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 伯耆・吉備の旅も最終日。

 「備中高梁へ寄って行こうか・・・」
 私は映画の「寅さん」が大好きで、備中高梁が度々登場する。

 ノンビリした田舎町の風情、その田舎町を蒸気機関車が走り、いかにも日本の落ち着いた田舎の雰囲気が印象的でした。 如何にも老人のミーハー気分ですね。

 それと、この高梁には松山城というお城があります。
 「秀吉の中国大返しの時、確か備中松山城を水攻めしていたのでは・・・」
 とにかく、名古屋へ帰る途中に寄って行こうと。

 高梨は瀬戸内海から50キロ近く北へ行った、中国山地の山間にあります。
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 「たしかに水攻めしやすい地形やな・・・。しかし、城がない。お城がないやん・・」

 町に降りて調べてみると、高梁城(備中松山城)はなんと日本一高い場所にある山城なんだそうです。 そうなんです、秀吉が水攻めにした城は、「備中高松城(現岡山市)」で、この高梨にある「備中松山城」ではありませんでした。 よくありますね、思い込みの間違い・・・。

 さて、高梁の町ですが、山陰と山陽を結ぶ要衝の小さな城下町。
 江戸時代の風情を少し残しています。
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 この辺りを武家屋敷の跡として、かなり整備されています。
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 しかし、よく見ると門構えは武家屋敷風ですが、殆どの家屋は現代の普通の家でした。通りに面した部分だけを武家屋敷風に整備したんですね・・・・。

 「この町を秀吉の中国大返しの場所と間違えたし、後は寅さんの映画のロケ地でも探そうか」とプラプラ。

 その時、突然列車がやってきました。
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 「寅さんの映画では蒸気機関車だったけどな・・・」 こんなものですね、現実は。

 線路脇はヒナゲシの花でしょうか、風に揺れていました。
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 蒸気機関車が煙をはいて走りっていた頃も、きっと同じような風景だったかも。

 「オバアサン、寅さんの映画のロケ地ってどのあたりですかね・・・」
 「そうやね、彼方此方撮ったみたいやけど、お寺さんの辺やったかいな・・」
 
 寅さんの映画では2度ばかりこの高梁の町を撮ったようです。
 道端でオバアサンに聞いたロケ地だっというお寺さん。
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 寅さんの妹サクラの婿のヒロシの母親の葬儀の場面だったか、竹下景子扮するお寺の娘が登場する場面だったか・・・。

 「もう暑いから帰ろうよ」 と妻殿。 彼女は寅さんはあまり見ない。

 備中高梁。 なんとなく来てみたかった町でしたが、一度くればもういいですね。
 国内旅行でも海外旅行でも、一度行ってみたい と思っているうちがいいのかもしれません。寅さんの監督の山田洋次さん。高梁のいい時代の情景を上手く撮られましたね・・・。
by takeshi_kanazaw | 2015-05-30 09:54 | 伯耆・吉備の旅 | Comments(2)
 鞆の浦は古代から栄えた港で、江戸時代から明治の面影を残しています。

 その象徴が港の中央にある 常夜灯 らしい。
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 常夜灯の近くにあるのは、番所だったのか、あるいは倉庫だったのか・・・。現在はその建物を利用した喫茶店になっている。
 「心旅の火野正平さんが、あの常夜灯のところでコーヒーを飲んだのよ」と妻殿が云っていましたが、早朝なので店は開いていません。

 常夜灯の近くから港を見ると、大きなお寺が目立つ。
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 この町には沢山のお寺があって、昔の繁栄ぶりをうかがわせる。お寺を維持するには結構お金が必要で、恐らくお金持ちが多かったのでしょうね。

 常夜灯の近くには古い建物が残されています。
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 これは酒屋さんの跡で、現在はどうも博物館になっているらしい。 この鞆の浦には、潮待ちの舟が多く停泊していたはずだから、船頭や船乗り達は上陸して酒を飲んだに違いないでしょう。

