これまで出雲族が出てきたり三輪王朝の話があって、日本の古代史の流れがよく判らないので、ここ辺で整理しておきたくなりました。
日本の古代史の大きな時代区分は以下の通りでした。
石器時代
縄文時代
弥生時代 BC8世紀から3世紀ごろ
古墳時代 3世紀から6世紀前半まで
飛鳥時代 6世紀後半から710年
奈良時代 710年から794年
飛鳥時代以降は書物などが残ってかなり信憑性があるのですが、それ以前のことはどうもよく判らないことが多いようです。日本の古代を扱った資料は「日本書記」と「古事記」が有名です。
正史とされる「日本書紀」は奈良時代に書かれ、どうもつじつま合わせが多くて、多分に脚色されているので信頼性に欠けるようです。「古事記」は昔の出来事を語部などの個人の記憶を多く集めて作り上げたもので、歴史書という感じではないようです。
むしろ、中国の歴史書に残っている日本に関する記事の方が信憑性があるとされています。
3世紀に書かれた「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」で邪馬台国が出てきたり、5世紀の南朝に書かれている「倭の5王」が有名です。
そのため中国の資料と日本の歴史書を関連つけようとしているのですが、どうも上手くいかないようで、特に古墳時代が判りにくく 「暗闇の4世紀」などという言葉があるぐらいです。
「それじゃ、勝手に? 言いたいことを言えばいいじゃん!」ということに。
古代史に興味を持った人たちが、古代のロマンを楽しむことが出来るのですが、私も勝手に自説?を展開すると楽しいのですが、こんな話を続けるのは疲れますね・・・・。
そこで、自説?の要点だけを挙げておくと
1.弥生時代から連続的に大陸からいろんな人種が日本へやってきている。
大陸系の弥生人は縄文人と異なる人種で、この人たちがヤマト政権を作った。
だいたい国の変化は外からやってくる力で始まるものでしょうね。
急に漢字を使った遺跡が出たり、書き物が漢字だらけになるのですから。
江波さんの騎馬民族征服説はなかなか面白い説だと思う。
数百人の騎馬軍団なら、当時の日本列島を征服するのは十分可能だと思う。
(江波さんは言語学者で、論文の内容は騎馬軍団の話ではない。念のため)
2.飛鳥のヤマト政権以外にも、日本各地に地方政権が存在したのではないか。
吉備、出雲、北関東などの地方政権、古墳時代の河内政権、北陸から出た継体天皇など。
これらの政権が新たな外来人か、旧外来人と土着人の融合体かは不明。
ブログで出てきた「三輪王朝」から、飛鳥でヤマト政権が確立するまでおよそ2百年。
いろんな事があったはず。
3.ヤマト政権は朝鮮半島との関係が深い。
ヤマト政権を支えたのは、朝鮮半島からの調達品。
鉄や加工技術、それを使った武器や日常品がヤマト政権を支える。
弥生時代後期から古墳時代にかけて、急に大きな遺跡や武器・鉄器・窯器が現れる。
生活が一変するほどの大変化が連続していた模様。
朝鮮半島の任那はヤマトの植民地でなく、彼らの故郷か物資や技術の調達先。
ヤマト政権が、朝鮮の百済滅亡に大慌てしたのはそのせいだろう。
「倭は国のまほろば・・・・」という歌がありました。
戦乱で混乱する大陸から日本へやってきて、やっと安住の地を見つけた人が
「倭はいいところだ」と思ったのではないでしょうかね・・・。
まほろば紀行は、三輪から飛鳥に移動します。