カテゴリ:シルクロード(中国)( 14 )

 このブログは過去3回訪れた中国シルクロードの旅の話を、まとめて書かれています。1回目は河西回廊から西安ー敦煌ーウルムチ、2回目はカシュガル、ホータンなど南側、3回目はイリからジュンガル盆地ですが、テーマ別に順不同でまとめてあります。

 このブログもしばらくタイのお話を続けていましたが、書き手の方がタイの話題に少し飽きがきました。まだタイの経済のことや社会のことなど、一杯書きたいことはあるんですが、しばらく休止にします。話題を中国に移します。

 ある友人が、私がよく中国に出かけていたのにどうして中国の話がないのか不思議がっていました。そうなんです。1986年以降毎年のように中国に行き、覚ええているだけでも15回は行ってますね。シルクロードには3回も行ってしまった。
 しかし過去の中国旅行の写真がない!

 私が写真を撮るようになったのはつい最近で、それまでは海外や国内を旅行する時はまったくカメラを持っていかなかった。「自分の眼で見るのが一番」と思っていましたし、至る所でパチパチと写真を撮るのはどうも好きになれなかった。
今でも頭の中には中国の綺麗な風景や、面白かった情景が詰まっているのですが・・・・。
あの頃デジカメやブログがあれば、もう少し丁寧に写真を撮っていたかも知れません。

 それはさておき、仕事で出かけたケースや、たまたま同行者が写真を撮ってくれたものも残っているので、それを頼りに15回の訪中で感じたことを綴っていきたいと思います。写録と言うより記憶の中の中国旅行といった感じですね。

 まずシルクロードの話からスタートします。
 
1989年だったと思いますが、憧れのシルクロードのパックツアーに参加。香港から入って、広州からは中国国内便で西安へ。西安から河西回廊沿いに敦煌、そしてトルファン、ウルムチまで15日以上の長旅でした。これが第一回目のシルクロードの旅でした。

 この時、中国広州のスルーガイドが「どうして日本人はシルクロードが好きなのか?」と聞くのです。彼に言わせれば、シルクロードの地域は夏は凄く暑いし、食べ物も不味い。ガイドとしては一番嫌な場所だそうです。
 そうですね・・・・。確かに彼のいうとおりなんですが・・・・・。

 ツアーメンバーの大半が1980年のNHKのテレビ「特集シルクロード」を見て、この旅に参加したようです。この番組は石坂浩二のナレーションと喜多郎の音楽が印象的でした。それまでまったく紹介されなかった風景や人々の生活がテレビで見られたのですから、大きなインパクトでした。(先年、このDVDを買ってしまった。時折見ています)

 しかし日本人のシルクロードへの憧れはもっと深いところにあるようです。それは仏教や西方の文物がこの地域を経て日本に伝わっていることにあります。日本でファンの多い西遊記の舞台はシルクロードですし、奈良の正倉院の国宝もシルクロードで作られたものが多い。古代日本が受け入れた海外文化の源流場所のイメージがあります。
 加えて草原を走る騎馬、砂漠を行くラクダの群れ、オアシスで踊る胡族の舞・・・。西洋にない中国にもない異国情緒はやはり憧れの場所・・・。この辺になると個人の好みの領域かも。

 実は中国人の多くはシルクロードといっても判りません。シルクロードという名称は19世紀にドイツ人が勝手に名づけただけで、中国人は単に西域というイメージしかありません。中国人には厳しい自然と異民族との戦いの場なんでしょう。

 意外なところでシルクロードに対する日本人と中国人の感覚の差を感じました。名古屋のスナックのママが上海人で、私がシルクロードから帰って来たといったら「臭い!」と鼻をつまむのです。どうもそのスナックのママは、シルクロード(ウイグル自冶区)は臭い羊の肉ばかり食べる人種の住むところと信じているようでした。中国の庶民の本音なんでしょう。

 どうもシルクロードへの憧れは日本人の勝手な思い込みのようですが、それでもやっぱりシルクロードはいい! 次回から私の旅したシルクロードの旅のお話を進めます。
by takeshi_kanazaw | 2008-03-05 22:48 | シルクロード(中国) | Comments(0)
 シルクロードは中国西安からローマに至る道ですが、私が訪ねたのはその東半分の中国側だけです。このところ西側のアフガニスタン、イラン、イラクが政情不安なので、西側にはなかなか行きにくいですね。

