この地域には 秦族の古墳があったり、歴史的には渡来人が多くいた場所らしい。
飛鳥・奈良の時代には、現在の京都や滋賀の地域は、秦氏などの渡来人が開墾した場所がおおく、大津の宮や平安京遷都には、渡来人が深く関与していた可能性があります。
今回は歴史探訪ではないので、そのくらいにして、現代の近江平野。
その日は土曜日 「この人は兼業農家なんだろうな・・・」 田植えの前の地ならし。
田圃を横に見ながら、約2時間は歩いたでしょうか・・・・。
「あー、やっと百済寺に着いた~・・・」
百済寺には着いたのですが・・・
「また石段があるの・・・・。 もう登るのは嫌だ!」
本当に疲れたのです。 もう一段も登りたくない、 という気分。
茶室風の建物があったので、そこで休憩していました。
ゴールにはJRの世話人の方が。
「このコースはキツイね。パンフレットには10キロと書いてあるけど、お寺の急な石段の上がり下がりを入れると、15キロを越えてるよ」 と私。
「お寺の中に入るのはオプションですから・・・」
「湖東三山の新緑を訪ねて というのに、いくらオプションだといっても、お寺を素通りする人はいないぜ」
とにかく 疲れた!! もうこのコースは懲りた。
明日から週末にかけて信州路をプラリと廻ります。
このブログも来週までお休みです。