カテゴリ:中国・黄土高原の旅( 30 )

 黄土高原の旅も最終日の8日目。

 早朝の太原から来た時と同じコースを名古屋へ飛びました。

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 現役当時は次の日から仕事という場合も多く、気分を切り替えてなんて思っていましたが、現在は只々ボヤーと外の雲が流れているのをいていましたね。

 プラリとパック旅行に乗っかり、フラフラと見て歩いた黄土高原廻り。
 特に行きたい場所が在ったわけでもなく、ただただ添乗員さんの後ろに金魚の糞みたいにくっついての旅ですから、まさに楽ちんな旅行でした。

 この旅行記もそんな私の気分を反映して? 有名な遺跡や観光場所があまり登場せず、私のその時の気分次第で雑多な話題が登場するという、何時もの私の旅行記スタイルでした。

 「せっかく海外旅行に行ったのに、なんでこんな旅行記になるの?」 という声も出そう。
 どうも観光地巡りは苦手なもんですから、ついついそうなりますね・・・。

 この一週間の短い旅で印象深かったのは、黄土高原でもなければ黄河でもなく、旅で逢った二人の 「李」 さん。

 一人は、ヤオトンの部落で一人で暮らしていた「老李(李お爺さん)」

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 84歳の老李が歌った恋歌が凄く印象的でした。 黄土高原に埋もれたヤオトン部落で一人暮らしている姿は、清貧というより、むしろ精神的な豊かさに満ちているような気分さえしましたね。 でも反面、厳しい現実もあるのでしょうが・・・。

 もう一人は、オルドスの古い遺跡で働いていた「小李(李君)」

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 緊張して説明してくれた小李の初々しさには好感が持てましたね。 人里離れた遺跡発掘を黙々とこなしていた小李は、きっと痩せ我慢もしている部分が在ったのですが、それでも健気に仕事に没頭している感じでした。

 二人の 「李」 さんの姿は、マスコミでも紹介されないし、現地に旅して初めて肌で感じることが出来たわけですね。
 「こんな中国人が居るんだな~。 イヤ、これが多くの中国人の本当の姿かもしれん」

 黄土高原の旅の旅行記も今回で完。

 永らく付き合っていただき、感謝ですね。
by takeshi_kanazaw | 2016-07-25 07:52 | 中国・黄土高原の旅 | Comments(10)
 黄土高原をめぐる旅の最後の夜は、山西省の州都太原での食事。

 「ホテルじゃなくて、町のレストランで刀削麺など山西省の名物料理です」

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 普通はここで刀削麺のショーや料理の写真が出てくるのでしょうが・・・・。

 私は全く別のことを考えていました。
 「中国も変わったな・・・。昔は外国人旅行者はホテルでしか食事が出来なかったんだよな・・」
 今では考えられないでしょうが、30年前ごろは昼飯まで観光を中断してホテルでの食事でした。地元の中国人と同じ場所で食事を取ることもなかったですね。冷暖房の部屋でまさに特別扱いでした。

 当時は外国人が食べられるようなものは、ホテルでしか用意できなかった?
 それは全く違っていて、仕事で長期滞在した無錫の一流ホテルは、パンは蒸したようなパンで、牛肉は凄く硬く、牛乳の替りに豆乳が出てきました。 しかし、仕事先の工場の調理人さんが作ってくれる昼ご飯の中華料理はメチャクチャ美味かった。今まで食べた中華料理では一番でした。
 ホテルなど中国側が変に外国人向けにやらないとイケナイと、外国人に慣れていなかったのが原因でしたね。

 町の道路わきでは、皆が楽しそうに家族で食べている風景が見えます。

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 これも何処にでもある風景ですね・・・・。

 また30年前の思い出が浮かんできます。
 当時の夜の街は真っ暗でした。 街路灯もないし、家の明かりも殆ど見えない。 そんな中を大勢の人が自転車に乗って動いていました。 なぜか中国の自転車は明かりを着けずに走るので、異様な不気味な感じでした。 とてもネオンの下で皆が食事をするなんて考えられない状況だったのです。
 「中国は変わったな~・・・。 みんな幸せそうでいい風景じゃん・・・・」