 いずれにしろ、シルクロードは大半がゴビタンと呼ばれる砂礫の大地の中を縫って進みます。いわゆる砂漠の中を突っ切ることは殆どありません。シルクロードのイメージとしては砂漠の中をラクダに乗っていく隊商を浮かべますが、実際は砂の中を歩くのは至難の業です。鳥取砂丘を歩いた経験のある方は判っていただけるでしょう。

 中国側は新疆ウイグル自冶区がシルクロードの主舞台ですが、その中央にドンとタクラマカン砂漠が居座っています。シルクロードはそのタクラマカン砂漠を避けるように北側と南側に分かれて連なっています。現在はもっぱら北側が主で、鉄道も北側だけ。
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 シルクロードの旅は殆どがバスを利用します。トルファンやクチャ、カシュガル、ホータンといったオアシス都市を渡り歩くような感じで、ゴビタンの中を進みます。オアシスから次のオアシスまでおおよそ200キロ~300キロありますから、半日以上何もないゴビタンを延々とバスに揺られる旅が数日続くわけです。炎天下では50度以上になりますし、ひたすら我慢の連続ですね。昔の旅人は数ヶ月かけて、いや数年かけて旅したんでしょうね。
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 そんな旅行が何で面白い? ううーん・・・・。何でなんでしょうね・・。
 そうですね・・・。少しキザですが、ゴビタンの遠くに見える雪山が綺麗だから。そしてこの地域で興亡した民族の遺跡に出会えるから・・・。そんな感じですかね。
 でも、他では味わえない面白いこともありましたし、チョット考えさせられることもありました。少しずつ思い出しながら次回以降に書き進めてみます。
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(今回使用した2枚の写真は、二回目の旅で同行した佐藤氏からもらった写真です)
 
by takeshi_kanazaw | 2008-03-04 23:34 | シルクロード(中国) | Comments(0)

シルクロード、道の表情

 前回のお話でシルクロードは「苦しロード」なんていいましたから、ガタガタ道を走ると思われた方もいるかも。そんなことはありません。現在のシルクロードの旅は、殆どがアスファルトで舗装された道をバスで走ります。とにかく来る日も来る日も、バスに乗って次のオアシスに向ってひた走ります。
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瓦礫の地にラクダ草が生えているゴビタンが続くのですが、遠くに見える雪山、時折見える蜃気楼の湖、彼方此方に小さな竜巻など、それなりに変化はあるのです。しかし、景色が雄大すぎてそんな情景はうまく写真には撮れません。
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 そんな時間、大半の旅行者はもっぱら眠っているのですが、私だけはズーと車窓からの風景を見続けていましたね。
三蔵法師が此処を通ったとか、西夏などツングース系の騎馬、チベット系の兵士やウイグルの商人、そしてモンゴルの騎馬も駆け抜けたんだろうなー。そんなことを考えながら、ぼんやりと風景を見ていました。
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 シルクロードの旅で問題は「トイレ」です。
 数百キロの間に休憩所も何もないので、「天然トイレ」となります。
「男の人は右側。女性は左側!」となって、全員それぞれ思い思いに用を足すことになりますが、意外とこれが快適。初め嫌がっていた女性達も、汚い街のトイレよりズット快適と好評でした。

 何もない道にも時々変化が起こります。草原が近いと羊の群れが道をふさぎます。当然のごとく群れが道を横切るまで、我々のバスは待つことになります。
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 緑が見え始めるとオアシスです。実際に旅をしていると、砂漠の中に湖が見えたり、オアシスのような森が見えたりしますが、近づくと消えてしまいます。 旅人が蜃気楼で見間違えてしまって、道に迷うというのは本当ですね。とにかくオアシスが近づくと風景は一変します。
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 オアシスという言葉は“癒し”のニュアンスでも使われますが、砂漠でのオアシスはチョット感じが違いますね。オアシスでしか人間は生きていけないので、ちょうど大海の中の島のような感じがしましたね。“癒し”というよりやっとたどり着いた”極楽”とでもいう感じですね。
by takeshi_kanazaw | 2008-02-28 00:12 | シルクロード(中国) | Comments(0)
 前回はゴビタンの道の表情をピックアップしてみました。今回はオアシスの道のお話です。シルクロードの旅では必ずオアシスで宿泊しますから、各オアシスの表情が面白く楽しめます。
 