 鞆の浦にはやけに白壁が目立つ。どうも倉庫の跡ではないでしょうかね。これだけ倉庫が多かったということは、鞆の浦は漁村というより、多くの舟問屋があった商人の町だったということなのでしょう。
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 建物の下は石垣ですが、これは海の潮が押し寄せる時の防御のためですね。それからその上の板塀が面白い。

 板塀を拡大して撮ってみました。
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 この板は船の底か横板を建物に再利用したんじゃないでしょうか。表面がまるで海の波に浸食されたようでしょう。

 町の姿を見ると、倉庫跡や酒屋さん跡など、彼方此方に昔の雰囲気が感じ取れますね。現在の鞆の浦の道は、残された江戸時代の地図とそう変わらないのだそうです。
 
 狭い道路をプラプラ歩いてみました。
 オバサンが朝のゴミ出しに出てきたようです。
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 左の建物は現在料理屋さん。正面は何か店屋さんですが、恐らく昔は船乗り相手の飲み屋兼宿泊宿だったような気がします。 家の様子は少し変っていますが、その骨格は昔のままですね・・・。

 町の空き地には車が一杯。現在の鞆の浦は駐車場で困っています。
 道が狭いし、家屋が密集しているので、車の置き場所が限られる。 旅行者は古い街並みがいいと訪れるのですが、住んでいる方は大変ですね。
by takeshi_kanazaw | 2015-05-29 08:18 | 伯耆・吉備の旅 | Comments(4)
 伯耆・吉備の旅。 中国山地を縦断して、瀬戸内海に到達。

 備後の国、鞆の浦にやってきました。
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 前に見える海は瀬戸内海。 海の向こうは四国ですね。 鞆の浦の鞆(とも)というのは、船の舳先の部分を指しますが、まさに瀬戸内海に船の舳先のように飛び出しています。

 余談ですが、吉備の国は、東から備前、備中、備後と3つの国に分かれていました。現在は備前・備中は岡山県ですが、備後は広島県になります。

 鞆の浦は古代から開けた瀬戸内の良港で、万葉集にも沢山取り上げられています。今では陸送・空輸が主ですが、昔は船での移動が重要だったと思われます。特に九州と大和を結ぶ瀬戸内は、今の東海道新幹線以上に重要な船のルートだったかも。

 鞆の浦の宿は海に面した部屋でした。
 「この部屋は特別料金を5千円も取られたのよ。 だからこの部屋から海を見なくちゃ」と妻殿。早朝から部屋の窓を開けて、朝日の昇ってくるのを待っていました。

 海辺の朝日はいいですね・・・。
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 漁村の朝と云うのは船が忙しく行きかい、煩いぐらいなのですが、この鞆の浦はなぜか静かでしたね。

 朝日が顔を出しましたが、なかなか上手く撮れませんね。
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 すぐに朝日が昇って、海をキラキラと光らせます。
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 「チョット港を歩いてくるわ・・・」
 朝の苦手な私。 旅にでも出ないと早朝に歩くこともない。
 もう港はスッカリ明るくなっていました。
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 漁から帰った船から荷揚げ中でしょうか。
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 荷車を押している姿が漁村らしいですね・・・。
 海岸べりの家には カレイが干してありました。
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 私も同じ瀬戸内の漁村育ち。 このカレイの干物はよく食べましたね・・・・。

 鞆の浦は現在観光と漁業の町ですが、昔はむしろ商業港だったようです。
 そんな姿を次回以降に。
by takeshi_kanazaw | 2015-05-28 09:50 | 伯耆・吉備の旅 | Comments(2)
 突然ですが、「祟りじゃ〜っ!」なんて変な題名。

 ベンガラの町吹屋のすぐ近くに、大きな屋敷があります。
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 どこかで見たような~・・・。 実は横溝正史の小説「八墓村」の映画で使われた、資産家(広兼家)の全景です。

