静かな場所にありました。
私は司馬遼太郎さんの「街道を行く」という本の愛読者。彼方此方を訪れて、その地の歴史や実情を語るというかなり長いシリーズ本ですが。
海外旅行に行くと、その国の歴史に思いを馳せてしまいます。司馬遼太郎さんのようにはいきませんが、宿泊したホテルで、 ” ボケ~ ” と、時を過ごすことが多いですね。
まだドブロヴニクを見ただけなんですが、「どうもよく判らんな~」
ドブロヴニクは90%がクロアチア人だそうです。でも私がこの町から受ける感じは、どこかラテンの匂いが一杯なのです。
部屋の外は広い庭に面して、時折風が吹いてきます。
バルカン半島にスラヴ系の人が移住してきたのは、6世紀頃。 ヨーロッパの民族大移動の頃のようです。1500年も前の話ですね。 ローマ時代のアドリア海沿岸は ダルマティア地域としてローマ皇帝直属の属州だったようです。 ローマ帝国の崩壊以降、バルカン半島はスラヴ系の人々世界になっていく。
「スラヴ人が歴史の中心になったことは一度もなかったな~・・・」
ギリシャ、ローマ、フランク王国、神聖ローマ帝国、スペイン・ポルトガル、イギリス・・・
歴史に ” タラ レバ ” はないのでしょうが、バルカン半島の南スラヴ系の大国が出来ても不思議じゃなかったのでは・・・・。
日本から持ってきたコーヒーを入れて、タバコを持って、プラリとベランダに出てみると、何やら綺麗な花が。夾竹桃でしょうか。
「そうか、この地域は何時も東や南から異民族が押し寄せていたんだ」
フン族、マジャール人、モンゴル帝国、そしてオスマントルコ。 スラヴの民はヨーロッパの防波堤のように異民族の侵入に曝され続けていたんですね。
日本は中国という大国に近い場所だのに、島国だから助かったんですね。 陸続きだったら一つの国としてまとまれていたでしょうかね・・・。 違った歴史が展開したでしょうね。
そろそろ朝ごはんの時間が来たようです。
ホテルの食堂の壁に何気なく描かれていた絵。ドブロヴニクの旧市街ですね。
「そうか、俺はスラヴ族のイメージがないんだ。 だから判らないんだ」
ラテン系とかゲルマン系などのイメージは湧くのだが、スラヴ系というイメージがイマイチ。
まだよく判りませんね・・・・・。