 私が漠然と抱いていたオアシスのイメージは、砂漠の中に小さな池があって木々が生えた小さな部落の感じでした。そんな小さなオアシスもあるのでしょうが、実際に訪れたオアシスは殆どが大きな大平野でした。
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 タクラマカン砂漠の南にあるホータンでは、関東平野より広い緑の平原が広がり、沢山の稲が栽培されていました。玉(崑崙の玉と言われ中国人は大好き)が取れることで有名なホータン川は、川幅が優に100メーター以上あり、我々もこの川原で玉探しをしましたが、素人ではとてもじゃないが見分けがつかない。ウイグルの子供が石を持ってきて、観光客相手に商売をしていましたが・・・・。
(残念ながら写真を撮っていなかったので、イメージしかお伝えできません)

 このホータンは昔「ウテン」と呼ばれた一つの国だったようです。これはホータンばかりでなく、シルクロードの大きなオアシスは都市国家だったらしい。
中国の西域の歴史にはいろんな都市国家が出てきます。カシュガルは「疏勒」ですし、クチャは確か「キジ国」。時代によって呼び名も住んでいる人種も変化します。西域史は本当にやっかいで、漢の時代の国名や人種、唐の時代のケースなどなかなか頭に入りません。興味のある方は是非チャレンジしてください。

 話が横道にそれました。
 オアシスの道はなんと言ってもポプラ並木の風景ですね。
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 ポプラ並木の道を、ウイグルのお爺さんがロバに乗って進む写真がよく載っています。そんな風景をよく見たのですが、その時はカメラを持っていない・・・・・・・。今度行く機会があれば是非撮りたいとは思っていますが・・・。
 私が撮れた写真では、トラックが走ったり、通学の子供が自転車で走り去る姿でした。
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 やっと羊を連れたウイグル人?を見つけました。
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 次回はオアシスと水のお話にします。
by takeshi_kanazaw | 2008-02-27 15:09 | シルクロード(中国) | Comments(0)

オアシスは雪山の賜物

 シルクロードを旅すると、如何に人間が水なしでは生活できないか実感します。中国西域の本で必ず出てくる表現で「空に飛ぶ鳥なく、地上に獣なく、人骨を道しるべにして旅をする」というくだりが有名です。確かこれは敦煌からトルファンの間を通過するときの状況みたいですが、オアシスを離れると多くはそんな状態になります。
 そんなに重要なオアシスの水はいったい何処から来るのか?
 答えはオアシスの後ろにそびえている雪山の雪解け水です。タクラマカン砂漠の西を取り巻くように2千キロの「天山山脈」がありますが、この山はシルクロードに住む人達の命綱で、彼らにとっては「天山」は特別の山です。

 飛行機がウルムチに降り立つ時の天山の写真ですが、この山がシルクロードの旅の間は綺麗に見え続けます。
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 旅してみると砂漠の上には雲が浮かんでいるのですが、まったく雨にならない。雲は高い山にぶち当たって、やっと雪になって地上に落ちるみたいです。
雪解け水が河となり、伏流水となってオアシスを潤すのですが、ここでやっかいな問題が発生します。この地域はものすごい乾燥地帯ですから、水が地表に出るとすぐ蒸発してしまう。そこで考え出したのが「カレーズ」です。カレーズは、雪解け水を地下水道を掘ってオアシスまで引っ張ってくる仕組みです
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 地下水道はすぐ砂で詰まってしまうので、半年に一度は掃除をしなければいけないらしくて、砂漠の中に20メーター間隔ぐらいで一直線に取り出した砂の小山が並んでいました。
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 カレーズの出口は凄くひんやりしていました。水温は30度を切っているような感じで、そこにいるとスーと汗がひいていきます。
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 カレーズからオアシスに流れ出す水はかなりの量です。町の水溝を滔々と流れます。恐らく水利権みたいなものがあるのかも知れませんが、私が見たときは、子供が水遊びをしたり、洗濯をしたり、ヤギが飲んだり、自由に使っていました。この水がオアシスの畑に分けられて、穀物や果物を育てることになるのでしょう。
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 オアシスの人達にとってカレーズを作り出すのは大事業で、トルファンか何処かの博物館で見た写真では、凄い土木作業に見えました。恐らくオアシスの人口が増加してくれば、水を確保することが生きるか死ぬかの大問題になるのは明らかですよね。
 昔から続いている多くのオアシスのカレーズづくりの労力は、あの万里の長城づくりにも匹敵する大事業ではないかと思われました。
by takeshi_kanazaw | 2008-02-26 21:16 | シルクロード(中国) | Comments(0)
 シルクロードは砂とゴビタンが続くのですが、時には花が一杯咲いている場所もあります。