 ボサボサ頭の探偵、金田一 耕助 のシリーズは、映画やテレビ、漫画など、横溝正史のヒットシリーズでしたから、見た方も多いかと。 映画の八墓村では、この映画のキャッチコピーに使用された濃茶の尼(こいちゃのあま)のセリフ「祟りじゃ〜っ!」が流行語になったことでも有名。

 映画のロケは、吹屋の周辺で行われたようですが、室内の場面では広兼家の建物は使わなかったらしい。 広兼家は江戸時代後期にベンガラの材料で財をなし、大きな屋敷を建てたそうで、それが現在まで保存されています。

 「まるで城みたいやな~・・・」
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 まるでお城の門の中に入っていくような感じです。

 八墓村の作者 横溝正史 は、戦争中の租界でこの備中に住んだことがあり、中国山脈の山間で起きる事件を題材にしたようです。小説八墓村は、この村の人が、山陰の雄 尼子氏の落武者8人を殺して財宝を奪い、8つの墓に葬ったという歴史設定から始まるのですが、この地方ならではの話ですね。

 現在の広兼家の豪邸は備中高梁市の文化財となっており、見学することができますが、まさに昔の豪宅という感じですね。
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 家に中でやけに目立つのが 神棚。
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 広兼家は小説の八墓村とは全く関係がなく、「祟りじゃ〜っ!」なんてないのですが、家の中の彼方此方に神棚があります。

 しかし映画の宣伝効果はすごくて、もう観光地ですね。 この広兼家の前の広場には大きな駐車場ができています。そういう私も、「祟りじゃ〜っ!」の言葉に惹かれて来たのですが・・・。

 「そろそろ、鞆の浦へ向かって行こうか・・・」
 2日目のの泊りは、瀬戸内の古い港 鞆の浦です。
by takeshi_kanazaw | 2015-05-27 08:08 | 伯耆・吉備の旅 | Comments(0)
 伯耆・吉備の旅の2日目。

 「せっかく山陰に来たから、出雲の古代遺跡を見に行こうか・・・」
 私はこのブログの まほろば紀行 でお判りのように、古代史に興味がある。大和朝廷成立前に、出雲王国とか吉備王国があったのではないかと思っている。

 「そんな場所に何があるの? それに時間がないから無理だわよ」
 どうも我妻殿は古代史に興味がない。まー、女性の多くはそうですが・・・。

 「昔の話に興味があるなら、南に下る中国山脈の山の中にある ベンガラの町 にでも寄って行こうか。」と妻殿。 
 しょうがないですね、今回の旅は妻殿ペースですから。

 中国山地は急峻な山はなく、500m前後の小さな山が続く。そして、その山間に小さな棚田が広がっているという感じです。
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 そんな山間に突然変な町が出現します。備中吹屋の街並みです。
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 家々の屋根は赤茶色、壁まで赤茶色。 ベンガラの色ですね。
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 このベンガラというのは 酸化鉄 の顔料で、陶磁器や漆器、織物などに利用され、独特の赤色を出します。 そうそう、バングラデッシュの旅 で載せたように、ベンガル地方の土の色からきた言葉だと思います。

 チョット見難いでしょうが、吹屋の歴史を説明した案内板が。
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 近くには古代から銅山もあったようですね。

 余談ですが、中国山地は古代の 日本一の製鉄工場群 だったらしい。 出雲・伯耆の山陰側や吉備の山の中は 良質の砂鉄 が採れる。この砂鉄を タタラ という技法で、鋼の材料をつくり、それを全国に送り、各地の鍛冶屋がトッテンカンといろんな鉄器を作った。

 古代史好きの私の話はついつい長くなる。

 恐らく弥生時代後期では、鋼の材料は先進地域の朝鮮半島から持ってきたもので、日本列島では製鉄が出来なかった。その後、朝鮮半島から製鉄の技能集団がやってきて、中国山脈の砂鉄を使って、タタラ を始めた。

