と言っても、私はイストラ半島なんて全然知りませんでした。
「なんだか、まるでイタリアの町に来たような雰囲気だな・・・・」
オパティアの町には、古いホテルとか、建物の作りが、なんとなくクロアチアじゃなくて、イタリアの匂いがするんですね・・・。
「確かこのイストラ半島やトリエステの辺は、歴史的にイタリアの国境問題で、長い間もめてたところのような記憶があるけどな~」
イタリアという国はローマ帝国崩壊後は意外と強国になったことがない。 むしろ北からの勢力に圧迫されて、このイストラ半島は言うに及ばず、北イタリアをオーストリア・ハンガリー帝国に占領されていた。
19世紀にイタリアの統一を達成、しかしこのイストラ半島は依然として他国の領土だったので 「失われたイタリア」 という 名前がついているように、微妙な地域なんですね。
第二次大戦後、戦勝国ユーゴがこの地の新たな主となり、ユーゴ崩壊後もクロアチア・スロベニアがそれぞれ領有することに。
「住民投票をしたら、イタリア領の方がいい、なんてことにならないかな・・・・」
もう70年もクロアチア領だったから、そうでもないかも知れません。
少し歴史に拘り過ぎかも知れませんが、長年の歴史は町の雰囲気ににじみ出るもんなんですね。
朝の5時。 オパティアの港付近をブラブラ。
港の夜明けですね・・・
ボケーとタバコを吸いながら、朝日が登ってくるのを見ていました。
1時間以上朝の港を歩いていましたかね・・・・。
「あれ? これは紫陽花?」
「今日もまた暑くなりそうだな~・・・」 オパティアの町がそろそろ活動を始めました。
どうもその日はイストラ半島の世界遺産を訪ねるようでした。
「行くところも知らないの?」 そうですね、何時ものことですが、よく知らないで旅してます。
夜明けの写真、綺麗ですね。こちらも伊豆あたりの漁村を重ねてしまいます。
外国で紫陽花を見るのは実に変な気分がするもんですね。