 3回目のシルクロードの旅では、ウイグル自冶区の省都ウルムチから北のジュンガル盆地をぐるりと廻ってきました。この地域は東のイーニン(イリ)の町を抜けるとキルギス、カザフに接して、北はアルタイ山脈になります。
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 ジュンガル盆地は殆どがゴビタンですが、山麓に近い場所ではステップみたいな感じに近くなり、背の低い草が大地に広がります。
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 バスを降りてこの草原に寝転ぶと、また違った風景になります。チャンと花が咲いています。
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 小さな花を拡大して撮ったら、結構綺麗な花でした。
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 それから注意してあたりの草原の小さな花を探して見ました。エーデルワイスに似た花(ひょっとしたらエーデルワイスかも)など、可憐な花が見つかりました。
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 しかし何と言っても圧巻は向日葵でした。雪山をバックに広がる向日葵畑が何処までも続いていました。
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 カザフ族の家の近くも向日葵が一杯。
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 向日葵のほかにも橙色の花も一杯咲いていました。ダリアみたいな感じでした。
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 シルクロードもじっくり見れば面白い情景が発見できます。
by takeshi_kanazaw | 2008-02-24 22:32 | シルクロード(中国) | Comments(0)

 砂漠の雨は怖い

 砂漠に雨が降る時があります。たしかカシュガルに入る日だったと思いますが、現地のツアーガイドがこれから行くところで昨日雨が降ったらしいと慌てているのです。
 “砂漠で雨が降れば涼しくていいじゃん!”
 そんな気分で我々は暢気に構えていましたが、その日はひどい目にあいました。まず、行く先々で道路が水に流され、その度にバスはゴビタンの中に入ってガタピシャの原野を行くことになりました。
 インターネットで飛行機から撮った写真を見つけましたが、まさしくこのように氾濫状態になります。
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 そして河に差し掛かると、なんと橋が流されて渡れない。両岸の道路には何台もトラックが停まって、その長さは10キロ(大げさでなくホント)。昨夜から徹夜で待っているというのです。砂漠には迂回道路はない。
 橋の修理に兵隊が数十人出ていたのですが、その動きがなんとも緩慢でイライラしました。若い兵士はタバコを吸いながら土嚢つくりをゆっくりとやっています。
「どうしてチンタラやっているんだ、俺達が手伝ってやろうか。鉄板を持ってくればいいんだよ。鉄板を!」気の短い日本人観光客が騒ぎましたが、改修工事のスピードはあがりません。
 ビックリしたのはそこで物が売られていました。橋の修理を待っている人達をお客に、付近の住民がコーラや飲み物、食べ物、スイカなども持ってきて商売を始めていました。そして商売を始めた人達の方が、修理の兵隊よりも元気に動き回っていました。
「中国人っていうのは凄いね・・・・・」

 その日は野宿を覚悟しましたが、何とか夜には橋が開通して、外国人だからというので優先して渡らせてくれました。ホテルに到着したのは深夜になりましたが、この騒動のお蔭で真っ暗闇の砂漠の中で、満天にキラキラと輝く星を見ることが出来ました。空気が澄んでいるから星が近くに見えましたよ。
 この雨騒ぎはそれで収まらず、翌日も大きな影響を受けました。カシュガルからパキスタンに抜ける国際道路を使って、有名な湖近くまで行こうという計画でしたが、道はズタズタで今にも落ちそうな岩石が道路わきに一杯。正直怖くて、私は計画通り登ろうという人達を説き伏せて途中で引き返しました。