 昔話ばかりするのは私が歳を取ったせいですね・・・。
 今回の旅のように、中国の田舎ばかりを廻りたがるのは、30年前の中国に再度出会いたいからですね。あまり綺麗じゃなかったですが、なぜか懐かしい情景があったような・・・。

 その日は土曜日でした。 土曜日の夜は町の広場でダンスをやるのだそうです。

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 バスの車窓から撮ったのでピンボケ風ですが。
 「なんでこんな変な風習が生まれたんや。 中国には太極拳という立派なものがあるじゃん!」
 中国の朝、現在では殆ど太極拳などはやらず、変なダンスばかりです。
 日本でも、盆踊りをやらずに変な衣装を着て踊るのが流行っているのと同じですかね。

 中国は変化が速くて、昔の面影がドンドンと失われていきます。 日本の変化よりさらに早いように思います。特に都市部の変化はめまぐるしい。

 「もう30年も前の中国を探すのは無理やな・・・」
by takeshi_kanazaw | 2016-07-24 01:05 | 中国・黄土高原の旅 | Comments(6)
 山西省の省都 太原 に帰ってきました。

 田舎回りから人口380万人の大都会の太原に帰ってくると、何か落ち着かない気分。
 「市内の環状高速道路まであって、名古屋より大都会や。大阪に近いんやないか」

 この太原の一番の観光スポット、 晋祠 とやらへ行くという。
 私はどうも有名な観光スポットというのにはあまり興味がない。どうもすみませんが。
 何やら立派な塔みたいなものが出てきました。

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 「ここは晋祠といって、晋の国を建てた一族を祀ったところです」
 「晋の国ね・・・。ずいぶん昔の話のような気がするけど・・・」

 晋の国というと、今を去ること2500年前ごろ、中国は周王朝、春秋時代時代になります。秦の始皇帝が中国を統一するズーと前のころですかね。 この地域に有力な王国がありました。

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 周王室は有名無実で配下の各国に力があり、この晋が全国統一する可能性もあったようです。現在の山西省の地域は、この晋の時代が一番輝いていたころだったのか知れません。ちなみに中国の自動車のナンバープレートの頭文字は、山西省の車は「晋 ○○××・・・」ですよ。

 「この晋祠は北魏の時代に作られ、建物は唐やそれ以降の時代のものもあります」
 なんで1000年も後の北魏の時代に、この地に晋の建国を讃える建物が建てられたのか、よくわかりません。この太原は今では田舎の大都市ですが、北魏や唐の時代には、洛陽、長安に次ぐ第三位の重要都市だったというのですが・・・。

 中は落ち着いた感じの空間ですね。

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 中国らしい雰囲気だなとは思いますが、他の中国のお寺や廟との違いがよくわからない。

 どうもこれがメインの建物?

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 ガイドのTさんが、一生懸命に説明してくれるのですが、詳しすぎて逆に面白くない。細かいことより、この建物を建てたバックグランドみたいなものを知りたかったのですが・・・。 本当は彼の説明をよく聞いていなかった・・・・。

 「静かでいい場所や。お寺のように煙が一杯ということもないし、観桜客が押し寄せてくるわけでもないし・・・。 柳が綺麗や・・・・」

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 少しは中国ムードの写真も撮っておくか・・・。

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 「どうも観光スポットと言われると興味がなくなるな~・・・。 田舎のお寺のほうがもっと一生懸命シャターを押す気になるのにな・・・」
by takeshi_kanazaw | 2016-07-23 10:41 | 中国・黄土高原の旅 | Comments(2)
 雁門関に変な建物がありました。

 「この建物は毛沢東さんが宿泊した場所です」 とガイドのTさん。

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 ご存知のように毛沢東は近くのオルドス地方の 延安 で長く抗日戦争を戦いました。その延安から北支への道筋にこの雁門関がありますから、この場所で泊まったこともあるでしょうね。

 おそらく毛沢東が来たころは、この雁門関は古い砦ぐらいしか残ってない状態だったと思われますが、その山肌に掘られた ヤオトン に泊まったようです。

 その内部は現在博物館風に整えられていました。

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 ヤオトンもしっかり漆喰を塗ると、こんなに立派な部屋になるんですね・・・。

 「この場所に毛沢東さんが座っていましたよ」 ガイドのTさん。えらく説明が丁寧。

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 ヤオトンのイメージが変わりますね?  