 タタラと云うのは、砂鉄を溶かすのに多量の木炭を使う。
 「1町歩の山の木で採れる鉄は10トン」 と云われ、砂鉄を採集し、山の木を伐採し、それを炭にして、やっと砂鉄を鉄にする。この一連の工程は百人を超える特殊技能者集団だったと思われ、恐らくすぐに山は禿山となるので、この製鉄集団は絶え間なく山を移動していたのでは。

 八岐大蛇の神話がありますが、この大蛇は製鉄技能集団ではなかったか。

 鉄は国家なり とか云いますが、古代においても、武器は勿論、農機具、開墾の道具、日常の多種多様な器具は、鉄の出現で飛躍的な生産性向上を実現します。

 「鉄を制する集団が国家をつくるうえで重要な位置づけになるはずだ」
 鉄の生産なくしては日本の稲作の発展はなかったし、大和朝廷もなかった。

 「やっぱり、鉄の生産を持つ、出雲王国、吉備王国 はあったんじゃないかな・・」
 日本書紀や古事記に載っていない古代の歴史があるはず・・・・。

 今回の伯耆・吉備の道は 「砂鉄の道」 でもあるのです。

 そうでした、ベンガラの吹屋を歩いているのでした。
 この山間の小学校。ここもベンガラの屋根ですね。
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 佇まいは昔通った故郷の小学校をほうふつさせます。懐かしいですね・・・。この小学校は数年前に過疎化で廃校になったようです。

 古代から現代も、時代はドンドンと変化していくのですね・・・・。











 
by takeshi_kanazaw | 2015-05-26 11:13 | 伯耆・吉備の旅 | Comments(0)
 今回の伯耆・吉備の旅を企画したのは妻殿。 彼女の企画の動機は、大山の湖畔の宿 に泊まってみたいというものでした。

 どうも、一度は泊まってみたい宿 という情報カテゴリーがあるようで、そこで彼女が見たのが 大山レイクホテル。 私はそんなことは全く知らないで行きましたが・・・。

 そのホテルは、大山の広い裾野の原始林の中に在りました。
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 大山の西から北の標高200~300m付近は、どうもリゾート開発をされたらしい。原始林の広がる丘陵に道がつけられ、時折ポツリポツリと小さな建物が。でも、殆どは手つかずの原始林の原野が広がっています。

 妻殿が泊まりたいと思ったホテルは、そんな原始林の中の湖の傍に在りました。このホテルのイメージが一番感じられるのはこの写真ですかね。
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 ホテルの裏に湖があり、その湖畔を一周することが出来るようです。
 大山の雄姿が湖に映っていました。
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 写真を撮った時間は前後しますが、このホテルの玄関に犬がいます。
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 結構大きな犬でした。犬好きの方はいいでしょうが、私は犬や猫といったペットは苦手。 大きな犬を避けてフロントへ。

 このホテルのフロントには湖がよく見えます。
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 女性が気に入りそうな感じのホテルですね、確かに。

 部屋への廊下もスッキリして悪くない。
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 ここまでは良かったのですが、ここで問題が・・・・。
 「このホテルは全館禁煙です!」と案内役の女性の宣言。
 「そんなこと聞いてなかったぞ。これはえらいこっちゃ・・・」

 今回はどうも妻殿の作戦にはまったようです。前もってそれを聞いていれば、私はこのホテルを避けたでしょうね・・・。 来てしまったらしょうがない・・・。

 それでも未練がましく?フロントで喫煙場所を聞いて、一時間ごとに外の喫煙場所に通う羽目になりました。
 通った喫煙場所への途中に灯りがともっていました。
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 ムードはありますが、私は何度もここを通って、外でタバコを吸っていました。

 一度は泊まってみたい宿。 これは女性向のホテルじゃないでしょうかね・・・。
 私は宿を選ぶ第一条件は、タバコが吸えること です。 後はあまり注文はない。

 部屋からは湖と大山が見えますが、妻殿はベランダにズーと。
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 私はテレビでプロ野球観戦。 時折タバコを吸いに外へ。 なかなか趣味は一致しないもんですね・・・。