 非常に残念がった友人が、恨めしそうに行く予定の山を撮った写真です。
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 話が少し飛びますが、「砂漠のさまよう湖」というのをご存知ですか?
 タリム盆地を流れるタリム川は2千キロ以上の長さを誇る大河ですが、最後はタクラマカン砂漠の中に消えてしまいます。中流付近でタリム川を見ましたが、轟々と水が流れる凄い大河でした。そのタリム川の最後に流れ込むのがロプ湖で、確かヘディングという探検家がこの湖が移動することを発見。
 歴史書によれば2千年ぐらい前にロプ湖付近に「桜蘭」というオアシス国家が存在したが、忽然と砂漠の中に消えたというのです。この歴史書と探検家のさまよう湖の話が重なって、想像の世界が膨らみますね。さらに付近から妙齢のアーリア系の美女のミイラが発見され、「桜蘭の美女」「さまよう湖」は浪漫を掻きたてました。
 この2千年前のミイラは、ウルムチの博物館で身近に観察できました。頬骨が高く鼻筋がスッキリしていて、どう見ても東洋系とは見えませんでした。2千年前にはアーリア系の人種がこの地域に住んでいたのでしょうね。
 シルクロードでは水がないと生きられませんが、その水の乱暴な動きで振り回される歴史でもあるのですね。私たちの雨騒ぎなど、取るに足らない話なんですね。
by takeshi_kanazaw | 2008-02-23 23:07 | シルクロード(中国) | Comments(1)
 シルクロードの旅ではいろんな種族の人達に会います。しかし正直いって私にはその人が何人かよく判りません。
 統計を調べると、シルクロードの中心となる新疆ウイグル自冶区の人口は約2千万人。ウイグル人が45%、漢民族41%、カザフ人7%、回族5%、そのほかキルギス人、モンゴル人、タジク人など。漢民族は中華人民共和国設立以降、政府の政策で移住したケースが多いようで、特に省都のウルムチは漢民族が多い。
 中心となるウイグル人はトルコ系とされ、11世紀以降に増えたそうです。そのため、この地域は東トルキスタンと呼ばれています。ちなみに現在のトルコは、同じく11世紀ごろ中央アジアに住んでいた人達が現在のトルコへ移動して建国したとされ、もともとは中央アジアに住んでいた民族です。
 講釈はこのぐらいにして、写真を見てください。
 イリの町の夕暮れに、たまたま結婚式に出くわしました。花嫁さん、そしてその友達がカメラの前でポーズを取ってくれました。
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 花嫁さんですが、どうもウイグル人じゃないかなー
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 友達4人の左端は明らかにロシア人。右端と左から2人目は漢民族?残るはウイグル人? 自信はないですが・・・・。
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 その時に同行していたガイドの助手。これは明らかに漢民族。イヤひょっとしたら朝鮮族?
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 ジュンガル盆地の草原であった子供達。多分カザフ族。
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 路上で果物を売っている夫婦。漢民族でしょうね。ジュンガル盆地には政府の政策で屯田兵のように移住してきた漢民族が多い。この二人はその子供達のような気がします。
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 街角で見かけた親子。多分漢民族と思うけど・・・。
  だいたい漢民族といっても北と南で随分違うし、西域に近いところの漢民族は少し違うかもしれない。なんたって中国はひろいからねー。ちなみにウイグル人や回族などイスラム教徒と漢民族との婚姻は非常に少ない。まづ食べ物がまったく合わないようです。

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  シルクロードの写真でよく見られるのは、ヒゲをはやしたウイグルのおじいさん。四角い帽子を被っている。人種によって被る帽子が違うと聞いたんだけど、どの人種がどんな帽子を被るのか忘れてしまった。
by takeshi_kanazaw | 2008-02-20 23:07 | シルクロード(中国) | Comments(0)
 シルクロードの旅は西安から始まります。しかし、これまで書いてきた私のブログでは突然シルクロードの道の情景からスタートして、オアシスや水の話、道端の花、地域の人種とまったく旅行記らしくありません。企画・構成力不足なんでしょうね。
 それはさておき、少しは旅行記風に話を戻して、出発点の西安からシルクロードのお話を続けます。

 ご承知のように西安は古の都「長安」と呼ばれていた町ですが、日本で言えば奈良・京都のイメージですね。
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西安の中心部は長い城壁に囲まれています。私はこの城壁が大好きです。一度上に上ったことがありますが、幅が10メーター近くあり周囲を廻ると11キロ、年に一度マラソン大会があるそうです。現代では城壁は交通渋滞の原因となっていますが・・。
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 現在の城壁は明代に築かれたもので、秦の時代の都は数キロ西側にあったようです。現在の飛行場あたりの位置ですね。
 長安が隆盛なのは漢の時代と唐の時代です。人口100万人の大都会だったと記されていますが、それ以降は都が洛陽に移り、名前も西安となって地方都市に変化していったということ。

