキラと光る川が綺麗でしたね・・・・・。

 蘭州に近づいたころは、もう雲が一杯で山の姿も見えなくなりました。 そろそろ西安に降りていくようです。

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 実は25年前の第一回目のシルクロードの旅は、この河西回廊を、蘭州からバスで点々とある各オアシス都市に泊まりを重ねて、トルファンまでの10日ぐらいの旅でした。 最初は中華の国の田舎ぐらいの感じですが、進むにつれて荒涼たる原野が増え、そして万里の長城が尽きる場所まで来ると、ここから先は異民族の住む西域になるという感じが肌で判りますね。

 唐代の詩人王維の詩 「送元二使安西(元二の安西に使ひするを送る)」が有名で、「西出陽關無故人(西のかた 陽関を出づれば故人(知り合い)無からん)」の句をご存知の方も多いかと。 河西回廊を旅するとそんなイメージになります。

 もし、初めてシルクロードを旅したいとお考えの方、出来れば最初は河西回廊を旅し、中国世界から西域への気分を味わっては如何でしょうか。(ただし現在の姿はどうなのか知りません。オアシス都市も建築ラッシュで昔の面影はないかも・・・。シルクロードを体感出来るかどうか、全く自信はないのですが)  二回目以降にウイグル自治区のタリム盆地周辺を旅され、西域の別世界を満喫された方がいいかと思いますが・・・・。

 西安に着きました。 何やらどんよりした天気でしたね・・・。

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 この西安でシルクロードの旅も最終地です。 


 
by takeshi_kanazaw | 2016-10-22 07:57 | 新シルクロードの旅 | Comments(4)
 「ここは何処や? 何しに来たんや?」

 敦煌の莫高窟を見学した後、昼飯を食べた後か前か記憶が不明ですが、何やらバスが田舎の部落の中に入って行く。 私は何時ものことながらガイドさんの話を聞かないので、よくわからないのです。

 バスを降ろされると、私にとっては最重要なことは タバコを吸うこと。 ここでもタバコを吸っているのでガイドさんの話は聞こえない・・・。

 タバコを口にくわえて、プラプラと部落の中を見渡す。

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 観光客で溢れる町を離れると、敦煌の町も随分と田舎風になりますね・・・。
 「玄関に何やら赤い紙が貼ってある。これは漢族の住まいやな。 でも家の感じはタリム盆地のウイグル人の家と感じが似ているな・・・。 乾燥地帯の田舎に住むと人種の違いはあまり関係ないんやな・・・。」

 少し家の横へ足を向けると、犬ちゃんが近寄ってきた。

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 私は元来動物はあまり好きじゃない。 犬も判るのか近くに来ない。
 辺りには切られた木の枝が積まれている。 これもタリム盆地で見た風景と似ている。
 「そうか、ここも冬は零下になるんだ。 暖房や燃料として木は貴重品なんやな・・・」

 部落の様子を見ている方が観光よりズーと面白い。 2本目のタバコを付けて・・・。
 今度はオバサンが小さな赤いトラックに乗って通り過ぎる。

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 「エー雰囲気や。 こんな雰囲気がシルクロードらしくて エーなー・・・・・」

 勝手に道路の方へ歩いて行くと、ポプラ並木がズーと続いている。

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 さすがにここでは乗用車は走っていませんね。 でも敦煌でもロバがいない・・・・。

 私がプラプラしている間に、他のツアーメンバーは何やら塔のようなものを見学している。

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 ガイドさんの説明を聞いてなかったので、この塔がなんなのかよくわからない・・・。

 近くに中国語の説明石碑が・・・。
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 「エーと・・・。鳩摩羅什さんはこの敦煌にも来たんやね・・・。 ここで死んだ? これは鳩摩羅什さんの墓?」
 「違うよ、これは鳩摩羅什さんを載せた白馬の墓やで」
 「??? なんでそんな馬の墓を見に来たんや・・・。 よう判らんな・・・・。 まーいいか。 僕は田舎が好きやから、何処でもいいんだわ、鳩摩羅什さんを乗せた馬の墓だろうが、踏んだ石跡だろうが・・・」

 帰りに道の反対側を見ると、すぐ近くまでビルが押し寄せていました。

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 この場所も数年後はビルが立ち並ぶ街になってしまうんでしょうかね・・・・。
by takeshi_kanazaw | 2016-10-21 07:50 | 新シルクロードの旅 | Comments(8)
 シルクロードの旅も10日目。

 早朝の敦煌の町を少し歩く。 夜に雨が降ったのか、それとも散水したのか。道路が濡れている。

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 この町も自動車が走るようになったな~・・・。 昔を思い出しながら歩きました。
 ゆっくり歩くと敦煌の町もいいんですがね・・・・。 その日も忙しい一日でした。

