「なんだか空気が重いね・・・・」
沖縄は亜熱帯気候。 もう2月も末頃は梅雨の前のような感じですね。
温度は20度前後。 そして湿度が高いですね・・・・。
「沖縄に来たんだから、ひめゆりの塔 は見ておかないと・・・」
ひめゆりの塔は沖縄本島の一番南、糸満市にありました。
「花でもたむけないと・・・・」 入り口で売っていた花をもってお参り。
よく考えれば、太平洋戦争で実際の地上戦があったのは、この沖縄だけなんですね・・・。
「なんで沖縄なんや・・・・」
沖縄の地理的要因でしょうが・・・・。 私の世代でも太平洋戦争の体験はありませんが、沖縄では沢山の人が死んだんですね・・・。
空気だけじゃなくて、気分も重いですね・・・・。
沖縄のつらさは戦後も続いていますね。
終戦後も沖縄は米軍の基地として施政権下に置かれ続けます。
本土復帰の願いはどれほど強かったか。
一番北の辺戸岬。 そうヤンバルの海の最北端ですが、こんな碑が立ってました。
日本本土は高度成長に浮かれていた時代、沖縄は忘れ去られたように米軍の占領地。
「なんで沖縄なんや・・・・」
1972年に沖縄は本土に復帰しますが、夏の甲子園大会で沖縄代表が現われた時、会場は割れんばかりの拍手でした。 覚えていますか? あの時のこと。 もう40年も前のことですね・・・・。
本土復帰後も、沖縄は依然として米軍の基地であり続けますね。
1965年頃から1973年まで、ベトナム戦争へ派遣された兵士の多くは、この沖縄の基地から出掛けていますね。 その後も沖縄は米軍の東アジアの戦略重要基地であり続けますね。
普天間基地や嘉手納基地がよく知られていますが、沖縄を走ってみると、街のあちこちに米軍の基地や宿舎が散在します。
そしてアメリカの国旗と日の丸が悠然と立っていますね。
「なんで沖縄なんや・・・」
普天間基地の辺野古への移転がズーと問題になっています。
県外移転といっても、日本本土で受入れを表明する地域はありません。
本土ではニュースになっていませんが、沖縄では米軍の軍港移転も問題になっています。
受入れの地域に反対派の市長が誕生したのですが、移転阻止すると、これまで国からもらった80億円のお金をどうするのかという問題も発生しています。
「これまで国は札束で言うことを利かせていたんだな・・・・」
今問題の原発立地の地域へのお金と同じような手法ですね・・・。
「なんで沖縄なんや・・・・」
そうですね、日米のきずなを強く維持するなら、日本本土に米軍基地を移せばいいじゃん。
沖縄の人の主張も無理のない論理ですね・・・・。
沖縄の空気は重いですね・・・・
私も随分前に沖縄に行ったことがありますが
沖縄の雰囲気は随分違いますね。
海は綺麗ですが米軍基地や施設や家族の住む住宅など
とても贅沢な感じでした。未だに植民地なのですね。
あちこちへ旅行されて、うらやましい限りです。
フットワークの軽さにも感心しています。
沖縄へは20代の頃 行ったことがあります。
本土復帰直後だったと思いますが、まるで外国のようでした。
今は雰囲気も随分変わったかと思いますが、いまだ基地の街なのですね。
そうですか、昔は米軍の住宅は贅沢な感じでしたか。
今は単なる中高層のアパート群みたいな感じでしたね。
彼方此方で米兵とおぼしき人達に会いましたが、アチラから「コンニチワ」と声をかけてきましたね。
米兵の酔っ払い問題が多いので、その対応策の一つかな・・・。
今でこそ、振興予算・観光地として賑わっていますが、仮初めの賑わいです。
チビチリガマ、ひめゆり学徒隊、方言札。少しでも沖縄の歴史を紐解けば暗澹たる思いにさせます。
だからこそ、沖縄を大きな明るい未来へ繋げていくことが重要です。
沖縄県民としてではなく日本人・人間として…
takeshiさんもこの記事を書いてその未来を切り拓いてくれたことに感謝です。
5年前の記事を見ていただき感謝。
もう40年近く前に、沖縄の人とある研修で1年過ごしました。
「本土の人は沖縄の事を判っていない・・・・」 と彼が。
彼はその時、あまり多くの事は話しませんでした。
沖縄に旅して、少し彼の云わんとすることを思い出して。
我々は沖縄の歴史をもっと知った方がいいですね・・・。
斎場御嶽(せーふぁうたき)を見てそう思いましたね。