 「なんだか日本でいうと、皇族の泊まった場所に案内されているみたいや・・・」
 現代の中国の人にとって、毛沢東さんはどんな位置づけなのかよくわかりません。

 この部屋にはこんな写真も。

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 写真の左側の女性は江青さんと思われます。彼女は毛沢東の妻というか同棲者というか、文化大革命後、4人組の一人として処刑された人ですね、確か。 そんなことは関係ないのかな・・・。

 壁の正面には大きな毛沢東さんの写真。

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 写真の前にはお供え物?として沢山のタバコ。 毛沢東はヘビースモカーだったらしい。

 実はこの黄土高原の旅で気になっていたのですが、ヤオトンの殆どの部屋の中央にあるのは毛沢東さんの写真でした。 現代中国のマンションの部屋はあまり見たことがないですが、部屋の中にまだ毛沢東の写真を飾っていますかね・・・。 テレビ情報などではあまり見ませんね・・・。

 山西省のような田舎では、まだ毛沢東の写真は大事に飾られているような気がします。外国人である私にはよくわからないのですが、文化大革命は否定され、毛沢東は歴史上の人物になったのかな~と思っていましたが、どうも違うのかもしれません。

 旅の途中で昼食をした田舎のレストラン。こんな写真が貼られていました。

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 文化大革命当時の天安門広場の大集会の写真ですね。

 一瞬、パロディじゃないか と思いましたが、その他にも文化大革命や毛沢東の写真が大事に飾られ、現代の共産党幹部の写真はゼロ。

 現代中国の田舎と都市の姿を見ると、その格差は想像以上に広がっています。
 「貧しき事を憂うのでなく、等しからざるを憂う」という毛沢東さんの言葉が、またムクムクと首をもたげてくるような気もしますね。
by takeshi_kanazaw | 2016-07-22 11:29 | 中国・黄土高原の旅 | Comments(8)
 王昭君というのは、中国4大美人の一人とされている人で、この中華第一関が「雁門関」と言われる所以になった女性とされています。

 漢の時代、異民族の懐柔のために彼女を下賜することが決まり、国のために匈奴の王に嫁いだ女性。旅の途中、故郷の方向へ飛んでいく雁を見ながら望郷の思いをこめて琵琶をかき鳴らした所、彼女の姿と悲しい調べに魅入られて雁が次々に落ちてきたと言われる。 そこでこの関を「雁門関」というのだそうですが・・・。

 彼女は実存の人物で、実際にこの雁門関を通って匈奴に向かったものと思われます。 その石畳が残っています。(2000年も前のものかどうか・・・)

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 轍(わだち)の跡が残っていますね。この上の砦も結構古い建物ですが、この石畳はそれ以上に古いものだと思います。 きっとこの石畳の上を牛車か馬車に揺られて通ったのではないでしょうか。そこで勝手に「王昭君の轍」となずけましたが。

 この石畳の道は砦の中をくぐるように続いています。 この道の先は匈奴の地ということになります。

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 2000年前でも、ほぼ同じような感じだったのではないでしょうかね・・・。 この石畳を抜けると中華の地を離れ、その先は異国の地となってもう故郷に帰ることは出来ない・・。

 砦の上から北を眺めると、今でも王昭君の見たであろう風景が広がっています。

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 この王昭君は嫁いだ匈奴の王がなくなり、その息子の妃となって(匈奴族の一般的習慣)悲劇の女性として歴史に名を残します。 しかし、現在の内モンゴルには彼女の碑がちゃんと残されているそうです。