 「今日は午前中に莫高窟(ばっこうくつ)を見学して、午後からは西安まで飛行機で飛びます」
 この旅はドンドンと忙しくなる。 どうも落ち着かないな・・・・・。

 莫高窟に向かったのですが、なんと5キロ前でストップ。何やらミュージアムみたいなところでビデオを長々と見せられ、そこから専用のバスで走るんですね。 昔はすぐ莫高窟に前に行けたんですが・・・。

 やっと莫高窟が姿を現しました。

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 鳴沙山の砂山の岸壁に幾つもの洞窟が掘られ、その数500以上らしい。 鳴沙山から砂が落ちてくるので、この莫高窟はすぐに砂に埋もれてしまう立地条件にあります。 逆にそのことがこの遺跡を守ったということですね・・・。

 今は随分整備されていますね。 外壁がコンクリートで固められ、見学通路もしっかりしています。
 25年前は石窟を見るには錆びた鉄パイプの手すりを登るしかなかったんですが・・・・。

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 「ふーん、随分と立派になったな~・・・・・。 」 私は25年間の変貌ぶりにしばし見とれていました。

 正面入り口の大きな仏像がある窟には、赤い寺院風の屋根がありますが、これが莫高窟のシンボルのようになっています。 

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 正面からの写真が多いですが、多分どこかで見たことがある情景だと思います。
 映画の「敦煌」では、この赤いお寺を別の場所に作って撮影した話を思い出しました。

 以下は全く私の個人的感想になりますが、25年前に初めて莫高窟を見た時、非常に驚いた。 
 全く予備知識もなく、莫高窟のことも知らなかった私が、その遺跡をぐるぐる見回って、これは凄い仏教遺跡だと直感した覚えがあります。 まさに素人の直感です。

 その時はまさに驚いただけでしたが、その後にアンコールワットやミャンマーのパガン、インドネシアのボロブドール、中国の雲崗石窟や竜門石窟などなど、結構数沢山の仏教遺跡を見ましたが、やっぱりこの莫高窟が断然一番ですね。

 この莫高窟は石窟が千年も作り続けられた歴史の長さ、遺跡の仏像や壁画が数千点と多くて規模が大きい点、そしてその遺跡の芸術性の高さから 「莫高窟は世界一の仏教遺跡だ」 と思っています。 一番注目したのは、作られた時代によって仏像の雰囲気が変化していくのです。 まさに中国仏教、いや東アジア仏教の歴史を物語っています。

 しかし、残念ながらこの遺跡も中は撮影禁止です。
 外から少しだけ見える壁画がありました。

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 この壁画で感動したわけじゃないですが、石窟の中はこんな感じの壁画で一杯です。

 そこで、絵葉書を買ってその写真を撮ったり、インターネットで探したり、何とか数枚の写真を撮りましたので、なぜ世界一と思ったのかを話します。

 この莫高窟が掘られ始めたのは4世紀末ごろとされています。
 タリム盆地のオアシス都市で仏教の信仰が広まり始めたころですね。
 そのころに作られた仏像が下の写真の仏像。

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 足を交差させている姿が特徴的ですが、顔や服装を見るとなんとなく西域っぽいと思われませんか?
 多分に西域仏教の流れを汲んだ仏像だと思います。 どうもガンダーラの感じを残していますね。

 次は少し時代が下がって北魏の頃の仏像です。

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 顔つきが素朴ですが整った感じで、服装もあまり煌びやかでない。 質実素朴という感じ。
 25年前には別の北魏の仏像も見たのですが、もう少し細身のスキッとした顔立ちでした。
 大同の雲崗石窟(北魏時代作)も少し感じが似ていますね。

 これが唐の時代になると感じが一変します。

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 服装が艶やかになり、顔つきがふっくらします。 唐の時代の特徴です。
 多分現在の中国の仏教遺跡は、多くがこんな顔立ちをしていると思います。

 この莫高窟では唐代の石窟が一番多くて、半分以上を占めているかもしれません。
 インターネットで拾ったものが綺麗に感じを捉えています。

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 まさにふくよかな仏像ばかりですね。
 唐代の壁画は整った顔のものが多くて綺麗です。 画家の平山郁夫さんが絶賛したという壁画も見ましたが、残念ながら絵葉書にはなかったですね。 インターネットか画集でも探せば出てくるかもしれませんが・・・。

 もっと時代が下がって元の時代の壁画。

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 全く感じが変わってしまってますね・・・。 このころは仏教も衰退の一途だったのかも・・・。

 この莫高窟には4世紀から始まって、最後は清の時代まで千年以上の長きにわたって、その時代の仏像や壁画があります。まさに仏教の歴史、変遷を遺跡から感じ取ることが出来ます。

 余談ですが、日本の飛鳥時代の仏像の感じは、北魏の時代の仏像の流れを感じますし、奈良時代以降になると、唐の時代の仏像に似ていると思います。全くの素人の直感ですが・・・・。