 「俺は風呂にでも入ってくるわ」
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 私しか客はいませんでしたね・・・。 湖と大山を見ながら温泉に浸かって・・・。

 ディナーはフランス料理。 カメラを持参しなかったので写真はありませんが、地元の海の幸や特産の野菜を使ったフルコース。お客は我々夫婦だけでした。
 ギャルソンと言うのでしょうか、料理を運ぶ人が、一つ一つ料理の説明をしてくれました。 地元の特殊な大根のスープなどのケースは、その材料まで持ってきてくれたり。

 「このホテル、建物の保全といい、料理の内容、サービスといい、かなりのレベルを維持してる。客も少ないのにどうしてかな・・・」
 どうも結婚パーティなど、各種のイベントも盛んにやられているようです。それでないとフランス料理のフルコースなどは維持できませんね・・・。

 ディナーの様子は写真が撮れませんでしたから、せめて?同じテーブルの朝の様子を撮っておきました。
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 どうだったのでしょう、妻殿は満足したのでしょうかね このホテル。
 フランス料理は美味かったので、これでタバコが吸えれば、マズマズなんですが。

 「さー、それじゃまた中国山脈を越えて、南へ行くか・・・」












 
by takeshi_kanazaw | 2015-05-25 10:10 | 伯耆・吉備の旅 | Comments(4)
 伯耆(ほうき)の国は、大山(だいせん)の広い裾野の上にあるという感じです。

 大山は中国山地から少し飛び出したような形の独立峰です。 広い裾野に小さな川が渓谷をつくり、まるで箒(ほうき)のように日本海まで裾野が続いています。

 「伯耆(ほうき)の国というのは、箒(ほうき)から来たんじゃないか?」
 冗談のような、ホントに在り得るような・・・・。

 大山の山の形は、見る場所で変化します。
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 西側からはまるで富士山のように穏やかな表情ですが、北側から見ると切り立った岩壁が目立ちます。

 この大山(だいせん)という呼び名も、単純に大きな山という意味でしょうか。 逆に云えば、伯耆の国で大きな山といえばこの山を差すほどで、まさに伯耆大山なのでしょう。 司馬遼太郎さんの街道をゆく によれば、8世紀の出雲風土記では、火神岳 と呼ばれていたそうです。

 まずはホテルへ行ってチェックイン。しかし夕食まで随分と時間が。
 「この近くで観光地というと何処になるの?」 
 「うーん・・・。大神山神社ですかね・・・」 とホテルの人。
 車で行けるというので、その大神山神社とやらへ。
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 山岳信仰というのは何処にでもありますね。 大山では本宮が米子市にあり、大山山麓にあるのは奥宮なんだそうです。この奥宮の入口までは車で行けます。 
 大山にはドライブウエイもロープウエイもありません。

 大山も修験者の道場だったらしくて、この奥宮から頂上まで登ることが出来るようです。 と云いても私にはそんな元気はありません。
 「うーん、石段だけでもシンドイな・・・」
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 下山して来た人がパラパラ。
 「大山の頂上まで行かれましたか? どのぐらいかかるんですか?」
 「4時間弱ですね・・・」

 老人夫婦は登山など出来ないので、奥宮の入口付近をウロウロ。
 殆ど人影はなく、鳥のさえずりが響いていました。
 楠でしょうかね。20mはありそうな巨木ですね。
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 傾き始めた陽光がいいですね。
 こちらはブナでしょうか。新緑が綺麗です。
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 大山の山麓は殆ど原始林に覆われている感じです。
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 まるで時間が停まったような空間ですね・・・。

 いわゆる観光地を訪ね歩くのとはチョット違う感じですが、喧騒が苦手な老夫婦にはこんな場所の方が落ち着けますね。

 参道の脇には小さなお地蔵さん。
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 下界では散ってしまったツツジが、ここではまだ咲いています。
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 陽光に光る草花が綺麗。
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 これはギボシですかね・・・。

