門柱が並ぶ部分の東側(多分)の奥まったところにあります。
ベル神殿は紀元前1世紀には存在していたらしく、バルという名前はバビロニアのバールに近いことから、メソポタミアの流れをくんでいるかも。
現在の神殿跡は周囲の城壁が残るだけで、中は殆ど何も残っていない。
何か神殿の中心らしき遺跡の天井には、きめ細かな彫刻の跡が・・・。
このデザインの感じはギリシャよりペルシャ風に見えるのだが・・・。
パルミラはどうも東のメソポタミア、ペルシャの流れと、西のギリシャ・ローマの流れを取りこんで、その影響を受けながら発展してきたのかも知れない。
アラブの片田舎に圧倒的な大きさで残る遺跡。
それが突然滅び去ったシルクロードのオアシス都市パルミラの遺跡にふさわしいのかも。
パルミラには、そのほかに立体式のお墓の跡など遺跡は多いのですが、次へ進まないとこのブログは何時まで経っても日本に帰ってこれません。
次はまた砂漠を横切ってダマスカスへ向かいます。