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タイ週報  中部タイの古都「ロブリー」  2・17

 タイの中央平原はバンコクから北上すると、すぐに前の都アユタヤへ行きます。中部タイの中心はアユタヤの北50キロ~100キロぐらいの地域になります。
 
 今回出かけたロブリーの町は、下の地図の水色の7番の県です。ちなみにアユタヤは4番。
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 バンコクは現在の王朝になって(約200年前)開けた場所ですが、それ以前は海とも川とも言えない湿地帯でした。ですからアユタヤは海から近い港町だったわけです。中部タイはそのバックに広がる穀倉地帯ということになります。

 日本でも東京駅も名古屋駅も大阪駅も、500年前は海か干潟だったのですから、タイも同じですね。タイは大陸だから変化のスケールが少々大きいですが。

 ある本によれば、1500年前はロブリーの辺が海岸線じゃなかったかという説があります。どうも昔の遺跡が点在して、タイの先住民族「モン族」のドバラビィー(発音は違うかも)文化が栄えていたとも・・・。

 その後はクメールが来たり、タイ族が来たり・・・・。少なくともスコタイやアユタヤよりは古い町なんだそうです。しかし、現在残っているのはアユタヤ時代以降の遺跡です。

 「やっと田んぼらしい風景が出てきたな~」
 
タイ週報  中部タイの古都「ロブリー」  2・17_d0140806_0143240.jpg

 中部タイは水田が広がる穀倉地帯です。

 そんな風景が続き、石灰石の小さな山を横目に見ながら進むと、ロブリーに着きます。バンコクから車で2時間ぐらいの距離でしょうか。
 この町は東北タイとチャオプラヤ流域を結ぶ場所にあり、ラオスからも移動するのに通る道でもあります。

 「うーん・・・・。これはなかなかの遺跡だぞ」
タイ週報  中部タイの古都「ロブリー」  2・17_d0140806_0182655.jpg

 遺跡の構えが大きいというか、重厚なのです。

 遺跡の形を見ると、タイへ来られた方は何処かで見たような気がすると思います。よく似てるんですね、アユタヤと。
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 ロブリーの町には遺跡が広がっていますが、下の遺跡はどうでしょうか?
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 ちょっとクメールっぽいですね・・・・・。
 確かにロブリーは川を遡れば東北タイへ行きますから、クメールに近いといえば近い。
 下の写真の像がまた変なんです。
タイ週報  中部タイの古都「ロブリー」  2・17_d0140806_0301188.jpg

 仏像下に蛇があり、像の唇が厚いのはクメールっぽいけれど、顔つきはほっそりしているのでスコタイっぽい・・・。この古都の歴史でしょうね・・・・。

 どうもロブリーはアユタヤ時代には有力な町だったようで、アユタヤがビルマに攻め落とされた頃には、意外とこの町へ都が移される可能性も感じられる町ですね。そうするとタイの首都はバンコクではなくてロブリーだったりして・・・。しかし海から遠すぎるね・・・。

 アユタヤ時代以降も、遺跡というかいろんなものが積み重なっています。
 下の崩れた建物はどうも中国っぽいんですね・・・・。黒いのは建物に燈明を焚くところが沢山ありますが、ローソクの煤のせいですね。何か中国の遺跡みたいですね。
タイ週報  中部タイの古都「ロブリー」  2・17_d0140806_0425767.jpg


 古都ロブリーは1500年前からどんな歩みをしてきたんでしょうね・・・・・。
 そんなことを考えると、タイという国は意外と凄い多民族国家ですねー。

 ロブリーというと遺跡に群がる猿が有名ですが、その写真は次回に。
by takeshi_kanazaw | 2009-02-17 23:55 | タイ週報(半年分) | Comments(0)

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