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 スリランカという国は?  スリランカ紀行 4   8.25

 スリランカの観光の前に、チョットこの国の歴史などを。

 愛読書の司馬遼太郎の「街道をゆく」の影響でしょうか、旅をすると、その地域の歴史の歩みや、住んでいる人々の顔を見ながら、感じたことをまとめてみたくなります。

 そこで、何時ものことですが、旅行の様子を載せていく前に、スリランカの全体像を少しまとめてみました。読者への説明を兼ねて、自分の勉強という意味が強いのですが。 長くなりますが、お読みいただくと有難い。

まずはこの国の歴史から・・・・。

 国の歴史は後世の人が創るという傾向があります。
 現在のスリランカの主勢力はシンハラ族(国民の75%)ですから、それを考慮しておかねばなりませんが、他に資料がない・・・。
 主にWikipedia のコピー・ペタでまとめました。


――古代から独立までの歴史―― 
 スリランカはインド大陸と隣接する島国です。当然この国の歴史はインドと深い関係を持って推移しています。

「国の始まりは北インドから?」
・紀元前5世紀:シンハラ人の先祖に当たる人々が北インドから移住して王国を作ったとされる。王都は北部のアヌラーダプラに置かれた。
 
(我が国も大陸に隣接する国ですが、大陸からの移住や文化・仏教の伝播など共通点があるかも。調べると面白いでしょうね。)

「仏教伝来・隆盛」
・紀元前3世紀:アショーカ王の王子マヒンダが仏教を伝えたとされ、これ以後上座部仏教を主体として仏教が興隆し、その中心地となって、シンハラ人の多くは現在までその信仰を守ってきた

(上座部仏教とは南伝仏教とも小乗仏教ともいわれる、仏の悟りを追及する原始仏教に近い流れ。インドがヒンズー化して仏教が衰えて、スリランカが仏教の中心地となっていく。 タイ、ミャンマーなどの仏教は、11世紀頃にスリランカから導入されている) 
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 アヌラーダブラの大塔。凄い大きなパゴダです。

・紀元前2世紀以来:南インドからタミル人を主体とする断続的な移住者があり、現在のスリランカ・タミル人の原型を形成したと考えられる。

(タミル人は主にインドの南に住む種族。宗教はヒンズー教。シンハラ族より小柄で肌が黒いとされるが、我々には殆ど見分けられない。言葉も文字も異なる。 シンハラ人とタミル人の微妙な関係は私にはよくわからない・・)

・5世紀:アヌラーダプラで父を殺した王子はシーギリアロックの岩山の頂に宮殿を築いて遷都してカッサパ1世となったが、短期間で元に戻る。

(世界遺産で有名なシーギアロック。当時のスリランカの国力を示す資料としての価値がある。後で現地を訪れます) 
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 どうしてこんな所に宮殿? という感じですね。

・11世紀: 南インドのチョーラ朝の侵入により王都を放棄し、南東90キロのポロンナルワに移動し、繁栄の時代を迎えた。
(スリランカの隆盛は12世紀までのような気がします。ボロンナルワ周辺には一杯仏教遺跡が残っています。後で現地を訪れます) 
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「植民地化」
・16世紀:ポルトガル人がコロンボに商館を建設し植民地化。植民地都市ゴールも建設される。
・17世紀:ポルトガルに代わりオランダが植民地化。
・18世紀:イギリスの東インド会社がコロンボを占拠し植民地化を始める
(この間、スリランカの首都は内陸部にあり、最後の首都はキャンディ。後で訪れます。 スリランカはアジアでも植民地化された時期も早く、インド洋の要衝という立地が災いしたのでしょうか)
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 キャンディの仏陀の歯が祭られている仏歯寺、仏の歯はスリランカの三種の神器みたいなもの。


――独立後の歴史――
「シンハラ人中心主義?」
・1948年 イギリス連邦内の自治領(英連邦王国)として独立した。国名はセイロン。
・1949年:タミル人の選挙権を剥奪。
・1956年:総選挙で人民統一戦線が勝利し、シンハラ語公用語法案を制定した。さらに、タミル人は公務員から排除された。このシンハラ・オンリーの政策によってタミル人との対立が高まり、後の大規模な民族対立の原因となる。シンハラ仏教ナショナリズムが高揚する。東部とコロンボでタミル人の民族暴動が起こる。

(スリランカの民族対立については、私はよくわからない。歴史的にも長らく抗争があったが、王国間の通婚もあったらしい。最近の民族対立の主原因は、どうもシンハラ人中心のナショナリズムだとする説のようです。しかし、一方では、混乱の原因は単なるタルミ人の一部のテロリズムだという人もいます。内戦は2009年まで続きます。)

「資本主義を導入、内戦終了して新時代へ」
・1972年: S.バンダラナイケが首相に就任し、共和制に移行し、国名をセイロンからスリランカ共和国に改称。 
・1977年: ジャヤワルダナが首相に就任して、資本主義の導入、経済の自由化が始まる。 一方ではタミル人やイスラム教徒の分離独立機運が高まります。
・2009年、政府は分離独立派の完全制圧と内戦終結を宣言。
(スリランカは独立以降、中立主義でインドなどと同様に社会主義的な政策が主流だったようです。「タミル・イーラム解放の虎」などの分離独立の動きで、経済発展がイマイチ。2009年以降は内戦終了とともに経済成長が続き、現在の成長率は8%ぐらいだそうです)

 少し長くなりました。
 地形などの話は次回にしましょうか・・・。
Commented by odamaki719 at 2014-08-25 16:34
こんにちは🌷
 スリランカはセイロンと呼んでいる時から紅茶好きの私には
紅茶の美味しい国ってことぐらいしか知りませんでした。
Commented by takeshi_kanazaw at 2014-08-25 18:50
odamaki さん。
今回は読むのに苦労されたのでは?
我妻殿なんかは、写真しか見ませんからね・・・。

私も現地へ行くまでは紅茶しか知りませんでした。
まー、このブログは読みにくいでしょうが、順次観光旅行の様子を載せます。
このブログに付き合っていただくうちに、スリランカが身近になるかも。
Commented by small-talk at 2014-08-25 22:46
僕も、セイロンのイメージが強いですね。
もっともWikiによれば、1972年に改名しているので、僕が小学校へ入った年なのですね。もう、ずいぶん昔です。
ビルマなどはもっと後ですし、「ビルマの竪琴」などもあるから中々頭が切り替わらないのも分かるのですがね。
セイロンは紅茶のイメージでしょうか。
ミルクティーにするなら、セイロンウバです。
Commented by takeshi_kanazaw at 2014-08-25 23:45
small-talk さん。
私もスリランカよりセイロンに馴染が強い。
1972年、私はもう結婚していましたからね・・・。
紅茶の話はまたキャンディ訪問で書きますが、私は詳しくないです。
どうも値段が高い紅茶は、少し苦い傾向がありますね。
Commented by iwamoto at 2014-08-26 06:58 x
セイロンやスリランカ、現地の言葉ではどのような意味なのですか。
Commented by takeshi_kanazaw at 2014-08-26 13:18
iwamoto さん。
本によれば、以下のようです。
セイロンは英語名で、植民地時代に使われた。
起源はアラブ人の「セレンデイブ」 探し物を掘るから来た言葉らしい。
スリランカはシンハラ語で 光り輝く(スり) 島(ランカ)だそうです。
語源はインドの叙事詩ラーマーヤナからだそうですが、異説もあるらしい。
タルミ語ではイランガイというのだそうですが、意味は判りません。
by takeshi_kanazaw | 2014-08-25 15:03 | スリランカ紀行 | Comments(6)

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