 こうして話していくと、随分と多くの石窟を見たように思われるかもしれませんが、今回はあまりの観光客の多さで、殆どの石窟を見ていません。

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 「エライ数の観光客やね・・・・。どのくらいの数やろか・・・・」
 「大体一日2万人弱ですよ」 と案内をしてくれた日本語ガイドの研究員さん。
 「フエー! 一日2万人! 凄い数や、これはもう人ごみを掻き分けて見学してるハズやな・・・」

 そうなんですよね、石窟を見学している時間より、石窟の前で並んでいる時間の方がはるかに長い!
 結局今回我々が見たのは、唐の時代を中心に4窟だけでした。

 「25年前は木の小さな柵が入り口にあるだけで、見学者は数組がパラパラ。 研究所から菜っ葉服を着た研究員が腰に鍵をじゃらじゃらさせ、サンダルをパタパタさせながら、壊れそうな石窟の板の扉をドンドンと開けて見せてくれたよ。2時間ぐらいで10窟以上を見た記憶があるけど・・・」 と私がついつい昔話。
 「その話は面白いね。 そんな風な見学したかったな~・・・」 と同行のツアー仲間。

 「時間が来たから、そろそろ引き揚げましょう・・・・・」

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 しかし、どうして敦煌人はこんな砂漠の中に石窟を作り続けたのでしょうね・・・。
 シルクロードの通商の無事を祈ったのか、それとも打ち続く外敵からの無事を願ったのか・・・。
 少なくとも政治的意味より、宗教心が強かったのでしょうね。そして、作品を作り上げた工芸人達も後世に残すいいものを作る意欲で頑張ったのでしょう。 そうでもないと、こんな好いものは出来上がりませんね。

 老婆心ながら、今後莫高窟をシッカリ見たい人に忠告。
 一般の観光ではほとんど数窟しか見られません。 入場券で見られる石窟は定められており、自分が見たいと思う石窟を見るには、前もって申込み、別途料金が必要です。 このブログの写真のような人数が押し寄せていますので、事情のよく分かった旅行業者に前もって相談してから見学にお出かけください。事前に画集でも買って、石窟の番号を明確にしておくことが肝要です。 おそらく敦煌に一泊では、多くの石窟を見るのは無理かもしれませんね・・・。


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by takeshi_kanazaw | 2016-10-20 08:14 | 新シルクロードの旅 | Comments(4)
 敦煌(とんこう)にやってきました。

 敦煌は仏教遺跡の莫高窟(ばっこうくつ)のある所として有名ですね。
 その日はトルファンから中国・新幹線に4時間乗って、さらに新幹線駅の柳園からバスで2時間強揺られ、敦煌にたどり着いたのがもう4時ごろでした。

 「うーん、敦煌は漢族の世界やな・・・。 これまでのタリム盆地のウイグルの世界から、急に漢族の世界へ飛び込んだみたいな気分や・・・」  町の中には全くウイグル人の姿はありません。 この敦煌はシルクロードでは漢族と西域を結ぶ接点のような場所にあり、漢族の最前線のような感じですね。

 「莫高窟の見学は明日にして、まずは鳴沙山で砂漠を見に行きましょう」
 敦煌の町は人口10万ちょっとのまことに小さなオアシス都市。 町のすぐ傍に砂漠がある珍しい都市です。

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 この敦煌の町は、遊牧民の月氏が作ったといわれ、それを匈奴が占領。 紀元前1世紀頃、前漢の時代に漢族がここを制圧したという歴史があるようです。 漢の武帝は積極的に西域経営を進めた人で、この敦煌の町を西域経営の中心としたらしい。 

 それ以来この敦煌の町は 漢族の町 であり続けるのですが、都の西安とこの敦煌を結ぶ 河西回廊(かせいかいろう)は常に多くの民族の活躍の世界で、北から匈奴、南から吐蕃(とばん、チベット族の大国)の侵攻を受け続け、敦煌は離れ小島のような状態になることがシバシバだったようです。 井上靖の小説 「敦煌」では、ツングース系の西夏に敦煌が制圧されていく姿が描かれています。

 「うーん・・・。鳴沙山はエライ観光地になってしもうたんやな・・・・」
 なんと鳴沙山の入り口には柵があって、入場券が要るようです。

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 何度も触れるのですが、私は25年前に敦煌に来ています。 ですから初めて敦煌をみる感動が湧かず、25年前との変化の方が感動的?に思えてしまう、変な観光客なのです。

 鳴沙山はオアシス都市に近くて、砂山の形も綺麗ですし、まさに日本の童謡 「月の砂漠」 をイメージするような綺麗な場所です。旅行社の鳴沙山PRのうたい文句にもよく使われますが。 
 「月の砂漠」って知りませんか? 
  月の沙漠を はるばると 旅の駱駝(らくだ)が 行(ゆ)きました。
  金と銀との 鞍(くら)置(お)いて 二つならんで 行きました。