 余談ですが、中国の4大美人とは? 気になりますね。

 おおよそ以下の通りで、一部では異説もあります。
1.西施(春秋時代) 
 越の人。宿敵の呉の王に差し出され、呉の王は彼女の美貌に迷い、越の狙いどおり国を傾けてしまう。松尾芭蕉が「奥の細道」で「象潟や雨に西施がねぶの花」と詠んでいる。
2.王昭君(漢)
 すでに説明済み。
3.虞美人(秦末)
 項羽と劉邦の戦いの時代、項羽は片時も彼女を放すことがなかったが、劉邦軍により垓下に追い詰められ、四面楚歌の状態になって自らの破滅を悟って、身を砦から投げた。

4.楊貴妃(唐)
 玄宗皇帝に寵愛されてたが、彼女の一族が専横を始めたため、地位を危ぶんだ安禄山が反乱を起こし、楊一族は亡命の途中に兵士の憎悪を受けて殺害され楊貴妃も首を括られた。

 4大美人はすべて悲劇の人達ばかりですね・・・・。
 悲劇だからより一層印象的なんですね、きっと。




 
by takeshi_kanazaw | 2016-07-21 08:07 | 中国・黄土高原の旅 | Comments(6)
 山西省の省都 太原 の北200キロぐらいの山の中に 大きな関所があります。

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 雁門関(がんもんかん)というのだそうですが、この場所はちょうど漢族の世界と北の遊牧民がぶつかる場所で、北方の異民族の侵入に対する、中国側の防衛拠点であり、数多くの戦いが繰り広げられてきたらしい。記録ではこの場所で1700回も戦があったとか。

 そのせいでしょうか、この雁門関の大きな砦には 「中華第一関」という大きな板が掲げられています。

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 日本では歴史上各地に関所がありましたが、関ケ原近くの不破の関や、福島の白河の関のイメージとはだいぶ違っていますね。この雁門関には、異民族の侵入を防ぐ砦という強い気持ちが表れていて、周囲は長城で固められていたようです。

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 この長城は随分新しい感じがしますが、雁門関そのものは今から2500年以上前からあったらしく、その後もなんと明代(500年前)まで、中国側の防衛拠点であり続けたようです。中国の歴史上、北方の異民族との戦いというのは宿命的なものだったのですね。島国の日本ではイメージできない感性ですね。

 現代の雁門関は、もうすっかりテーマパーク風になっています。

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 周囲の長城や砦が新しく作られ、沢山の観光客が訪れています。

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 新しいものとはいえ、中国の砦というのは大きいですね。近くで見ると圧倒されます。

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 この雁門関にきて、やっと中国らしい雰囲気?になってきましたかね・・・。
by takeshi_kanazaw | 2016-07-20 02:21 | 中国・黄土高原の旅 | Comments(4)
 黄土高原の旅も7日目。 

 山西省の最北、朔州という町から南へ下るらしいのですが・・・。
 「田舎ばかり廻っていたから、凄い都会に来たみたいやな・・・」

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 朔州は昔は遊牧民の領土だったり、漢族国家に属したりと、不安定な場所だったらしい。

 「それにしてもあのトラックの宣伝は凄いや。中国やな・・・」

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 電気屋さんの開店セールの宣伝ですかね。日本の宣伝なんて可愛いもんですね。

 この朔州は石炭が算出することで急に大きくなった町。
 郊外に発電所がデ~ンとありましたね。 

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 中国では少し大きな町では、こんな発電所が必ずありますね。おそらく石炭を利用した火力発電所だと思います。 発電所というと海に面している日本とは異なり、町のすぐ近くに発電所を作るのですね。

 さー、高速道路へ入ります。

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 この道路は省都太原と第二の都市大同を結ぶメイン道路だと思われます。
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 山西省という田舎でも、高速道路は立派ですね。

 高速道路から、狼煙台がズーと見えていますね。 

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 まさに近代的な高速道路と古代の遺跡の同居ですね。 日本でいえば、高速道路から古墳が見えている状態と一緒ですかね。

