この講座は月一回で6回シリーズ。日本史の飛鳥時代前期あたりの蘇我氏の頃の話ですが、なかなか面白い。もう3回目に差し掛かっていますが、ちょっとその話を。
話の主題は、――蘇我氏は昔からの豪族である葛城氏(明日香の西にある山付近に存在)の流れをくむ豪族で、この時代の日本の政治は蘇我氏の専横ではなく地元豪族の合議制だった。――
教科書で習ったこととは違う観点ですね・・・。
日本の古代史なんていうと、卑弥呼と邪馬台国の話から、突然日本書紀の話が不連続に出てきて、さっぱり判らないことが多いですね。 判らないことが多いので、各自が勝手に想像を逞しくして諸説が語られ、そこにロマンがあるのかもしれませんね。
ところで、このブログには「まほろば紀行」というカテゴリがあります。生意気にも私も古代史に興味を持って、明日香をぶらついたり、山の辺の道を歩いたり、葛城街道や古代の竹内街道を河内までを走って、古代史の現場探訪をしたことがありました。詳しくはカテゴリ「まほろば紀行」をご覧ください。
そうそう、“ まほろば ” という言葉の発祥は、景行天皇(12代)の息子である日本武尊(ヤマトタケル)の望郷のうたとされています。彼の実存自体が不明ですが・・・。
「倭(やまと)は 国の まほろば たたなづく 青垣 山隠(やまこも)れる 倭しうるはし」
さて、日本の古代史の研究の主流は、もっぱら「日本書紀」と「古事記」の研究です。両書は8世紀の奈良時代に完成したもので、日本国成立の頃より数百年も後で書かれたものです。神話から始まって、何が事実で、何が脚色か、研究者によってマチマチの説が出ます。残念ながら、他に有力な文献がないので、極端に両書に頼ることになっています。
「おかしいやんか、歴史なんて勝者が後で上手いこと書くことが多い。もういい加減に日本書紀一点張りを止めて、人類学や経済学、地理学など、違う視点で古代史を研究してもいいだろうに」
生意気にも私はそう思っています。
私は日本のボスとなった天孫族やその他の豪族達の多くは、大陸から来た渡来人だと思っています。(異論のある方は多いと思いますが。) なぜなら、日本列島の土着人が、すぐに漢字(中国語)を書きこなせるのはおかしい? さらに稲作の普及に欠かせない農業土木や、重要な鉄器、そして意外に進んでいる大陸との交流。大陸出身者なら可能だと思います。いわゆる騎馬民族征服説なのですが、この説は古代史研究の傍流のようです。
「しかし、素人が自説にこだわってばかりいてはいけない。ちゃんと古代史の主流の話も聞かなくちゃだめだ」 天邪鬼の私ですが、ここは我慢して?日本書紀ドップリの学者さんの話をジックリと聞いてみようと思い立ったという次第。
講座の中身を紹介するのが筋でしょうが、ブログという媒体では無理でしょうね・・・。
まー、私自身の記録保管という意味で、少しその さわり を載せておきます。
「基礎を築いたワカタケルノミコト(雄略天皇)」
雄略天皇(21代天皇とされる人)が、5世紀ごろに葛城氏などの豪族を滅ぼし、王族の血なまぐさい抗争を経て天皇家の基礎を築いたらしい。この時代以降の話が史実に近い?
(天皇という尊称は後世に使われたもの。当時は全く異なる呼び名のようです)
じゃー、それまでの史実はどうなのか。三輪王朝は存在したかなどなど、疑問が出てきますね。
「昔の国際港は和歌山?」
古代大和朝廷の大陸との交流は、難波(現大阪)とされていますが、それは6世紀後半からで、5~6世紀の頃は葛城山から南へ下った葛城道、巨勢(こせ)道、から紀ノ川を下り、現在の和歌山から大陸に出て行ったという。滅ぼされたとされる葛城氏・巨勢氏の流れをくむ力(蘇我氏など)が強かったらしい。必ずしも天皇家中心ではなかった?
「大連と大臣」
大連というのと、物部氏と大伴氏が浮かびますが、連(むらじ)というのは天皇に属する 官僚 のようなもので、それぞれ特別の武力とか財政などの仕事を担当する職を言うらしい。それに比較して臣(おみ)というのは、過去は天皇と同等の豪族達の主力氏族を指すという。なお、臣となれる豪族は20以上あって、10人ぐらいが選ばれて閣僚?を構成。そのトップが大臣で蘇我氏が独占したらしいが、基本は臣達の合議制だったらしい。
「面白いのは天皇の婚儀」
自分の部下である連の娘は皇后には迎えず、蘇我氏を始めとする臣の娘を迎える。過去にも葛城氏と天皇家の婚儀が多かったらしく、なんとなく判るような気がしますね。そのことが政治面にも影響が出てくる。
大連中心の政治は天皇中心の組織かもしれない。それが臣の合議制に移行し始め、物部氏と蘇我氏の抗争というのは、有力官僚と大物大臣との戦いだった?
まー、退屈な話と思われる方、面白いと感じる方、いろいろでしょうか・・・。
この講座は後3回あります。
この時代の事を、どのように調べたらいいのか?!と・・・・
楽しみにしていますから、よろしくお願いします。
飛鳥人達はこの寒さの中をどう暮らしたんだろうか?
私はどうもそんなことが気になります。
住居は? 衣服は? 食べ物は? などなど。
歴史書は有力者たちの話ばかりで・・・。
何処かに古代の庶民の生活を書いた文献は無いでしょうかね・・。