 思い出しましたか? でもこの歌と鳴沙山は全く関係がありませんが・・・・。 単なるイメージです。

 さて、鳴沙山の近くまで来ましたが・・・・。

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 まずビックリしたのがラクダに乗っている観光客の多さ。 ズーとラクダに乗った人の列が続きます。
 まー、ここへ来ればラクダに乗らなきゃという気分になるし、敦煌人も稼がなきゃいけないし・・・。

 「確かお寺があって、小さな池があったような・・・・」
 砂漠の砂で囲まれた場所なのに、池の水が絶えないことにビックリした思い出が。
 その場所はすぐに見つかりました。

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 この池には小さな魚がいるのですが、今は柵が出来て近づけません。
 「うーん、夕日が逆光で上手く写らない・・・・・」
 位置を変えようと思っても、周囲は柵で覆われて動きが取れません。 柵を越えて写真を撮っていた人はすぐに駆け付けた係員にお小言を受けていました。 観光化するというのは味気ない・・・・。

 文句を言わずにちゃんと観光しなきゃ・・・・・。
 このお寺、なんという名前だか覚えていませんが、なかなか立派な構えです。

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 このでノンビリとタバコを吸って、一時休憩・・・・。

 「元気のある人は鳴沙山に登れますよ。往復で40分ぐらいだそうです」

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 ここを登った?  そんなシンドイことをするはずがない・・・・・。
 砂の山を登るのは実にシンドイのです。

 「皆さん、ラクダに乗りましょう」  観光客は必ずラクダに乗るものらしい。

 「フフフ・・・。まるでラクダの佃煮みたい」 と、ツアー仲間のご婦人が。

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 確かに凄い数のラクダさんがいますね・・・・。 佃煮は少し可哀そうな気もしますが・・・。

 このラクダさんたち。 あまりに忙しくて 過労死 するラクダが出てニュースになったとか。

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 そろそろ夕日が傾いてきました。 

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 空にはお月様が出てますね。 見難いですが・・・・。

 せっかくだから 月の砂漠 を体験するのかな・・・・。 
 違いましたね、夜は敦煌の町で 居酒屋風の ふるさと で日本食(干しサンマの塩焼きだった)でした。

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 こんなお店があるということは、日本人観光客は敦煌の町によく来るということですね・・・。

 「この日本酒、お燗がぬるいぞ! 」
 ツアー仲間は、久しぶりの居酒屋での一杯だったのか、楽しそうでしたね・・・。 私は下戸ですが・・・。

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 ちなみに立っているお兄さんは、この店の店主で中国人ですが、日本語も喋れません・・・・。




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by takeshi_kanazaw | 2016-10-19 09:47 | 新シルクロードの旅 | Comments(6)
 シルクロードの旅の9日目。 トルファンから敦煌(とんこう)への移動です。

 この旅は11日間の行程なのですが、後半のトルファンから敦煌、そして西安はまさに急ぎ足です。
 「トルファン以降はお客集めのための付け足しだよ」 という、ツアー仲間の声。

 確かにシルクロードの旅と言えば、トルファンとか敦煌をコースに入れないと、お客さんが集まらないのかもしれません。 今回のツアー仲間の半分は、もう何度目かのシルクロードの旅という人もいるのですが、残りは全く初めてという方々もおられました。

 「えらく早朝から出発するんやな・・・・・」 
 「中国では列車に乗る前にも検査があって、日本と事情が違うんですよ。 飛行機並みかそれ以上に時間が掛かるんです」 と添乗員さん。

 まだ早朝のトルファンの町をひたすら北へ。

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 トルファンの町はすり鉢の底にある感じですから、30分以上バスで坂を登って駅に。

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 新しく出来た駅みたいですね。 我々が乗るのは高速鉄道、中国の新幹線です。 この駅は従来の路線と離れて走る新幹線のために作った駅のようです。 いや路線は同じで、駅だけ新しいのか・・・。よくわかりません。

 駅に着いてから、荷物検査、身体検査と、長々と・・・・・。
 30分以上の時間を経て、駅の待合室へ。 検査の話はもうやめましょうね・・・・。

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 中国の場合、長距離列車では時間までお客をホームに入れません。
 日本のように急いで自販機で切符を買って、そのままホームに走り、新幹線に飛び乗るという芸当は無理です。

 やっと列車が入ってきました。 中国では列車に乗るのも大変ですね・・・。

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 中国の新幹線、和諧号(調和・ハーモニーの意)ですね。 新幹線とは言わず高速鉄道と言います。