 一般道に降りてくると、すぐに石炭を積んだトラックが現れます。

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 山西省は本当に石炭のトラックばかり走っています。

 道路のすぐそばに田舎の部落がポツポツとあります。

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 近代的な街並みと昔からの山間の部落のコントラストが興味深いですね。

 この農家は廃墟ではなく、今も生活しているように見えますね。

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 バスに乗っていると、中国の実情がよく見えて面白いですね・・・。








 
by takeshi_kanazaw | 2016-07-19 08:01 | 中国・黄土高原の旅 | Comments(4)
 「ふーん、船に乗るのか・・・。 船で黄河の遊覧ですか・・・」

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 ここは屯田村の下、老牛湾と呼ばれる少し黄河の入り江みたいになっている場所。我々以外に観光客は殆どなく、船に乗ろうなんて人は皆無。 余程お客が来ないのか、昼寝をしていた係員がムクムクと起きてきました。

 我々のガイドのTさん。 「ユックリやってくれよ」と運転手のお兄さんに。
 暑かったですが、全員チャンと救命胴衣を着ての乗船です。

 黄河は上から見るのと、川で見る風景はだいぶ違いますね。

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 切り立った崖は予想以上に高いし、黄河はやっぱり大河ですね。
 周囲の風景は日本の川から見る風景と全く違いますね・・・。 まさに大陸の川ですね。

 我々のツアーは15人、それに添乗員やガイドさんなど、2隻に分乗して結構喜んで乗っています。

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 万里の長城がすぐ傍に見えてきました。

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 黄河から見る万里の長城なんて珍しい写真かもしれませんね。 もし船で岸まで来たモンゴル兵がいれば、やっぱり長城から矢などを仕掛けられると、簡単に上陸できませんね。

 変なものが目に入ってきました。

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 多分岸壁をくりぬいて、その中にお墓を置いてあるのだろうと思います。長江でも見ましたし、中国の川の崖にはよくあるスタイルです。

 川から見上げると、狼煙台が点々と見えますね・・。 その間隔は1キロもないですね。地形にもよるでしょうが、意外と短い間隔で設置されているのですね・・・。

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 30分弱、いやもっと短かったでしょうか。 ガイドのTさんがユックリやってくれなんて言いましたが、サングラスの運転手のお兄ちゃんは、お構いなしで飛ばしましたね。船はモーターボートですから、どうしても飛ばしたくなりますね。

 岸に上がると、手持無沙汰の土産売りのオバサン。

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 風貌からみてモンゴル人ですよね。 万里の長城というと、すぐ漢族とモンゴル族の戦いのシーンを思う浮かべますが、平時は重要な交易の場でもあったような気がしますね。

 「黄河で船にも乗ったし、後は何処へ行くの?」
 「今日の宿は200キロも離れた都市ですから、また3時間以上バスで走りますよ」

 この旅は、毎日バスで走ります・・・。
by takeshi_kanazaw | 2016-07-18 08:02 | 中国・黄土高原の旅 | Comments(4)
 この旅行記は旅行記らしくないですね。
 世界遺産も出てこないし、有名な観光地も出てこない。 まったく退屈な話ばかりです。
 今回の話題はさらに面白くない話です。書いている本人が言うのも変な話ですが。

 黄河にあった屯田村の跡。 この部落の写真を10年間撮り続けた人がいました。
 中国語なのでよくわかりませんが、日本でいえば過疎化した村の老人の写真という感じ。

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 老人の顔にあるしわが、それまでの労苦を物語っていますね。 一時この写真をネタに村おこしみたいな動きもあったようで、写真館のような建物が部落の中にあったのですが、その建物すら今はもう草に覆われていました。

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 今回旅している黄土高原は、中国でも貧しい田舎ではあるのですが、それにしてもその荒廃ぶりはすごいですね。 上海や北京の大都会との格差は日本の比ではありません。

