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 古都・荊州   三国志紀行 11    7.6

 湖北省・荊州(けいしゅう)に辿りつきました。荊州は長江沿いの古い町です。
 
 この旅は長江沿いの省都・武漢から始まっていますが、その後北西へ300キロ、三顧の礼の襄陽を訪ねた後、また南下しているわけです。

 荊州は、周の時代、「楚(そ)」 の国の都だった 古都 なんですね。
 城壁に囲まれたいい町ですね。
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 楚 という国は馴染みが薄いですが、「四面楚歌」 という言葉は聞いたことがあるかも。
 紀元前200年頃、項羽の楚軍と劉邦の漢軍の戦いでの出来事から由来する言葉ですね。 楚の項羽が兵士の故郷へ帰りたいという楚歌が四面から聞こえて、戦意喪失。 劉邦に負けて、劉邦の漢帝国が出来ることに。

 「そうか、もし項羽が勝っていれば、漢帝国の都の長安がなくて、この荊州が中国の都になっていたわけか。 うーん、長安じゃなくてこの荊州がね・・・」

 いずれにしろ、荊州は古代からこの地方の中心都市だったらしく、三国時代はまさに争奪戦が絶えず行われていたらしい。

 翌日、荊州古城(かつて江陵城)へ。
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 このお城は明代に改修されたもので、なかなか風格があります。

 城壁から荊州の町が眺望出来ます。
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 荊州の町には堀(長江の支流?)があって、その堀沿いに数キロの静かな公園が続いています。 住んでみたい気分がする、中国らしい雰囲気の町ですね。

 この荊州城は関羽が守っていた時期があり、蜀の国の重要な戦略地だったようです。
 城内に蜀の面々の像が置いてありました。
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 前の左は劉備、その右は孔明、後ろの左から 張飛、関羽、趙雲 ですね、多分。

 城内にある荊州博物館を訪ねました。
 ビックリしたのはホルマリン漬のミイラ。
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 2000年前のミイラが保存されていましたが、この楚の国では漆技術が優れていて、保存が上手かったらしい。
 中国の歴史は勝者の北部主導で物語られていますが、長江沿いの敗者の歴史はあまり明らかではありません。 最近は長江沿いの古い文化遺跡が次々と出てきているようです。
 ちなみにこの荊州の日本の姉妹都市は、会津若松市 だそうです。

 昼になれば昼飯を食わなきゃ。
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 荊州で食べた昼飯ですが、我々のイメージしている中華料理ではない。 
 「食べやすくて美味しいね」
 野菜中心の優しい?食べ物が並んでいますが、どうもこうしたメニューが中国の人が日常食べている料理のようですね。

 面白いのは、この地方の料理店では、食卓の横に必ずマージャン卓が置いてある。
 文革以降、マージャンをやる人は見かけませんでしたが、時代が変化してるんでしょうか。

 ツアーメンバーの一人が、マージャン連盟の9段。
 「中国のパイは大きいな・・・」 
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 旅はゆっくりと進んで行きます。 まだ5日目でしたかね・・・・。









 
Commented by odamaki719 at 2013-07-06 17:43
こんにちは!
 荊州古城がとてもいい感じですね。
城壁から荊州の町も綺麗ですね。
旅の途中でマージャンを楽しんだりいいですね。
Commented by takeshi_kanazaw at 2013-07-06 22:00
さすがマージャンはやりませんでしたよ。
荊州は、もっとゆっくりしたい感じの町でしたね。
by takeshi_kanazaw | 2013-07-06 12:03 | 中国・三国志紀行 | Comments(2)

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