 和諧号にはこれまで2~3度乗ったことがあるので、私はよく知っていますが、スピードはほぼ日本の新幹線と同じですし、車内の様子は全く新幹線そっくりです。

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 日本の新幹線のコピーだという意見や、いやいや中国は独自の技術だという主張もありますが、今やその路線の長さは日本の新幹線の路線をはるかに超えています。わずか10年あまりで日本に追いつき、追い越したということですね。 シルクロードの田舎に新幹線ですからね・・・・。

 この新幹線でトルファンから敦煌(実際は柳園という別の駅)までの4時間の行程ですが、実はこの場所は西安からローマに至るシルクロードで、一番厳しい自然の道のりが続く場所です。

 25年前は今回と逆に敦煌からトルファンへバスで移動。 とても一日では走れないので、嘉峪関(かよくかん)に一泊。 延々と砂と石ころの場所を走りました。 まさに「空に飛ぶ鳥なく、地上に獣なく、人骨を道しるべにして旅をする」 と言われるところで、真っ白な塩の湖(地元では白い悪魔と呼ぶらしい)が広がったり、彼方此方で蜃気楼が現れたり・・・・。

 新幹線の車窓から見える風景です。

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 それらしき感じはするのですが、実際にバスで走るのとは随分違う・・・。

 さらに周囲が不気味な黒い禿山が増えてきて・・・

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 「サー、これからがいいところだ・・・・・」 と思っていると、なんとトンネル続き・・・・。

 やっぱりこの道は新幹線ではいけません。 ラクダは無理でもせめてバスで走るべきです。
 でもそんなことを言っても中国人は受け付けないでしょうね。 そんなツアーは企画段階でオシャカになってしまうでしょうね・・・・。 現代の旅人は気の毒ですね・・・・・。

 中国の新幹線でも社内販売があります。 この辺でゆっくりホットコーヒーでも飲んで・・・。

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 さすがに新幹線。 中国特有の甘ったるいインスタントでなく、ごく普通のコーヒーでした。

 2時間以上走ったでしょうか、オアシスが現れました。 ハミウリで有名なハミの町ですね。

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 コーヒーを飲むと強烈にタバコが吸いたくなる私。 中国の新幹線は喫煙場所がゼロ。
 「ハミの駅で10分ぐらい停車しますから、ホームでタバコが吸えますよ」 と現地ガイドのGさん。

 天の助けと、ホームへ。 和諧号がジーと私のタバコを吸い終わるのを待っている?

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 それにしても、この和諧号。 日本の新幹線のスタイルによく似てますね・・・・。

 ドンドンと新幹線は走ります。 ハミの町も建築ラッシュですかね・・・。 後ろの雪山は天山山脈の一部のボゴダ山のようです。 雪山とオアシス、ハミもウロウロしたい場所ですがね・・・・。

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 なんだか面白ものが見えてきました。 風力発電をしているんですね・・・。

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 千機以上のプロペラの隊列でしたね。 トルファンからこの地方は風の名所。 風速60m以上にもなるらしく、風で列車が転覆事故を起こしたことがあるそうです。

 4時間後、やっと柳園の駅に到着。 辺りは砂ばかりで何にもありません。

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 敦煌へ行くには柳園から2時間ぐらいバスで走らなければいけません。

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 敦煌へたどり着くのも大変なんです。

 途中でトイレ休憩。 田舎のハミウリを売っている小さな掘立小屋。
 道端にごろりとハミウリが置いてあります。

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 ハミウリはまさにメロンと同じで、中国では結構有名なのですが、産地ではこんな感じでゴロゴロと置かれています。 もちろん売り場ではちゃんと積み上げられてますよ。
 畑の白いのは塩です。 オアシスを離れると、こんな感じで塩が浮く、不毛の土地なんですね・・・。



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by takeshi_kanazaw | 2016-10-18 16:03 | 新シルクロードの旅 | Comments(2)
 トルファンの観光の後半は、市内から東へ50キロぐらいバスで揺られて高昌城(こうしょうじょう)へ。

 トルファンの町の郊外へ進むと、少し赤い山が連なって見え始めます。
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 火焔山(かえんざん)なのですが、小高い山というか丘というか、延々と100キロぐらい続いているそうです。 1時間ぐらい走ると、高昌城に到着。
 高昌城のある場所から見ると、火焔山はまさに焔が燃えているように見えますね。
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 火焔山はこのように非常に特徴がある情景なので、西遊記にも登場したのではないでしょうか。
 
 さて高昌城の現在の姿は、土塁が見えるだけの、広い土のグランドみたいな感じです。
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 この高昌城の歴史は面白いのです。
 この城は、前漢の時代(紀元前1~2世紀)漢王朝が、ここに土塁を築いたことに始まるといいます。そして、屯田兵を此処に置いて西域経営の拠点としようと思ったらしい。