 ところでこの場所は漢民族の都としては、場所が西に偏りすぎているんじゃないか?そう思いませんか。ある本で読んだのですが、初めて中国を統一した秦は、騎馬を扱うのが上手な辺境の人達だったらしい。どうも農耕民族ではなかったようで、周囲に大きな田畑は望めそうにない土地柄です。その後長安は人口増加に伴って食料の確保が大変だったらしい。どうも、長安は西域と漢民族世界の接点のような場所みたいな気がします。昔も今もシルクロードの起点は西安なんですね。

 現在の西安観光では兵馬俑などの秦の時代の大きな遺跡群と、華清池などの唐の時代の観光地が一杯あります。過去シルクロードの旅を含め5~6回ぐらいこの町を訪問していますが、行く度に車が増えて交通渋滞がひどくなり、空がガスで曇ってきましたね。古の都の風情がだんだん薄れていくようで寂しいのですが、これは旅行者の感傷なんでしょうね。一度ゆっくり歴史をたずねるような西安観光がしてみたいなーと思っているのですが・・・・。

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有名な秦始皇帝の兵馬俑。始皇帝の死後の世界を守る軍隊ということらしい。兵馬俑は中国各地で見られますが、この兵馬俑はその数と個々の像の素晴らしさは群を抜いていますね。昔は像の近くまで降りることが出来たのですが、今はダメみたいです。勿論写真は撮れません。たまたま写真を撮った観光客のカメラを警備員が取上げるのを目撃。フィルムまで抜かれていました。
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 私は陶磁器に関しては素人ですが、2千年以上前にこの写実的な大きな像をキッチリ焼き上げる技術は凄いと思います。しかも一体ごとに表情、服装が異なります。陶磁器は焼きあがると15%ぐらい収縮しますし、細かな部分が欠けたり、水分がまばらだとひび割れを起します。現代でも焼き上げるのが大変じゃないかなー。
 この兵馬俑坑と始皇帝稜は3キロ以上離れているので、この間にどんな凄いものが埋まっているのか興味津々ですね。

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 唐の玄宗皇帝と楊貴妃で有名な華清池は温泉が出るというのですが、ホントかなー・・・。たしかこの池の傍に、国共合作で有名な張学良が蒋介石を閉じ込めた部屋があったと思う。いや確かにあった。

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 この大雁塔に玄蔵法師がインドから持ち帰った仏典が収められているらしいのですが、登るとまるで土の塊みたいで、殆ど部屋らしいものは見当たりませんでした。土だけで高い建物を作るから仕方ないのかも。

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 西安の国立博物館に行ったのですが、大きすぎて見るのに疲れました。何処かの本で見た宝物が一杯ありました。

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 西安の西端にラクダのキャラバン隊みたいな変な像が作られていました。最近作られたものですが何ともチャチでした。シルクロードの出発点としてはいただけないですね。

 次は西安から河西回廊を西に向います。
by takeshi_kanazaw | 2008-02-17 06:27 | シルクロード(中国) | Comments(0)
 西安から西に向うと、北のゴビ砂漠と南の祁連山脈に挟まれた地帯に入ります。河西回廊と呼ばれ、ほぼ西安から敦煌までの約1千5百キロの道のりです。
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 河西というのは黄河の西という意味で、中国では単に「河」と書くと黄河を指します。ちなみに「江」は長江(揚子江)のことです。少し中国通らしい?
 
初めてシルクロードに出かけたときは、確かこのルートを汽車とバスを乗り継いでエンコラ進んだ記憶があるのですが、イメージとしてはゴビタンの中をオアシス目指して走った覚えがあります。ただこの地域はタリム盆地と異なり、中国人が多く住んでいる地域で、遺跡も狼煙台や兵士の駐屯城など漢から唐時代の西域経営のものが多かったですね。
 繰返しますが、このときはカメラを持参していませんでした。おぼろげな記憶とインターネットで拾った画像を組み合わせて話を進めます。

 遺跡にも現われているように、この地域は漢民族と匈奴などの他民族との戦いの場所だったようです。漢の時代に匈奴を挟み撃ちにするため、張騫が大月氏国へと旅をしたことで西域の状況に注目。そうそう汗血馬の話もありましたね。その後漢民族が強いときは兵士の駐屯基地が西へ伸び、勢力が弱まると後退するという繰返しですね。
 
