わざわざこの場所に来たのは、有名な 「三顧の礼」 の現場だからです。
三国志演義によれば、諸葛孔明は 山東省から流れてきて、この襄陽の片田舎で晴耕雨読の生活をしていたらしい。孔明は20代の青年、本当に晴耕雨読だったんですかね・・・・。
優秀な人物だというので、劉備がわざわざ孔明の住まいへ出掛け、なかなか会えなくて、3度も訪問したという話が、「三顧の礼」 という言葉を生んだそうです。 現在は孔明が住んでいたとされる場所に、その施設があります。
当時は劉備は47歳、小なりとはいえ一国一城の主。 それに対して孔明は27歳、優秀とはいえ、ただの市井の人。 確かに3回も訪ねると言うのはただ事ではないでしょうね。
この遭遇時に、孔明が劉備に 「天下三分の計」 を提案したことになっています。
すなわち、北の魏の曹操、南の呉の遜権と争うより、 荊州(現在の湖北省)と益州(現在の四川省)を獲って、天下を三分する戦略がよいと言ったわけです。 その後の歴史は孔明の戦略通りに展開することになります。
まー、1800年も前の話ですから、孔明が住んだ場所が当時のまま というわけではないですね。 それでも襄陽の街外れの小高い丘の麓で、落ち着いた雰囲気の場所でした。
とにかく孔明に関する建物が散在しています。
これは孔明が暮らしていた住まいを復元?したものですね。
三国志演義は長い小説ですが、前半は劉備や関羽、張飛など、よく失敗をする人間臭い人物が活躍するので面白い。しかし、孔明が登場する後半は、孔明が立派過ぎて全然面白くない。 孔明の人間像が私にはイマイチ感動的ではありませんね。
孔明は劉備に仕えて後、すぐにあの「赤壁の戦い」で活躍するする?わけですが、この三国志紀行は訪ねた場所の順番と歴史の流れが前後するケースが多く発生します。 ショウガナイのですが。
どうも周囲は現在何やら工事中でした。 また地域おこしじゃないですが、孔明を売り物に集客をもくろんでいるみたいですね。
工事に従事しているオジサン。 変な奴達が来たな~ と我々を見ていました。
観光地になっているのてしょうが、それでも緑の豊かなところですね☆
これからも旅の中で故事に関する言葉が出てくるかも。