 このトルファンの住民は、従来から北方の匈奴の圧力が常にかかっていたし、漢の軍隊も駐屯するという状態が続き、匈奴と漢という2大勢力の板挟みの状態が続きます。 中国の王朝の力が弱くなると、匈奴の方が圧力を強めるし、唐のように再度西域に力を注ぐと、唐のいうことも聞かないといけない。
 この2大勢力盛衰を読み間違えると、トルファンの王様の首がすぐ飛ぶことになります。

 城跡の中央に大きな宮殿みたいな場所があります。
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 高昌国の王様がいた場所なのかもしれません。  高昌国の王様と言っても、中国の軍隊の傀儡政権だったり、匈奴や突厥の意向で決まった王様かもしれません。 トルファンのようなオアシス都市では大きな軍隊は持てないので、とにかく中国と北方遊牧民という2大勢力のバランスが重要だったようです。

 この地に駐屯した部隊も大変です。派遣した王朝が滅亡してしまうケースもあり、部隊長はそれならこの場所で独立国を作ってしまえと思った人も。 王様の中には中国系の人も現れます。とにかく高昌国の歴史はめまぐるしく変わって行ったようです。

 この高昌城にもお寺の跡が残っています。
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 玄奘三も往路にこの高昌城を訪れ、沢山のお寺があったと記録しています。玄奘はその時の王様に引き止められたらしいのですが、王様は仏教を広めるためだけじゃなく、唐との関係も頭に置いて彼を引き止めたかったかもしれません。 10年後に玄奘がインドから帰るときには高昌国は滅亡していたそうです。

 このように高昌国は中国との係わりが強い場所で、近くに昔の中国人のお墓が沢山ありますが、望郷の念を強く持ちながら、この地に骨を埋めたのでしょう。 現在この高昌城の付近に広がるオアシスに住むのは中国人ではなく、ウイグル人です。
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 この地域の歴史は、9~10世紀にモンゴル高原からウイグル人が移住してきてから、途端に中国側の歴史書の記述が少なくなって、殆どその経緯が判りません。 モンゴル帝国の時代にはウイグル人はモンゴルから家族的扱いを受けて、中国人より上位の地位を占めていたようです。
 これはイスラムのモスクでしょうか。
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 その近くでは、お爺さんたちはノンビリと午後のひと時を過ごしています。
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 高昌国は歴史的の中国との結ぶつきが強く、屯田兵の子孫もいたはずですが、その痕跡は全くありませんね・・。 ウイグルの人たちは、漢字を使っているわけでもないし、中国語も使わないし、宗教的にも全く独自です。 長い歴史を経ても中国人とウイグル人は全然融合してませんね・・・・。 そういえばモンゴル人もチベット人も漢字は使わないし、中国人とは全く融合しませんね・・・。
 考えれば、現在漢字を使っているのは、中国人と日本人だけですね・・・。

 「火焔山の中にまで入って行きましょうか」 とガイドのGさん。
 この山は外からしか見たことがないので、興味津々。
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 近くで見ると、結構険しい山ですね。 確かに山肌が赤い。

 「うーん、この辺は真っ赤だよ」
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 確かにこの山は火が焔える山の名前の通りですね・・・・。 それにしても赤いですね・・・。

 その日はトルファンの泊まって、翌日はすぐに敦煌へ列車で行くらしい。 慌ただしいな・・・・。



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by takeshi_kanazaw | 2016-10-16 20:31 | 新シルクロードの旅 | Comments(2)
 シルクロードの代表的なオアシスのトルファン観光。

 トルファンの町を少し離れると、ポプラ並木の広がる田舎風な感じが出てきました。
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 このトルファン盆地はタリム盆地とは別の盆地を形成していて、その広さは関東平野ぐらいありそうです。 盆地の中は砂と石ころのゴビタンの平原が広がって、所々に小さなオアシスが点在する感じです。トルファンの観光地図がありました。
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 よく知られた観光地は、紀元前2世紀に建てられたという交河故城、漢の時代に軍事基地として作られた高昌城があります。高昌城の近くには火焔山(かえんざん)がありますね。 そんな場所を訪ねることになります。

 「昔はこの地域にはどんな人が住んでいて、どんな言葉を喋り、どんな服装をし、どんな生活をしていたんだろう・・・。」  桜蘭から4千年前のミイラ(桜蘭の美女)が発見され、ヨーロッパ系の風貌をしていたことが判りました。 そして現在この地域に住んでいるウイグル族の人たちは、9~10世紀にモンゴル高原からやってきたことも判っています。 しかし、ウイグル族がやってくる前のことがサッパリ判らない・・・・。