 ここからはチョット硬くて面白くない話。しばらく我慢して読んでください。

 中国では農村籍と都市籍があって、生まれた場所によって戸籍が違うことはご存知だと思います。農民籍の人は都市には住めないことになっています。 都市の人は国営工場などに勤めて、職場(国家)から給料や住宅の供給を受けますが、農民は基本的には自活です。
 一人っ子政策とか、この戸籍制度など、止むにやまれぬ臨時的な政策だったと思いますが、その制度が社会に歪を生み出して、なかなか是正するのに苦労しているというのが現実ですね。

 時代が変化して、鄧小平の開放政策以降、沿岸部の発展で農村から多くの人が都市に流れ込み(盲流といわれた) 都市の発展とともに工場などで働く(農民工と呼ばれる)状態になってきました。農民工の給与は都市籍の労働者の半分ぐらいで、安い労働力として中国の経済を支えています。

 「まるで中国社会の二重構造やないか」
 そうなのですが、現金収入の乏しい田舎の人は、子供を爺婆に預けて都会に働きに出かけるパターンが日常化し、急速に農村の過疎化が進んでいます。この部落でも、見かけるのはオジイサンやオバアサンばかりです。

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 日本でも戦後は都市化が進み、我々世代の人間が田舎から都会にやってきて、住み着いてしまいました。幸いにも日本は戸籍の区分はなかったですが・・・。
 「中国も同じやん」 と普通では話はこれで終わるのですが、ここからが問題です。

 中国の人口は13億人、うち農民は8億人と言われています。 日本の場合、戦後は農民の割合は60%ぐらいだったと思いますが、現在では10%を切っています。 ということは、これから中国が日本の辿った道を同じように歩むとすると、なんと6~7億人の人間が、農村から都市へ移動することになります。

 6~7億人という数は、西洋諸国とアメリカを合わせた人口です。それだけの人口が、農村から都市に移動するということは、まさに「世界的な民族の大移動に匹敵することになるんじゃないか」
 なんとも変なことを言い出す奴 と思いますよね。

 少し仮説のように聞こえると思いますが、私がこの旅で感じたことを述べましょう。
 「仮に中国の人が日本と同じ生活をするとなると、現在の西洋諸国とアメリカを加えたぐらいのエネルギー消費と、世界を相手にした経済活動が必要になるわ。 GDPが日本を追い越したなんてレベルじゃなくて、世界のGDPの半分を中国が占める状態になる計算だ」
 そんなことになると、世界の経済構造は大変革せざるを得なくなるのは必至ですね。

 「そんなことはあり得ない!」 そう思われる人が大半だと思います。
 まず農民に職場を用意する力が必要だし、その人たちを支える社会基盤が必要です。そんなに簡単なことではないし、何より政治的安定が必要です。でも日本人に出来たことを中国人が出来ないという話は通らないでしょう。敗戦から高度成長を支えてきた日本人の姿を、中国人に置き換えて考えてみるとどうでしょうか。

 余談ですが、今から1500年も前のGDPを計算した人がいて、当時は中国とインドで世界の半分以上のGDPを生み出していたという話を覚えています。中国の次はインド、そして東南アジア諸国など、東アジアの潜在能力は予想以上に高いのです。

 50年後、いや100年後には、意外と?この話は真実味をおびてくるかもしれません。 少なくとも中国の中枢では、そんな将来図が頭の奥にありそうですね。すでに中国経済の不振はブラジルなどの経済に影響を与えていますし、上海の株の動きは重要な経済因子になり始めています。古い中国観にとらわれて、気が付いた時はもう遅い そんな風になるのかも。 

 これからは、大航海時代、産業革命、植民地拡大と500年続いた西洋中心の歴史観は、もう通用しなくなっていくのかもしれません。 現在の世界スタンダードは欧米で作られていますから、それを唯一の標準、正義とする考え方は、おのずと見直しが迫られることになるかも。

 「考えすぎだわ、単に中国の農民が都市へ移動するだけの話じゃん。大げさに言うことはない話や」 そうかもしれませんね・・・このテーマに関しては日本のマスコミでもあまり取り上げていませんね。 イヤイヤ、日本のマスコミのセンスはまだまだ西洋崇拝の域にどっぷり浸かっていますし、日本政府は変な愛国心高揚の狭い視野に陥っていますから、意外と中国の現実を見ようとしない傾向にあります。
 50年後はきっと私は死んでいるので、この話の結論は見ることができません。

