「山の中と海辺では全然違うな~・・・。 環境が違うと、感覚が違うと言うか、人間の考え方も違ってくるだろうな・・・」 恐らく自然は昔とあまり変わらないでしょうね。 紀伊山脈も熊野灘も古代とあまり変わらない。
紀伊半島から名古屋へ帰るには、熊野灘沿いに42号を結構走らないといけません。
「こりゃまるで南国ムードや」
「あれ? 俺は今何処を走ってんだろう・・・」
また道を間違えました。 繰り返しますが、私の車はカーナビがない。
42号線を外れて、志摩半島の近くの海岸線に紛れ込んでしまったようです。
入り組んだ海岸線の入り江は、殆どが漁村ですね。
「うーん・・・。 そうか、古代の日本は、山の中の狩猟生活か、海の漁労生活が中心だったんだ。 日本の原風景と思っている水田はなかったんだ・・・・」
山の中から熊野灘にやって来て、突然そう思いましたね。
今回の紀伊半島縦断の旅で、一番強く感じたのはこのことですかね。
日本の稲作の始まりは幾多の説があるようです。
恐らく弥生時代後期から古墳時代に、ジワジワと大陸から伝わったのかも。
古墳時代後期から始まった水田開発は、稲作農耕民族と従来の狩猟民族のせめぎ合いの歴史だったのかもしれませんね。 天孫族の大和朝廷は、稲作の拡大によって全国制覇を進めていったんでしょうか。
「そうだよな・・・。 大和朝廷と言うけれど、突然漢字を使いだすなんて、変だよな。 大陸からの人間が大勢来ないと、漢字文化がそんなに急に根付くはずない。」
「しかし、日本語文法は中国語と全く異なる。 話し言葉と書く言葉が違っている。 どこかで原住民と移民してきた人との混合があったかも・・・」
ひょっとしたら、日本と言う国は 「東北アジアの合衆国」 だったのかもしれません。
私のまほろば紀行は、なかなか終わりませんね・・・。
紺碧の海、南紀にもあるのですね。
なんと言っても太平洋ですからね・・・・。