 交河故城にやってきました。
 「ウム? こりゃなんだ??」
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 中国では有名な遺跡でよく見られるスタイルですが、観光客を遺跡から数キロ離れたところでストップさせ、そこから専用のバスやカートで遺跡まで移動します。切符売り場には大きなミュージアムが出来ています。
 「そうだな、ほっておくと世界遺産も観光客目当てのお土産屋さんで埋まってしまうかも。 この方式の方がいいかもしれないけど、狭い日本じゃ無理かな・・・」

 交河故城は字のごとく、川が交わる台地上の場所にあります。 ミュージアムにその模型が。
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 この交河故城は縦が1600m、横が300mぐらいの台地の上にあり、川と面する場所は30mぐらいの切り立った崖です。防御の点から見るとなかなか堅固な構えですね。

 専用バスでやってきた交河故城。 日本でいえば大手門みたいな場所から、登って行きます。
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 上に行くと平らな広い場所になりますが・・・・。 見えるのは土塁が点在する風景。
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 この交河故城が作られたのは中国王朝の歴史書から紀元前2世紀とされ、「車師人」が作った都とされています。 車師人? 読み方もよくわかりませんが、突然都を此処に作ったわけでもないでしょうから、その前からトルファンに住みつ続けていた種族なんでしょう。

 もう少し遺跡の中を歩いて行くと、ドンドンと土塁が増えてきます。
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 これはどうも建物の跡ですね・・・・。 この交河故城は土を固めた板状の壁(版築)や日干し煉瓦で作られたもので、中国最古の都市遺跡として有名なんだそうです。 しかし、ここに住んでいた車師人の歴史書があるわけでなく、もっぱら中国の古書からの類推になるようですが、この場所には数千人の人が暮らしていたと思われます。

 見渡す限り建物跡が広がっています。
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 写真の上の緑の中の四角い建物は、遺跡じゃなくて川向こうにある干しブドウを作るウイグル人の家です。

 この交河故城の特徴の一つは、半地下の住まい跡が随所にみられる点にあります。
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 「うーん・・・。 日本でいえば卑弥呼の時代だよね・・・。そんな昔にこの構造の都を作った車師人は凄いや」
 類推の域を出ないのですが、車師人は言葉の上からはアーリア系(インドヨーロッパ系)だったという説があります。それもヨーロッパ系じゃなくて、北インドかペルシャの流れでないかと・・・。

 歴史というのは判らないところにロマンがあるのかもしれません。 幸いに中国の古書に登場するので、それを手掛かりに探り、現地をウロウロしてその風土からさらにロマンを膨らませる・・・・。

 「フー、結構きついな・・・」 35度を超えた炎天下。 土の塊の中を歩き続けます。
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 乾燥しているので日陰に入ると涼しくて、日本の夏のようにムシムシ感は全くなし。

 何やら立派な建物の前に来ました。
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 この城の中心と思しき場所で、宮殿みたいな感じがしますね。 この場所は一種の官庁街だったのかも。

 さらに北へ進むと、大きな建物跡が出てきます。
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 お寺の跡だというのですが、ここに仏教遺跡?
 この交河故城は、紀元前108年~450年の間は車師前国の都で、その後も存在して14世紀に戦火で焼け落ちた後は放置されたらしい。 タリム盆地周辺の地域は、3世紀~8世紀には仏教が盛んだったとされていて、この車師前国の都にお寺があることは不思議じゃないのかも。 しかし、アーリア系の人たちが仏教を信仰していたというのは面白いですね。

 お寺の塔には仏像跡があるというのですが、見てもなかなか判別できない・・・・。
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 もう2キロ以上は歩いたでしょうか、前夜の夜行列車で寝られなかった私は少々お疲れ。
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 この交河故城、掘り返せば何が出てくるか興味がありますね・・・。
 中国の古書に頼っていたこの地方の歴史が、一つの資料の出現で一変するようなものが出てくるかもしれない・・・。面白い話が広がる様な気がするのですが・・・・。


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by takeshi_kanazaw | 2016-10-15 13:39 | 新シルクロードの旅 | Comments(4)
 トルファンという町は、シルクロードでは敦煌(とんこう)とともによく知られた町ですね。
 西遊記に登場する 火焔山(かえんざん)がある場所と言えば判りやすいかもしれません。

 実は私はこのトルファンを訪れるのは、今回で3回目です。
 25年前に西安から蘭州、敦煌と、河西回廊(かせいかいろう)をバスで旅しました。 そして、トルファンにたどり着いた時、 全くの別世界が広がっているような気がしました。

 砂漠に広がる緑のオアシス。 町の中には道路の上まで葡萄の木が生い茂り、ウイグルの女性が胡族の舞を踊り、食べ物も服装も全く別の 異国情緒にあふれる町でした。 「ここからはウイグルの世界だ、これからがシルクロードの本番が始まるんだ・・・」 そう思いましたね。

