(清朝避暑山荘の公園)
万里の長城を巡る旅、4日目は清朝時代に作られた避暑地の町 「承徳」 巡りから始まった。
承徳は北京の北250キロぐらい、燕山山脈の涼しい高原地帯にあり、避暑地として有名。
「来るたびに町の様子が変わってしまうよ」 とガイドのG君。 今や300万人を超える大都会。
清朝時代には、暑い北京から、皇帝をはじめその家族もこの承徳に移動。 小規模ながら紫禁城のような宮殿や頤和園のような広い公園があり、避暑山荘というより小さな夏の都という感じ。
構えも大きくて、砦こそないけれどまさに宮殿風。 全体の姿は下の案内板のようである。
宮殿のほぼ中央、王座がそのまま残っている。 紫禁城を小型にした姿。
この建物には謁見の間とか、執務室、寝室がある。 寝室は意外と質素?
面白かったのは、その皇帝の寝室に通じる、小さな扉。 この扉を通って、夜のお勤めを果たす女性が、宦官に導かれて皇帝の寝室に入って行くシステムだったらしい。
「あの悪名高き西太后も、この扉を通っていたのかな・・・・」
この皇帝の寝室の西側に、西太后の住まいがある。 ちなみに皇帝の第一夫人を東太后と呼び、第二夫人を西太后と呼ぶらしく、個人名ではない。
中国の諺に 「雌鶏鳴いて国滅ぶ 」 というのがあるが、清朝末期の状態はまさにこの状態。 国家の中枢をそんな姿にした中国人そのものに問題があるが、特定の個人に権力が集中するパターンは現中国でも見られる傾向で、これは国民性かもしれない。 西太后のようなバカげた存在が国を滅ぼす。
この避暑山荘は、乾隆帝の頃に整備されたものらしく、広い庭園が広がっている。
承徳は少し標高が高いのかもしれず、秋の気配が濃厚であった。
この避暑山荘は世界遺産ということだが、もっぱら近郊の庶民の憩いの場になっている。
老若男女が思い思いの時間を過ごしているのが微笑ましい。
冒頭の写真は、そんな広い庭園で見つけたワンショットです。
暫く、ネットから離れてましたら、
旅が進み色んな場所の長城を歩かれましたね。
清朝避暑山荘の公園 一枚目の写真 イイ雰囲気です。
世界遺産の場所ですか。
水辺のある風景は、どこもイイですネ。
この旅行記は毎日更新しています。
ドンドンと先に進んでいきますが、遡って見てください。
何とかいい写真を載せなきゃと思っているのですが・・。
一枚目のようなイメージの写真も探して載せるようにします。
旅行記ではどうしても説明的な写真が多くなりますね。