 自然の中にノンビリしていると、周囲の景色も綺麗に感じるものですね。

 「そろそろホテルへ帰ろうか・・・」
by takeshi_kanazaw | 2015-05-24 10:04 | 伯耆・吉備の旅 | Comments(4)
 「野菊の花」 という小説をご存じの方も多いかと。

 15歳の少年と2歳年上の従姉・民子との淡い恋を描いた、伊藤佐千夫の小説ですね。 「野菊の如き君なりき」という、木下惠介監督の映画で見た方もあるでしょうね。

 伯耆富士・大山の裾野を走っていたとき、田んぼの畔に一杯野菊が咲いていました。 その一角に偶然墓場があったのですが、通り過ぎてしまって・・・。

 「野菊の墓があったやないか。 もう一度そこへ行きたい!」と私。
 「そんなこと言っても、偶然に通った場所だし・・・・」
 「いや、探せば何とかなる」

 野菊の墓という小説はもう何十年も前に読んだので、殆ど忘れてしまっていました。しかし、しかし。 墓に野菊が咲いているを見た途端、少年の淡い恋というイメージだけが瞬時に脳裏に浮かぶんですね、これが。

 少し呆れ気味の顔をしている妻殿。 しからばと、私が運転をして大山のすそ野をウロウロして、野菊の墓 を探しました。

 ちゃんと見つけました、野菊の墓。
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 小説では、老人になった主人公が、昔を思い出すストーリーだったと思いますが、若い頃の淡い恋心をしのぶという心情は、男性共通の願望なのでしょうかね・・・。

 現実は単に墓場に野菊が咲き乱れているだけなのですが。
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 小説では無理やり他家に嫁いだ民子が流産で死亡。その墓に野菊が咲いているという情景でした。

 主人公の政夫が 野菊の如き君なれば・・・とか云うのでしたが、これがまたいいんですね。素朴できれいな野菊の花にたとえられる民子は、ある意味男性の理想女性像?
 写真は民子のイメージのような野菊に撮れてますかね・・・。

 余談ですが、野菊の墓の小説の舞台は、矢切の渡しに近い松戸市だそうです。伯耆の国の大山ではありません。
by takeshi_kanazaw | 2015-05-23 08:03 | 伯耆・吉備の旅 | Comments(4)
 我家では1~2ケ月に一度、夫婦のプラプラ旅をします。
 
 何時も旅の企画は妻殿。 私は付き添い人のようなものです?
 今回(5月19日~21日)は伯耆の国(鳥取県)と吉備の国(岡山・広島県)を走りました。中国山脈を北から南へ縦断する旅になりました。

 名古屋から高速道路で約450キロ。6時間弱かかりましたかね・・。 
 伯耆(ほうき)富士ともいわれる 大山(だいせん)へ。

 「うんうん、確かに伯耆富士と云われるのが判るわ・・」
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 大山は中国地方の最高峰(標高1,729m)、山陰地方の名山ですね。 この写真は西側から撮ったものですが、どうも西側からの姿が一番綺麗だと思います。

 大山のなだらかな裾野には田んぼが広がっていました。
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 この地方も結構な豪雪地帯で、冬は雪に埋もれるのだそうです。 大山の頂近くに僅かに雪が残っていましたが、裾野の丘陵地帯では田植えが始まっていますね。

 「日本の風景やな~・・・。山があって、田んぼがあって・・・」
 私も都会の住民になってしまって、意外と田圃を見る機会がない。
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 日本人ならもっと田んぼの綺麗な写真を撮らなきゃいけませんね・・・。

 田んぼの周囲に野菊が。
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 「日本の田舎も奇麗や。こんな風景は久しぶりや・・・」

 なぜわざわざ名古屋から大山へ? 私にも判りません・・・。 
 どうも気に入ったホテルが在ったからと妻殿が云うのですが、私は田舎をプラプラ走っていればそれだけでいいのですが・・・。
by takeshi_kanazaw | 2015-05-22 11:43 | 伯耆・吉備の旅 | Comments(2)

海外や国内の適当に撮った写真の記録


by takeshi_kanazaw