この地域で有数の豪商だった、朱一家の豪邸の跡を見学。
観光客が入るのは別の門。
「沢山中庭があって、部屋が200以上あります。 あまり多いので、迷子になりますよ」
この朱一家、明の時代にこの地に来て、錫やアヘンなどを商い、広く中国各地に拠点を展開するまで大きくなったらしい。
「明代と言えば、新大陸アメリカへの移民と同じ時代か・・・。 雲南の原住民と西部劇みたいなこともあったのかな~。 でも、商売は漢民族の方が上手いからな・・・」
この豪邸は清の時代に30年もかけて作られたとか。 特長は庭が多いことで、その庭の周囲を部屋が囲み、その繰り返しが連続している。 蘇州などの大きな一つの豪邸というつくりではない。
一番大きな庭。
どうも朱一家は、各庭ごとに家族が別れて住んでいたのかもしれません。 小さな門があり、各ブロックごとに分かれています。
各ブロックをつなぐ道。
こちらの庭には池はないですね。 こんな中庭が多いですね。
この朱家花園、調べると、庭の数は42、部屋数は214とありましたが、実際に歩くと、迷路みたいでよくわかりません。
少し歩くと、また中庭が現れるという感じです。
朱一家ですが、中華民国の時代に、新政府軍に負けて朱一家は離散。
多分中華民国時代に生き残っても、次の共産党時代ではダメだったでしょうね。
この花園、もう生活の匂いのするモノは残っていません。
雲南の地にやってきた 漢族の豪邸。 まさに漢族の家の様式を再現しています。
ヨーロッパから来た人たちが、アメリカ南部に残した豪邸と似ている?
山岳民族が暮らしている 元陽 を見てきたので、こんな中国式の豪邸を見ると、何時もの中国旅行と少し違った感覚で捉えてしまいますね。
朱一家の豪邸の跡は素晴らしいですね。
色々と凝った造りで見ていると楽しいですね。
部屋が200以上あるのも驚きです。