だんだん思い出してきました。旅の途中で至る所に霍去病(カッキョヘイ)の話が残っていました。この人物は漢の時代の将軍で滅茶苦茶強かったらしいのですが、若くて(20前後)肺病を患っていたそうです。なんとなく人気があるのが判ります。
 
逆に宋の時代では、この地域は新興国の西夏に蹂躙されています。井上靖の「敦煌」という小説にその辺の状況が書かれています。興味のある方は読んでみてください。井上靖はまったく現地に行くことなくこの小説を書いたそうですが、実際に現地を旅してみると書かれている情景は現地の雰囲気とピッタリしていましたね。
それにしても敦煌の莫高窟から仏典が出たという事実だけであの小説を作り上げるのですから凄い!井上靖はこのほかに「桜蘭」など西域を題材にした小説が多くあります。
 話が少し横道にそれました。

 西安から河西回廊を進むと蘭州になります。甘粛省の省都ですが、昔のシルクロードはもっと北を通っていたようです。私たちの旅では確か汽車で行ったのですが、中国側がわざわざこのツアー客のために車両を連結してくれました。

乗務員は休日返上となったようです。なぜそんなことが判ったかというと、私が一人で車両内の探検をしていたら、乗務員と話し込む(筆談)ことになってしまったからです。乗務員は人のよさそうなオジサンで、小麦を焼いたものを美味しいから食べろと盛んに勧めます。私も若かったしおっちょこちょいですからすぐに乗ってしまい、ろくに中国語も出来ないのに小一時間も汚い乗務員の部屋で駄弁っていました。昔の中国の旅ではこんな経験が多くありました。

 昨年NHKで「関口智弘の中国列車の旅3万キロ」という番組をやっていました。彼は突然普通の民家に入っていってご飯をご馳走になったりするのですが、これは演出ではなく事実と感じますよ。中国の田舎の人は素朴ですよ。

 どうも話が横道にばかりそれていきます。
 そうでした。蘭州の話でした。

 蘭州は町の中央に黄濁した黄河が流れ、南は青海省のコルムドを通じてチベットへ、北はモンゴル、西は河西回廊と交通の要衝です。しかし、どうも印象は中国の地方都市という感じが強かったですね。
 去年チベットへ行った時に立ち寄った蘭州の写真です。昔はビルもなくのどかな感じだったんですがねー。
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 蘭州からは多分バスで行った? イヤ汽車だった? どうも記憶が曖昧です。とにかく河西回廊のオアシス都市を一つずつ訪ねて敦煌を目指しました。武威、酒泉、嘉峪関、柳園とそれぞれ町を歩いたのですが、写真が残っていないのでおぼろげな思い出ばかりです。
 確か武威ではあの霍去病の話を一くさり聞いたと思います。此処は漢の時代に大きな駐屯地だったらしく、それで霍去病のカンバンがあったのでしょう。

 酒泉では「天下第一泉」に連れて行かれました。多分水が豊かなオアシスだからでしょう。中国では天下第一とか第二とかという表現が多く、確か無錫か鎮江で天下第二泉を見たような記憶があります。
水が良ければ酒が旨い。まるで日本の養老の滝みたいな感じですが、天下第一泉の水がお酒になった?のかもしれません。

此処では祁連山脈で取れる玉から作られた「夜光杯」が有名。黒っぽい透明なグラスですが、これでオアシスで取れるブドウから作ったぶどう酒を飲んでいたというわけ。どうもグラスは透明なガラス状のものがいいと思いますが・・・
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 凄く印象に残っているのは嘉峪関。
 万里の長城が砂漠に消え行く場所に、朱色の立派な塔が立っています。漢民族の西域最先端のような感じで、これより西にはこんな中国風の建物はありません。夕日の中の嘉峪関城の写真はまことに印象的ですが、私が此処を訪ねた時はちょうど改修の真最中でした。このお城は結構大きくて、外から馬で乗り入れられる石畳の坂道や中に沢山の建物がありました。インターネットで拾った写真を載せておきますが、実際は後方の山はこれほど見事には見えません。
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 なかなか敦煌にたどり着けませんね・・・・。
 次回はなんとか敦煌に到着したいですね。
by takeshi_kanazaw | 2008-02-17 05:23 | シルクロード(中国) | Comments(0)

海外や国内の適当に撮った写真の記録


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