 今回は本当に旅行記らしくない話題でしたね・・・。
 次回以降は、少しは旅行記らしい話題を載せなきゃいけませんね。
by takeshi_kanazaw | 2016-07-17 08:51 | 中国・黄土高原の旅 | Comments(4)
 黄河の流れるを望む岬に砦がありましたが、その砦を囲むように部落が見えます。

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 「あれは万里の長城を守る兵士が暮らしていた部落ですよ。今は誰も住んでいません」
 「そうか、いわば屯田村跡 というものか」

 屯田兵というと明治時代の日本の北海道をイメージしますが、これは中国の屯田兵制度を真似たものです。
 中国では秦の時代に万里の長城の原型ができ、明の時代まで続くのですが、この万里の長城を守るための兵士を常時駐屯させることは大変な費用が掛かります。 漢の武帝の時代にその費用を節約する手段として考え出されたのが 屯田兵制度。 砦の守備をする兵士に田んぼを与えて、そこで生活しながら防衛の兵士の役割も果たさせるという、国防費という国家費用を節約するシステム。

 「兵士が暮らしていた部落といっても、隣の集落も見当たらないし、町までは徒歩で一日以上かかるぞ。 まったく孤立した部落や」 きっと古代から孤立した村だったんでしょうね。

 まず黄河を望む場所に立っている砦に向かいました。

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 多分狼煙台ですね。 近くで見ると結構でかいですね・・・。 下は断崖絶壁で相当下の方に黄河が見えます。

 きっとこの狼煙台の上で煙を燃やしたのでしょうね・・・。

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 見えるのは黄河を挟んで、モンゴルの地ですね。

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 「こんな断崖絶壁のような場所なら、モンゴル軍の騎馬隊は絶対黄河を渡河できないわ。国境警備といっても戦いというより監視する役目が中心だったんじゃないかな・・・」

 しかし、この部落全体は何やら土塁のような土壁で囲まれています。

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 大きな騎馬隊は来なくとも、モンゴルの偵察隊や、ひょっとしたら地域の野盗に襲われる危険性は一杯あったのかもしれません。
 「しかし、この屯田村で一生過ごして、ここで死んでいった兵士や家族がいっぱいいたわけやな・・・」 中国の歴史書ではモンゴルの戦いの話が華々しく書かれていますが、そんな時間は瞬間みたいなもので、ズーとこの屯田村で住んでいた兵士はどうしていたのでしょう。 私はそんな話のほうが知りたいですね・・・。

 部落の中に入っていきます。 まさしく無人の部落でした。

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 少なくとも数十年前には住んでいたような感じはありますが、50件ぐらいの空き家が草むらに立っているだけです。

 何やら大きな瓦葺の建物が目に入りました。

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 草を掻き分けていくと、これは中国各地によく見られる劇を演ずる舞台ですね。

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 この舞台があるということは、確実にこの場所は昔はかなりの人が住んでいた部落跡だということが判りますね。
 この舞台で演じられる京劇や、地元の踊りを皆で見て、楽しく時間を過ごす時間もあったのでしょうね。なんだかその村人の大人や子供のざわめきが聞こえてきそうな気すらしますね。

 恐らく黄河流域での屯田制度は明代で終わったのではないかと思います。
 「国が勝手に屯田制度を止めたといっても、そこで暮らしている人は、同じ場所でズーと生きていかなきゃいかんじゃん。歴史に翻弄される人たちが可哀想じゃん」

 現代中国ではロシア国境近くのウイグル自治区のジュンガル盆地に、屯田兵と同じようなスタイルが見られます。 今やその子孫たちが増えて、ウイグル自治区の漢族の割合が半数に達してきました。歴史は繰り返すのでしょうかね・・・。





 
by takeshi_kanazaw | 2016-07-16 08:32 | 中国・黄土高原の旅 | Comments(4)

海外や国内の適当に撮った写真の記録


by takeshi_kanazaw