 さて、今回の旅ですが、早朝にトルファン駅に着き、バスはトルファンの町へ進みます。
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 「うーん、やっぱりロバはいない。道には車ばかりだな・・・・・。25年も経っているからな・・・」
 シルクロードの写真などで、ポプラ並木の道をロバに車を曳かせた髭のお爺さんがよく登場します。
 そんな写真の多くはこのトルファンで撮られたものだと思われます。 トルファンはシルクロードの情景を現わす代表的な場所なんですね。

 「あれ? こんな建物まで出来たのか・・・・」
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 私から見れば、トルファンに全然そぐわない、実に変な建物が並んでいます。
 この建物を見て、なんだか先が思いやられる気分に襲われました。
 「もうトルファンは昔の面影はないのかもしれない・・・・・」

 普通旅行記なるものは、行った場所の素晴らしさを話題にするものですね。 しかし、私はその逆で、昔の面影ばかりを追いかけて、 まさに追憶の旅をさ迷っているみたいでした。

 ガイドさんがカレーズのある場所に連れて行ってくれました。
 「えー? これがカレーズ見物?」 何か変な建物が立っています。
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 「そうか、トルファン名物の葡萄とカレーズを組み合わせた観光施設を作ったんだ・・・」

 施設にあるぶどう棚。
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 「こんな施設にぶどう棚を作らなくとも、町中が葡萄棚が一杯で、大型バスが棚に当たって通れなかったのに、おかしなことをするな・・・・」 昔の姿しか頭にない私。

 そこで葡萄の生絞りの屋台が出てました。 一杯5元(80~90円)
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 これは美味かったですね。昔はこんな葡萄の生ジュースはなかった。
 でもこの写真の二人、女性はスカーフなし、男性も帽子なし、 どうも漢族の人かな・・・。
 「うーん・・・。 昔は漢族の人が商売してる姿はなかったがな・・・」

 さて、カレーズ見物ですが、カレーズを知らない方には何のことか判らないかも。
 シルクロードでは水源は雪山の雪解け水だと何度も書いてきました。 しかし、このトルファンは中国で一番乾燥して暑いところなので、地上の水はすぐに蒸発してしまうのです。

 下の写真はトルファンの気候を現わしたボード。 見難いですが・・・・
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 夏は45度を超えるんですね。 25年前に来たとき、実際に砂の中に温度計を入れた人がいて、すぐに50度以上になって温度計が壊れてしまいました。 このトルファンを中国人は 火州 と呼びます。 トルファンでは水を外に置いておくとお風呂になる話は有名です。

 そして、上の写真のボードに 年間雨量16ミリ、蒸発量3000ミリ とあります。砂漠地帯ではこの蒸発量というデーターが必ず表示されますが、蒸発量3000ミリとは、年間3000ミリの雨が降ってもすべて蒸発してしまうぐらい乾燥しているということになります。

 そこでこのトルファンの人は、雪解け水を地中に通してオアシスまで運ぶ方式を取った。 このカレーズはイランなど中央アジアの乾燥地帯で使われていますから、トルファン特有のものではないですが。 そうそう、モロッコでも同じ方式を見ましたね・・・。
 
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 この水はおそらく何十キロも先の山から引かれています。
 「しかしな・・・。カレーズの出口は何処にでもあるし、オアシスの水路は全部カレーズから引かれているはずだけどな・・・。 こんな観光施設にしなくとも・・・・」 私はまるで浦島太郎のような気分。
 チラと聞いた情報では、もうカレーズは使われなくなったというのですが・・・。

 トルファンは人口20万ぐらいの小さな町です。 現在の街中の様子を少し。
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 葡萄棚が全くないですね・・・。 まるで違う町に来たような気分です。

 25年前は全く写真を撮っていませんので、当時の町の様子を紹介できないのが残念。
 しかし、考えを変えてみると、25年前の姿を覚えているというのは、凄くラッキーなことかもしれません。私は長閑でゆったりしたトルファンの雰囲気を味わえたのですからね・・・。 今回のツアー仲間は見ることが出来ないし、これからここを訪問する人も見られないのですから・・・。

 ついでと言っては変ですが、町の様子だけじゃなくて、人間も変化しているようです。
 トランプをしているオバサンたち。
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 漢族の人ですね・・・。 胡族の舞を舞ってくれたウイグル人は何処へ行ったのかな・・・。
 街中に漢族の人が目立ちますね・・・。

 昼を食べたレストランまで中華料理。 品数が多いのはいいのですが、まだ食べている皿の上に、ドーンと焼き飯の皿を載せてしまう店員さん。
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 「ウイグルの人はこんなことはやらないよな・・・・・」

 せっかくのトルファン観光ですから、少し綺麗な場所や歴史の話でも載せないといけませんね・・・。


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by takeshi_kanazaw | 2016-10-14 02:22 | 新シルクロードの旅 | Comments(2)

海外や国内の適当に撮った写真の記録


by takeshi_kanazaw